139 花舞ノ章 四十二
霞惟正と貝元康のふたりは、稲輪湖までの道中を引き返していた。
「殿が立派になってくれてこの元康、ほんとうにうれしゅうございます!」
あれからずっと元康は泣き止まない。
「当たり前じゃ!わしは征夷大将軍になる男じゃぞ!あんな物の怪、わしの英雄譚の一遍にもならんわ!」
「調子に乗って言いすぎてしまうところは変わっておりません・・・・・・」
ぐずぐずと鼻をすすり上げながら元康が言う。
「・・・・・・ほう、征夷大将軍になられるとな?」
「そうじゃ!・・・・って、誰じゃ!?」
急に声のした方を見る。
いつの間にか、あの汚れた盲目の法師が琵琶を持って道端に座り込んでいた。
「ひっ!?・・・またお主か・・・」
驚きの声をあげて小さく飛び上がり、すぐにわずかに眉をひそめる。
「もう、お主に用はないぞ。わしらは京へ引き返す。そして兵を従え、吹原攻めするのじゃ。わかったらわしらに付きまとわず、もうどこかへ行くがよい」
惟正がそう言うと、法師は琵琶を一つぽろんと鳴らした。
「道半ば、行くも返すも道半ば・・・・。ならばこの先を捨て去るのか?」
「捨てるとは言っておらん。まだ早いと言うておるのじゃ」
「ならば、約定通りこれを渡す」
そう言うと、法師は小さな竹筒を差し出した。
「百の兵にも勝る、一滴で牛を殺す毒。それがあればお主に近づくものすべて等しく死を与えられる」
「・・・・・・何故わしが毒など!?どうしろと言うのじゃ!そんなものいらん!」
「宗近を殺せ。さすれば伊豆は止まらん。憎しみに駆られ、木曽を滅ぼし、吹原を滅ぼす。そして、伊豆は自ら滅ぶ・・・・」
「何を言うておる。だから、わしは・・・・」
「よく、考えろ。お主にできることは、これをおいて・・・・・・ない」
「・・・・・・・」
その時。
法師の開かない目が、開いたような気がした。
惟正は一瞬夢の中に沈んでいくような、ふわっと落下する感覚にとらわれる。
「殿!大丈夫ですか!?」
元康の声で我に還ると、惟正の手の中に受け取った覚えのない竹筒があった。
「い、今、何が起きたのじゃ!?」
「殿が急に立ち止まってふらふらしていたので・・・・」
惟正は手の中にある小さな竹筒を見つめる。
「殿、それは何ですか?」
「・・・・毒じゃ。この毒一滴で牛を殺せる」
「へ?どこでそんなものを!?」
「元康・・・・・」
「はい?」
「やはり、伊豆へ向かう」
そう言うと、惟正はすたすたと歩き始めた。
「え?ちょ、ちょっと!殿っ!?」
「なあ、狐の姉ちゃん」
太吉は思い詰めたように瑞奈を見た。
「内緒で舟を出してやったら、おれの頼みも聞いてくれるか?」
「・・・・・・・」
あまりにも太吉の顔が真顔だったので、すぐに返事が出来なかった。
細江の家を出て、諦めて先へ進もうとした時だ。
「頼みとはなんですか?」
蓮華が言うと、太吉は目を逸らす。
「頼みの内容にもよります。内緒で舟を出すのはとても危ないことなので、それを聞かないと返事はできませんよ」
瑞奈がそう言うと太吉は瑞奈の方を見た。
「おれ、どうしてもお父とお母が死んだって思えなくて・・・・・・」
瑞奈と蓮華は思わず顔を見合わせる。
「だって、お父はこの村で一番の漁師だったんだ。それが、急に神様の祟りがあるから漁に出ちゃいけねぇなんて言われて・・・・」
太吉が拳に力を入れた。
「そしたら舟が沈んで二人とも死んだなんて・・・・・今まで何度も漁に出ていたのに、いつも無事で帰ってきていたのに、信じられねぇんだ!」
「・・・・・・それはいつのことじゃ?」
天狗が太吉に聞く。
「一年前だ。神様の祟りがあるって言われて急に漁が禁止になったんだ」
「それは誰に言われたの?」
蓮華が腰を落として太吉の肩に手を添える。
「旅の坊さんだ。その坊さんが来てその後、弥作どんが変な夢を見て・・・・。喰うものもないのに、漁にも出ちゃいけねぇって言われて・・・・それでも、おれたちが食えるようにって、無理やり漁に出て・・・・そしたら、お父とお母が舟で・・・・・・みんな、祟りだって・・・・・・」
太吉は言いながら涙を浮かべ、歯を食いしばりながらぽつりぽつりと話した。
「そっか、辛かったね・・・・」
聞いている蓮華も涙目になって、太吉の頭を撫でる。
「太吉!」
不意に声がした。
「駄目よ!その人たち、守り神様を殺しちゃったんだから!!」
その声は、さっき細江のところにいた弥作の孫娘、お紺だった。
「なんだよ、お紺!おまえだってお父やお母が死んで悔しいだろ!?おかしいっていってたじゃないかっ!」
「でも、駄目なの!守り神様がいなくなっちゃったから、もうこの村もどうなるかわからないじゃない!」
お紺も目に涙を浮かべ始める。
「聞いて、お紺」
瑞奈がお紺の頭に手をやる。
「鵺はね、人を襲う化け物なの。鵺のせいで何人もの人が死んだのよ。守り神様なんかじゃない。それに、漁に出たからといって人を殺すようなものを神様とは呼びません。あなたたちが食べるものがなくて苦しんでいるのに、救わないで苦しませるだけの神様なんて、おかしいと思うでしょ?」
「・・・・・・うん」
泣き顔でぐしゃぐしゃの顔で瑞奈を見上げる。
瑞奈はお紺の前にしゃがみ込み、そっとお紺を抱きしめた。
「つらかったね。大丈夫。わたしたちが何とかするから」
「うわぁぁぁぁん!」
お紺が声をあげて泣き出す。
「わぁぁぁぁぁぁっ!」
太吉も堰を切ったように泣き出す。
「うわぁぁぁぁぁぁん!」
蓮華が一番大きな声をあげて、太吉を抱きしめてながら泣く。
「瑞奈、この村にはやはり何かありそうじゃな」
「はい、天狗殿。少し探ってみなければいけませんね」
かぷっ!
「・・・・狐白丸、なぜここで鼻に噛みつく?」
「ふーっ!!」




