22 風結ノ章 二十二
「もともと、老江山というのは悪霊の伝説の多い山でして、酒吞なんとかという鬼の伝説とか、土蜘蛛の伝説とか・・・」
皆秀が先の夜に語った話だ。
ある旅人が老江山にさしかかった時、不意に霧に包まれて方向を見失ってしまった。とにかく前へ進もうと、上り坂を上がっていった。すると、登れば登るほど疲れを感じなくなり、だんだん走って山を登ることもできるくらいになっていった。そして頂上に着くと霧が晴れ、目の前にお堂があった。誰が何のために作ったお堂かは見てもわからなかったが、旅人が恐る恐る中を覗いてみると、若い尼が経を読んでいた。年の頃は十七・八で、それは美しい尼だったそうだ。だが、その尼の周りには人骨が散らばっており、旅人は怖くなって逃げた。だが、走っても走っても同じお堂の前に戻ってきてしまう。すると、尼が旅人の前にあらわれて、「道に迷った旅人か。大したもてなしはできないが、酒ならある」と言って旅人をお堂に招き入れたという。尼は酒を飲めと進めたが、旅人は飲んだ振りをして、「そこにある人骨は何か?」と尋ねたところ、「わたしは百年以上ここで生きて、迷い込んだ旅人を食っている」と言ったと思うと、白い虎に姿を変え、森の中へ消えていったという。旅人はいつの間にか、山の中腹で倒れていたそうで、慌てて山を降りて一命をとりとめたらしい。勧められるままに酒を飲んでいたら、命を取られていただろう。
「と言いう話で・・・。おまけに、野盗も出るらしいですよ」
というのが皆秀の話だ。
さっきの野盗が、オマケの方か。
白結丸は皆秀の話を思い出して身震いした。
「どうした白結丸。厠か?」
ミカナがあっさり言う。
「違う。武者震いだ」
「ああ、老江山の八百比丘尼か」
「皆秀の話、知っていたのか?」
「昔からよく聞いた話じゃ。「竜宮」と呼ばれる人魚の肉を食べて不老不死になった女が、尼となって住んでいるとか・・・。それで今頃震えておるとは、やっぱり怖がりじゃの」
ミカナがニヤリと笑う。
「・・・・」
言い返せないことが悔しい。
まあ、歳を取らないことに関してはミカナと同じか・・・。
「何か言ったかの?」
「・・・何も!?」
「それはそうじゃが、緋家の娘たち、丹後へ行くそうじゃから、丹波の里までは一本道じゃな。われらと同じ道を行くことになりそうじゃ」
「そうだなぁ。緋家の追っ手が他にいなければいいけれど。並んで進むところを見つかったら、いろいろ面倒なことになりそうだ」
「そうじゃなぁ。でも、我らごときにそんなに追っ手を差し向けられるほど、緋家も暇ではあるまい」
「・・・たしかに」
「へっくちん!」
「若、道の真ん中で寝るから風邪をひくのですよ」
重国は相変わらず顔に表情がない。
「そうだな。今夜からは真ん中をやめよう」
「道の端でもそんなに変わりません。ただの言い回しです」
貞基たち一行は、まだ関所で休息をとっていた。
思ったより山賊の数が多く、片付けに時間がかかっていたからだ。
「それにしても、このような大人数、どのように退治したのであろうな!」
「二人や三人で倒せる数ではありません。御体を使ったか、山賊同士が相打ちしたのでございましょう」
「なるほど。もっともだ。さすが重国だな!」
「もったいないお言葉。この伴藤重国、老いても若よりは賢いつもりでございます」
「頼もしいぞ!」
貞基はうんうん、と頷いて、しばらく考えた後、ちょっと小首をかしげる。
「最近、重国の言葉が引っかかる時がある!気のせいか?」
「はい、気のせいでございます」
「そうか!気のせいなら仕方あるまい!」
「若!申し上げます!」
「いつもの兵だ。こいつの報告は碌なことがない。」
「若、心で語るところが声に出ております」
「しまった!ついつい・・・」
はぁ、と報告に来た兵がため息をつく。
「なんでもいいから、聞いてくだされ!森の中に、真っ二つに斬られた御体を見つけました。その周りにもばらばらの中御体が数体!」
