499.思い出話をしに来たわけじゃねぇだろが
冬の風に晒されながら、カールとミカヴェルは外へ出た。
扉が背後で閉まり、灯りと人の気配が断ち切られる。
残されたのは、冷えた空気と互いの存在だけだった。
夕暮れの森はすでに夜の気配を孕み、空気は刺すように冷たい。湿った土と枯葉の匂いが濃く漂い、遠くで魔物の気配がかすかに揺らいでいる。
そのすべてを押しのけるように、カールはゆっくりと振り返り、ミカヴェルと正面から向き合った。
今なら、仕留められる。
無防備に立つこの男の喉元へ、刃を突き立てることもできる距離だ。
だがそれは同時に、家の中にいる家族の命を差し出す行為に他ならない。
「なにしに来やがった」
低く押し殺した怒りを叩きつける。
それを受けてなお、ミカヴェルは楽しげな笑みを崩さない。
「チャールズさんもキャロルさんも、息災のようでなによりだ。キースもシェリーも大きくなった」
「んなこと聞いてんじゃねぇよ!」
怒声が、冷え切った空気を鋭く震わせた。吐き出された息が白く散る。
だがミカヴェルは動じる様子もなく、どこか懐かしむように視線を緩めた。
「本当に、変わらない家だ。あの頃と──何一つ」
「黙れ」
間髪入れずに遮る。
「思い出話をしに来たわけじゃねぇだろ」
「……少しばかり、浸りたかったんだよ」
視線を受け、胸の奥が軋んだ。
あの頃の光景が、輪郭を持ちかける。
六人で囲んだ食卓。
誰かがいつも笑い、そして騒いでいた。
浮かびかけたそれを、カールは意識的に押し潰す。
「本題に入れ。わざわざあの二人を連れて、理由もなしに来る奴じゃねぇのはわかってんだ」
「いいね。合理的な話し合いは嫌いじゃない」
ミカヴェルの表情が、すっと切り替わる。
温度が落ち、空気が変わった。カールは無意識に息を呑む。
「私はカールに、ひとつお願いがあって来たんだよ」
「お願いだ? そんなもん、聞くとでも思ってんのか」
「ああ。カールは私の願いを受け入れる。必ずね」
あまりにも断定的な言い方。揺らぎがない。
反発と同時に、底知れぬものが背を撫でる。
「聞くだけは聞いてやるよ。言え」
突き放すように言い捨てる。
ミカヴェルは満足げに目を細め、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「カールは今、フリッツ派だろう?」
「──ッ!」
一瞬で核心を射抜かれ、表情が強張る。
その反応を見逃すはずもなく、ミカヴェルは愉快そうに笑った。
「相変わらずわかりやすい」
「うるせぇ。だったらなんだ」
隠す意味はない。この男の前では、取り繕いなど無意味だと知っている。
カールはすぐに認め、逆にその意図を探ろうと視線を据えた。
ミカヴェルもまた、まっすぐに見返してくる。
「そしてカールをフリッツ派に誘ったのは……氷徹だ。私はそう見ている」
風が一度、二人の間を抜けた。
その通りだ。だがカールはなにも答えず、あえて沈黙を選ぶ。
「フリッツの結婚で流れが変わりつつあるのを、カールも感じているだろう。今は小さい。だが、いずれ出てくる」
そこで、ミカヴェルはわずかに口元を歪めた。
「残念ながら潰されてしまうがね。勢力が拡大する前に」
その一言で、空気が一段と冷え込んだ気がした。
カールは息を詰め、探るようにゆっくりと言葉を押し出す。
「どういう意味だ、そりゃ」
「言葉通りさ。シウリスが黙ってない。お前たちは、奴に潰されて簡単に消える」
「……」
沈黙が落ちる。
森の奥で枝が折れる音がした。だが、それよりも近くで、確かになにかが軋んでいる。
自分の奥歯だと気づくのに、時間はかからなかった。
「……だったら、なんだってんだ」
低く吐き出す。
「脅しに来たのかよ。わざわざ、こんなところまで」
「脅し? まさか。ただの事実の提示だよ」
軽い口調とは裏腹に、そこに含まれる内容は冷酷だった。
「シウリスはああいう男だ。芽のうちに摘む。確実にね」
淡々とした断言。カールの脳裏に、血と断絶の光景がよぎる。
容赦という概念を持たぬ、あの男の姿が。
「……だからどうした。今さら寝返る気なんてねぇ」
「だろうね。そうでなくては困る」
あっさりと肯定され、カールはわずかに眉を顰めた。
「なにが言いてぇ」
「シウリスが邪魔という点では、私たちの利害は一致しているだろう?」
ひゅっと喉が鳴った。
否定はできない。フリッツ派が伸びれば、必ず衝突する。
そして現状のままでは、押し潰される可能性が高い。だからこそ水面下で動いているが、今の流れではそれすら難しくなりつつある。
沈黙を守るカールに、ミカヴェルは静かに言った。
「私の願いは簡単だよ。氷徹への渡りが欲しい。それだけだ」
「……」
氷徹へ繋ぐ。
すなわち、敵国の参謀を中枢へ通すということ。
常識で考えれば、論外だ。
だが──
フリッツ派が正面から叩き潰される未来が、脳裏をよぎる。
それを回避する術が、他にあるのか。
カールはゆっくりと視線を上げた。
目の前の男は、シウリスと対峙する側にいる存在だ。
気に食わない。信用もできない。それでも。
利用価値があるという事実だけは、否定できなかった。
どちらにせよ、トラヴァスには報告すべき案件だ。
カールは、ごくわずかに頷く。
「トラヴァスに話は通してやる。けど、あいつがどう判断するのかは知らねぇ」
「十分だよ」
そう言って、ミカヴェルは懐から一枚の手紙を出した。
「氷徹に。年明けにでも渡してくれればいい」
カールは一歩踏み込み、その手紙を奪うように受け取る。
「っへ、年明けでいいのかよ。今から渡してきてやろうか?」
「急ぎというわけじゃない。それに慌てて帰る姿は怪しまれる。カールには休暇を楽しんでほしいからね」
「言ってくれるぜ」
皮肉を吐き捨てる。
休暇の初日からこれだ。穏やかに過ごせるはずもない。
カールは小さく息を吐き、手にした手紙へと視線を落とす。
ただの紙切れのはずなのに、やけに重い。
この一通が──これからの流れを、大きく変えるかもしれない。
その予感だけが、胸の奥へと沈んだ。




