173 花舞ノ章 七十六
汐永義陽は鷹根峠を抜け、西へと向かっていた。
隣には侍所別当、相模の国の稲部長綱。その姿から、義陽は”もしゃもしゃ”と心で呼んでいるが、それは本人には秘密にしている。
ふたりは馬を降りて手綱を引いている。この峠は勾配がきつく、馬に乗っていると振り落とされかねない。
「しかし義陽殿、なぜに西へ向かうのだ?」
・・・・もう何回目だろう?この男にこの度の道のりを説明するのは。
「ですから、ようやく関ノ府の町づくりが落ち着いたので、今後のことを考えて京までの街道を整えるためですよ。その下調べです」
「京か・・・・おれは行ったことがないな」
「おれもありませんよ」
「京には綺麗なおなごがたくさんいるのであろう?義陽殿、お主もまだ若いのだ。いつまでも独り身はもったいないぞ?辛いのはわかるがな」
・・・・・いつだったか、自分が妙珠に対して言ったのと同じ言葉だ。
それを、まさか、もしゃもしゃに言われるとは。
どうも、ひどい屈辱に聞こえる。
「それに子を二人も面倒見ておるのであろう?女手は必要だろう?」
そうなのだ。
義陽には実子の竹丸と、木曽宗影の子である狛丸がいる。
木曽霞家に人質を差し出すように打診したとき、霞宗影は自身の子を差し出したのだ。
何とも剛毅なものだと、皆感心した。
が、宗近だけが苦虫を噛み潰したような顔をした。
そして義陽に言った。
「ひとりよりもふたり」
「・・・・・はぁ?」
子供たちのことは女房たちや、たまに義陽の姉、藤月が見ている。
だが、つい先日。
「義陽、わたし二人目が出来ました!」
と、嬉しそうに言った。
確かに喜ばしいことだ。それは間違いないが・・・・。
義陽としてはいろいろ複雑な心境でもある。
本当に、女というのはわからない。
特にあの夫婦はわからない。
「・・・・まあ、そうですけど、わたしのところに好んで嫁いでくるような女はおりませんよ」
「そんなことなかろう。あの子供たち、あの、何と言ったか・・・・淡影殿が連れてきた女にはえらく懐いておったぞ?あの娘をあの子たちの母親にすればよいではないか」
「伊佐殿ですか?駄目ですよ。あの娘は淡影殿に惚れておりますゆえ」
「なんと!?そうなのか?淡影殿、いつもあの、ちっこい娘を連れておるゆえ、そっちの方かと思っておった」
「・・・・どっちの方ですか、不謹慎ですよ」
・・・・ミカナ殿のことだろうな、きっと。
「そういえば、もしゃ・・・・長綱殿はお子は何人おられたのでしたか?」
「おう、十三人じゃ!みな、育ち盛りでのう!」
「・・・・・それはそれは。賑やかでしょうね」
「熊鍋がひっくり返るほどの大騒ぎだわい!わはははは!」
「はあ、そうですか」
義陽はなんとなくそれ以上話すのをやめた。
今回はそれほど遠くまで行くつもりもなかったし、ともかく街道一の難所と呼ばれる鷹根峠を、いかに御体車が通りやすい道に変えるか、を調べに来ただけなのだ。
義陽自身は伊豆の室山から足柄の関ノ府へ町を移すと決まってから何度もこの峠を越えている。
だから見慣れてはいるのだが、今後、西へ木曽や緋家討伐のための兵力を動かすとなると、今のままでは無駄に労力と時間を擁してしまう。
「義陽殿、どのあたりまで行くのか?」
「ええと、この先に小さな社がありますゆえ、そこまでとしましょう」
「なあ、先ほどすれ違った天狗と僧侶、おかしな組み合わせだったのう」
「・・・・そうですね。でも、ああいうのとは関わらないのが一番ですよ」
急な勾配の坂を下ってくると、右側に小さな社が見える。
無事に峠を越えられるように、と願いを込めて地元の民が作ったものだ。
人が隠れるのがやっとくらいの小さなもので、中には地蔵が一体祀られている。
義陽ともしゃもしゃも、前に行って手を合わせる。
「さて、引き返しましょう。今なら日暮れまでに関ノ府へ帰れるでしょう」
そう言って、馬の手綱を引く。
その時、街道の脇にある大きな荷車が目に留まった。
森の陰に隠してはあるが、その姿は簡単に隠しきれるものではない。
「あれ・・・・・」
義陽が指さす方を、もしゃもしゃも見て、目を凝らす。
「おう、あれは御体車だな」
「調べたほうがよさそうですね」
義陽ともしゃもしゃは馬を木に繋ぐと、御体車に向かって近づく。
「あれ・・・・人ではないか?」
御体車の上に、人が横たわっている。
白装束に赤袴。
・・・・巫女?いや、子供?
長い髪が顔にかかり、その顔は見えない。
近づくと、その人のそばで、何かが動いた。
「なんだ?」
もしゃもしゃがつぶやく。
「白い・・・・狐?」
「ふーっ!!」
こちらを威嚇している。
牙を剥き、毛を逆立てて睨んでくる。
「この狐、この者を守っておるのか?」
「人を守る狐など、聞いたことがないですよ」
義陽はそっと近づいて、狐をどけて倒れている人の肩に触れようとした時。
かぷっ!!
「いてぇーーーーーーーっ!!」
思わず大声で叫んだ。
「だ、大丈夫か、義陽殿っ!!」
もしゃもしゃが咄嗟に腰の刀の柄に手をかける。
「だ、大丈夫です!お、落ち着きましょう!」
半分は自分に言い聞かせる。
「ん・・・・・・・・」
その声で目覚めたように、その人が体を起こした。
流れる黒髪が、顔から肩に落ちる。
白い肌、赤らんだ頬と、紅を差したような唇。切れ長の目は眠そうにゆっくりと開いた。
「うっ・・えっ・・・・!?」
義陽が呻く。
「て・・・・・・天女様!?」
義陽は我が目を疑った。
そんなことが・・・・。
その女の姿は、あの若くて毎日笑みを浮かべていた、幸せをいっぱいに感じていたころの妙珠と瓜二つだったからだ。
「うーん、芋を食べ過ぎて寝てしまいましたぁ!・・・・えっと、あなたたちは誰ですかぁ?」
鈴の鳴るような声で、その娘が言った。




