50 純波ノ章 六
「敵襲かーっ!?」
一気に緋家の陣は総崩れとなった。
あの急流を霞家の軍が越えてくるとはだれも思っていなかったため、わずかな見張りしかおらず寝起きで地鳴りに襲われた兵たちは慌てふためいて方々のていで逃げ出した。
「墨羽殿!」
実継が高台に立っている墨羽のところへ走ってきた。
「いったい何が起きたのですか?霞の兵が川を渡ってきたのでしょうか?」
「・・・いえ、違います・・・・」
「では、いったい!?」
「わかりません。地震でしょうか?」
「ともあれ、緋家軍は総崩れですね。我々も退去の命が出ました」
実継は総大将のところから戻ると、高台にいる墨羽のところへやって来た。
軍勢が動き出したら、大将が何を叫ぼうが押さえられない。
緋家の陣は大混乱となって、敗走・・・いや、逃走した。
「・・・何もしないで都へ引き返すのですか?」
「緋家の軍がいなければ我らだけでは到底あの大軍には敵いません。無駄に兵を失う必要もないでしょう」
「そうですね。ですが・・・・」
眼下を望むと、少しづつ霧が晴れてきていた。
そこには逃げ惑う緋家軍を追って川を渡ってくる霞家の白い御体が見える。
「緋家のことは放っておきましょう。あちらはあちらで何とかするしかありません」
「・・・そうですね。ですが、わたしは少しだけやることがありそうです。実継は先に京へ戻っていてください」
「え?何をなさるつもりですか?墨羽殿!?」
「わたしは皆が逃げる時間を稼ぎます!実継は兵たちを連れて逃げてください!約束です!」
「あ、墨羽殿!墨羽殿ーっ!!」
叫ぶ実継を置いて、墨羽は御体車に横たわる護堕天に乗り込む。
「行きましょう護堕天。敵は・・・富士川です!」
『・・・承知した』
護堕天はゆっくりと体を起こした。
緋家の軍が野営していたあたりにはたくさんの焚火の跡や、鎧・兜などが散乱していた。兵たちの慌てようが見てわかる。
あたりに護堕天の墨羽以外の人の気配はない。
だが、川の向こうから白い御体がこちらへ渡ってくるのが見える。ざっと・・・見える範囲で六体。
「護堕天、やれますか?」
『・・・誰に聞いている?』
「では、行きましょう!」
護堕天は腰の太刀を抜く。
敵の白い御体も太刀を抜いてこちらへ走ってくる。
護堕天は太刀を構え、低い姿勢を取る。
敵の御体をさらりと躱すと、そのまま走る。
一閃。
白い御体は上半身と下半身がわかれ、その場に崩れ落ちる。
「次、行きます!」
一番近くにいる白い御体を捉えると、一気に川の中へ護堕天を走らせる。
水しぶきが上がり、朝の光に反射する。
白い御体は大きく上に振りかぶる。その懐に一瞬で入り込むと、袈裟懸けに太刀を振り下ろす。
肩から腰にかけて大きく斬られた御体は水しぶきを上げてその場に倒れる。
「次は・・・・」
『まずい!川から出ろ!』
「え!?」
半分は墨羽の意思と関係なく護堕天が動いた。
「何!?なんなのっ!?」
川の向こうから白い御体、馬に跨った武士たち、その後ろには槍を持った兵たちが水しぶきを上げながらこちらへ走ってくる。すごい数だ。
「これ全部、やっつけるのは大変そうだけど・・・」
『我らがやらずとも、よさそうだ』
すると、上流の方からごうううう、という低い唸りの音。
「何か・・・・来るの?」
白い御体が迫り、護堕天に向けて太刀を振りかぶる。
ごうううううう・・・・・。
白い御体の太刀が護堕天の頭に触れようとした刹那。
ごおおおおおお!
