エスコート
十月に入り、季節は秋めいてきた。
これから冬への備えに入る時期。
つまり。
――ようやく! やっと! 社交シーズンが終わる!
つまり、あちこちの夜会に呼ばれてうふふあははと笑う苦行から解放される!
アルヴェインと婚約してからこちら、それはもうひっぱりだこだったからね!
この後もまあ晩餐会だの何だのにはお呼ばれすることにはなるんだろうが、それはそれとして、ものすごい解放感!
今シーズン最後となる夜会は、イヴンアロー侯爵、つまりアルヴェインの父君が主催するものだ。
これを恙なく乗り切ればお終い。
よっしゃあ!
この夜会には、我々は一族郎党でお邪魔する。
つまり私のお父さま、ドーンベル伯爵が、イヴンアロー侯爵の招待を受けるのだ。
ゴシップ記者よタダ飯を味わえ、みたいな状況である。
多分、今夜出席する大半の人が、お父さまとイヴンアロー侯の動向を目を皿のようにして観察し、夜会を終えるはずだ。
婚約披露の夜会でもそうだった。
お父さまはもちろん私以上にそのことをおわかりだから、身支度を整えながら壮絶に不機嫌な顔をしていた。
シーズン最後の夜会にお呼ばれしたのは、間違いなく私がアルヴェインと婚約したためなので、お父さまの不機嫌なお顔を見ると胃が痛い。
なお、我がドーンベル家が主催する夜会は、とうに終わっている。
私は客観的に見ても、今シーズン、社交界の話題を浚った令嬢の一人ではあるが、それでも婚姻となれば男側の家があれこれ頑張るもので、どうしてもこちら側は「お呼ばれする」立場になりがちだ。
これが数年後、私の弟のトマスが婚約となったときには、ドーンベル家は一族総出で夜会を主催し続けることになるだろう。
お母さまも身支度に余念がない。
執事のバートはまだ十二歳のトマスの身支度に奔走している。
トマスはおめかししてご満悦だ。
可愛いなあ。
一方私の身支度を手伝ってくれるハンナは異様にテンションが高い。
多分、いや確実に、先日アルヴェインが贈ってくれた首飾りに合わせてドレスを選んだからだ。
アルヴェインは元からセンスがいいが、贈ってくれたトパーズとダイアモンドをあしらった黄金の首飾りは、ちょっと重いけれどもめちゃくちゃ綺麗で気に入った。
婚約した男女が何か宝飾品を贈り合うという風習は、私の知る限り五、六回前の人生の時代で途切れたはずなので、これは純然たるアルヴェインの厚意だ。
往路の馬車は、お父さまとお母さまに一台、私とトマスに一台。
二台続けて豪奢な馬車がイヴンアロー侯爵家のタウン・ハウスに向かって走る。
トマスは緊張しているのか、やたらと口数が多い。
この子は――男の子には明確なデビューの歳が決められているわけではないので――今シーズンも一回くらいはお父さまにくっついて夜会に赴いていたはずだけれど、バートが要らん重圧を掛けまくったと見える。
大丈夫よと宥めると、こくんと頷いて両手を膝の上に置き、きりっと真顔になるトマス。
私の弟、可愛いな。
馬車での移動時間は短い。
イヴンアロー侯爵家の壮麗な門をくぐり、馬車が車停めに入った。
すぐに馬車の扉が使用人さんによって開けられ――うわっ。
びっくりした……。
アルヴェインが当然のようにそこにいた。
てっきり、大広間で来賓に挨拶して回っているのかと思っていた。
私の婚約者である以上、アルヴェインは私のエスコートをしてくれるだろうが、それでも今日は彼の家が主催する夜会だ。大広間で落ち合うものと思っていた。
が、アルヴェインは華やかな盛装を優雅に着こなして、気負いなくその場に立っている。
うっ、眩しい……。
私を見て、アルヴェインが輝くような笑顔を浮かべた。
うっ、ときめく……。
端整な仕草で私に手を差し出して、アルヴェインが口を開いた。
「フィオレアナ、迎えに行けず申し訳ない。待ちきれなくて外に出ていた」
私は気合でにっこり笑った。
アルヴェインの向こうには、来賓方々が結構な数でいるのだ。
大広間に向かいつつ、こっちを興味津々に振り返っている人もいる。
ここで粗相して、「イヴンアローの若君はとんでもない女と婚約したぞ」なんて噂になったら目も当てられない。
アルヴェインの手を取って馬車から降ろしてもらいつつ、私もちょっと冗談っぽく返す。
「まあ、嬉しいことを仰ってくださる。――お招きありがとうございます、アルヴェインさま」
そこで振り返って、「降りてらっしゃい」とトマスに合図。
トマスは大きく目を見開いてアルヴェインを見ていたが、はっとした様子で馬車から降りて、はにかんだ笑顔で眩しげにアルヴェインを見上げた。
私が咳払いで促すと、もじもじと言い出す。
「……お招き、ありがとうございます……お義兄さま」
「!?」
思わずぎょっとしてトマスを二度見する私。
待て、まだ気が早い。
誰だ、トマスにこんな呼び方を教えたのは……!
