48 純波ノ章 四
「こ、怖かったです!」
墨羽は御体から降りるや否や、実継にしがみついて震えた。
「でも、良かったですね。御体が動かせて。これからは刀の稽古だけではなくて、御体に慣れる稽古をしていきましょうね」
実継は優しく墨羽の頭をなでて言う。
「やらなくてはいけませんかぁ・・・」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で見上げる。
実継は思わず吹き出しかけて、急にはっとした顔をして頭を下げた。
「すみません!我が主の御髪に触れてしまいました!」
「構いません、怖かったので・・・もう少しなでてください・・・」
我が主ではあるが、やはり幼子であるな、と実継はほほえましく思った。
内裏から六原へと帰る道、坂忠房は何度も首をひねった。
「なぜ護堕天は言うことを聞いたのだろう?」
因幡の国で道明が霞の末子に倒され、その亡骸と共に護堕天を都へ持ち帰った。
その後、修理した護堕天は誰が乗っても言うことを聞かなかった。
ひどいときには暴走して暴れ出し、五体の御体を使って何とか押さえつける事態にまでなった。
「・・・・道明殿の呪いか!?」
忠房はそう思いながら、ぶんぶんと首を振った。
道明の呪いというよりは、富士江の呪いというべきなのだろうか?
倒された護堕天は御霊石が割れていて使い物にならなかった。だから・・・・あれから失敬したのだが・・・。
それがいけなかったのだろうか?
手に余った忠房は紀基にそう伝えると、紀基翁はぶっきらぼうに答えた。
「そんなものは、朝廷軍に払い下げてやれ。そうだ、橘の娘がいるはずだ。あの娘にくれてやれ。わしがあの娘を徴兵するように勧めたのだ。」
「は、はあ・・・」
「御体が暴走してくれれば、橘も立場を失う。いい気味ではないか。御前で武家を貶めた罰じゃ」
そう言ってにやりと笑う。
「仰せのままに・・・」
忠房は頭を下げる。
・・・なんと報告すればよかろう?
まいったな。
それから毎日、実継を伴って墨羽は護堕天に乗り込んで御体を動かす稽古をした。
最初は違和感があってうまくいかなかったが、四日も過ぎた頃には慣れて思うように動くようになった。
勝手に中庭の池の庭石を抱えて運んで叱られたこともあった。
「橘殿、御体であれば橘殿の最大の弱点である、体の小ささ、腕力の弱さを気にせず戦えます。これはかなりの戦力となりますね」
実継は自分のことのように嬉しそうだ。
そんな実継を見ていると、墨羽もうれしくなってくる。
「ありがとうございます、実継殿」
「それですが、橘殿。わたしはあなたに使える身。殿と呼ぶのはお控えくだされ。実継、と呼んでいただければ結構です」
「・・・わかりました、実継。では、わたしのことも橘殿ではなく墨羽と名で呼んではいただけませんか?」
「・・・では、墨羽殿。これでよろしいでしょうか?」
「はい、それで構いません」
その翌日だった。
いつものように実継が御体蔵に墨羽の様子を見に来た時、思わず実継は顎が外れるほど口を開けて驚愕した。
「あああ・・・・、墨羽殿、こ、これは?」
黒鉄色だった護堕天が、漆黒と白に塗り替えられていた。
上半身と腕は白く、下半身は黒。顔は黒というなんとも情けない姿になっていたのだ。
「ああ、実継。顔料が余ったと御体蔵の者が言っておったので塗ってもらったのです」
「で、でも・・・・これは・・・・」
「駄目でしょうか・・・?」
「あ、はい。上が白だと目立ちすぎます。夜の闇の中でも目立ちすぎると敵から狙い打ちされるかもしれません」
「えーーーーーっ!?そ、それは・・・困ります・・・」
「すぐに塗り直しを・・・・」
しばしの沈黙。
「・・・顔料、使い切ってしまいました・・・・」
「・・・あぁ・・・・・」
そんな折、緋家の大軍が六原を出たと知らせが入った。
それに合わせ、朝廷軍も内裏を出ることになった。
緋軍総勢千人、総大将に緋孝基。
