62 純波ノ章 十八
「御体の修理も終わったので、明日にはここを発とうと思う」
それから数日、何度もそれぞれの御体の動きを確認と調整を繰り返しやっと完了した。
「次は伊豆へ行くのか?」
ミカナが伊佐の膝の上に座って言う。伊佐は猫を抱いているように、ミカナの頭を撫でている。
「ああ、そうだ。三十日くらいの旅になる。準備は玄隆殿に整えていただいた」
「おー、至れり尽くせりじゃのう。深く礼を言わんと」
淡影が頷く。
「玄隆殿には明日ここを発つと話したら、”もっといればいいのにぃ!”と言われたが、伊豆の宗近兄上はすでに挙兵しているそうだ。いくつか戦を経て、富士川で緋家に大勝したと玄隆殿から聞いた。その後、緋家は木曽にも大敗している。緋家を叩くなら今を置いてないだろう。急いで伊豆へ行き、兄上の軍と合流したい」
「はい、いよいよですね!」
皆秀が言う。
「よし、これで全部かな」
伊佐はひとり、荷物を御体車に積み込みしていた。なぜなら、嶺巴とミカナがちっともやらないからだ。
・・・ふたりとも、わたしより年が上のはずだけどな。
そんなことを思いながらも、淡影から言われた「一緒に来てくれ」の言葉が頭の中をくるくるして、自然と体がくねくねする。
「またくねくねしているな、伊佐」
「ひぃっ!?」
「おっと、すまない。また驚かせてしまった」
「・・・ええと・・・・」
「・・・忘れたのか?和賀利隆だ」
確かに忘れていた。というか、名前を聞いた覚えがない。
「ああ、この前はお褒めいただき、ありがとうございました。おかげで胸のつかえがとれました」
「そうか。ではこうしよう。明日、お前たちはここを発つと兄上から聞いた。お前はここに残れ」
「え?」
もともとにやけ顔のせいもあるが、どこまで本気で言っているのかは測りかねる。だが、冗談を言う雰囲気でもない。
「・・・それはどういう?」
「お前はここに残って、おれの妾になれ。暮らしに不自由はさせん」
「はは・・・。御冗談を・・・」
「冗談を言っている顔に見えるか?」
「ええと・・・見えなくもないし・・・」
「冗談ではない。お前は美しい。なのに山猿たちと一緒になって戦場へ出ていくなど、愚かなことだ。おれのもとでさらにその美しさを磨き、おれのために尽くせ」
「ええと・・・おっしゃっていることがよくわからないのですが・・・」
「ええい、察しの悪い娘だ。体でわからせてやるから来い!」
利隆が伊佐の腕を掴む。
反射的に体が動いた。小さい頃から護身術を身に着けてきた伊佐に、腕の自由を奪われるということは命をとられる一歩手前。そうなったときの行動は体に染みついていた。
どすん!
気が付くと、利隆を投げていた。利隆にも何が起きたかわからなかった。気が付くと地面に背中を付けて空を見上げていた。
「あ、ごめんなさい・・・腕を掴まれると、つい・・・」
走って遠ざかっていく足音が聞こえた。
「・・・・何が起きた?」
「あらあ、見事な投げられっぷりだねぇ。こりゃ、ざまあないねぇ」
利隆が起き上がると、そこに黒装束の女が立っていた。
「おれは武士ではない。武芸はできぬ。それよりお主、何者だ?」
「あたしは紺織。滅創衆四の衆、縹刃の破導だよ」
「・・・何を言っておるかわからんが、何しに来た?」
装束の砂を払いながら言う。
「あんた、あの娘が気に入っているのでしょう?それならあたいが力を貸そうじゃないか?」
「ふん。お前のような得体の知れぬ者など信用するわけがなかろう」
「でも、いいのかい?明日にはあの娘は霞の子と一緒に出て行っちまうよ?」
「・・・・・」
「それに、なぜ霞の子がここに来たと思う?奥州を戦に巻き込むためだよ。あの娘も、あの男と一緒にいたら命が危ないよ」
利隆は無言でしばらく考え込んだ後、紺織の方をじっと見た。
「お主、素性はわからんが可愛らしい顔をしとるのう。おれの妾にならんか?」
ごん!
