44 風結ノ章 四十四
「霞の末子にやられただとぉ!?」
孝基は紀基の前だということもあって、いつもより激昂した。
弟の貞基がせっかく与えた御体・翔鶴に傷を負わされ、都まで逃げかえってきたのだから。むしろ、ここで自身が怒鳴らなければ弟は父の怒りに触れることになる。
「兄者、言い訳もない」
貞基は両手両膝を床につけ、深々と頭を下げる。
「して貞基、まさか手ぶらで帰ってきたわけではあるまいな?」
「はい、爺様。老江山の関の役人たちが裏で盗賊とつるんでおりましたゆえ、退治いたしました」
「ほう、盗賊と、関所の役人が?」
紀基が自身の坊主頭をなでながら言う。
「父上、老江山の役人は昨年まで但馬国府目代緋道明殿の管轄だったかと」
「あいつか・・・」
紀基は苦い顔をして床を左手の指でとんとん、とたたいた。
「この際、道明殿の討伐を出してはいかがかと」
「・・・ならば貞基、お主に挽回の機会を与えてやる。但馬に赴き、道明の首をとってまいれ」
「承知!」
「よろしいので?わしがまいりますが?」
孝基が言うと、紀基は首を横に振った。
「孝基、お主にはやってもらうことがある」
「・・・なんなりと」
「国重、出立する!今度は丹後の国府討伐だ!」
「若、あまりにもいきなりでございますな。まだ翔鶴は直っておりませんぞ」
伴藤国重は表情を変えずに驚く。
「だが、父上に行って来いと言われた!だから行く!」
国重が見ると、貞基はちょっと涙目になっている。
「若、そんなに紀基翁が怖いのですな」
「そんなこと言うな!思い出しちゃうじゃないか!!」
鼻をぐすぐす言わせ始めたので、国重は表情を変えずにため息をつく。
「はぁ、若。では参りましょう・・・と言いたいところですが、翔鶴が直るまでは我慢なさい」
「ううう・・・・」
その時、いつもの男が貞基のところへ走ってきた。
「若、申し上げます!」
「・・・なんだ、お主か・・・」
「嫌そうな顔をしても、申し上げるのがわが勤めでございます!」
「そう言えば、お主、名を何という?」
「我のような雑兵は名などございません!ただ、長男ゆえ、太郎と呼ばれております!」
「よし、なら今日よりお前の名は”申上太郎”だ!」
「いやです!」
「駄目だ!お前の名は申上太郎だ!」
「いやです!!」
「そんなひきつった顔したって駄目だ!申上太郎!」
「・・・・・・・」
明らかに不満爆発寸前の申上太郎。
「申上太郎、まあ落ち着け」
「国重殿、なぜしらっとその名で呼びますか?」
「知っての通り、この若は馬鹿で大馬鹿だ。言い出したら聞かん。そのうち飽きて違う名前にせよと言うだろうから、それまで申上太郎で我慢せよ」
と言いながら表情を崩さないで口元に手をやる国重。
「あ、笑ってる!この人、言っといてちょっと笑ってる!他人事だと思って!笑わないで!!」
「くくく・・・。で、どうした、申上太郎?」
貞基もちょっと笑う。
「・・・もう、その名で行くことになったんですか?で、自分で言っといてちょっと笑ってるんですか?」
「申せ、申せ」
吹き出しそうな口元を押さえる貞基。
「この人たち、絶対たち悪いっ!だから姫様方の方についていきたかったんだけど!!」
「いいから、申せ!申上太郎!」
「・・・・」
ともかく襟と姿勢を正し、気持ちを整える申上太郎。
「つい先ほど、但馬の国府緋道明殿が因幡で討ち取られたとの知らせが入りました!」
「・・・・はぁ?」
貞基はあんぐりと口を開けた。
「御体守殿!一体どういうことだ!?道明殿が討ち取られたとはっ?」
貞基は西国から道明が討ち取られたとの知らせを持ってきた坂忠房を呼んだ。
「はい。お申せの通りでございます」
忠房は細い目をいっそう細くして、口元をゆがませながら答えた。
「これからおれが道明退治に行くところだったのに!それを先にやってしまうとは、誰だそれは!?」
「霞の子、白結丸にございます」
「・・・・はぁ、奴が!?」
「はい。この目でしかと。そして護堕天と魁怨は回収してまいりました」
「おう、よかった!!」
「若、御体が回収できたのは良いですが、違うでしょ」
国重が釘を刺す。
「そうだ!これからわれらが道明殿討伐の任に赴くところだったのに、行くところがなくなったではないか!」