・・・うずうず・・・。
「若、いいなぁ、おれも御体と戦いたいなぁ、もっと山賊、出てこないかなぁ、って感じが滲み出ております」
「・・・・・」
重国に先に言われてしまった。
「そもそも、御体を使う山賊なぞ、ついぞ聞いたことがありません。ここの関所の役人たちなら何か知っているやもしれませぬ。詳しく話を聞く必要がありそうですな」
「よし、おれが・・・」
「お主、役人たちを尋問せよ」
貞基が言い切る前に、重国が報告にきた兵に命じる。
「承知いたした!」
御免、と言って去っていく。
「・・・・・・」
「若は何もせんでよろしいと思われますぞ」
その方がありがたいと思う重国であった。
「若!」
「・・・今度はなんだ!?」
「この先、霧に包まれておりまして、先が見えず。進むのは困難にございます!」
「なんだと!?ほれ、重国!もたもたしておったおかげで進めなくなったではないか!」
「いえ、むしろ山道で霧に包まれては落石、滑落、獣や物の怪といった危険があります。ここで霧が晴れるのを待つのが吉でしょう」
「そうか!よかったな!・・・物の怪も出るのか?」
「老江山は昔から鬼、悪霊、魑魅魍魎の類いの伝説が多いところゆえ・・・」
貞基がニヤリとする。重国は内心、しまった!と舌打ちする。
「妖怪変化、おれに恐れをなしてこんなところに逃げ込んでおったか!妖怪退治は武士の務め!いくぞ、皆のもの!支度せい!霧に突入じゃ!」
重国は表情こそ変えないが、うっかり物の怪と言ってしまったことに最大限の後悔をしていた。
「若、大勢で霧の中を進むのは危険ですから、少数での方がよろしいかと」
「そうだな!おれも今、そう思っていた!」
ばん!と胸を張る。
「お前とお前、ついて来い!」
さも適当に兵を見繕うと、貞基は関所から歩き出した。
ふたりの兵は頭を抱える。
「・・・近くにいるんじゃなかった・・・」
しばらく山道を進んだところで、兵の一人が貞基に尋ねる。
「若、御体はよろしいので?」
「・・・」
「若?」
「・・・御体のこと、忘れておった!」
はぁ・・・。兵たちはまたも頭を抱える。
「よし、引き返そう!!」
そう言って貞基が振り向いたとき、すでに辺りは霧で真っ白になっていた。
「戻る道がわからん・・・」
「ひどい霧だ。ミカナ、聞こえるか?」
白結丸も霧に包まれていた。
・・・まるで、皆秀の話の通りだ。
「白結丸、下手に進むのは危険じゃ。とりあえず、ここで霧が晴れるのを待とう」
ミカナの声がする。すぐ隣のようだが、姿は見えない。
「そうだな。嶺巴!この辺りで霧が晴れるのを待つぞ!」
声を上げるが、返事はない。
「嶺巴!嶺巴っ!皆秀!!聞こえるか!?」
やはり、返事はない。御体車の影も見えない。視界のすべてが霧の白に塗りつぶされていた。
「ミカナ、嶺巴たちが見えるか?」
・・・・。
「ミカナ?ミカナ!?」
ミカナからも返事が返ってこない。
「・・・・どこだ!?ミカナ!嶺巴!皆秀!荊火!!伊佐!紅羽!時千代!!聞こえるか!?」
思いつく限りの名を呼ぶが、誰からも返事はなかった。
「・・・・八百比丘尼・・・?」
背筋に冷たいものが走り、ぞくぞくとするのを感じた。
とりあえず、ミカナの言う通り、視界がない状態で無暗に歩き回るのは危険だ。
白結丸は立ち止まり、視界が戻るのを待つことにした。
・・・立ち止まる?おれは立っているのか?馬に乗っていたはずだが・・・。
もしかすると、風を呼べば霧を晴らせるかもしれない。
ゆっくりと呼吸する。風を纏う感じ。ゆっくりと意識を集中する。体の周りに緑色の空気の流れが集まって来る。
すると、ゆっくりと霧が晴れ始めた。
あたりの景色が見え始める。
「・・・なんだ、ここは!?」
そこはどこかの庭のようだった。手入れされた松の木、池には鯉が泳ぎ、菖蒲が咲いている。
振り向くと、長い廊下。金と白の屏風。松と鳥を描いた襖で囲まれた畳の間。
