◆35 宰相閣下の宣言と事件の顛末
ヒューゴ・ローカス公爵は胸を張り、口髭を震わせて宣告する。
「私はレスト・ヌーブサント伯爵の遺言に従い、レイミアのお腹に宿った子の名付け親になろう。
その子が男子ならば、ヌーブサント伯爵家の跡取りと認めよう。
女子ならば、我がローカス公爵家の養女としよう。
それが長年の友誼に報いる、せめてもの道だと思う。
そしてフィファ伯爵夫人。
これからいかなる事態になろうと、私は貴女とは絶縁させていただく!」
皆の冷ややかな視線が、フィファ伯爵夫人と、ヌーブサント伯爵家の執事カーボンや侍女頭パミラ、侍女のスザンナ、パグリア、マリンらに注がれる。
しばしの沈黙の後、侍女たちは慌て弁明を始めた。
それまで直立不動の姿勢を崩さなかった侍女頭パミラは、うわずった声で、
「わ、私は証言を撤回します!
すべては奥方様に命令されていたのです」
と甲高い声を張り上げると、次いでスザンナが、両目に涙を溢れさせ、
「そうです。
私たちは奥様の意向には逆らえません」
などと被害者面をして、床に跪く。
侍女のパグリアとマリンも、必死に同意を示すために、首を縦に振っていた。
そして、それまで傍聴席後方で沈黙を守っていた執事カーボンまでが、片眼鏡を嵌め直して声を張り上げた。
その発言は、それまで取り入っていた女主人を裏切るものだった。
「私、ヌーブサント伯爵家で執事を務めておりますカーボンと申します。
先代の老執事から後事を託されたとはいえ、新参者なうえに、平民出身ゆえ発言を控えておりましたが、今、思い出しましたことを証言いたします。
血塗れの旦那様が倒れていた執務室から飛び出して来たのは、私の見立てでは、侍女のレイミアではなく、フィファ奥様でした」
フィファ・ヌーブサント伯爵夫人は目を丸くして、
「嫌! 嘘よ!」
とだけ声を発して、絶句する。
ザワザワとした喧騒が湧き起こる。
騒々しくなった只中で、アスピック・エリスン捜査隊隊長が怒声を張り上げた。
「なんだと、貴様、カーボン!
今更になって、取り調べのときの供述を翻すというのか!?」
騎士礼服姿の筋肉男が怒鳴ったが、執事服を着た細面の若者は襟元を正し、
「人違いは誰だってするでしょう?」
と受け応えて、冷笑を浮かべる。
「それでも名門ヌーブサント伯爵家の執事か!?」
とアスピック隊長は碧眼を剥くが、カーボンは片眼鏡を嵌め直して言い返す。
「ええ。
短い期間の急拵えであろうと、私もヌーブサント伯爵家の執事なったればこそ、今は亡き旦那様の無念を晴らしたく思いまして。
あ、そういえば、凶器のナイフも、奥様の護身用のものです。
これほど見事な装飾をされたナイフを、レイミア如きの身分の者が所持しているはずがありません。
そんな程度のこと、捜査隊隊長である貴方も、ほんとうはご存知だったのでしょう?
ねえ、アスピック・エリスン男爵ーーいえ、フィファ・ヌーブサント伯爵夫人のお兄様!?」
仲間割れと思しき、二人の会話を聞き咎め、人々は一瞬、騒ぎ立てるのをやめた。
自分たちに耳目が集中していることを察して、執事カーボンはさらに大声で、周囲に聞こえるよう演説を始めた。
「フィファ・ヌーブサント伯爵夫人のご実家はメリメ子爵家となっておりますが、彼女はその家の養女なのです。
ご生家はエリスン男爵家でしてね、私はその家に出入りしている商人でした。
ほかにも副業で、様々な貴族家の依頼を受けて、探偵業や強請ネタを拾い集める生業などをしていた、クズ男だったんです。
そんな私にも、ようやく運が向いてきた、と思いました。
ヌーブサント伯爵家の奥様のご寵愛を受けて、執事に収まることができたんですから。
それなのに、まさか殺人事件の片棒を担がされる羽目に陥るとは。
人生、何が起こるか、わかりませんねえ。
はっははは!」
失う物が何もない若者が、開き直ったようだった。
狂ったように笑うカーボンのさまを見てから、捜査隊隊長アスピック・エリスンは、傍聴席を振り返り、妹のフィファ伯爵夫人をキッと睨み付ける。
「おまえにオトコを見る目があれば!