轟音と共に水が立ち上がり、目の前のものすべてを流していった。
川の中にいた御体と馬、兵たちは全て水に流されていく。
悲鳴、嘶き、御体の壊れる軋む音が、水の流れる轟音にかき消される。
川に入っていた者たちは全て川下へ流されていった。
突如、水の流れが不自然に歪む。
「・・・何、あれ?」
『出てきたか・・・』
やがてその歪みは渦になり、徐々に人のような形になった。
「おや、不思議な組み合わせのふたりだね」
若い男の姿・・・に見える。顔は良くわからない。人のように目鼻口があるわけではなさそうだ。
「あれは・・・?妖?」
『見た目に惑わされるな。もともと形などない』
「ええと・・・兎の残滓と・・・・・。あれ?人?おかしいな?」
首をかしげる。
『貴様こそ、亀に使われるとは、堕ちたものだ』
「ふん。契約だ。仕方ないことだ。それにおれはただの鱗」
腰に手を当てて胸をそらす。
「所詮はおれもおまえも、全員はぐれ者・・・。その娘も・・・娘?いや、人?・・・」
「・・・わたしのことを言ってるの?わたしは橘の子!墨羽!」
「いやあ、人の名前など、どうでもいい。意味はない。それよりも、今は引くがよい。おれと戦うことに意味はなかろう。これ以上あなたがここで力を放つと、あの方が押さえきれなくなる。だからおとなしく逃げてほしい」
『ここはおとなしく引け。敵う相手ではない』
「・・・そうね。妖と戦う意味はないわ」
護堕天は太刀を収める。
「ありがとう。では、またお会いするでしょう」
鱗と名乗る男はニヤリと笑うと、あっという間に波の中に溶けて消えていった。
「護堕天、なんだったの、あれ?」
『龍の鱗だ。ただの欠片・・・』
「・・・」
「墨羽殿・・・・仰せの通りにいたしました。兵たちはみな無事です」
実継は追いついてきた墨羽を見ると、深く息を吐いて安堵した。
「ありがとうございます、実継。被害がなかったのは不幸中の幸いですね」
「緋家軍はいくらか行方不明がいるようですが、見失っただけだと思います」
・・・むしろ、敵軍の被害の方が多いと思う。
とは言っていいかわからない。
「このまま都まで帰るのですか?」
「総大将殿はそのつもりですね。敵が追ってこないようですから」
・・・ああ、追ってこられないから・・・。
「ですが、何の成果もないですから、次の討伐軍が組織されると思いますよ」
「そうですか・・・。また同じことを・・・」
もうこりごりだと墨羽は思った。
何よりも、富士に近づくとまずいと言っていたな・・・。
とにかく早く都へ戻って、清葉に会いたい。
無事な姿を早く見せて、安心させてやりたい。
その一心だった墨羽だったが、あの水の妖、おかしなことばかり言っていた。わたしが不思議だと。
何の話だったのか・・・。後で護堕天に聞いてみよう。
「それと・・・・・」
「はい?」
実継は少し怪訝な顔で言いかけた。
「内密な話でも、よろしいでしょうか?」
「はい、構いません」
少し小声になる。
「この度の布陣、おかしいのです。我々はあまりに後ろに置かれすぎました。あれでは敵が渡河して攻め込んできても、援軍として間に合いません。それに、我々朝廷軍だけ高台で、まさに高見の見物と言った感じです。事実、緋家軍が逃げ出し始めた時、我々もじゅうぶんに考える時間も逃げる時間もありました。それにこんなにあっさり都へ引き上げるのも・・・。あれではまるで・・・・」
「まるで?」
「緋家軍を挟み撃ちにするような・・・・」
「!?」
「あ、これは内密に。あくまで私の想像です」
「は、はい。そうですね」
そんなこと、言えるわけもない。
「ですが・・・・この度の伊豆と諏訪、さらに甲斐と木曽まで、相次いで霞家が兵を挙げたこと・・・・。朝廷は何か隠しているのかもしれません」
「・・・・」
「あ、でも、我々のような一兵卒が考えることではありませんね。失敬しました」