白結丸は見たことのない内裏、宮中というのはこういうところなんだとなぜか感じた。
その部屋には男と女が一人づつ。
男は武士。壮年に見える。精悍ではあるが、どこか狡猾さを感じる。
女は高貴ないで立ち。派手やかな襲、唐衣はどれも細工の素晴らしいもので、長い垂髪と白塗りの化粧。
「これは、西のある呪術師から得た傀儡の秘薬。これを飲ませれば帝は幻に囚われ、我らの思い通りだ」
男が言う。
女が男を見つめ、
「これで世はわれらのものじゃ。すべてはわれらの思う通り。愉快じゃ。愉快じゃ」
と言った。
そこで急に季節が進み、木々の葉の色が赤く染まった。
女が倒れている。じわじわと床に血が広がる。
男は女のそばから立ち去っていく。
「この世はわれらのもの?違う。われのものじゃ」
大きな川が流れている。たくさんの死体が転がっている。
馬に跨った若い男。その男の見つめる先に・・・御体。
首を持たない、醜悪な御体。両腕を振り回し、殺戮を続けている。
血が飛び散り、人は肉片と化す。
男が刀を振り上げる。
若い男が首を差し出す。
二人とも涙を流している。
迷いがあったが、男は刀を振り下ろす。
血を噴き上げながら、若い男の首が落ちる。
三人の男。
密室で話し合う。
いけない!
外で聞いている男がいる。
その男は走り出す。京の都、六原へ向けて。
三人は処刑された。二人は大路の真ん中で見世物のように首を落とされる。
ひとりは泣き叫び、遠くへ流され、誰もいない島で命を落とした。
山が燃えている。
寺の僧兵たちが、次々と御体に蹂躙されていく。
だが、火の燃え移った御体もまた、燃え尽きていった。
人々は飢える。苦しみから逃れようと、略奪と殺戮を繰り返す。
さっき見た男が、声を上げる。
「わが血筋に、末子を授かった!これは吉兆である!今宵、この世を変える!」
都が燃える。
その男が言う。
「お主がわが首を取れ!誰にも渡さず、お主の手柄とせよ!そして、緋家を統べ、この世を変えよ!」
相手の男は刀を振り上げ、男の首を落とした。
父上!
なぜかそう叫んでいた。
ここは六原の庭。
あの時川原にいた若い男が御体から降りて、女を腕に抱きしめる。
その御体は・・・風結。
風結は森の中に戻って行く。
そして・・・・白結丸の目から、涙が流れていた。
「・・・なんだ、これは?父上、兄上のようだったが」
白結丸は、父や兄と会ったことはない。物心ついたときには死んでいると聞かされた。唯一、伊豆にいる同腹の兄、宗近の話だけは聞かされている。
なぜ、あれが父や兄だとわかったのだろう?
「御免なさい・・・御免なさい・・・・」
母様、なぜ泣いている?
あたしが女だから?
ようやくできた子供が、跡取りではなく娘だったから。
「この娘を、男と同じように育てて、婿を取る。藍羽の血を絶やさないために・・・」
父様、わたしは女。
どんなに剣術を磨いても、男のように刀は振れない。
どんなに力をつけても、男には敵わない。
どんなに男のように話しても、声は甲高い女のまま。
「嶺巴!なぜ、そんなことが出来ない!刀は振るのだ!振り回されるな!」
「嶺巴!誰よりも強くなれ!誰よりも早くなれ!誰よりも!誰よりも!!」
「嶺巴!嶺巴!嶺巴!!」
もう、もうやめて!!
あたしは女!どんなに頑張っても男にはなれない・・・。
鍛えても鍛えても、体は丸みを帯びてくる。胸が膨らんでくる。
あたしは、男と張り合ったって、まともにぶつかれば勝てない。
だから、女として・・・女として、男に勝てるものを使う。
安心して、藍羽の血は絶やさないから・・・。
あれ?なんであたし、泣いてるんだろう?
「・・・・・ここはどこだ?」
白結丸は一人、丘の上に立っていた。
眼下には雲海が広がり、下の景色は見えない。
低木が並び、あたりの視界は開けている。
だが、何もない。
ここが老江山の頂上なのだろうか?