気分を害していたらどうしよう、と思ってそっとアルヴェインを窺うと、アルヴェインは満面に笑みを浮かべていた。
むしろご満悦だ。
心が広くて助かる。
「来てくれてありがとう、トマス。会えて嬉しいよ」
そこでアルヴェインがいったん私の手を離し、お父さまとお母さまへの挨拶に向かう。
その間に私は、屈んでトマスと目を合わせ、言い聞かせた。
「トマス、いい、お姉さまがあの方とちゃんと結婚するまでは、『お義兄さま』なんて呼んでは駄目よ」
「えっ、そうなんですか……!?」
「そうなの、そうなの。しばらくは『アルヴェインさま』とお呼びするのよ」
トマスがこくこく頷いたところで、アルヴェインがこっちに戻ってきた。
トマスに、「お父上がお呼びだよ」と告げる。
さすがにトマスを夜会で放流するわけにはいかないので、お父さまはトマスをおそばから離さないだろう。
一方私はアルヴェインと一緒に、あちこちでうふふあははと笑う任務がある。
しばらくは別行動だ。
ではまた帰路で――とお父さまに会釈しようとしたところで、隣に立ったアルヴェインに手を取られ、そちらを振り返る。
視界の端に見えるお父さまが、めちゃくちゃ渋い顔をなさっているのが気に掛かる。
お母さまが隣で額を押さえている。
うん? と首を傾げた先で、アルヴェインは葡萄色の双眸で私を見て、柔らかく微笑。
「おまえのお父上と話して、帰りは俺が送って行くことになったから」
「えっ」
「嫌か?」
「まさか。――でも、悪いよ」
アルヴェインがちょっと顔を顰めて、私の手を持ち上げ、レースのグローブに覆われた手背に軽くキスした。
そうして、私の手を唇のそばで支えたまま、軽く責めるような上目で私を見遣る。
「――――!」
「少しでもおまえのそばにいたいという俺の健気な思いを、そうやって遠慮で踏み躙ってくれるな」
拗ねたようなその口調と、何より視線に色気すらあって、私は速やかに自分が真っ赤になったことを悟った。
待って待って、私の、令嬢としての仮面が剥がれる……!