朝廷軍三百余人、総大将に征夷大将軍・藤枝朝臣公綱。
墨羽は生まれて初めて都から出ることとなった。
その知らせは中納言のところにも入った。
満良は始終そわそわして仕事も手に付かず書院の中をうろうろし、紀子は伏美の大社へ願掛けに参った。
清葉はいつも通り読み書きをして、午後からは斑王丸と毬を転がして遊んだ。
斑王丸がこの頃掴まり立ちするようになってきたので、手を叩いてここまでおいでとはやしていた。
女房たちが満良や紀子の様子を見て、清葉が一番落ち着いて見えるのはできたお子だと噂し合っていた。
当の清葉は、食事も喉を通らない、夜もなかなか寝付けない毎日だったが、父や母のうろたえぶりを見ると「自分がしっかりしなくては」と自らに言い聞かせながら過ごしていた。
ある時、中納言と清葉は宮中で行われる秋の歌会に招かれた。
「墨羽が命懸けで戦に出ているのに、のんびり歌会なんて!」
と、清葉は息巻いた。
清涼殿の空気はひんやりとして、秋の終わり冬の訪れを感じさせた。
席が埋まり、太鼓が鳴らされる。皆が頭を下げると、御簾の向こうに人が入る気配があった。
中央の御簾には帝、隣には皇后が東宮と共に来ている。
ほんのりと香の香りが漂っている。
「秋」
題が告げられ、その場の全員が息を整える。
歳の多いものから順に歌を詠み始める。
白髪の公卿が最初に歌を詠む。言い回しも難しく、教養がないと理解できない歌が続く。
いくらか年下の若い者の順になると、言葉が柔らかくなる。
清葉のように、公卿たちが連れてきた娘たちが歌を詠み始める。
おそらく、この日は東宮が来ているから気にいられようと、東宮への想いの歌を詠むように親から言われているのだろう。
「わが君の~・・・・・」
たどたどしい恋の歌が続く。恋愛などしたことのない娘たちが読む恋の歌など聞くに堪えない。皆同じような言葉で飾られている。大人たちは子供の歌だからとほほえましく聞いているのだろうが、清葉にはあまりに稚拙に感じた。
それに・・・・。
あんな御簾の向こうにいる顔も見たことない東宮に対して、恋心なんて馬鹿々々しい。みな、恋を知らないにもほどがある。
恋の歌・・・・。
清葉の頭に浮かぶのは墨羽のことばかり。
墨羽に会いたい。墨羽が宮に入ってからのこと、いろんなことを話したい。そしてまた、手を繋ぎたい。
ずっと一緒にいるって約束したから、きっと戻って来る。墨羽は約束は絶対守る子だから。
「次」
はっ!?・・・わたしだ!
「・・・次」
「え・・・えっと・・・・・」
墨羽のことばかり考えて、歌のことを忘れていた・・・。
沈黙。
皆が清葉の方を見る。
ゆっくりと清葉は口を開き、歌を詠み始めた。
すみはきみ
いのちもゆるは
こうようの
まつのよながく
こいとしらずや
沈黙。
あ・・・失敗したかしら・・・。清葉はそう思った。
風で葉が揺れる音がしている。
さらに沈黙の後、歌会の終わりが告げられたが最後まで誰も口を開かなかった。
「ああああああああ・・・・・・・ああああああああ!!!」
屋敷に戻った中納言満良は頭を抱えて叫んでいた。
「い、いかがなさいました!?」
紀子が慌てて駆け寄る。女房たちも何事かと集まってきた。
「紀子、清葉までも、清葉までもー!!」
「ですから、いかがなされたのですか?」
「清葉までも、きっと宮中に召される・・・。おそらく中宮の女房として・・・」
「・・・・何があったのです?」
「ああ、わたしのかわいい娘が二人ともいなくなってしまう・・・・・!」
「・・・・・・・・落ち着いて話してくださいまし」
満良の懸念通り、数日後内裏から使者が来た。
だが、使者が伝えたのは、満良も思いもよらない内容だった。
それは、清葉は中宮として東宮に嫁ぐことになったという知らせだったからだ。
あの歌は・・・・東宮様を詠んだ歌じゃないのに・・・・。
墨羽への想いを歌った歌なのに。
なぜ、こんなことになってしまったのだろう?