こんな不誠実なオトコに身を任せるとは。
恥を知れ!」
兄が大きく舌打ちするのを見て、フィファ伯爵夫人は身体を震わせて床に座り込んでしまった。
聖女エールの捌きによって、またも事件の様相が大きくひっくり返る状況になりつつあった。
ところが、聖女エールが座する席の左右にいる裁判官、グラハム伯爵とフォール侯爵は、それでも、左右からいろいろと言い繕った。
「裁判長、今一度、確認させていただきます。
まず、裁判においては、証言台での発言以外、正式な証言とは見做されません。
そのことを良く踏まえていただきたい。
傍聴席からの発言などを採用して判決を下してはいけませんぞ」
「そうですぞ。
それに、いまだフィファ伯爵夫人が犯行に及んだという証拠は何もありません。
今のところ、彼女の罪は、侍女ら証言者を誘導しようとしたことぐらいでーー」
だが、聖女は、左右から鳴り響く言い訳や誤魔化しめいた言説に耳を貸すつもりは毛頭なかった。
ガン! と木槌で台を叩いて、聖女エールは厳しい顔付きで立ち上がり、裁決を下した。
「私、裁判長エールは、神から授かった権能を持つ聖女として、裁決を下します。
まず、ヌーブサント伯爵家の侍女レイミアーー彼女は無罪です!
彼女は主人の奥様と同僚たちから嫉妬され、濡れ衣を着させられただけでした。
また、フィファ・ヌーブサント伯爵夫人を、夫レスト・ヌーブサント伯爵を殺害した犯人として告訴いたします。
他にも、以下の者を弾劾いたします。
第一騎士団捜査隊隊長アスピック・エリスン男爵。
彼は公平公正であるべき捜査機関の長でありながら、血縁の情で捜査を歪めた罪があります。
そして、ヌーブサント伯爵家の侍女頭パミラ、侍女スザンナ、侍女パグリア、侍女マリン。
彼女らが裁判において偽証した罪は重い。
また執事カーボンは、事件の一部始終を承知していながら隠蔽を図り、あまつさえ無罪のレイミアに濡れ衣を着せようと画策した嫌疑があります。
そして、裁判官グラハム伯爵、裁判官フォール侯爵。
貴方たちの、真実から目を逸らし、あくまで無罪のレイミアを冤罪に落とし込もうとする姿勢は、看過できません。
裁判官の任を解くのみならず、しかるべき罰が下るよう願います。
さらに、第一騎士団のアスピックがフィファ伯爵夫人の兄妹であることを承知のうえで、彼に捜査と犯人逮捕の権限を与えた者を明らかにしなければなりません。
その者が政府、もしくは王家の者だとしても、厳重に罰さなければなりません。
そのための裁判を新たに開くよう、ラステニク王国ロール国王に要請します。
もし、ロール国王陛下ご自身がこの事件に深く関与していて、中立に立つことができないとあらば、聖皇国ペルソナにおいて神前裁判を開いてもよろしいのですが、いかがなさいますか?」
聖女エールの紅い瞳が向けられる先にいたヒューゴ・ローカス公爵は胸を張って答える。
「問われるまでもございません。
ペルソナ聖皇国のお手を煩わすまでもない。
我がラステニク王国は主権を持つ独立国家です。
自国内での犯罪は自国で裁きます。
聖女エールの勧告に従い、ロール国王陛下が責任をもって裁判を開くこととなりましょう」
ヒューゴ公爵は手を振り下ろしつつ、大声で怒鳴った。
「何をしておる!?
