風結ノ章 一
この作品はフィクションです。実在の団体、個人(歴史上のものも含む)とは一切関係ありません。また、ここに書かれている以外の意図はありません。
栄昌十四年 春
白結丸は母・璃玖を病で失ってから二年が過ぎた頃。
父がおらず、蔵馬の尼寺で母と二人、そして庵主の妙寂と三人で慎ましく暮らしていた。幼い頃から兄たちの話は幾度となく母から聞かされ、会ったことのない兄たちのことを想い続けていた。父のことも母から幾度となく聞かされていて、離反して討たれた父のことも、その功績が今の世を作ったのだといつも誇らしげに母は語っていた。
幼い白結丸には難しい話だったが、自分に流れる霞家の血が誇らしいものだということは理解できた。母・璃玖も、「霞家の男児に生まれたことを誇りなさい」といつも言い聞かせていたから、白結丸も自分が村落の他の子たちと違う血筋ということを否応なしに感じていた。
自分には将来やらなくてはいけないことがある、それをずっと言い聞かされながら育ってきた。
そしてそれを言い続けてきたのは母だけではない。
それが、今白結丸の目の前に立っている天狗だ。鼻が長く、髭の生えた赤い面を被り山伏装束に身を包む。今、木刀で白結丸の頭を打った、その男である。
「痛いー!!」
「それくらいで武士の子が痛いなどと泣き言を言うでない!!」
「痛いものは痛いのだ!!痛くなかったら痛いなどと言わない!!」
「痛くとも痛いなどと言わないのが武士だと言っておるのだ!!」
「痛いものは痛いから痛いと言って何が悪い!」
「武士の子は痛くとも痛いと言わず、じっと痛いのに耐えて、痛いことに痛・・・痛い・・・ごほん!」
天狗は木刀を振り上げて、「立ちなされ、白結丸!!」と怒鳴る。
「立ったら打たれるからいやだ!!」
「立たねば打ちますぞ!」
「どうしたって打つんじゃないか!」
毎日がこの調子だ。
白結丸にとっては、何かにつけ”理不尽”な相手である。
幼い頃から天狗を見慣れている白結丸は気にしていなかったが、一度だけどうして鼻が長いのかとか、顔が赤いのかとしつこく聞いたことがあったが、天狗の返事はいつも同じ、うるさい!という一喝と頭への拳だった。
毎日木の上を飛び越えたり、高いところにぶら下げた木の枝を木刀で打つ稽古など、物心ついたときには木刀を振るうのが当たり前になっている。
以前は毎日振り回されるだけの白結丸だったが、育つにつれ五本に一本くらいは天狗に打ち込めるようになっていった。それでも、天狗は当たる木刀をものともせずに”倍”で打ち返してくる。
「ずるいじゃないか、天狗!」
「子供だからと言って、戦場では敵は手加減してくれんぞ!斬れなければ斬られるだけだ!」
「今、おれが斬ったのに斬られずに斬り返しただろ!」
頭にきて白結丸が力任せに木刀を力一杯振り下ろすと、天狗はひらりと飛び木の枝に飛び乗るとふわりと降りてきて白結丸の頭に一撃をくらわす。
「いてーーー!!」
「ははは!!油断大敵!大振りは諸刃の剣だ!いい加減に覚えんか!」
「ちきしょー、おれの勝ちなのに!!」
打たれた頭をさすりさすり白結丸は不満気な顔を向ける。天狗は、おほん、と咳払いをして、
「まあ、そういうことにしておいてやろう。今日はここまでだ」
そう言うとひらりとどこかへ消えてしまう。白結丸も天狗がどこに住んでいるとか、そういうことを一切知らない。何を聞いても教えてくれないし、しつこく聞くとまた木刀が飛んでくる。
「明日こそは打ちのめしてやるからなー!!」
毎日白結丸は森に向かってそう叫んでから尼寺へ帰る道を歩き出す。
「あら、白結丸様」
お蓮は夕方、日が傾きあたりが赤くなる頃は、いつも寺に夕餉の支度に来ていた。寺の近くに爺さまとふたり暮らしで、朝は境内の掃き掃除をしたあと、畑仕事してから毎日炊事をしている。白結丸と変わらない年頃だが、働き者だと庵主様も感心している。
「また泥だらけになって・・・。夕餉は出来てますからね。今日は白結丸様の好きな山菜だよ」
にっこりと笑う。が、白結丸は浮かない顔でお蓮を見つめる。
「どうかしたの?」
「・・・・お蓮、おれは弱いかなぁ・・・」
「?」
「山からの帰り道、ずっと考えたのだが、おれは小さい頃から天狗と稽古ばかりしてきたが、一度たりとも勝ったことがない。ようやく打ち込めるようになってきたが、いつもやり返されて怪我ばかりだ。他の者と立ち合いしたこともない。おれは弱いから負けてばかり。だから立ち合いさせてもらえないのだろうか?」
そう言いながらお蓮を見る白結丸の顔がなんとも情けないので、お蓮は思わず吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。
「そんなことないよ!白結丸様は体も大きいし、他の子たちと立ち合いしても負けないと思うけど・・・」
「天狗から、他の子供との立ち合いもチャンバラ遊びも禁じられているのは、おれが弱いのが知られると霞が馬鹿にされるからじゃないだろうかなぁ?」
白結丸はもう泣きそうな顔で、お蓮に縋り付いてくる。
「ちょ、ちょっと、白結丸様!」
「あぁ、お蓮ー・・・どうしよう・・・」
白結丸に肩を持たれて満更でもないお蓮だが、このまま泣かれると日が暮れてしまう。
「わ、わたしは、白結丸様は強くて・・・かっこいいと・・・その、思うよ」
お蓮は顔がカッと熱くなるのを感じた。きっと真っ赤になってる。夕日の赤さで誤魔化せるかなぁ?などと考えると、白結丸が急に顔を上げてお蓮を見つめる。
どきっ!ち、近い!
