第30話 挑戦者——または、無能という噂について
噂は、瞬く間に広まった。
「湊聖司がスキルを失った」
酒場で。ギルドで。商店街で。ミサト市中に、その話が囁かれている。
「聞いたか? あの『契約視認』の男、もう何も見えないらしいぜ」
「マジかよ。あいつの眼がなけりゃ、ただの平凡な行政書士じゃねえか」
「新憲法を書いた? あれはスキルのおかげだろ。本人の実力じゃねえ」
酒場の片隅で、三人の男が笑っていた。
一人は、黒い革鎧を着た若い男。鋭い目つき。
一人は、太った商人風の男。金の指輪が光っている。
一人は、ローブを着た魔導師。薄笑いを浮かべている。
「なあ、ガルド。今が好機じゃねえか」
商人風の男が、黒い革鎧の男に言った。
「あの事務所、俺たちで乗っ取ろうぜ」
ガルドと呼ばれた男は、酒を一気に煽った。
「乗っ取る? 甘いな、ボルス」
「何?」
「乗っ取るんじゃねえ。『合法的に』奪い取るんだ」
ガルドの目が、冷たく光った。
「俺たちも行政書士だ。法律の使い方は、知っている」
翌朝。
聖司が事務所に来ると、玄関の前に三人の男が立っていた。
「おう、湊聖司か」
ガルドが、にやりと笑った。
「俺はガルド。『ガルド行政書士事務所』の代表だ」
「行政書士? この街に、他の事務所があったのか」
「三ヶ月前に開業した。お前の噂を聞いてな」
ガルドは、聖司を見下ろした。
「『契約視認』のスキルを失ったんだってな。もう、書類の穴も見えない。契約の不備も分からない」
「それが、何か」
「俺たちは、スキルを持っている」
ガルドが指を鳴らした。隣の魔導師が一歩前に出た。
「俺は『文書解析』のスキル持ちだ。どんな書類も、一瞬で分析できる」
太った商人も一歩前に出た。
「俺は『交渉術』のスキル持ちだ。どんな相手も、俺の言いなりになる」
ガルドが両手を広げた。
「つまり、俺たちはお前より『上』だ」
聖司は、黙って三人を見ていた。
イリアが、聖司の後ろで身を強張らせている。
「先生」
「大丈夫だ」
聖司は、静かに言った。
「で、お前たちは何をしに来た」
「決まってるだろ」
ガルドが、書類を取り出した。
「『業務提携契約書』だ。お前の事務所を、俺たちの傘下に入れろ」
「断る」
「即答かよ」
「当然だ。俺の事務所は、俺のものだ」
「なら、勝負しろ」
ガルドの目が、鋭くなった。
「行政書士同士の『実務対決』だ。同じ案件を受けて、どちらが早く、正確に、依頼人を満足させられるか。負けた方が、勝った方の傘下に入る」
聖司は、腕を組んだ。
「面白い。だが、条件がある」
「何だ」
「案件は俺が選ぶ。お前たちのスキルが有利になるような案件じゃ、勝負にならないからな」
ガルドは、少し考えてから頷いた。
「いいだろう。どんな案件でも、俺たちが勝つ」
一時間後。
聖司は、事務所の机で依頼書を広げていた。
ガルドたちは、向かいの椅子に座っている。
「案件は、これだ」
聖司が、依頼書を差し出した。
「『魔界物産 ミサト支店』の営業許可更新手続き」
ガルドの顔が、わずかに歪んだ。
「魔界物産だと? あの魔族の店か」
「ああ。俺が以前、設立登記を手伝った法人だ。ベリトという魔族が経営している」
ガルドは、依頼書を睨みつけた。
「魔界法人の許可更新なんて、前例がねえぞ」
「だから、選んだ」
聖司は、静かに言った。
「スキルで書類を分析しても、前例がなければ意味がない。法律を読み、論理を組み立て、役所と交渉する。それが、行政書士の本当の仕事だ」
ガルドの目が、鋭くなった。
「俺たちを試してるのか」
「試してるんじゃない。教えてやってるんだ」
聖司は、立ち上がった。
「スキルに頼る行政書士は、スキルがなくなったら終わりだ。だが、実務を積み上げた行政書士は、どんな状況でも戦える」
勝負が始まった。
ガルドたちは、魔導師の『文書解析』で過去の類似案件を検索し、商人の『交渉術』でギルド庁舎の窓口を説得しようとした。
だが、うまくいかない。
魔界法人の営業許可更新は、本当に前例がない。分析するべき書類が存在しない。
そして、ルシエラは『交渉術』が通じる相手ではなかった。
「スキルで私を操ろうとしても無駄よ」
