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戦ぎの淡い影 ― 平安戦御体戦記  作者: ひろくま
第三章 芽吹

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89 芽吹ノ章 十六


・・・・・・・。


え?



その瞬間、世の中が刻を止めた。

音が消え、目の前が灰色に見えた。


子?

姉上の中に・・・子?


「え、と・・・・それは・・・・あの・・・・・・」

何を言えばいいか、何も口から出てこない。

「安心しなさい。あなたの子ではない・・・と思います」

「・・・そうですか」

安心・・・したのか?

がっかりした?

・・・いや、違うな。悔しいのか?

・・・なんだ、この気持ちは?

胸の奥が痛い。急に締め付けるような胸の痛みに襲われる。



「まだ決まったわけではありません。これは殿にもお話していません。誰にも言わないで」

「わかりました。絶対に言いません」

姉上はおれの胸に顔を押し付けた。

「・・・ごめんなさい・・・・・」

この世でおれだけに聞こえる、消え入りそうな声だった。

「謝らないでください。姉上は正しいことをしているのです」

「そうですが・・・」

「姉上が言ったではありませんか。疑うな、迷うなと」

「義陽、あなたには言わないといけない気がしてならなくて・・・」

「大丈夫。おれは・・・姉上と共にあります」

おれは迷いに迷った末、姉上の肩に手を回した。

ずっと、触れることをためらっていた肩が、小刻みに震えていた。

こんなに姉上の肩は細かったのか。

今までおれに安らぎをくれた姉上の香りが、今は違うものに感じる。

それがもう、おれを満たすためのものではないのだと、痛烈に感じた。



それでも・・・


守りたい。



「姉上、おれは・・・・・」


その先を言葉にして言べきではない。言いかけて口を閉じた。





姉上のことが心の中に深くあったので、その夜、妙珠殿の顔をまっすぐに見るのが辛かった。

だが、妙珠殿は無垢な天女様の笑顔でおれを迎えてくれる。

「・・・いよいよ明日、出立ですね」

「はい。しばらく家を空けます。宗近殿や父上が室山を守ってくれます。おれもできるだけ早く妙珠殿の顔を見に帰ってきますので」

「はい。殿を信じております・・・」

まっすぐの目でおれを見てくれている。

「ですが・・・殿・・・・」

おれを呼んだ瞬間、天女様が笑顔を消した。

「はい。なんでしょうか?」

「明日から殿と床を共にすることがしばらくありません。わたし、今宵は・・・・」

「はい・・・」

「母様に・・・教えていただきました。殿方と・・・その・・・・・」

・・・・母上!?・・・・嫁に何を教えたのだ!?

「んっ!!」

ごつん!

急に妙珠殿はおれの顎に額をぶつけてきた。

「痛っ!」

「い、痛たぁい・・・」

「き、急に何を・・・・」

「ごめんなさい、もう一度!」

唇を重ねる。

姉上とは違う香り。姉上とは違う温かさ。姉上とは違う柔らかさ。

いや、違うのではなく・・・妙珠殿のものなのだ。

「・・・妙珠殿・・・・」

「妙珠とお呼びください、殿・・・」

「妙珠」

「はい、殿」

「もう一度、してくださいますか?」

「・・・・しろ、とおっしゃってください」

「もう一度・・・・しろ」

「はい」

幼く不器用な唇。それでも、気持ちが強く伝わる。



「殿・・・お願いします・・・・・」


妙珠はそう言って帯を解いた。

顔を真っ赤にしておれの肩に手を伸ばす。



その夜、天女様は、ずっと守り続けてきたものをおれに捧げてくれた。

兄上にも奪えなかった、その全て。

強張る体で震えながら、時に涙を浮かべ、熱い吐息を吐きながら、おれに応えようと必死になっていた。

こんなに温かい。

穏やかに流れる刻。

締め付けられる胸。



「必ず、帰ってきて・・・・ください・・・・・」



「大丈夫です・・・・おれは・・・・あなたを愛しているから・・・・」



神仏に誓う。

嘘ではない。



だが・・・・。心の中に棘が刺さっているような痛みを感じた。





ちなみに、婚儀から十日以上は経っていた。・・・はず。






明くる日、おれたちは西へ向けて出立した。

父上と母上が見送りに来てくれる。

妙珠の肩に手を置いた姉上の姿も見える。妙珠は両手をしっかりと胸の前で組んで、こちらを見つめている。

霞兼信殿を総大将として、一万越えの軍勢が伊豆を出て西へ向かう。

戦御体は四体。おれともしゃもしゃと優男とおしゃべりだ。

・・・本当の名前を思い出せない。


そして戦御体の修理にも対応できるように、織部久馬殿も同行している。

「おい、霊力はどうだ?上がったのか?」

「はは。その節はご迷惑を・・・。もう大丈夫、ずっとは無理ですが、前よりも長い時間動かせます」

「そうか。あんなにしょっちゅう止まっちまったら、戦じゃ命取りだもんな」

・・・そうです。それで死にかけました。

「あ、それからよ、諏訪も木曽も、霞家の使ってる御体は全部親方が作った白縫だから。白い御体は基本全部味方だからな」

「へ?そうなんですか?」

「そうだ。親方はすごいお人なんだからな」

「はあ・・・」

めっそーしゅー、すごい人たちなのか?

伶守殿にもっと聞いてみればよかった。考えてみれば、伶守殿はかなり腕の立つ人だ。一番手というからには、一番強いに違いないが、乗っていた戦御体も他のものとは違うようだった。気を失う直前の一瞬しか見ていないが。

「久馬殿、そもそも滅創衆ってどんな人たちなのですか?」

「知らん」

「え?」

「おれは滅創衆じゃないからな。親方も違う。頼まれてやってるだけだ」

「そうなんですか」

なんか、複雑なようだな。




雨が強く降る日。

霞軍二万と、緋家・朝廷軍一万五千が富士川を挟んで対峙した。

「この雨では・・・ねぇ・・・・・」

優男が言う。

「こう川の水が増えてはわたれないどころか、無理して渡ろうとすれば流される。そもそも川というのは山にある雪解け水が海へと・・・(略)」

おしゃべりがひとりで何か言っているのを無視して、おれは自分の持ち場である最後列へ戻ろうとした。

「義陽殿!義陽殿!」

おれをもしゃもしゃが呼び止めた。

「どうした?もしゃ・・・・ええと、長綱(ながつな)殿?」

「あのな、ここから北の方・・・もう少し上流でな、家臣が熊を見たそうなんだ」

小声で言う。

「・・・そうか。それは危ないな。兵たちに、夜の間も注意するように言おう」

「いや、そうではない。戦は明日だろ?」

「まあ、この雨では川が渡れないからな。明日より後になると思うが・・・」

「なら、明日より後は命懸けだ。ちょいと、栄養を付けたい」

「・・・・まさか・・・・」

「ああ、熊狩りに行ってきてよいか?」

はぁ・・・・。

「よいわけがないでしょう?明日には戦が始まるかもしれないのに、熊を追いかけまわしている場合では・・・・」

「そこを何とか!」

頭を下げてお願いされる。

「・・・・まあ、黙っておいてあげますが、危ないから暗くなる前に仕留められなかったら諦めてください」

「おう!恩に着るぞ!あとでお主にも熊鍋を分けてやる!」

「・・・要りません」


もしゃもしゃは雨の中、元気よく走って行った。

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