実継は頭を下げた。
「いえ、ありがとうございます。確かに私たちが考えるようなことでもありませんね」
そう言ってにっこり笑う。
「あ、はい。すみません。ついつい、口が滑りました」
顔を赤くする実継。
「いえ、思ったことはなんでも話してください。実継を信頼しております」
「はい・・・・ありがたき・・・・」
実継は顔をさらに赤くして上を向いてしまった。
「墨羽は、墨羽は無事なのでしょうか!?」
清葉は朝子に詰め寄った。
「い、いえ、その誰がどうとかまでは・・・・。清葉殿、お顔が近うございまして、その・・・・」
近くで見れば見るほど・・・愛らしい・・・・。
「その、”すみは”とおっしゃられる方は・・・・?」
「はい、そうです!妹の墨羽です!」
「妹君・・・・・」
・・・・ホッとした自分がいることに驚く朝子。妹かぁ、そうかぁ。
あれからどうも気持ちが落ち着かなくて、ずっとそわそわしていた。
「ですが、それほど被害もなくこちらへ戻ってきているともおっしゃっておられましたよ」
「・・・それなら、良かったですが・・・・」
安心した、という様子ではないが、若干気持ちを取り戻したようだ。
あの聡明で大人しい清葉殿がこの慌てよう・・・。よほどその”すみは”殿を思ってらっしゃるのですね・・・。
「妹君、ということはさぞかし清葉殿に似ていらっしゃるのですか?」
「もちろん!墨羽とわたしは瓜二つです!墨羽はカッコイイのです!」
腕を組んで自慢気に言う。
「同じ顔と同じ名では、ご両親はさぞかし苦労されたでしょうねぇ・・・」
「中納言も紀子殿も、苦労されていましたよ」
と言って笑う。
「でも、わたしたちは本当の姉妹ではないのです。墨羽がわが家に来たときは、墨羽には名前もありませんでした」
「そうなのですか?なのに似ていらっしゃると?」
「墨羽がわたしとあまりに似ているので、身寄りのない墨羽を母が引き取って。・・・ともかく、兵たちが戻ってきたら、その中に墨羽がいるかどうか教えてくださいね」
「は、はい。内裏の者に伝えておきます。ですが・・・・」
「?」
その後、すぐに朝廷は慌ただしくなった。
体を悪くしていた桐高天皇に代わり、息子の東宮高条親王の即位が伝えられた。あまりの急な交代劇に清涼殿は上を下への大騒ぎになり、即位の儀式は中途半端な形で取り急ぎ行われた。
上皇となった桐高が幽閉されたのは、高条天皇即位の十七日後。
緋紀基の四男貞基の率いる三十余名の兵たちが、内裏を出て上皇宮へ移動する一団を取り囲み、警邏の役人全員を斬り捨てて京の南の果て、西同院へ連行して軟禁した。
紫宸殿に公卿の顔ぶれが揃い、新しい帝を待っていた。
そこには関白太政大臣緋紀基の姿もあった。
太鼓の音が鳴り、高条は御簾の中に入り腰を下ろす。清葉も続いて隣の御簾に入る。
全員が頭を床に着けた。
「面を上げよ」
どこからか声がした。全員が顔を上げる。
清葉からは几帳で隣も何も見えないが、かなり大勢の人の気配がする。
高条が退屈して暴れ出さないか心配で仕方ない。が、祖父の紀基に今朝からしつこいほど「何も言うな。何もするな」と脅されていた。だからか、身動きする様子もない。
「皆の者」
紀基が前に出る。
「ここから先、帝は幼少であるが故、関白たるわしが政を司どることとなった!」
高らかに宣言する。
「異議ある者は、前に出よ!」
誰一人身動きしない。沈黙。
異議など、申し立てられるわけもない。そんなことをすれば、内裏を出たと同時に命を失う。
紀基は満足そうにニヤリとすると、言葉をつづけた。
「先日、桐高上皇は我が緋家により幽閉することと相成った!桐高はここにおわす高条の帝の祖父であるわしの命を狙うという、朝廷に対する反逆の罪を犯した!よって、近くそれ相応の罰を受けることとなる!再度聞く!異議のある者は申し出よ!」
ここでも手を挙げるものはひとりもいなかった。