レスト・ヌーブサント伯爵を殺しておいて、罪もない者を陥れようとした者どもを捕えよ。
一人も逃すな!」
ヒューゴ・ローカス公爵の号令を受け、バン! と扉が開き、騎士たちが裁判所に雪崩れ込んできた。
彼らはアスピック隊長麾下の第一騎士団とは違う甲冑をまとっていた。
ローカス公爵家の私兵であった。
貴族当主が、王宮内にある裁判所に自家の私兵を投入するのは、極めて異例の事態である。
だが、筆頭貴族にして宰相でもあるヒューゴ・ローカス公爵の振る舞いに、文句を付ける貴族は誰一人いなかった。
ラステニク王国政府に属するはずの第一騎士団の者は皆、手を挙げ、おとなしく座り込んでいた。
彼らはアスピック隊長の命令に従って動いただけではあるが、それゆえに弾劾される立場にあることを承知していたし、筆頭貴族のヒューゴ・ローカス公爵の勢力に逆らう者はいなかった。
一方で、肝心の隊長アスピック・エリスン男爵は、金髪を振り乱してみっともなくあがいていた。
「た、逮捕は酷いではないか!?
私はヌーブサント伯爵家の者どもの供述に従って動いたまでだ。
たしかに、フィファ夫人とは血を分けた兄妹だが、それをもって捜査を歪めたことはない。
ただ、証人どもの偽証によって捜査を誤ってしまっただけだ」
が、アスピック隊長は後ろ手に縛られて、床に顔を押し付けられてしまった。
そのさまを見ていたヒューゴ公爵が、冷然と言い放った。
「心配するな、アスピック捜査隊隊長。
その言い分が正しいかどうかは、新たに開かれる裁判で明らかにされるであろう。
貴様は被告席で、それを見守るだけで良い」
アスピック隊長は、ガクッと項垂れるしかなかった。
結果として、侍女レイミアを濡れ衣を着せようとしていたヌーブサント伯爵家の者たちは、皆、惨めな状況に陥っていた。
執事カーボンは奥方のフィファ夫人を詰り、パメラ以下の侍女たちはいっせいに執事カーボンを糾弾する。
一方で、フィファ伯爵夫人は怒りを娘のシェセルにぶつけようとするが、娘はヒューゴ・ローカス公爵にしがみついて離れようとしなかったから、手にかけようもなく、ローカス公爵家の騎士によって後ろ手に縛り上げられてしまった。
そうした大捕物が展開するさまを、紅い瞳で眺め渡した聖女エールは大きく胸を張り、
「これにて閉廷します。
此度の裁判に異議ある者は、近く開廷されるロール国王による裁判に出廷して述べるように」
と宣告して立ち上がり、左右に白黒の騎士を従え、裁判所を後にしたのだった。
◇◇◇
それから、二週間後ーー。
ラステニク王国ロール国王の名において、新たな裁判が開かれた。
その結果、フィファ・ヌーブサント伯爵夫人は、夫レスト・ヌーブサント伯爵を謀殺した罪で、改めて死刑判決を受けた。
彼女は、侍女レイミアに罪をなすりつけるために、証拠の凶器をレイミアの部屋に放り込んだことを取り調べで供述し、これを裁判でも否定しなかった。
どう足掻いても死刑になると覚悟したフィファは、せめて兄のアスピック隊長に迷惑がかからないよう、恭順の意を示し続けたのだった。
ところが、妹の願いは届かず、アスピック・エリスン捜査隊長も死刑となった。
妹のフィファが犯人と知りながら共謀して罪を侍女レイミアになすりつけたと、決め付けられてしまったのだ。
アスピック隊長は、「そんなことは一切ない!」と主張したが、聞き届けられなかった。
フィファ伯爵夫人と懇意だったラステニク王国のアジェンダ王妃の口利きで捜査任務に抜擢され、初めから妹のフィファ伯爵夫人に都合が良い裁判に持って行こうという心算が、アスピック隊長にあったのは事実(裁判官たちも王妃が人選した)であった。
が、罪をアジェンダ王妃にまで持っていくのは恥だと思ったラステニク王家の意向で、アスピック隊長や、裁判官のグラハム伯爵、フォール侯爵らを厳罰に処すことで、事件を終わらせようとしたのだ。