「・・・は?」
「六原にいると父上が怖くてかなわんのだ!だからせっかく遠征の任につけたと思ったのに!!」
「若・・・、そうじゃないでしょ」
「そうだ!そうじゃない!でも、そうなんだ!」
忠房と国重は同時に首をひねる。
「若、言ってる意味が分かりませぬが・・・」
「もっと御体で戦いたいっ!!」
貞基は駄々をこねる子供みたいに地団駄を踏んだ。
「・・・あんたがすぐやられたからでしょ」
「何か言ったか、国重!?それとさっき、馬鹿と言ったのは誰のことだ?」
「なんでもありません!ですが若、いずれにしても緋家の血筋の者が討たれたとなれば、なおさら霞の子を野放しにはできません。紀基翁に直訴して、やはり霞の子を討伐に行かせていただくことが肝要では?」
「そうだ!!そうしよう!!さすが国重!さっそく父上のところに行ってくる!」
言いきらぬうちに貞基はどたどたと廊下を走って行った。
「国重殿・・・よくお目付け役を務められますな。感心いたす・・・」
「馬鹿・・・いや、若は単純ですので・・・」
だがその直後、霞末子討伐どころではない知らせが六原に入ってきたのである。
丹後の里、成相寺。
浄基の妻である千子はこの寺で暮らしていた。普段生活している女人堂というところは男子禁制の聖域であり、帝以外の男子はいかなる理由があっても立ち入ることが出来ない。
成相寺の離れで白結丸と千子は対面していた。
千子は頬や眉の上に皺が出始め、神にも白いものが混じり始めていたが、優しそうな笑みで出迎えてくれた。初めて会う姉に、白結丸は胸の高鳴りが押さえきれずにいる。道中ずっと考えていた言葉は喉を通る前に消えてしまった。
「姉上、はじめてお目にかかります」
白結丸はやうやうしく頭を下げる。後ろには伊佐が控えている。
「あなたが白結丸ですね?はじめてお目にかかります。璃玖様は残念でした。もっと生前にお目にかかりたかったです」
「お言葉、ありがたく」
「白結丸、お父様によく似ていらっしゃいますね」
「そうなのでしょうか?わたしは父上ともお会いしたことなく・・・」
「ええ、よく似ていらっしゃいます。先ほどお顔を拝見したときは驚いてしまいました」
「わたしは母上以外の霞家の血筋とお会いしたことがありませんでした。姫方から姉上のことを聞き、どうしてもお会いしたいと思い、参じました」
「ありがとう、白結丸。あなたに語りたいことがたくさんあります。ゆっくりとしていってくださいね」
「はい。ですが、早く京へ戻りたいと思っています。わたしを育ててくれた方々が、わたしのために緋家から迫害を受けているかもしれないのです」
「・・・そうですか。それはいけません。白結丸、あなたはきっと緋家から追われているのでしょう?」
「はい」
「紅羽や伊佐があなたを敵としていなくて、わたしは救われた気持ちでいっぱいです。我が子たちが我が弟と殺し合うのはどうしても苦しい。ですが、緋家はそれをよしとはしてくれません。必ず生き抜いていただきたのです」
「・・・はい」
伊佐が少し前に出る。
「母上・・・わたしたちがお爺様を説得しては・・・」
「伊佐、あの方を言葉でねじ伏せるのは無理だと思いますよ。あなたのお父様はいつもお爺様の扱いに悩んでおられました。出家してもなお政に口出ししてくるお方でしたので」
「・・・・」
伊佐は顔を伏せる。
「姉上、わたしは霞家復興を託されました。この先、伊豆の宗近兄上のところへ行こうと思っております。兄上ならきっと挙兵してくれるに違いありません。その時は、緋家の頭領たる紀基翁を討つことをお許し願いたい」
「それは、わたしが許すことではありません。ですが、そのためにはあなたにも会っておいて欲しい方がおられます。その方からずっと前に、もしあなたか宗近殿が現れたら、居場所を伝えてほしいと頼まれていました」
「・・・どなたですか?」
「あなたとわたしの兄、霞宗矢です」
なんと声をかければよいのか。
伊佐は、夜中に寺の境内で刀を振る白結丸を物陰から見ていた。
なんだろう、もやもやとする。
年齢は下だが、やはり母上の弟。叔父にあたる人。
白結丸から見たわたしは、何なのだろうか?
