64 純波ノ章 二十
・・・・・。
斬られた痛みはない。
墨羽は頭をあげて、ゆっくり目を開ける。辺りはあまりにも静か。何の音も聞こえない。見渡す全てが真っ白の世界。地面があるのか、立っているのが上なのか下なのかもわからない。
・・・でも、あの世とはこういうところなのかな。ここを永遠に彷徨うことになるのかな?
立ち上がろうとする。だが、体は持ち上がらず、そのまま倒れる。
「・・・立ちなさい」
不意に女の声が聞こえた。いや、声?
「ひいっ!?・・・だ、誰!?」
「立ちなさい」
もう一度同じ声が聞こえてくる。
「もう、体が動かないの・・・」
「その石を手放せ」
両腕で抱きしめていた御霊石がぼんやりと光る。
「だめ、この石はわたしの大切な・・・」
そう言いかけた時、御霊石は墨羽の手を離れ、宙に浮いた。
「純波・・・!?」
「前のお主ならすぐに気づいたであろうが、この石がお主の力を喰っておる。立てぬのはそのせいじゃ」
「あなたは誰?わたしを知ってるの?」
「知っている。昔から」
「昔・・・?」
「立ちなさい」
墨羽はゆっくりと立ち上がる。
「・・・立てた」
ふいに、目の前に白い着物の女が現れた。長い髪、白い肌。そして青い目と頭の左右に生えた角。明らかに人ではない。
「・・・妖?」
白い着物の女は墨羽に目もくれず、宙に浮いている御霊石に手をかざした。
「出て来い、梦卯比売。いつまで寝たふりをするつもりじゃ」
「な、なに?」
真っ白だったあたりが緑色の光に包まれる。目を開けていられない。両腕で顔を覆う。
「きゃあっ!?」
ゆっくり目を開けると、そこには割れた御霊石。そしてまた一人、女がいた。
一糸まとわぬ姿の女。透き通るような白い肌。波のように流れる黒髪。目を奪われるような美しさがあるが、同時に怪しさの気を纏わせていた。
「純波・・・」
さっきまで真っ白な霧に覆われていたあたりは、広い社の中だと気づく。柱が等間隔に立ち並び、白い壁が周りを囲っている。
「さて、妃寐。また会ったな」
「また、とは厚かましい。お前のような残滓とは初対面じゃ」
「ふん。なんとでも言え。爪の垢の分際で。で、わたしに何か用があって連れてきたのであろう?」
「青龍の鱗を止めよ」
・・・何の話をしているのか、墨羽にはまるでわからない。それに、これは声で話しているのか?自分の耳から聞こえてくる音なのか、それすらわからない。直接頭の中に響いてくるような音だった。
「ちょっと、何の話をしているの?教えて、なぜわたしはここにいるの?わたしは死んだの?ここはあの世なの?」
だが、二人は墨羽の問いに答えない。
「麒麟の子がいるではないか、妃寐。お前が欲した力は麒麟の子が持っているのだろう?」
「今はその力、奪えぬ。麒麟の子が力を失えば、人の世は龍の鱗に飲み込まれる」
「やれやれ」
裸の女はイライラした様子で頭を掻く。
「ならばもう少し石の中にいてやる。この石は全く苦手なんじゃがな」
裸の女はそう言うと、割れた石の中に吸い込まれていった。一瞬光ったかと思うと、割れた石は元の丸い形に戻っている。
「・・・純波?」
墨羽は石を手に取る。
『やることは同じじゃ。わたしはずっとお前を見てきた。わたしは今のお前を愛おしく思うておる。わたしの”元”が目覚めると、わたしの意思は消える。それまではお前に力を貸そう』
御霊石の光はゆっくりと薄れ、やがて消えた。
「さて、お前も長く人の世にいすぎて己が誰なのかわからなくなってしまったようじゃな」
「・・・・」
妃寐と呼ばれた妖の女が墨羽を見下ろす。
「これから全て教えてやる。そして思い出せ」
妖の女は両手で墨羽を包み込む。
その瞬間、いろんなものが墨羽に流れ込んできた。
「これは・・・何?」
「お主が今に至るまでの、妾が知る限りの記憶。それはお主がわたしに託した、お主のすべて」
目から涙が溢れてきた。それはあまりにも哀しい事実。
苦しい。
忘れていた?
