窮鼠噛みっ噛み 3
「おかえり――ってあら? 可愛い女の子じゃない~」
玄関を開けると、母がリビングから出てきた。
傷だらけの息子の心配よりそっちかよ! そんな突っ込みは必要ないだろう。想定の範囲内だ。
「はっ、初めまして! 私、神崎君の同級さいの中谷百合子申します!」
かみっかみだ。まぁ同級生の親、とか緊張する気持ちも分からなくもないが。
「あら、同級生なのね? 修ちゃんにそっちの趣味があるのかと思ったわ。あら、怪我してるじゃない? さぁ上がって。お手当てしましょうね~」
「えっ? あっ? おっ、お邪魔しままっ!」
彼女の手を引いて母が戻っていく。
怪我――してたんだ。ダメだな僕、全然気付かなかった。
でも、ボロボロで玄関に倒れこんでる息子をスルーしちゃうのはどうかと思う。そして一つだけ言わせて欲しい。せめて家の中で巫女服は止めてくれ。
身体をひきずりながらもリビングに入室すると、二人はお茶を飲みながら仲良く談笑中。
僕の存在をまるで無視をするかの行動にため息が漏れる。でも、中谷さんの手に張られた絆創膏を見て、少しホッとした。
「修ちゃん、聞いたわよ~。絡まれてた百合子ちゃんを助けてあげたんだって? 名誉の負傷ね」
横の中谷さんが目で合図する。
そう言う事にしたのか。確かにそれが一番信憑性が高い。
『鬼に襲われた』だなんて言えるわけないし。まぁ助けられたのは僕の方なんだけど。
「まぁ……ね」
「あっ、神崎君の手当てもしないと」
「いいのよ百合子ちゃん。修ちゃんは丈夫だし、男の子なら少しぐらい傷があったってかまわないわよ。つばでもつけとけばすぐ治るでしょう。百合子ちゃんお願いできるかしら?」
「えっ!? い、いいんですかっ!?」
いや、良い訳ない。おかしいだろ。
「……とりあえず風呂入ってくる」
何だか話を聞いているだけで体力が尽きてしまいそう――そう考え、風呂に逃げた。
「いった……」
シャワーのお湯が傷口に染みる。こんなに擦り傷を作ったのはいつ以来だろう。一度は破裂さえ疑ったお腹には、大きな青あざが出来ていた。
もしあの時中谷さんが覚醒していなかったら、僕は間違いなく無事じゃなかった。
それどころか中谷さんにまで危険な目にあっていたかもしれない。そう考えると、たまらなく悔しくて情けない気持ちになる。
――私も十二支枝として、胸を張って生きていけそうです。
彼女の言葉が、頭の中で繰り返される。
僕は、一体何なんだろう……。
洗髪中、ガラガラと音を立て、突然風呂場の扉が開く。思春期の息子の入浴シーンに突撃する、母の意地悪い癖だ。
「タオル置いたついでにわざわざ開けなくてもいいよ」
最初こそ慌てふためいていたものの、最近は気にしない事にしている。慣れてしまったのもあるし、何となく反応したら負けな気がするから。
無言のまま扉の閉まる音が聞こえる。反応の薄さにさぞ悔しい思いをしただろう。僕の完全勝利である。
「背中……傷だらけですね」
母の声とはまるで違う、優しくておっとりとした声が風呂場に反響すると同時に、背中で感じる柔らかい手の感触。
「えっ!? ちょ、ちょっと――ふぁっ!?」
「いやっ!? こっ、こっち見ないで下さい!」
目に! 目にシャンプーが! ってか何だ!? 何で中谷さんがいるんだ!? そして一瞬見えた、肌色の面積の広さは何だったんだ!?
「なっ、何で居るの!?」
目に入ったシャンプーを洗い流す事も無く、ひたすら目を瞑り丸くなる。
「えっ、神崎君のお母さんが『修ちゃんあの身体じゃ頭洗うの大変かな』って言ったから、それなら私がお手伝いしなきゃなって思って……」
陰謀か! 陰謀なのか! でも何で『それなら私が』ってなるんだよ! 予想外すぎるだろ!