憎き緋の血を引く娘。父や兄たち、都の人々を苦しめた悪名高き武士の成り上がりの一族。
わたしは・・・どうすれば・・・・。
左の肩に手をやる。
忘れることが正しいのだろうか・・・。
伊佐は顔を伏せ、床へ戻ると、布団の中へもぐりこんだ。
「そろそろ、あたいたちの出番が回って来るみたいだねぇ」
紺織は木の枝の上で幹にもたれて月を見上げていた。息が白い。
下の方で玖狼がいびきをかいている。この寒いのに地面でなにも羽織らずによく寝れるもんだ、といつも感心する。
富士江と但馬の国府が討たれ死んだのは好都合。動きやすくなった。
おかげで何事もなくこの丹後まで戻ってこられた。後はあの小僧を破主に引き合わせるだけだ。
「まったく、兄者が自分でやればいいのにさ・・・」
伶守は「霞が動いたのならやることがある」といってどこかへ行ってしまった。
なのでこんな盆暗がついてくることになってしまったじゃないか。
まあ、それももうすぐ終わりだ。
紺織は手に持った小石を、下の玖狼めがけて放り投げた。
ぐがぁぐがぁといういびきが、一瞬ぐひっ!?という音にかわった。
その夜、白結丸は気持ちが高ぶって眠れず寺の境内で刀を振っていた。
空を切る木刀がひゅんひゅんと音を立てる。はぁはぁという息の音。
辺りはまだ冷えた空気で満たされているが、顔は少し火照っている。
・・・兄上に会えるかもしれない。
志を同じくしている仲間がいるということは、それだけでありがたい。それが、母は違えども血を分けた兄弟ともなればなおさらだ。
白結丸は母しか知らない。育ててくれた妙寂の婆や天狗はいる。お蓮ともほぼ兄妹として育った。だが、血を受け継ぐ者の使命があるということは、誰にでも理解できることではないはずだ。
この先、どのように世が動くのかわからない。
だが、家の再興のためにはやらなければならないこと、倒さなければならない相手がいる。
白結丸にはそれだけは強く重く感じていた。
ここはどこだろうか?
少年は抜け落ちた尾羽の一枚。
何枚かの羽が抜け落ちて、沢山の兄弟たちが生まれた。
尾羽も他の兄弟たちと同じように、人の姿を真似た。
最初に見た人間の男の子と同じ姿になろうとしたのだ。
だが兄弟たちの体は徐々に崩れ、灰になって消えていった。
自分の体も少しづつ崩れていった。
淋しいとか悲しいといった感情はない。ただ、生まれて消えていくだけの存在だ。
そしてひとりになった。兄弟たちはみな消えてしまった。
何か聞こえた気がした。
すみは。
そう聞こえた。
すみは、名前?
自分にも、名前があればいいのに。
名前なら、すみはがいい。初めて聞いた音だから。
すると、崩れかけた体が戻り始めた。
とても不思議な感じ。
そしてもとの少年の姿に戻った。
まわりを見渡す。ここはどこだろうか?
あの音は何処に行ったのだろう?
名前を呼ぶ音。
少年はゆっくりと音を探して歩き出した。
なぜかはわからないが、自分を呼んだ気がしたからだ。