私が呆気なく陥落したことを見て取って、アルヴェインは悪戯が成功したようににっこり笑った。
何なのこいつ、こいつばっかり余裕綽々でむかつくな……と思いつつ、恋愛経験で私がアルヴェインに太刀打ちできないのは先刻承知だ。
満足そうなアルヴェインにエスコートされ、大広間へ。
イヴンアロー侯爵並びにご夫人、それからアルヴェインの弟君にご挨拶。
侯爵は、ばりばりに私のお父さま――つまり、ドーンベル伯爵――を警戒する顔をしていたが、それでもにこっと笑って、私に「楽しんでいってくれたまえ」と告げた。
ご夫人はなんとなく私に共感を覚えたような顔で、こそっと「お疲れさまね」と囁いてくれた。
はい、ご夫人もなんとなく疲れているご様子。
私たちはそっと頷き合う。
アルヴェインの弟君のエルヴィスくん(御年十六、大学に通っているところ)は、朗らかに私に挨拶してくれた後、「クレアが来られなくて残念だったね」とアルヴェインに言っていた。
だれ? と思って、教わったアルヴェインの家系を頭の中で辿る。
多分だけど、イヴンアロー侯爵の弟君のバーケルム子爵のご令嬢、つまりアルヴェインの従妹だ。
私が訝しげにしているのがわかったのか、アルヴェインが苦笑して、「従妹だよ」と私の推測を裏付けてくれる。
「夏から体調を崩して、マナーハウスに引きこもっているそうだ」
道理で会ったことないと思ったよ。
イヴンアロー一家への挨拶を終えると、すぐさまあちこちから声が掛かり、私はアルヴェインの陰で控えめな微笑係に徹し始めた。
話を振られればすぐに応じて、頭の鈍い女だとは思われないようにしつつも、ちょっと下がっておく。
控えめな女の振りをしたいわけではない。
わけではないが、連日連夜の夜会で疲れた……。
私の対人のための体力が尽きようとしていることはアルヴェインも承知の上だから、卒なく私を会話から庇ってくれる。
その上で私をあれこれ褒めてくれる(「つい先日、彼女と画廊に行ったのですが。駄目ですね、俺にとっては芸術は雲の上のものですよ。彼女は好きなのですが。はは、まあ、彼女自身も雲の上の天使みたいに愛らしいですからね。ああ、すみません、結婚目前の男の惚気ですよ、聞き流してください」――ほんと、何をどうすればこんな科白がぽんぽん出てくるんだ)。
ご挨拶軍団がちょっと途切れたところで、アルヴェインが私をダンスに誘った。
いつぞやオーガスタくんが派遣されてきたような事件はあれから起こっていないが、仲の良さを見せておくに異存はない。
それに、アルヴェインとのダンスは結構好きだ。
喜んで、と手を取って、ダンススペースに連れられる。
踊っている最中、アルヴェインは軽く苦笑して、「今夜で終わりだから、頑張ってくれ」と囁いてきた。
シーズンが終わるとはいえ、これからも食事に呼ばれたりなんだりはある……とは思いつつ、アルヴェインの気遣いが嬉しくて、私も微笑を返した。
「ごめん、気を遣わせて」
「気を遣いたい相手がおまえだから結婚するんだ。謝るな」
私たちが踊っている間に、大広間を激震が走り抜けていった。
とうとうお父さまとイヴンアロー侯が対面し、何やら話し込まれたらしい。
このときばかりは貴族のお歴々も、ゴシップ記者に転職したのかという目つきでそちらを眺めていた。
お父さま、本当に申し訳ない。
私が瞑目する一方、アルヴェインは声を出さずに笑い転げていた。
ダンスの輪を抜け出したところで、アルヴェインがふと言い出した。
豪奢なシャンデリアに照らされて、夜会の煌びやかな背景と一緒に、このまま切り取れば世紀の名画になりそうな立ち姿だ。
「そういえば……」
「なんでしょう?」
首を傾げる私。
割と近くに人もいるので、外面で対応。
アルヴェインはにやっと笑ってから、私を矯めつ眇めつした。
「その首飾り、気に入ったか?」
「何度もお伝えしましたように、ええ、とても」
「似合っている。箱の中に見ていたときより、おまえが身に着けている方が綺麗に見えるな。
――今度は指輪でも仕立てにいこうか」
冗談なのか本気なのかわからない声音に、私は苦笑した。
そんなに宝飾品を贈られてしまうと、私に悪女の評判が立ってしまう。
「お気持ちだけ」
「指輪程度で財政難に陥ったりはしない。安心して甘えてくれ」
「そういうことではありませんわ。アルヴェインさまがいらっしゃるのでしたら、あばら家であっても喜んで嫁ぎますけれど?」
「…………」
「アルヴェインさま?」
片手で口許を覆い、瞬間的に黙り込んだアルヴェインに、ちょっとひやっとした。
何かまずいこと言ったかな。
が、すぐにアルヴェインは、何事もなかったように私を見た。
「また今度、別の贈り物もあるから楽しみにしておいてくれ」
なんだろう?