「だっ、大丈夫だから! ありがとう! だから出てもいいよ!」
「えっ……でも、もう服脱いじゃいましたし……」
脱いでるのかよ! 一瞬そうじゃないかと思ったけど! そうであって欲しくなかった!
「じゃ、じゃあとりあえず湯船にでも入ってて下さい!」
「はいっ。おじゃまします」
自分の意識とは裏腹に、視界を閉ざした僕の身体は、聴覚に重きを置いているらしい。チャポンと音を鳴らす湯船が、こんなにもエロティックだとは夢にも思わなかった。
「ふぅ。気持ち良いですね~」
どうして彼女は平気でいられるのだろうか。決して僕がおかしいわけじゃないはずだ。
一緒にお風呂とかありえないだろ。水着着用ならまだしも、裸だぞ裸――ヤバイ、考えるな。マイサンが反応してしまう。
「あれ? もう上がるんですか?」
「う、うん。ゆっくり入ってるといいよ! お先に!」
頭をかきむしるように洗い流し、脱皮の如くその場から立ち去った。
「一体何考えてるんだよ!」
「あら、もう上がったの? ちゃんと肩まで浸かって百数えなきゃダメよ」
「あら、じゃないよ! 悪ふざけにも限度って言うものがあるだろ!」
我関せず、と言った様子でお茶を啜る母に詰め寄る。
なぁなぁで済ませていい問題ではない。あんな物を見せられて黙っているわけにはいかない。待てよ、あんなもの――と言う言い方は失礼だ。ある意味礼を言わなきゃいけないのかもしれないが。
「ありがとうございますじゃなくて?」
「あ、ありがとう――ってそうじゃない!」
「ちょっと最近寂しかったのよねぇ~。お母さんじゃもう驚いてくれないから」
そりゃあ毎日毎日同じ事をされれば誰だって驚かなくなるだろ。忘れた頃に、っていう選択肢は無いのか。
「あぁ、それとね。今日百合子ちゃん家にお泊りしていくからね」
「はぁ!? どうしてそうなるんだよ!? 親が心配するだろ!」
僕の言葉に、珍しく真面目な表情で母が口を開いた。
「百合子ちゃんね……ご両親を亡くして今は一人で暮らしてらっしゃるんですって」
両親を亡くして一人暮らし。その言葉は衝撃的だった。
全然そんな事知らなかった。そんな素振りも全くない。
「だからね、今日は夜も遅いし。ダメかしら?」
「そんなの……ダメだって言えるわけないだろ」
「良かった。じゃあ修ちゃんのお部屋にお布団敷いとくわね」
「おい! それはダメだっ!」
「お風呂ありがとうございました。とっても気持ちよかったですっ」
火照った顔を上気させ、彼女がお風呂から戻って来た。
「あ、うん。どういたしまして……」
何だかまともに顔を見ることが出来ない。こんな時に母が居ないのも、作戦の内だろうかと勘ぐってしまう自分が悲しい。
「今日は――ありがとう。助かったよ」
「いえいえっ。神崎君を守るのが私達の役目ですから。それに、危なかったけどそのおかげで力を見つけることが出来ましたし。『災い天ぷら菊と茄子』です!」
ああ、天ぷらになっちゃってるよ。ツッコミを入れるのは野暮なんだろうなぁ。ドヤ顔だし。
「それにしても神崎君のお母さんは綺麗な方ですねっ。巫女さんの格好もすっごく似合ってますし。この前御札を買いに来た時はまさかお母さんだって思わなかったですよ」
「ああ、そういえば御札買いに来た時に会ってるんだっけ。息子からしてみれば恥ずかしくてたまらないんだけどね。いい年してあの巫女服は正直止めて欲しいくらいだよ」
「え~。いいじゃないですか。綺麗で優しくて、理想のお母さんですっ」
彼女が浮かべた屈託の無い笑顔。少しだけ、寂しい感じがした。