「い、いや、あの・・・」
「そうだな、少しくらい弱くても、おれはかっこいいからよいな!」
は!?
「ありがとう、お蓮!また明日な!」
そう言って手を振りながら去って行く。
ポカン。
「・・・もう!もーう!!明日、川へ行くからちゃんと着替えなさいよーっ!!」
「なあ、婆。おれは弱いかなぁ?」
夕餉のあと、白結丸は尼寺の庵主、妙寂にも同じことを聞いた。
「婆と呼ぶでない。庵主と呼ばんか」
「なあ、婆、おれは天狗としか立ち合いしたことないから、負けてばかり。他の者と立ち合いしたらやっぱり負けるかなぁ?」
「だから、婆と呼ぶな」
「だいたい天狗は顔が怖い。鼻、長いし。婆も怖いと思うだろ?」
「あれは面じゃ。知らんかったのかい。そして婆と呼ぶな」
「熊か猪でも出てきたら、戦ってみたいなぁ。なぁ、婆?」
「ちっとはわしの言う事も聞かんかい」
法橋尼寺の庵主、妙寂は白結丸が赤子の頃から面倒を見ている。白結丸の母、璃玖が都を追われ、緋浄基の命でこの尼寺に流されてきたのだ。緋家と法橋尼寺には古くからのつながりがあり、緋家の当主浄基も妙寂には絶対の信頼を置いていた。浄基が小さい頃から面倒を見たこともある。妙寂も歳を取って確かに白結丸は孫という年齢だが、御仏に使える身であるから婆と呼ばれると体裁が悪い。
・・・熊か。
妙寂には思い当たることがないではない。
今日、都からの旅人がたまたま寺に休息に立ち寄り、山城の山中に大きな熊が棲みついて人を襲うという話を聞いた。都の役人たちに直訴しても、次の帝の即位式で忙しとかで取り合ってもらえないらしい。
・・・まあ、子供一人に熊退治など、行かせるべきことでもない。
「・・・・ぐぅ・・・」
「こりゃ!飯を食いながら寝るやつがあるか!」
べしっ!!
「ひっ!?」
婆の一撃は、時折天狗のそれよりも痛いときがある。
「い、いてぇ、婆・・・」
「ほんにお主は人の話を聞かんのう・・・。だから天狗も・・・」
「?」
「・・・いや、何でもない。明日、天狗のところに行く前にわしのところへ来い。わかったな」
白結丸は頷く。
「なら、早う食え」
「・・・はい」
白結丸は山菜を口いっぱいに頬張った。
白結丸は朝起きると、本堂の弥勒菩薩と母・璃玖の位牌に手を合わせる。
干した大根と山菜の湯でもので朝餉を取ると、朝境内を掃除しているお蓮に会う。
「今日は早いのね、白結丸様」
「ああ、天狗のところに行く前に、婆のところへ来いって言われてるんだ」
「あら、庵主様に呼ばれてるの?庵主様は奥の書院へ行かれたよ」
「ありがとう、行ってみる!」
「あ、白結丸様!!・・・行っちゃった・・・」
まだ朝の挨拶もしていないのに・・・。
「婆、おはよう!」
障子の外から声をかける。
「白結丸か、入りなさい。そして婆と呼ぶな」
妙寂はちょうど書き終えた書を丸めているところだった。
「今日、天狗のところへ行ったら、これをわしからだと言って渡しなさい。絶対に中を見てはいけません」
「見たらどうなる?」
「鬼に呪い殺されるだろうな」
「・・・鬼か・・・婆のほうが怖いな」
「・・・・(怒)」
「・・・ごめんなさい」
「ともかく、天狗殿にしかと渡すのじゃぞ」
「わかった、行ってくる」
そう言うと白結丸は飛び出していった。
・・・このまま、わが孫として生きていてくれれば・・・。
そんな風に思うことは何度も何度もあった。が、名のある武士の子、いつかは旅立つものだと、璃玖殿もわかってくれるだろう・・・。先のことは御仏のみぞ知るところじゃ。それに、あの子には不思議な何かがあると、璃玖も言っていた。御仏が使わした力が、あの子を守ってくれるに違いない。
「・・・・ふむ」
書を天狗に渡すと、天狗は黙って書を広げ、読み終わると懐から小刀を取りだして粉々に切り裂いた。
「ああ・・・。なんて書いてあったのだ?」
「・・・白結丸、今からわしの家まで来い」
「え?」
天狗はそう言って飛び上がり、木の枝をひゅんひゅんと抜けていく。
「あ、待ってくれ!!」
白結丸もそれに続いて飛び上がる。
天狗の身の軽さは尋常ではない。普通人が乗ったら折れそうな細い枝でも、着地の衝撃を和らげることでその上に立つ。しかも葉も揺らさずにそこから飛びあがる。白結丸は何度か枝が折れて地面にたたきつけられながら、必死で天狗の後を追った。