よくわからないけれど頷いておく。
とはいえ、また何かくれるとなると心苦しいな。
お返しがしたいけれど、伯爵令嬢が自由に出来る財産なんて無きに等しいからな……。
そう考えているうちに、大広間の隅の、歓談スペースとしてソファが並べられた場所に連れられる。
回ってくれている給仕さんから、アルヴェインが私の分もまとめてフルートグラスを受け取った。
一口先に口に含んでから、「いいよ」とばかりに私にグラスを渡してくれる。
アルヴェインはちょっと、私が酒に弱いと思っている節がある。
先に酒精の強さを見てくれたらしい。
ソファに腰掛けてグラスを傾ける。
ちょっとほっとしたところで、またしてもアルヴェインに話し掛ける一団。
アルヴェインと歳の近い令息ばかりだ。
どうもどうもと私に会釈してから、アルヴェインから紹介されるのも待たず、完全にアルヴェインをからかう笑顔で彼に絡む。
アルヴェインは鬱陶しそうに顔を顰めたが、本気ではなさそう。
仲がいいんだろう。
苦笑して、私に言う。
「大学の同窓だよ。ちょっと話してくるから、ここにいて」
あら珍しい。
アルヴェインが夜会で私を一人にするなんて。
独身お別れパーティについての打ち合わせでもするのかな。
――そう思いながらも素直に微笑んで頷き、「承知しました」と応じる。
楚々とした令嬢に見えているだろうが、ぼやっと座っておく機会が嬉しいだけだ。
主催者の息子の婚約者失格だが、燃料切れです。
アルヴェインが私の隣から立ち上がる。
軽く周囲を見渡す様子を見せる彼に、学友らしきその一団の一人が、けらけら笑いながら冷やかしの言葉を向けた。
「アルヴェイン、見てたぞ。ベタ惚れじゃないか。にこにこしちゃってさ」
「そうだよ、悪いか」
アルヴェインがしれっと返す。
欠片も照れないのがむしろすごい、私には真似できない。
「酒も先に味見してから渡してただろ、過保護だな」
「過保護にもなるさ。婚約するのだって大変だったんだからな」
私はいつぞやの、こんがらがった頭を抱えての海への逃走を思い出して内心でびくっとしたが、ご学友は無論、当家とイヴンアロー家の間に永らく横たわっていた禍根の方を思い浮かべたらしい。
なんともいえない顔になる。
「そりゃまあ……そうだろうな」
「わかるだろ?」
アルヴェインがそう答え、それから小さく合図して、給仕の一人を呼び止めた。
私を示して低い声で命じている。
「目を離さないで、彼女に何かあったらすぐに俺を呼べ」
給仕さん、急速に真顔。
いや、そりゃそう。
こいつ、そうか、ここは自分の家だから、給仕の人は悉くアルヴェインの父上に雇われている使用人さん。
その立場があるから私を一人にするんだな……。
私は慌てて、アルヴェインの盛装の袖を引いた。
「アルヴェインさま、その方のお仕事ではないでしょう。大丈夫ですよ」
アルヴェインは私の方を向いて、しかし無言で微笑んだ。
給仕さんはめちゃくちゃ真剣な顔で頷いている。
「拝命つかまつりました、坊ちゃん」
「ありがとう」
爽やかにそう告げて、ご学友と歩いていくアルヴェイン。
ご学友も、数名がドン引きした顔で奴を見ていた。
そりゃそうだよ……。
給仕さんに見守られる私も居心地が悪い。
もういいですよ、ご自身のお仕事をなさって、と勧めてみたが、給仕さんはものすごい真顔で、「ご婚約者さまに何かあったら、私が殺されます」と。
さすがにそれはないと思うな!
とはいえここは歓談スペース。
ダンスとお喋りに疲れた人が寄って来る場所だ。
若い男性が寄って来ようものなら、誤解からアルヴェインの怒髪が天を衝きかねない。
そわそわ祈っていると、その祈りが通じたのか、ふらっと寄って来たのはまだ若いどこかのご令嬢だった。
淡い金髪を丁寧に結い上げた、色白の美人だ。
ぱっちりと開いた双眸は薄いブルー。
歳は私と同じくらいか、一つくらい上か。
大いに気まずいことに、ドレスの色がどちらもマリーゴールドの色で被っている。
意匠は違うから許してくれ……。
ちらっと私を見た彼女が、小声で「良いお晩を」と呟いたので、私は笑顔で応じた。
「ええ、良いお晩ですね」
ちょっと首を傾げて考える。
誰だこの子? 会ったことはないが、私の社交界デビューは実に今年! そんなに知り合いは多くない。
先に名乗るべきだろうと口を開いたところで、彼女が機先を制してきた。
「アルヴェインさまのご婚約者さま……ですよね?」
私はにこっと外交用の笑顔を浮かべる。
「はい。申し遅れました、フィオレアナ・パライヴァです」
名乗ったので名乗り返されるだろうと待つ。
が、彼女はまじまじと私を見つめて、微かに眉を寄せた。
「アルヴェインさまのことは小さい頃から存じ上げておりますが、……まあ……」
「…………」
なに? 「まあ」ってなに?