忘れようとしていた?
「そんな、そんなっ!!やめてっ!!」
そう叫んだと同時に、体が急に重さを取り戻したように重くなり、地面に投げ出された。
「うっ」
『ここからまっすぐ南へ行け。今のお前が求める場所はそこにある』
腕の中にある御霊石からそう聞こえた。
「・・・ありがとう、純波。わたしが誰なのか、わかった」
御霊石を抱く腕に力が入る。
涙と嗚咽はしばらく止まりそうになかった。
吹原の整備は迅速に、かつ強引に進められた。
もともと吹原はかねてより紀基が瀬戸内の海路、山陰から九州へ至る陸路の拠点として整備をしていた場所で、緋家が西国へ都を移すとなれば吹原以外には考えられなかった。
「何回見ても、でっかい船だな!!」
孝基の四男、敦王は瀬戸内に浮かぶ、緋家の軍船を見るのが楽しくてならなかった。
「父上に聞いたが、あの船には御体が四つ乗るらしいぞ」
昭基が自慢げに言う。
「四つも!?すごいな!!」
「そうだ!おれも早く船に乗りたいな!」
「兄者たちは船に乗ったことはあるのか?」
敦王が知基の方を見て言う。
「いや、おれはないな。兄者はあるのか?」
知基が是基を振り返る。
「ああ。ついこの前、御体で船に乗った」
「おお!」
敦王が目を輝かせる。
「どんなだった!?やっぱり揺れるのか!?」
「そうだな。やっぱり揺れる。でも、不思議とすぐ慣れるものだな」
「へー、すごいな、兄者!」
敦王は大はしゃぎして砂浜を転げまわった。
昭基が一緒になって転げまわる。
「・・・貞基殿はあの船で伊予水軍の制圧に向かうらしい」
是基が船を眺めながら知基に言う。
「はは。やはり頭の中は戦のことばかりだな」
「笑うな」
「・・・少しは癒えたか?」
知基が是基を見ながら言う。
「ああ・・・。お前に命を救われたな」
「そうじゃない。兄者が死に急いだのを止めただけだ」
「だが、あの戦で負けたばかりに、こんな大事になってしまった・・・」
「それはそうかもな。でも、悪いことばかりじゃない。あいつらを見てみろ。楽しそうに大はしゃぎだ」
「・・・・・」
「兄者も来い!」
知基は是基の手を引っ張って、昭基や敦王が転げまわる砂浜に倒れ込んだ。
敦王がうれしがって、海の水をかけてくる。
「うわっ!?やったな!!」
それからは兄弟の水かけ合戦が始まった。
あっという間に四人ともずぶ濡れになり、皆種が目に沁みた。
「ああ、また女房達に怒られるなぁ」
知基が言うと、是基は水の中に飛び込んで泳ぎ出した。
「構うものか!!」
敦王と昭基はそれを見て大笑いした。
「西国遠征じゃ!!」
貞基は久しぶりの討伐遠征に意気揚々である。
「ご機嫌よろしいようで何より」
相変わらず表情を変えずに重国が言う。
「父上が亡くなって、ずっと喪に服しておったからな!体がなまってしまった!」
「単にやることなかったからでしょ」
「せっかく直った翔鶴もずっと出番がなかったからな!早く動かしたい!」
「今度はすぐに壊さないようにしてくださいね」
「・・・・重国」
「聞き間違いでしょう」
「まだ何も言っておらん!」
京を追われた緋家にとって、西からの物資搬入は命綱だった。
特に瀬戸内の海路は重要で、この領海権を得ることは最優先事項として常に緋家に求められていた。
「では出港!!」
貞基が号令をかける。
船は帆に風を受けてゆっくりと動き出す。
「あのでっかい船、出ていくぞ!」
敦王が嬉しそうに言う。
「貞基殿、ご出陣だな」
知基が波間を滑り出す船を眺めながら言う。
「いいなぁ、おれも早く出陣したいぞ!」
昭基がボソッという。是基は複雑な思いで昭基を見る。
貞基を乗せた旗艦以下、御体を乗せた五隻の大型軍船が吹原の港を出港した。
浦崎家は古くから備前水軍を任される家柄である。備前の国の牛前島に居を構え、瀬戸内を通る海路を掌握していた。
父の早世により澪瀬が後を継ぐことになった時、沢山の反対にあったのは言うまでもない。
「おなごなどに海の頭領が務まるものか」
「女が海に出れば船ごと魔物に喰われる」
ほとんどの家臣たちの反対の理由が、澪瀬が”女だから”だ。
「女で何が悪い!?お前たちだって女の腹から生まれたのであろうが!」
澪瀬が一喝する。
ほとんどの家臣たちは大恩ある先代の遺言、「澪瀬を頼む」という言葉に従って澪瀬についた。いくらかの者たちは浦崎から離れることとなったが、澪瀬としては覚悟していたことが起こったというだけだと割り切るしかなかった。
「御当主!こちらへ向かってくる軍船があります!赤い旗を立てているので、緋家の船かと!」
「なんだと?」
澪瀬は書室を飛び出し、港へ走る。物見櫓へ上ると、東の海の方へ視線をやる。
大型の帆船が・・・一、二、三、四・・・五。五隻。
まだ遠いが、この風向きだと後半刻のうちにここを通る。
「よし!皆の者、仕度せよ!都落ちの緋家の者共に、我らの瀬戸内の海を渡すな!ただでこの牛前島を通れぬことを教えてやれ!」
おおーー!!
