兎角
この世に変わらないモノなどはない。
わしがソレを知ったのは、ずっとずっと昔の事じゃった。
いつまでも衰えぬ体。
どこまでも駆けられる体力。
周りの兎とは違う事に気づいたのは、もうずっとずっと昔の話。
野山を駆け合った友が。
厳しくも優しかった両親が。
わしを置き去りにするように、この現世から消えてしまった。
人も獣も。町も自然の景色も変わっていく。
わし以外は。
変わっていく。
この現世には、悠久の時を経ても変わらないモノがあった。
十二支枝――などと大層な名前までつけられた。
たった一人の男から始まった、わしらの縁。
変わらないモノだと信じたかった。
何百年経とうが、決して変わって欲しいモノではなかった。
一人の男と、十二匹の獣の物語。
変わらないモノなどはないと信じていたかった。
皆が一緒で。
誰かが欠けてしまうなど。
小娘の道場を出たときには、すっかり空が茜色に染まっておった。
「恵……大丈夫?」
腫れ物に触るような顔で虎の小娘が尋ねる。
「……ふん。心配無用じゃ。小娘が要らぬ気を利かすでない」
強がりじゃ。
動揺しているのはわしが一番分かっておる。
まさか斯様な事が起こるとは考えもせんかった。
いや、有り得ない話ではない。なにせ何百年と経っておるのじゃ。むしろ今まで続いておった事が奇跡なのかもしれぬ。
「それより、おぬしこそ気が乱れておったではないか。見ると聞くでは大違い、と言ったところかのぉ」
「そっ、そんな事ないぞ!」
虎がピタリ、と足を止める。流石に自分でも気づいたのか、僅かな沈黙の後、諦めたように口を開いた。
「確かに――私は動揺したよ。龍ヶ崎の姿を見た瞬間――下らない話だが、私は今までに経験した事のない敗北感を覚えたよ。
ああ――人はこんなにも変わってしまうのか、と」
「龍ヶ崎が、まるで手の届かない場所に行ってしまったような気がした。手が届かないというか――何だろうな。『位が違う』ような。
誰が先か――何て考えた事がないと嘘になる。こんな事態を想像した事だってあるさ。それでも、私は誰よりも先に――想いを伝えたかった」
寂しげに話すその姿は、やはり少女のソレであった。
「でも――こんなのはただの我侭だ。努力もせず、終わってから愚痴をこぼすようじゃ私もまだまだだな」
獣の力を有し、鬼と対峙していても。
「ふん、当たり前じゃ。わしから見れば――いや、わしから見ずともおぬしらはまだ若い。つまらぬ事で背伸びをするな。我侭を言っても誰も咎めはせん」
そう言って足を進める。
助言はすれど、説教じみた事はあまり言いたくない。
わしは只――背中を軽く押すだけ。
「うん……ありがとう」
「しかし、龍も中々――いや、あいつは昔からあんな感じじゃったか――」
「ん?恵、何か言った?」
「何でもありゃせん。さて、小僧が男になったのなら、もうわしも遠慮しなくていいかのぉ。今宵あたり夜伽の相手を――」
チラリと視線を向けると、小娘は何か言いたげに、恨みがましい視線を向けてくる。
「いくらわしでも、言わぬと分からぬ事もある」
「ぐ……。まだ……早いと思うんだが……!」
「早い? この前も言ったとおり、こんななりをしておるが恵ももう二十歳じゃ。わしも生娘ではないしの、それなりに良いモノだと知っておる。惹かれあうは血の定め。まさかわしに小僧は諦めろというつもりではあるまい」
「う……。そ……そこまでは言わないけど……」
踏み出すかどうかは、当人が決める事。
「せっ、せめてっ! わっ、私の後にしてはくれないか!?」
これ以上ないというほど顔を真っ赤にして、虎が吼える。
「ふむ。考えておこう」
「なっ!?」
これもこれで、中々楽しいではないか。
――神崎家――
「ただいまー!」
玄関を開けて、声をかける。軽快な音と共に台所から流れてくる夕餉の匂い。もうずっと忘れておった、当たり前の事。
「む? 小僧の靴がないの。何処に行ったんじゃ。もしや――また見知らぬ獣と乳繰り合ってるわけじゃあるまいな――」
そう考えると、いささか怒りが湧いてくる。
こっちは鬼の対処で難儀しているというのに――と言うのは建前。
単純に――嫉妬しておるのじゃろう。
意識せずとも、惹かれ合ってしまう。それが情けない小僧じゃとしても、やはり気にはなってしまう。
「因果かのぉ……」
「あら、恵ちゃんおかえり」
「ひゃ!? たっ、ただいままっ!」
突然顔を出した小僧の母親に驚いた。今の独り言を聞かれてはいなかったか?
わしは無邪気な幼女。無邪気な幼女。
ああ! こんな設定にするのではなかった。『あにめ』で見た時はこれイケる! と思ったんじゃが、いざやってみると骨が折れる。
「に、にぃにママ。にぃには何処行ったの?」
「あ~修ちゃんね――」
家の中で着るには窮屈そうな巫女服。味噌汁でも作っている最中だったのか、それに似つかわしくないおたまをくるくると回しながら。
「家出しちゃった?」
「なっ!?」
家出じゃと!? しかも微妙に分かっておらん感じ!?
「家出って、にぃに帰ってこないの?」
「『しばらく帰らないかも』なんて言ってたかしらねぇ」
何故そんな平然としておるのじゃ!?
確かにそのような年頃かもしれぬし、『可愛い子には旅をさせよ』とも言うが――。いやいやいや、ダメじゃろ! よりによってこんな時に!
「心配しなくても大丈夫よ。そのうちひょっこり帰ってくるでしょ」
そうもいかんのじゃ! お前の息子は鬼に狙われておるんじゃよ!
――何て言えれば話も早いのじゃが、そうもいかん。
仕方ない、夜にこっそり抜け出して探してみるとするか。どうせそんなに遠くには――。
「あ、そうそう恵ちゃん。一人じゃ寂しいだろうから、夜は一緒に寝ましょうね」
……これ『詰んだ』と言うやつじゃな。
「あ、あのね! めぐ虎口のおねえちゃんにね、にぃにに伝言頼まれてたの! でもにぃに居ないから――伝えられないから、だからおねえちゃんにお電話してもいい?」
少々強引な気もするが、指を咥えて待っておるわけにもいかぬ。
全くあれやこれやと……。小僧よ、問題はおこしてくれるなよ。
十二支は欠け、『結界』が張れぬと言うのに――。