ていうか誰?
恋敵か?
今さら?
ちょっと待ってちょっと待って、いちばん強烈な呪いの掛け方を思い出すから。
そんなことを思いつつ、私はグラスの脚を握る手に微妙に力を籠めつつ、「あの?」と無邪気を装って首を傾げる。
「申し訳ございません、お会いしたことが……?」
「ございません」
じゃあ名乗れ。
と思ったのが顔に出た。
彼女は微妙に顔を顰めながら微笑むという、器用な真似をした。
「セシリア・コルペスと申します。父はメリゴート伯爵です」
知ってはいるが、会ったことはない人だな。
何の用だ?
アルヴェインから私を託された給仕さんも、女性どうしの和やかな会話に脅威は見出さないらしい。
今のところアルヴェインに、「若さまこっちです!」とやる気配はなし。
取り敢えず、私はにこにこ。
「まあ、初めまして。アルヴェインさまとお親しいのでしたら、私たちの婚約披露の夜会で、お会いしたかと思ったのですけれど」
「わたくし、クレアの親友ですの」
「クレアさまというと、アルヴェインさまの従妹の」
「そうです。クレアの紹介で、子供の時分からアルヴェインさまにお会いしておりましたの」
つまり、クレアちゃんがいなきゃ婚約披露に呼ばれもしない仲ってことね。
そう納得する私を、セシリア嬢は愁いを籠めた眼差しでじーっと見てから、優雅に溜息。
「ご婚約されたと聞きまして……さぞ素敵なご令嬢とご婚約されたのだろうと……。――ですが、そうね……アルヴェインさまはお優しいですからね」
「…………」
私はぱちくりと瞬き。
なんだろう、この子――病気かな?
大丈夫かな?
私は腐ってもドーンベル伯の令嬢だ。
なんで正面から喧嘩を売って許されると思っているんだ?
しかも今や、私は国王陛下公認で、アルヴェインの婚約者だ。
その私を貶して、いいことなんて一つもないぞ。
そっと周囲を窺う。
セシリア嬢の周りに、保護者らしき人の姿はない。
マジか……この子のお父さん、よくこの子を夜会に一人で出したな。
ていうかエスコートは誰がしているんだ?
放流してないで回収しに来いよ。
私はセシリア嬢に目を戻し、慈悲深く微笑んだ。
「ええ、とてもお優しい方ですわね」
「本当に。こんな……」
そう言ってから、セシリア嬢が含みのある眼差しで、私の胸元をじっと見てきた。
――うるせぇよ! 豊かさが足りないってか!?