澪瀬の号令一下、すべての者が訓練された動きで船に御体を積み、帆を挙げて船を出す。
見る見るうちに牛前島を望む海峡に軍船が並び、緋家の船団を迎え撃つ形になった。
「殿、申上げます!」
「なんだ、申上太郎?」
貞基が船のへりにしがみつきながら青い顔で言う。
「・・・大事ござりませんか、若?」
「かまわぬ・・・申せ・・・うぷっ!?」
「・・・この先に備前海軍が行く手を塞いでおります。軍船を出していることから、我らと一戦するつもりのようです」
「・・・そうか・・・・うっ!?〇×▽◇!?」
「ああ・・・・そんなところに・・・・」
「まったく、若は日頃の鍛錬が足りないから船酔いなどしてしまうのですぞ!」
重国がやってくる。
「重国殿!この先に備前らしき水軍が!」
「うう・・・・重国に任せる・・・」
重国が胸をドンとたたく。
「ちょうどよい!若、伊予軍との戦の前の前哨戦!我らが緋家軍の力を見せつけてれろれろれろれろ!」
「うわぁっ!?あんたもかいっ!」
思わず突っ込む申上太郎。重国は顔を真っ青にしてばったり倒れる。
「・・・ちょっとは顔に出してくれればいいのに」
「我は備前の国の海を預かる浦崎澪瀬と申す!緋家の船と見るがいかに!」
澪瀬は船のへりに立って緋家の軍船を睨みつける。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・返事くらいしてくれっ!!」
するとようやく刀の鞘を杖にして現れた男、貞基。
「・・・われの名は・・・緋家の・・・四郎、さ・・・だ・・・・もっ・・・・」
ばたっ!
倒れた。
「お、おい!大丈夫か!?」
もう一度貞基が立ち上がる。
「あ、出てきた・・・」
ざわざわとする備前水軍。
「・・・わ・・・れ・・・の・・・・・・名はうぷっ!さだ・・・・も・・・・・・」
「うぷっさ?」
「うふさだ?」
またもざわざわする備前水軍。
「声が小さくて聞こえぬ!ちゃんと名乗れ!!」
澪瀬が叫ぶ。
「おえっ・・・・おえっ・・・・・」
「お悦?女の名前か?」
もう備前水軍のざわざわが止まらない。
「我が名は澪瀬!お悦ではない!それと、そちらを緋家の船と見たが、合っているのかと聞いている!!」
しびれを切らしてもう一度名乗る澪瀬。
すると、貞基が立ち上がる。
「ようやく名乗る気になったか!」
「我が名は緋四郎貞基!訳あって伊予水軍の討伐に船を進めておる!備前と刃を交える故はないが、ここを通さぬならいざ勝負せよ!」
さっきまでと声も違うし、どう見ても貞基の後ろの男が腕を持ち上げて操っている。
「ええと・・・ほんとに大丈夫?」
「だ、だいじょうぶー!!」
腕をパタパタさせる。
もう本人はぐったりしてるけど・・・。
「では、しょうぶ、しょうぶー!!」
「・・・棒読み」
何はともあれ、両軍から鏑矢が放たれて海戦が始まった。




