72 風結ノ章 幕間 三
紅羽は、いつもの自室で筆を動かすのに追われていた。
「それぞれの荘園と、持ち高をここに書いて、そしてこっちに名前・・・・これを書き写して・・・・・・あーっ、もう!」
前の役人たちは何をやっていたのか?
全部いい加減なものしか残っていない。
「はぁ・・・・」
・・・・伊佐、上手くやっているかしら。
ちょっと羨ましい。
・・・・母様に会って、白結丸とのこと、ちゃんと言えたのかなぁ。
心配だ。
だけど、どこに行くにもわたしの後ばかりついてきていた、あの伊佐が。
先に嫁ぐとは・・・・。
今頃、母様のところで楽しそうにお話しして、この後温泉でも行きましょうって・・・・・・。
「ああああああああ!」
・・・・とんでもないことを思い出した!
療養のために温泉に行くのだった!!
と、時千代と温泉!!入ってない!!
・・・・ああ。
因幡にも温泉くらいあるだろう。
あとで家臣の誰かに聞いてみよう。
いいなぁ、温泉。
・・・・もしかして、今頃、白結丸と伊佐、二人で・・・・!?
い、いや、伊佐に限ってそんなことは・・・・・。
ででで、でも、あの母様がいる!?
・・・・・・きっと、伊佐にも”口吸い”のことを伝授しているに違いない。
「白結丸様・・・・・・どうぞ、口吸いを・・・・」
「伊佐・・・・・・ならば、ありがたく吸わせてもらう」
ちょ、ちょっと待てっ!!
わたしはなにを想像しているんだっ!?
いかんいかん!!
ちゃんとこれを仕上げねば!!
ええと、ええと・・・・・。
・・・・・・・・。
もし、もしも、だ。
わたしが急に時千代に口吸いしたら、時千代はどんな顔するだろう?
「紅羽姉様!何をするんですかっ!!ぺっ、ぺっ!!」
・・・・あの時千代に限ってそれはないな。
「紅羽姉様・・・・。心がとろけてしまいました・・・・」
・・・・うーん、ちょっと違うかな・・・・。
「紅羽姉様・・・・。素敵・・・・」
・・・・これも違う。
「紅羽姉様!そんなことしてるから、筆が進んでませんよっ!」
・・・・うん、言いそう。
・・・・そうだ、ちっとも進んでいない。
◇
だが、これはややこしすぎる。
邑美郷?
どこだ、これは。
気田、八上・・・・巨濃・・・・もう、読み方もわからない。
はぁ、誰か詳しい者に頼むか・・・・。
誰が土地に詳しいのか・・・・。
ついでに温泉のことも・・・・。
温泉か。
「時千代、肩まで浸かって!」
「紅羽姉様、もう熱いですよ!」
ざばっ!
「きゃっ!時千代!襦袢くらい着なさい!」
「ですが、わたしも男ですから!」
・・・・・・。
はぁ、時千代のこととなると妄想が止まらない。
でも、そうだなぁ・・・・。
時千代も男の子だから。
すぐにわたしよりも体が大きくなって、強くなって・・・・。
声も低く太くなって・・・・。
むきむき!むきむきっ!
「紅羽姉様!わたしがおんぶしてあげよう!!」
・・・・・・うわ、いやだな。
もう成長しないでほしいな。
・・・・そういうわけにもいかないか。
昔の時千代、可愛かったな・・・・。
わたしと伊佐の後を、よちよちとついて回って・・・・。
いつも、抱きかかえると、にこっと笑っていた。
そのうち、嫁を貰うんだろうな。
そうしたら、わたし・・・・もう時千代のそばにいられない。
その時、わたしはどうするのかな?
誰かのところへ嫁に・・・・。
「紅羽、おれの嫁になれ!」
・・・・貞基。
うげっ!?
いや!絶対いやっ!!
◇
はあ、全然進まない。
もういや。
そうか、今日は朝から時千代に会ってない。
わたしの中の時千代が足りないんだ。
やっぱり、母様の言う通りに・・・・。
「想う殿方がいたら、じっとしていてはいけません!!」
そうですよね、母様。
時千代はきっと許してくれます。
わたしのこと、『はしたない姉』なんて、思わないでしょ、きっと。
もしかしたら・・・・・・。
「ありがとうございます、紅羽姉様。ここからはわたしにお任せください」
なんて言って、わたしを押し倒して・・・・。
そりゃあ、時千代だって男の子。
わたしじゃ、力で勝てない。
そして、わたしの上に乗って、顔を近づけてきて・・・・。
こんな風に・・・・・。
「紅羽姉様?大丈夫ですか?」
そうやって聞いてくるに違いない。
・・・・・・え?
「と、とととととと時千代っ!?」
「どれだけ呼んでもぼーっとしていらっしゃるので・・・・」
「あ、あわわわわっ!?」
「泡?」
「い、いえ!ど、どうしたのですっ!?」
「いえ、別に。今日は紅羽姉上のお顔を見ていなかったので。さみしくて見に来てしまいました」
・・・・そう、その顔。
くるくるした大きな目で悪戯っぽく笑う、この顔。
そして小首を傾げる仕草。
・・・・たまらん。
鼻血出る。
それが、今、目の前で。
「はぁ、今日はだめだ。まったく筆が進まない」
「伊佐姉様のことが心配なんですね?」
「・・・・まあ、そうだな」
「今頃、どうしているでしょうね」
「それを言わないでおくれ。また最初からやり直しになる・・・・」
「?」