と思ってから改めて見ると、セシリア嬢はかなり立派なものをお持ちだった。
ちょっと、というかかなりむかつき、私はこっそり深呼吸。
フルートグラスを今にも粉砕してしまいそう。
「ええ、ですが少し気の回らないところもおありかもしれません。今夜いらしている親しい方のお名前は伺っていたのですけれど、セシリアさまのお名前は伺っていなくて……」
言外に、「おまえ、アルヴェインに忘れられてるよ」と伝えると、ちゃんとセシリア嬢はその意味をキャッチした。
にこ、と微笑む。
「まあ、それはそれは。フィオレアナさま、とても大らかな方のようですのに。それほど狭量だとお思いになるなんて、アルヴェインさまも冷たいところがおありですね」
言外の意味を、今度は私がちゃんとキャッチした。
つまるところ、「美人な知り合いが来るって言って、おまえが妬くのを警戒したんじゃねえの?」だ。ちっ。
私もにっこり。
頬が引き攣りそう。
「冷たい、というより心配性なのかもしれません。私から目を離すのに、わざわざ使用人の方に、私を見ておくようにと言い付けられる始末で」
「ふふ、微笑ましい。仕方ないかもしれませんわね、今夜はイヴンアロー閣下の御主催ですし、何事もないのが一番ですもの」
ほう、私が何か粗相をしでかしそうに見えると。
「ええ、然様ですわね」
「そのうち目を離してくださるようになりますよ」
セシリア嬢が微笑んで、ゆっくりとそう言った。
「アルヴェインさまはお優しい方ですし、他にもご寵愛をかける婦人にはお困りにならないでしょう」
うわぁ、直球。
マジか。
そりゃあ貴族は愛人の一人や二人は持つものだけど。
まあ、アルヴェインがそんなことをしたら、私は数百年ぶりくらいにガチめの呪いを披露することになるかも知れないけど。
咄嗟に微笑むに留めた私に、セシリア嬢は続けて。
「尤も、ご夫人がそれでへそを曲げてしまうようでは、アルヴェインさまもご苦労なさるでしょうが」
私はわざとらしく首を傾げ、それからにっこりした。
「いえいえ、大丈夫だと思いますよ。
――正妻が許可しなければ、他の方は日陰者ですもの。アルヴェインさまも、私と仲良く出来る方しかお選びにならないと思いますよ」
実際は、正妻に内緒で女性と密会を重ねる貴族だっていることはいるが、いざ子供が出来ちゃったとき、正妻の許しがあるかないかはその子供の将来に関わる。
そして何より、やはり正式に婚姻した女性の権力は強い。正妻が頷かない限り、愛人は公の場に出ることすら許されない。
この子がアルヴェインを好きになったならそれは仕方がないが(いや、仕方なくないけど)、もしその恋心に殉じるつもりなら、私との上下関係はもう決定してしまっている。
そのうえ、私の機嫌をとってくれないと、愛人にすらなれない公算大。
そういう諸々を、おわかり? という微笑に籠めて見遣ると、セシリア嬢はむっとした様子で黙り込んだ。
この子、マジで大丈夫かな。
私に喧嘩を売ったことがお父さんにばれたら怒られるだろうな。
というかこの感じで社交界を渡っていけるのか、この子。
いや別に、恋敵が社交界から追放されようがどうしようが知ったことではないが。
そのとき、私を見守っていた給仕さんが、はっとした様子で畏まり、頭を下げた。
おっ、と思って振り向くと、アルヴェインが戻って来たところ。
ご学友は向こうに置いて来たのか、一人だ。
アルヴェインが私を見て、葡萄色の双眸を細めて微笑んだ。
それからセシリア嬢に目を向ける。
アルヴェインがセシリア嬢と、熱烈な再会の挨拶とか交わし始めたら嫌だな、とちょっと思った。
それが顔に出てしまったのかはわからないが、私のそばに立ったアルヴェインは、私が手にしていたグラスを取り上げ、その上で私に手を伸べつつ、軽く首を傾げてセシリア嬢を見て、
「……メイゴート伯爵閣下のご令嬢?」
若干語尾を上げてそう呼ばわり、ぱっと嬉しそうな顔をした彼女が、「お久しぶりです」と言うのを聞いてから、鷹揚に微笑んだ。
「俺の婚約者は寂しがり屋なので、お相手いただきましてありがとうございました。お連れがいらっしゃるまで、引き続きここでごゆっくり」
私は伸べられたアルヴェインの手を取っている。
そんな私を見下ろして、アルヴェインが苦笑ぎみに囁いてきた。
「すまん。俺の学友が、おまえにも挨拶したがっている。来てくれるか?」
