159 花舞ノ章 六十二
「今よりずっと前のことです。もうどれくらい時が経ったかわかりません。わたしは、この峠を越えるために先を急いでいました。陽が暮れるのもわかっていましたが、どうしても早く郷に付かなければ、お腹の子が出てきそうだったのです。無理してでも山を登ろうとした時、僧侶に声をかけられました。「このような宵から山を登るのはおやめなさい」「ですが、わたしはどうしても今日のうちに山名の郷へ着きたいのです」「ならば、気休めにしかならぬが、この護符を与えよう。何かよからぬことが起きた時は、この護符に祈りなさい」
わたしは、その護符を受け取って、山を登りました。何とかこの頂上までたどり着きましたが、ここで腹の子が今にも生まれそうになり、動けなくなってしまいました。あたりは夕暮れで人の通りもありません。しばらく体を横たえて痛みに耐えていると、すっかり夜が暮れました。すると、人が近づいてくる音が聞こえたのです。ですが、それは鬼でした。わたしは生まれてくる子を助けてほしいと願いました。ですが鬼は、「生まれてくる子をもらう」と言って私のそばで、子が出てくるのを待っていたのです。
わたしは、生まれ出てくる子供を押さえきれませんでした。ですが、このままでは鬼に喰われてしまう。ならばいっそ、と僧侶にもらった護符に、「石にしてください」と願いました。するとわたしの体は石になり、そのわたしの体からこの子が生まれました。
鬼はこの子を食べようとしましたが、石のように固く食べられませんでした。鬼はこの子を連れ帰り、食べるのではなく育てました。ですが、鬼として育てたので、この子は人を喰うように育ってしまったのです。そして最後には、その鬼さえも喰ってしまいました。
月の出ない暗い夜にだけ、わたしは人に戻り、この子は石になります。わたしが生んだこの子を抱くこともできず、乳もあげることが出来ません。顔も見ることもかなわず、いつも縋りついて泣くことしかできないのです」
佐夜はそう語った。
「・・・・それが夜泣き石の真相ですか。それであの鬼、明かりを嫌がっていたのですね」
行尊は腕を組んだまま頷くと、裸の佐夜に袈裟を脱いで被せた。
「で、あなたはどうしたいですか?」
「・・・・え?」
「あなたの子はすでに人ではありません。何人も人を喰っています。もし、二人が人の姿に戻れても、あなたの子は人を喰うのをやめないでしょう。やもすれば、あなたの乳を喰いちぎり、あなた自身をも喰ってしまうかもしれません」
「行尊殿っ!!」
瑞奈が声を上げる。
「いえ、瑞奈殿。佐夜殿に未練があるのはわかります。ですが、あなたは石になることを願った。それは未来永劫、石として生きる覚悟がおありだったのでしょう?」
「・・・・わたしは鬼が怖くて」
「そうでしょう。鬼は怖いです。わたしたちも、あなたの子が怖いです。石のように固く、刀の刃も通らず、ありえない力を使う。そんな鬼、怖くないわけがありません」
「・・・・・・・」
佐夜は黙り込む。
「行尊殿、そのように佐夜殿を責めてはあんまりです!」
「いいえ、瑞奈殿!これはとても大切なことです!佐夜殿が未練を持っている限り、この子は鬼に戻ります!そして人を喰います!毎日、誰かが殺されて、無残な首だけになるのですよ!!」
そう言って、焚火跡の炭の中に転がる山賊たちの首を指さした。
「ですが・・・・それは佐夜殿のせいでは!」
「そうです!誰が悪いのではない!だが、このままではいけないのです!」
「・・・・・・・」
瑞奈も言葉を失う。
悔しいが、確かにそうだ。誰も悪くない。子を育てた鬼ですら、悪気はなかったかもしれない。
だけど・・・・。
「だけど、これでは・・・・あんまりに、可哀そうです・・・・」
瑞奈の目から涙がこぼれる。
「そうです。あまりに悲しい。ですが、わたしの役目は、これ以上、鬼と夜泣き石の被害者を出さぬこと。わかっていただきたい」
「僧侶殿、わかりました」
佐夜が顔をあげて行尊を見る。
「佐夜殿!」
「お優しい方、ありがとうございます。ですがもう、苦しくて泣くだけの夜を続けていくのは辛いです。できるなら、ここでこの子と二人、石になっていつまでも一緒にいたいのです」
「・・・・・・」
「よくご英断されました」
行尊は深く頷くと、懐から護符を一枚取り出した。
「何か、言い残すことはございませんか?」
佐夜は首を振る。
「間もなく月が出ます。そうすればあなたは石に戻ります。その石にわたしが念を込めて経を彫ります。この子の石にも同じように。そうすればもう人と鬼に戻ることはありません。よろしいですね?」
「はい。お願いします」
佐夜は両手を地面につけて、深く頭を下げた。
「佐夜殿・・・・・」
瑞奈も声をかける。
「わたしの苦しみをわかってくれる方がいただけで、随分と気が楽になりました。ありがとうございます」
「そんな・・・・・」
瑞奈は佐夜の手を取った。その手は冷たく固い。
「では、今のうちにこの石に彫ります」
行尊はそう言うと、護符を石に張り、鑿と槌を取り出して経を彫って行った。
行尊が経を唱える声と、カツカツと石を彫る音が静かな山の中に響く。
「できましたよ」
「ありがとうございます。これでせめて、この子が救われてくれればよいのですが」
佐夜はそう言うと、子の石に寄り添うように膝を抱え、丸くなっていった。
「あ・・・・佐夜殿・・・・・」
・・・・・もう、泣かなくて済みますね。
瑞奈にはそう聞こえたような気がした。
「では、経を彫ります」
天狗と蓮華はその後すぐに意識を取り戻した。
「何がどうなっておるのじゃ?」
「ご、ごめんなさい!わたし、気を失っていたのですね!」
蓮華は紫雲から降りてくるなりそう言った。
狐白丸は森の中で小さくなっているところを瑞奈が見つけた。
草叢から飛び出してきた狐白丸は瑞奈の胸に飛び込む。
「よかった・・・狐白丸、無事で!!」
瑞奈は狐白丸を抱き締めると、涙を流す。
「怪我はないみたいね!」
「おうっ!」
狐白丸はそう鳴くと、瑞奈の顔をぺろぺろと舐めた。
「みなさん、無事でよかったですね!」
一同は夜明けとともに、峠を降り始めた。
「で、なんであなたが一緒にいるのですかっ!?」
瑞奈の横に行尊がぴったり歩いている。
「いやぁ、言うじゃないですか!旅は道連れ、って!どうせ同じところを目指しているのですから!」
「わたしたちはあなたの道連れはいい迷惑ですけど!!」
「でも、わたしのおかげでみんな無事だったのだし!」
「あなたのおかげで死ぬ目にあったのです!!」
「ねえ、天狗様、瑞奈様と行尊様、意外と仲がいいのでしょうか?」
「・・・・そうも見えるな」
「いいわけないでしょうがーっ!!!」
瑞奈の怒りの声がこだました。
「あ、そう言えば、佐夜殿に袈裟を返してもらうの忘れてました」