紺織は伊佐よりも容赦なく利隆を投げ飛ばした。
「もうひとつ教えといてやるよ。あの娘、緋浄基の子だよ」
「まったく、あの利隆ってやつ、もうちょっと骨のある男と思ったんだけど!色男ってのはどうも嫌いだよ!女なら何でも言うこと聞くと思ってやがる!」
翌日、岩島を出ていく淡影一行を眺めながら紺織はふてくされている。
「あんたの方はどうだったんだい、玖狼?」
玖狼は近くの岩の上に座り込んで欠伸をしている。
「ああ、あの政頼と申す男、父親と違って堅物だな。それだけに操りやすい。霞の子がいつか奥州に内乱をもたらすと、破主に言われた通り申しておいた。あわよくば和賀も戦に加わるし、加わらなくても自滅すると破主が申していたがなぁ・・・。本当か?」
「・・・知らないよ。あたしらは破主の言う通りやっていればいいんだから」
「破主のお考えはわしらには確かにわからん。だが、これで緋も霞も勝手に滅んでいくと申すのはどうもなぁ・・・」
「・・・・知らないって言ってんだろ!」
そう言って紺織は姿を消した。
「あ、また!置いていくなと申すのに・・・」
どこをどう走っただろう。
ここがどこかわからない。
木曽の霞軍が都へ進んでいった。街道に戻るわけにはいかない。
森の中を走り続け、時折集落を見つけると食べ物を盗み、川の水を飲んで昼も夜も走り続けた。
実継たちは無事だろうか?京にたどり着いただろうか?あれからどれくらいの日が経ったのだろうか?
・・・疲れた・・・あまりにも疲れた。
早く京へ行きたい。清葉の近くへ。
皆が温かく笑顔でいた、あの場所へ戻りたい・・・。
足が徐々に前へ出なくなってくる。崖から落ちた時、肋骨を折っていたのかもしれない。息苦しい。
頭がぼうっとして、視界が狭くなる。
いけない。こんなところで倒れたらいけない。
敵に見つかるかもしれない。野犬に襲われるかもしれない。
駄目だ。前へ進むんだ。
足が前へ出ない。膝が地面に着く。土と枯れ草の匂いがする。
目の前が翳む。両手が土を掴む。
・・・・・。
おや、このようなところにも・・・いや、違うのか?
人?
ううん、われらと同じだよ。
大丈夫。こっちへおいで。
何を言ってるの?わたしは墨羽。橘中納言の娘。
こっちへおいでよ。
こっちへおいでよ。
人にはなれないよ。
こっちへおいでよ。
みんな灰になるよ。
墨羽はゆっくりと目を開けた。
辺りは夜の帳が降りている。
ゆっくりと体を動かして、仰向けになる。
森の木々の隙間から星空が見える。
だが、少し先の空が妙に明るい。月明かりなどではない。
何か、燃えている?
墨羽は無理やりに体を地面から引きはがす。体中が痛い。
足を引きずりながら、明るい方へ進む。
徐々に感じてくる、焦げ臭い匂い。人の叫び声。怒鳴る声。子供の鳴き声。
なんだ?何が起きている?