「喜んで」
私が立ち上がると同時に、アルヴェインは給仕さんを見て、にやっと笑った。
「きみ、よくやった。ご苦労、もういいぞ」
立ち去り際、アルヴェインは無念そうなセシリア嬢を最後に見て、その表情の意味は全く察していない様子ながら、親切そうに付け加えた。
「楽しんでいってください、ご令嬢」
アルヴェインは主催者の子息なので、私を送るために場を抜けるとなれば、それはある程度招待客が帰った後になる。
というわけで、私がイヴンアロー家の馬車に乗せられて帰路に就いたのは、お父さまたちが引き揚げたよりも更に後だった。
予想していたから構わないし、アルヴェインと一緒にいられるのは嬉しい。
とはいえアルヴェインは申し訳なさそうだった。
「すまん、遅くなったな。疲れただろう」
私は首を振ったが、走り出した馬車の中でアルヴェインに引き寄せられると、抵抗はせずに彼に凭れ掛かった。
アルヴェインの身体は温かい。
触れているとなんとなく安心する。
最近はこういう接触にも慣れてきて、泡を喰うことはなくなった。
アルヴェインが満足そうに笑って、もう片方の手で、当然のように私の首飾りに触れる。
首の横から鎖骨の上、喉の窪み、その少し下まで。
肌には触れられていないとはいえ、アルヴェインの指が辿る位置が位置なので、どうしても落ち着かない気持ちになりつつ、――私はふと、セシリア嬢がじーっと見てきた部位を思い出した。
アルヴェインの顔を見上げて、私はぽろっと尋ねていた。
「アルヴェイン、あのさ――」
アルヴェインは楽しそうだ。
全く疲れてはいないらしい。
「ん?」
「私、胸、小さいか」
「――――!」
アルヴェインがむせた。
珍しいくらいむせ、私から手を離し、愕然とした表情で私を見つめる。
むせたせいかちょっと顔が赤い。
「……は?」
ここまで大仰に反応されるとは思わなかったので、私も赤くなってしまう。
「ご――ごめん。ちょっと気になって――」
「いや、あの、」
アルヴェインが何か言おうとして言葉に詰まり、それから首を振って、辛うじて、という風に言った。
「……別に、思うところはないよ」
私はじっと彼を見つめる。
「その反応、逆に気にしちゃうんだけど」
「いや、――その……」
「アルヴェイン?」
顔を覗き込むと、アルヴェインはすっと顔を逸らした。
えっ。
これまでになかった反応に、私は目を見開く。
折しもがたんと馬車が揺れた。
「――あ……あんまり好みじゃない?」
「なんでそうなる」
アルヴェインが突っ込んで、それから片手で顔を覆った。
そして息を吸い込むと、覚悟を決めたように私に向き直った。
なになになに、怖い怖い怖い。
墓穴を掘ったかもしれないことに気づき、私は速やかに蒼褪める。
アルヴェインの好みが、もっと出るところが出た美女だったらどうしよう……。
「フィオレアナ、怒るなよ」
「なに?」
怯える私になんとも気まずげな目を向けて、アルヴェインは息を吸い込んでから。
「……ミディグレイの領地に行ったときに……あの猫の騒動で……」
「…………」
「あの翌朝に、不可抗力で……ちょっと見えたというか……」
「――――!」
忘れていた一幕が走馬灯のように脳裏を走り、私は気絶しそうになった。
そうだった、あのときやらかしたことのせいで、有り得ない状況で目が覚めたことがあったんだった。
しかも私は、自分の格好に気づきもせず、寝惚けてこいつに甘えてしまった。
アルヴェインはどんなに呆れていたことか――
白目を剥きそうになっている私を気の毒そうに見つつ、アルヴェインはぼそぼそと。
「だからその……そういう話題を振られると、否応なく思い出すというか……」
「ごめんなさい……」
両手で顔を覆う私。
「そ、そりゃ嫌な気持ちになるよな、思い出させてごめん……」
「ああ、いや、そうじゃなくて」
アルヴェインが遠慮がちに私の髪に触れながら、気まずそうに言った。
「俺だって聖人君子じゃない。好きな女のあんな格好を思い出したら、悪いけど不埒な気持ちにもなる」
「――――」
私は目を見開いて凍りつき、ややあって真っ赤になった。
アルヴェインが苦笑の風を見せてから、窺うように私の頬に触れる。
「……それにしても、急にどうした?」
私は恥ずかしくなって顔を伏せた。
「いや、あの、おまえがご学友と喋ってる間に、私と話してたご令嬢――」