墨羽、お願い。守って・・・。わたしを守って・・・・・。
牛車の列が冬の暖かい日の日差しの中、ゆったりと動き始めた。
朱色の衣裳は煌びやかで、金糸の文様はどれも火の光を浴びてきらめいていた。
几帳の向こう、中宮となる娘を一目見ようと集まった人々の中をゆっくりと進む。
だが清葉の姿は誰の目に触れることもなく、都の中心へ運ばれていった。
長い袖の中で、清葉の手は固く握られていた。それを知る者は清葉以外にない。
紅葉は今が盛りと赤く、日の光を通すとあまりに美しかった。
御簾の中からわずかに見える紅葉の光景を、今清葉は恨めしく思っていた。
紫宸殿は厳かな空気に満ちていた。
この季節では葉もない桜。実をつけた橘が植えられていた。
ここで帝から宣命が読まれる。
初めて見た帝の姿は想像していたよりずっとか細かった。頬はこけて目が窪み、病的な印象を受ける。
おそらく父様と変わらない年齢化と思うが、ずっと老けて見えた。
「清葉、某をもって中宮とする」
清葉が頭をさらに下げる。
そして清葉には正二位の位階が与えられた。
・・・父様、わたしの方が偉くなりましたね。
心の中でちょっとつぶやく。
その後、大饗という宴が催され、大勢の公卿や文人たちが招かれた。
見たこともないような豪勢な料理が並び、琵琶や笙が演奏される。それに合わせて舞が披露され、酒がふるまわれる。
これは今までわたしが生きてきたのと同じ世界の出来事なのか・・・。夢を見ているのではないだろうか。
御簾の間から少し離れたところに父様と母様がいるのが見える。
ふたりのところへ行きたいが、御簾と几帳で仕切られた、ここから勝手に出ることは許されない。気軽に話すことはもうできないのだ。
宴が終わると、皇后へあいさつに参る。
後宮へ入り、常寧殿と呼ばれる建物へ入る。そこで頭を下げて皇后が現れるのを待つ。
「沙苑皇后さまのご入室です」
と女房が声をかける。
「顔を上げなさい」
とても透き通った、きれいな声。
清葉が顔を上げると、そこにいたのは息をのむほど美しい女性だった。
すっと通った鼻筋と切れ長の瞳、長い睫毛。頬にうっすらと紅をさし、唇は薄くきゅっと結ばれている。尖った顎の線。白い肌。美人画から抜け出たような女性だった。
「清葉にございます」
あまりの皇后の美しさに、清葉は急に緊張の糸が張ってそれ以外言えなかった。
「そうか」
皇后はそう言うと、部屋を出て行ってしまった。その後をお付きの女房が続く。
「・・・・え!?」
ぽつんと清葉は取り残された。
・・・嫌われてる?はじめて会ったのに・・・?
「沙苑様、もう少しお声をかけてあげたほうがよろしいのでは?」
うねが沙苑に言う。
「そういうものか?」
「はい、そういうものです。中宮様もお若いので、緊張なさっておいでだと思いますので」
「ならば次に会ったときはそうしよう」
そして日が暮れた。
「ああ、疲れた・・・・」
清葉は東宮の御所に案内され、部屋に通された。
女房たちが来て、やっとあの重い着物を取ってくれた。急に体が軽くなったような気がする。
だが、女房から「床の上でお待ちください」と言われた。
清葉はまだ何かあるのかと床の上に座って待っている。
「もう眠りたい・・・。疲れた・・・・」
清葉が小声で愚痴を吐いていると、女房の一人が部屋に入ってきて言った。
「東宮様が参られます」
そして女房達は皆出ていく。代わりに入ってきたのは、小さな男の子だった。
清葉よりもずっと小さい。年の頃は六つか七つと言ったところだ。
「ええと、東宮様でいらっしゃいますか?」
「・・・・?」
「今日入内いたしました、清葉にございます」
「眠い・・・・」
「あ、はい、もう眠りましょうね」
目をこする東宮を床に入れ、清葉は添い寝する形になった。
東宮はすぐに寝息をたて始めた。
「ええと・・・これでよろしいのかしら・・・・」
斑王丸がもう少し大きくなったら、こんな風になるかしら・・・?
そんなこと思いながら、眠りについた。