「はあはあ、ぜえぜえ・・・」
「よくついてきたな、ここだ」
「・・・きったない小屋・・・・」
「やかましい。入れ」
板を張り合わせただけの小屋はとても狭く、板の隙間からひゅうひゅうと春の隙間風が吹いていた。
「・・・・壊れそう・・・」
「お前が生まれてから今まで、壊れたことはない」
狭い小屋の中の中央に火鉢があり、他には水瓶や布団のほかは何もなかった。
こんな場所で十何年も暮らしてきたのかと思うと、天狗は一体何者なのかと改めて不思議に思う。
「とりあえず、そこに座れ」
天狗が何もない床を指したので、白結丸は仕方なく従う。
「妙寂殿から、お主を熊討伐に行かせよと書に書いてあった」
「え!?」
「お主ももうすぐ元服の歳になる。これまで病の璃玖殿のそばにいて蔵馬を降りたこともないだろう。世間を知っておかねば、これからお主がやらねばならぬこともわかるまい」
「い、いいのか!?山を下りて!?」
「ただし!!」
ビシッっと天狗は白結丸の鼻先に指を突き付ける。
「お主が霞の血筋ということは、誰にも話してはならん。お主は故あってこの山に囚われの身だ。迂闊に山を下りておるところを緋の役人に見つかったら命はないと思え」
「そ、そうなのか!?」
「霞家の血を引くお主がなぜこのような山の中にいるのか、知らぬのも無理はない。あれは今を去ること十三年前・・・」
「とりあえずいいや。山降りる支度しなきゃ!」
「おい、聞かんか!」
いつもながら昔の話を聞いてくれない。天狗は大事なことだから聞いてほしいのだが・・・。そう思いながら十余年。じわりと泣きたくなるが、白結丸はうずうずして居ても立っても居られない様子だ。無理もない、ずっとこの何もない蔵馬の山中に幽閉されて育った。山の外への憧れや好奇心はひとしおだろう。
「まあいい。そのうちいやでもわかることだ」
そう言いながら天狗は自身が立っていた床板を持ち上げると、下から長方形の箱を取り出した。
「これは、わしがお主の兄上から預かった大切な刀だ」
天狗が箱を開けると、中から綺麗な細工を施した太刀が現れる。それは黒い鞘からも光を放ち、重々しい空気を発していた。
「太刀・・・兄上から?おれに?」
「そうだ。お主の兄、霞三埋野守宗矢殿だ」
「・・・おれの・・・太刀・・・」
「まだ名はないが、名刀は間違いない。わしがずっと手入れしておいた」
天狗は白結丸に太刀を手渡す。そっと受け取ると、鞘を抜く。そこには白銀でゆらりと光る抜き身の刀身が現れる。鈍く反射する刃には白結丸の顔がうっすらと映り、ずっしりと重く手になじむ。
「だが、白結丸。刀は武士の命。みだりに抜いてはならん。自らと自らの大切な者を守る時だけ抜くものだ。一度刀を抜いたときは、命の奪い合いをしていると思え。奪われても奪っても、文句は言えない。刀を抜くということはそういうことだ。それだけは心に留めておけよ」
「・・・わかった」
「そして、お主は山を下り、山城の国へ向かえ。なんでも、人の背の倍はある熊が出て難儀しておるそうだ」
「おお、熊退治!」
一気に白結丸の顔に陽が射す。
「今のお主なら熊ごときに負けることはない。とはいえ、油断するな。相手も生き延びるために必死だ。命の奪い合いとはどういうことか、身をもって学ぶがいいだろう」
「・・・」
・・・今のおれなら、熊に負けない?本当か?天狗にも一度もまともに勝てないのに・・・。
「なあ、天狗!」
白結丸は顔を天狗に向ける。
「おれは・・・おれは強いのか!?」
白結丸は目を輝かせて天狗を見つめる。
「・・・・それを熊と戦い、感じて来い」
「・・・わかった!!」
白結丸は今からでも飛び出していきそうな勢いだ。立ち上がって嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる。
と、突然立ち止まって天狗に振り替えると、神妙な顔を向けた。
「それと、天狗、それお面だって?」
「・・・はあ?素顔だと思っていたのか?」
「その顔しか見たことないから・・・」
「見せてやらんぞ」
「何でだよ、けち!」
「うるさい!けちとはなんだ!木刀を持て、稽古してやる!!」
「よし、今日こそは!!」
こうしてこの日も、白結丸は泥だらけになった。