「ああ、あの子。身の程を弁えない男がおまえに話し掛けたらどうしてやろうかと思っていたんだが、話していたのが女性で安心した。――あの子がどうした?」
「おまえのこと好きみたいだったぞ」
卑怯だが、そっと告げ口して、それから上目遣いでアルヴェインの表情を確認。
彼は意外にも驚いた顔をしていた。
「名前も知らないのにか?」
セシリア嬢、さすがに可哀想……。
「……おまえの従妹の親友だとかで、小さいときから知ってるって」
「あの辺の子供でまとめて顔合わせさせられたときかな? むしろ顔を見てお父上がどこの誰かを思い出せた俺に拍手してほしいよ。――で、それで?」
「なんかこう、たぶん私のことを面白く思ってなくて」
「ほう」
「寂しい胸元ですねって感じで見られたのを、ふと思い出した」
アルヴェインが爆笑した。
大笑いして目尻の涙を拭ってから、アルヴェインが手を伸ばして私を抱き締める。
「そういうことか。――フィオレアナ、何も心配いらない。
そろそろ俺に愛されていることに慣れてくれ」
されるがままに抱き締められながら、私は自覚できる程度には赤くなった。
「おまえはよくそう……そういうことがぽんぽん口から出てくるな」
「伝えたいと思っているから」
アルヴェインはあっさりとそう言って、私の背中をぽんと叩いて、溜息を吐いて私から手を離した。
ちらりと窓の帳を上げて外を確認し、乏しい明かりの中でも現在地を把握したらしい。
もう一度溜息を吐く。
「……そろそろ着くな」
私は冗談めかせてアルヴェインの顔を覗き込み、言ってみた。
「御者さんに頼んで、もう一周ぐるっと走ってもらう?」
アルヴェインが瞬きして私を見て、一拍を置いて苦笑した。
「魅力的な提案だが、駄目だな」
私は気まずさを誤魔化す咳払い。
そりゃそうだ。
何言ってんだ、私。
「だよな」
「おまえは、あと一周その辺りを回る時間で満足できるのかもしれないが――」
アルヴェインが囁く。
「――俺は駄目だな。そのまま連れて帰ってしまいそうになる」
私は俯いた。
顔から湯気が出そう。
心臓がきゅんと縮まって、激しく打ち始める。
私が俯いたままでいると、アルヴェインがそっと耳許に触れてきた。
「どうした?」
私は目を上げ、ちょっと顔を顰めてみせた。
「おまえと暮らし始めたら、私は心臓が幾つあっても足りなくなりそう」
アルヴェインが目を丸くし、それから朗らかに笑った。
「気が合うな。俺もだよ」
色男が何か言ってる。
「そんなわけあるか」
「あるんだよ」
アルヴェインが私の手を取って、指先に軽くキスした。
「フィオレアナ、俺がおまえに夢中だってことを、さすがにそろそろ理解してくれてもいいんじゃないか」
「――――」
呼吸が止まった。
心臓も止まった気がした。
――アルヴェインは知らない、だって言っていないから――私がいつから、どれだけこいつのことが好きか。
言ってしまえば恨み言っぽくなってしまう、だから私はこれについては、文字通り墓場まで持っていくつもりではあるけれど。
それでも、ずっとその埒外に置かれていたアルヴェインの興味を得て、興味を得られただけで奇跡みたいなものなのに、加えてこれだけ愛情を注いでもらって。
――アルヴェインは常に私にその視線を注いでくれているけれど、私は違う。
目を閉じて、耳も塞いで、アルヴェインを感じられるそばにずっと蹲っているようなもので――それでなお、私の方がアルヴェインに夢中だ。
ぱきん、と固まった私を、アルヴェインが「フィオレアナ?」と呼ばわる。
「そこまで愕然とされると、俺も居た堪れないんだが――」
ちょうどそのとき、がたこん、と馬車が停まった。
扉が開けられるまでの数秒、私を現実に復帰させるべく、アルヴェインは大いに慌てる。
私もはっとして我に返り、もごもごと「ありがとう」だの「私も」だの伝えようとして、しかし言葉が上手く出てこず、
「――――」
もどかしくなって、軽く伸び上がってアルヴェインの頬に口づけした。
アルヴェインが目を見開く。
愕然としたらしい彼が、極めて珍しいことに、馬車から降りる私のエスコートに思い至らなかった様子で固まった。
――「ああいうことをするなら、せめてもう少し一緒にいられるタイミングにしてくれ」と、アルヴェインから苦情を入れらるのは、また後日。