森を抜けると、急に視界が広がった。
そこには、燃え盛る炎と、逃げ惑う人たち。そして馬に跨った武士たちが村落の家に火を放つ光景だった。
水沢直兼は損な役回りを仰せつかったものだと思っていた。
緋家の残党狩。
炎蛇ノ坂での戦は木曽霞軍の圧勝だった。敵の戦力の三分の二を殲滅したにもかかわらず、こちらの損害はほんの微々たるもの。あっという間に緋家軍は来た道を敗走していった。
逃げ出した緋家の兵たちを炙りだすために、敵が逃げ込んだと思しき民家を片っ端から焼かなくてはならない。これは無差別で火をつける。ひとつひとつ家を回って中を確かめていくような手間は取れない。
どんなことでも後始末というのは苦いものだ。いつもそう思う。
時折、炙り出された敵兵が刀を抜いて向かってくる。それであれば、救われる。
一番つらいのは何も出てこなかった時だ。途方に暮れる人々の鳴き声をただただ聞かなくてはならない。
戦というのは勝とうが負けようが、悪者にならなくてはならない。
女や赤子の鳴き声。老人の手を引いて逃げる子供。泣きながら、皆逃げ惑う。
鍬を振り上げて向かってくる男もいる。
逆上した農民と思うが、向かってくる以上は斬らなくてはならない。敵兵が農民の格好をしているかもしれない。
だが、もうすぐ近江を抜ける。おそらく村落を焼くのはここで最後だ。
やっと解放される。こんな救いのないお役目はもう勘弁してほしいものだ。
村が燃える炎が空を焼き、炎の熱があたりに漂う。
「直兼殿!火を放ち終わりました!」
「そうか。敵兵はいたのか?」
「いえ!おりません!」
「・・・・そうか」
二十軒以上の家があったろうか。明日からここの者たちはどうするのか。
それなりの補填はあると思うが、生活できるかどうかはわからない。
「すべてが焼き尽くされたら火を消せ。その後は皆で木を運び、里の者が住む家を建てろ」
「承知!」
その瞬間だった。
この辺り一帯を覆いつくすように燃え盛っていた炎が一瞬で消えた。
突如静寂が訪れ、闇があたりを支配する。
「・・・何?」
焦げ臭い匂いだけが漂う。
「いったいどうし・・・」
そう言いかけた時だった。
少し離れたところで一本の火柱が立った。
「ぎゃあっ!?」
悲鳴が聞こえる。
それを皮切りに、あちこちで火柱が昇る。それは燃え広がる先ほどの炎とは違い、人ひとり分の太さの、まさに柱のように立ち上る渦を巻いた炎。
ひとつ炎の柱が立つと、ひとつ悲鳴が聞こえる。
瞬きするよりも早く炎の柱は一つまた一つと増え、こちらへ迫ってくる。ふいに隣にいた兵が炎に包まれたかと思うと、直兼の視界も炎に包まれた。
「何が・・・起きた・・・?」
自身でもその言葉を最期まで言えたかどうかわからないまま、直兼は燃え尽きた。
体が燃えてる・・・・。
でも、熱くない。
何なの、これ?何が起きてるの?
そっか、きみだけはうまくできたんだね。
・・・なにを?
もう、消えなくちゃ。さよなら。
ちょっと、待って!
・・・・・・。
まただ。
時々夢で見る、あの少年らしき声だ
そこではっと気が付く。
眠っていたの?
いや、立っている。
燃えていたはずの集落は静まり返っている。
子供の泣く声は聞こえるが、村落の家々が焼け落ちる音は聞こえない。
火が消えてる・・・?
恐る恐る、隠れていた村落の住民たちが顔を出す。
「あの・・・みなさん、無事でしょうか?」
墨羽が声をかける。
「ええと・・・何が起きたのでしょうか・・・?」
問いかけるが、近づいてくる者はいない。
「何が・・・何が起きたので・・・・」
再び言いかけると、小石が飛んできて墨羽の頭に当った。
「痛っ!」
額が割れて血が流れてくる。
それを皮切りに石が次々と飛んできた。
「な、なに!?なんなの!?」
慌てて陰に隠れる。
「火を操る妖め!」
「兵たちを殺した!!おれたちの村はもう終わりだ!」
「お前のせいで!この村が兵に攻められる!」
「化け物めっ!どこかへ行け!!」
村の住民たちが叫びながら石を投げてくる。
「・・・そんな・・・・」
墨羽は森へ向かって走り出していた。
何、わたし、何をしたの!?火を操る?どういうこと?兵を殺したって・・・何なの?
わからない・・・・。
真っ暗な森の中、倒れようとする重たい体を必死に動かす。
足がもつれ、よろめきながら、でも走り続けようとする。
やがて木の根に躓いて転ぶ。全身が地面に投げ出される。
なぜだろう、痛みを感じない。
首に巻き付けていた布が破れて、護堕天から取り出した御霊石が転がる。
「・・・純波、わたし何をしたの?」
ぼんやりと緑色に光る。
「・・・・もう、疲れた・・・・。清葉に、会いたい・・・・。会いたいよ・・・」
目の奥がじんわりと熱くなり、視界が滲んで見えた。
御霊石を両腕で抱えた。
「ねえ、教えて!前みたいに・・・前みたいに話してよ!!・・・なんで、なんで何も言ってくれないの・・・」
石はぼんやりと光るだけで返事はない。
墨羽は声をあげて泣いた。泣いて、泣いて、泣き崩れ、いつしか泣き疲れてそのまま地面で眠った。