ルシエラは、冷たく言い放った。
「この窓口では、『法律に基づいた正当な申請』以外は受け付けないわ」
一方、聖司は黙々と書類を作成していた。
スキルはない。青い文字も浮かばない。
だが、十三年の実務経験がある。
外資参入特別措置法。異種族間通商条約。公序良俗の解釈。
全て、頭の中に入っている。
「先生、大丈夫ですか」
イリアが、心配そうに覗き込んできた。
「ああ。むしろ、楽しいくらいだ」
聖司は、万年筆を走らせた。
「スキルがあった頃は、答えが見えすぎていた。考える前に、正解が分かってしまう。それは楽だったが、どこか物足りなかった」
インクが紙に染みていく。
「今は、一文字一文字を自分の手で書いている。自分の頭で考え、自分の判断で動いている。これが、本来の行政書士の仕事だ」
三時間後。
聖司は、完成した申請書をギルド庁舎に提出した。
ルシエラが、書類を確認する。
一枚一枚、丁寧に。
やがて、彼女は小さくため息をついた。
「不備なし。受理するわ」
ゴン。
受理印の音が、窓口に響いた。
ガルドたちは、まだ書類の作成に手間取っていた。
「勝負あり、だな」
聖司は、ガルドの前に立った。
「スキルは便利だ。だが、スキルに頼りすぎると、本質を見失う」
ガルドは、悔しそうに歯を食いしばっていた。
「くそ。スキルなしで、なんでそんなに早く」
「十三年だ」
聖司は、静かに言った。
「俺はこの世界で十一年、日本で二年、合計十三年間、行政書士をやってきた。毎日、書類を書き、法律を読み、依頼人と向き合ってきた。その積み重ねは、スキルなんかじゃ埋められない」
ガルドは、黙って聖司を見つめていた。
「お前たちにも、才能はある。スキルを持っているのは、武器だ。だが、武器だけじゃ戦えない」
聖司は、手を差し出した。
「どうだ。俺の事務所で、修行してみないか」
夕暮れ時。
事務所に戻ると、ベリトが待っていた。
「湊殿、更新手続き、ありがとうございました」
「礼を言う必要はない。依頼された仕事をしただけだ」
ベリトは、微笑んだ。
「噂は聞いています。スキルを失ったと」
「ああ」
「ですが、今日の仕事を見て確信しました。湊殿は、スキルがあってもなくても、変わらない」
聖司は、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「大げさだ」
「いいえ。私は商人です。人を見る目には自信があります」
ベリトは、真剣な目で聖司を見た。
「湊殿。あなたは『スキル』で強かったのではない。『信念』で強かったのです」
夜。
事務所で、イリアがお茶を淹れてくれた。
聖司は、それを啜りながら、窓の外を見つめていた。
紫がかった空に、二つの月が輝いている。
「先生」
「何だ」
「今日の先生、かっこよかったです」
聖司は、小さく笑った。
「そうか」
「はい。スキルがなくても、全然変わらなかった。むしろ、前より楽しそうでした」
「そうかもな」
聖司は、職印を手に取った。
日本から持ってきた、十三年来の相棒。
その傷は、自分の歩んできた道を刻んでいる。
「イリア。俺は、中途半端な人間だ。神童と呼ばれて、何者にもなれなかった。司法試験に落ち、小説家にもなれず、行政書士として生きてきた」
「先生」
「だが、この十三年で分かったことがある。中途半端でも、積み重ねれば、誰かの役に立てる。完璧じゃなくても、目の前の依頼人を守ることはできる」
聖司は、職印を握りしめた。
「スキルがなくなっても、俺は行政書士だ。それだけは、誰にも奪えない」
イリアが、嬉しそうに微笑んだ。
「はい。先生は、先生です」
窓の外で、二つの月が静かに輝いていた。
第30話 完
次回予告
第31話「弟子——または、教えることについて」
「ガルド、お前は才能がある。だが、基礎ができていない」
「基礎?」
「法律を読め。条文を暗記しろ。判例を覚えろ。それが、行政書士の土台だ」
「そんな地味なことを」
「地味なことの積み重ねが、プロを作る」
——スキルに頼っていた若者が、本当の実務を学び始める。
湊聖司行政書士事務所に、初めての「弟子」が生まれる。




