151 花舞ノ章 五十四
「能見、いるのであろう?」
国府の裏庭。草叢に向かって為乗が話しかける。
・・・・・・・・。
返事はない。
「返す気がないならそれでいい。だが、聞いておけ。わしはもう、おまえたちと組む気はない。あの朱獄も持って行け。どうせ富士川辺りに緋家が置いて行ったものであろう?」
高く伸びた草叢がざわざわと揺れる。
「だが、早まるなよ。わしが不審の死を遂げると、わしが知るおまえたちのことを書いた書状が関ノ府へ届けられるようになっている。わしも、おまえたちについてこれ以上国府殿に明かすつもりはない。それで幕を引け」
ざわざわ・・・・・。
草叢が揺れ、葉のこすれる音が為乗の耳に届く。
「どうせ・・・・幻丈が死んだのも、おまえたちの仕業だろう?」
為乗がそう言った瞬間だった。
ひゅっ。
何かが草叢から飛び出してきた。
それは為乗の右太腿に突き刺さる。
「うっ!?」
為乗は呻いて足を押さえる。
そこには矢が刺さっていた。
「くっ!こんなもので!」
為乗は突き刺さった矢を抜いて投げ捨てると、腰の刀を抜く。袴に血がにじむ。
「この遠州は、おまえたちの好きにはさせん!!」
為乗は廊下を飛び降り庭に出て、矢が飛んできた草むらに向かって刀を振り下ろす。
ざしゅっ!
音はしたが、手ごたえは何もない。
「逃げるかっ!能見!!」
そう叫んであたりを見渡す。
何の気配もない。
「ちっ!!」
為乗が舌を打った時だった。
どくん!
心臓が大きくひとつ、飛び上がるように鼓動した。
目の前の風景が二重三重に見える。
「な・・・・・?」
よろめいて、地面に片膝をつく。立っていられない。足が痺れてきた。
矢が刺さった方の足、流れている血が赤に深い緑が混じったような、どす黒い色に変わっている。
「な・・・・・ど、毒・・・・だと?」
意識が遠のく。
視界がぼやけてきた。
傷口から、全身に痺れが広がっていくのを感じる。
「お前ごときが知ることなど、ほんの些末なことにすぎん。すべて、あのお方のお心のなすがまま・・・・」
・・・・・誰の声だ?
いつもの、能見という奴の声ではない。
目の前が暗くなってきて何も見えない。
「め・・・・・滅創・・・・し・・・・」
言葉が出ない。
・・・・悔しいが、もう助かりそうにない。
「あの守護代、いなくなったそうですよ。今朝、国司が大騒ぎしてました」
蓮華がそう言ったのは、瑞奈たち一行が遠江の国府を出てすぐだった。
「まあ、やはり気まずかったのじゃろうな。いくら国司が許してくれたとはいえ、殺そうとした相手じゃからな」
天狗は顎をさすりながら言った。
「国府中、総出で探したけどいなかったんですって。外へ逃げちゃったんでしょうね」
「ですけど、あれほど遠江愛に溢れる人が、他の土地へ行きますか?」
瑞奈が言うと、蓮華も首を傾げる。
「わたしも変に思ったのです。あれだけ守りたかった遠江から逃げ出すなんて」
「まあ、思いは人それぞれじゃ。ともかく先を急ごう」
「はい・・・・わたし、二日酔いにならなくてよかったです」
瑞奈は馬に跨り、膝の間にちょこんと座っている狐白丸を見ながら言う。
「もう、お酒はやめてくださいね。とくに、男の人がいるときは絶対!約束ですよ!」
「はい・・・・・すみません」
・・・・蓮華殿、最近本当に母様みたいに思えてきた。
わたしの方が年上なのにっ!しっかりしなきゃっ!
と、誓った瑞奈だった。
遠州に入ってから、宿と呼べるような町はほとんど見られなくなってきた。幡多付のような国府が置かれているところはともかく、ほとんどが少数の集落で、街道沿いにぽつりぽつりと小さな寺などが置かれている。
山賊や滅創衆の襲撃を警戒しなくてはならないので、出来るだけ野宿は避けたい。
「この先は山名の郷じゃな」
天狗がもう恒例となった”遠州濱辺遊覧なんちゃら”を広げながら言った。
「胡散臭いですが、もうそれに頼るしかなさそうですね」
瑞奈もそう言わざるを得ない。
「山名の郷を越えると、佐夜の中山という峠道に入る。今夜は山名の郷で夜明かしじゃな」
「佐夜の中山というのは?」
「古からの街道の難所じゃ。西の鈴鳴、東の鷹根と並ぶ東海道の三大難所の一つじゃな」
「・・・・また、いやぁな予感しかしません」
瑞奈が顔を歪ませて言う。
「まあ、前も言った通り、鬼や妖に出会うなどということはほんに稀なことじゃからな。そうそう毎度毎度・・・・」
天狗は言いかけて、瑞奈の膝の上にいる狐白丸を見る。
「あるのかもしれんなぁ・・・・」
「ええか、佐夜の中山には夜に行っちゃなんねぇ」
瑞奈たちが宿坊を借りた寺の住職が、暗い夜の帳が降りた中、灯台のぼんやりとした明かりの中で言った。
「ぞくっ!?」
瑞奈が身を震わせて蓮華の腕を掴む。
「瑞奈様?」
「は、はい。大丈夫です!」
姿勢を正す瑞奈。でも、蓮華の腕は離さない。
「・・・・何か出るのか?」
天狗が聞くと、住職は皺だらけの顔にさらに皺を寄せて言った。
「石じゃよ」
「石?」
「泣くのじゃ。女の声でな・・・・・」
「ひぃっ!?」
瑞奈が悲鳴をあげる。
「まあ、夜に行かなけりゃそれでええ。明るいうちは石も泣くまいて」
というと、変な余韻を残して宿坊を出て行ってしまった。
「・・・・石が泣くって・・・・・」
瑞奈と蓮華は顔を見合わせる。瑞奈の顔が青ざめているのが薄暗い中でもわかる。
「瑞奈様、もしかして・・・・まだ妖が怖いのですか?」
「・・・・・姿が見えれば何とか・・・・ですが話を聞くと怖いのです・・・・」
「まあ、昼なら良いということじゃしな。わざわざ夜行くことはない。峠越えに備えて休もうではないか」
天狗が言うと、不思議と・・・・余計に不安になる。
・・・・今まで、天狗殿が大丈夫と言って大丈夫だったことがあっただろうか!?
「いいや、ないっ!!絶対ないっ!!」
「どうしました!?」
「なんじゃ、いきなり!?」