だがしかし、もちろん、この不正は後に問題となり、ヒューゴ・ローカス公爵とその派閥による弾劾が行われ、アジェンダ王妃の政治活動の一切禁止が決定され、その結果、ラステニク王家の権威はさらに失墜することとなった。
結局、宰相たるヒューゴ・ローカス公爵の権力と、その派閥の勢力が国家機構の中枢を担うことになり、近いうち、王権が簒奪されるのではないか、と噂されるようになった。
ちなみにレイミアが産んだ子供は女子だった。
その結果、ヌーブサント伯爵家はお取り潰しとなった。
それでも、影響は思いの外少なかった。
フィファ伯爵夫人のみならず、執事カーボンや侍女頭のパミラ、その他の侍女のことごとくが処刑された後だったので、誰も路頭に迷うことがなかったからである。
濡れ衣を着せられたレイミアは結局、ローカス公爵家の侍女となり、レスト・ヌーブサント伯爵の遺児である八歳の娘シェセルともども、彼女が産んだ女の子(公爵によってルナと名付けられた)も共にローカス公爵家の養女となって、正夫人たるロンド・ローカス公爵夫人の養育の下、順風満帆の人生を歩み出していた。
ローカス公爵家の勢力拡大のため、政略結婚のための良き駒となるよう、英才教育が施される見込みであった。
◇◇◇
ーーこうした旨が綴られた、ヒューゴ・ローカス公爵からの感謝の手紙を、聖女エールは読み終えた。
そして、ティーカップを片手に、紅茶を淹れてくれた白騎士ディアユーグに語りかけた。
「ヒューゴ・ローカス公爵様は凄いわね。
レスト・ヌーブサント伯爵の忘形見である二人の女児について、
『大切に、愛情込めて育てるゆえ、心配なきよう』
と言っておきながら、同時に、
『将来の派閥強化のための良い駒を手に入れることができた。
息子が二人いるが、有望な親類を新たに作るためにも娘が欲しかったのだ』
と悪びれることなく記している。
ほんと、精力的な殿方だわ。
でも、将来の伴侶を、そういった家同士の駆け引きの駒として選ばれるのは、私だったら嫌だわ」
白騎士は主人のカップに、新たに紅茶を注ぎながら、受け答える。
「好きでもない相手と結ばれるのは、何も女子だけじゃありません。
男子も含めて、子供はすべて政略結婚の駒であることーーこれは貴族子女の常識です。
貴族家の者であれば、別に不幸ともなんとも思っていないものですよ。
エール様は平民の家でお育ちなので、ことさら不幸に思われるのです」
そこで黒騎士のジャンフリーが、隣の椅子に座って軽口を叩く。
「どちらにせよ恋愛をするってのは、聖女エールの嬢ちゃんにとっちゃ無理な相談だ。
神の権能とやらに振り回されて、恋人を作る暇もない」と。
「うるさい!」
と声あげて、エールはむくれる。
が、そんな主人に対して白騎士ディアユーグが、
「でも、我々がいるじゃありませんか。
伴侶とは言えませんが、いつもお側に控えております」
と優しい言葉をかけた。
ようやく聖女エールは、椅子の上でゆったりとした姿勢になる。
「そうね。
貴方たちは、彼氏にするには頼りないけど、いつも一緒にいてくれて助かるわ」
黒騎士ジャンフリーは、からかうのをやめて、真顔で言う。
「俺はエール嬢ちゃんみたいな彼女なら、付き合うのはお断りだな」
「酷いわね!
どうしてよ!?」
とテーブルに手を付いて身を乗り出す主人に対して、猫のようにしなやかな体躯を持つ黒騎士は、厳しい顔つきのままに答える。
「働きすぎなんだよ、嬢ちゃんは。
前の裁判から一ヶ月も経ってないじゃないか」
聖女エールは頬杖をついて、青い瞳を天井に向ける。
「でも、仕方ないじゃない。
神様に助けを呼ぶ人々の声が、脳内で聴こえちゃうんだもの。
事実、助けた人からも、こうした手紙も来るんだからさ、嬉しいじゃない?」
諦めたように微笑む主人に対して、二人の従者は、
「やれやれ……」
と口にして、肩をすくめるのだった。




