422.ちょっと勘違いしてたみたいだわ
目の前でフォークとナイフを動かす金髪の男、ユーリアス。彼からは、かすかにラベンダーの香りが漂っていた。
なぜだかアンナは、自分の部屋にいるような錯覚すら覚える。鼻が利く自覚はあったが、こんな感覚は初めてだ。
理由がわからず、アンナは探るようにユーリアスの顔を見つめる。
女の視線には慣れているのだろう。彼は気にも留めず、食事を続けている。
この男から香ってくるのは、特定の女の匂いだ。
「常に一緒にいる女がいるわね?」
「まぁな」
アンナの急な問いかけにも、慌てる様子もない。その返しは、言い寄ってくる女への常套句なのだろう。
「その方の出身は?」
「聞いてどうする?」
「ご心配なく。その女性を刺すつもりなんて、これっぽっちもないわ」
ユーリアスは端正な眉を少し寄せたが、結局は訝しみながらも「カジナルだ」と答えてくれた。
アンナはなぜか、その〝女〟に対しての疑問を止めきれなかった。
「その方の年齢」
「二十九」
「母親はなにを?」
「カジナルの役人の一人だが」
「……では、父親は?」
「トレジャーハンターとか言ってたな。あいつ自身もそんな感じだ」
アンナは息を呑み、トレジャーハンター、と呟く。
ただの偶然かもしれない。世の中にはトレジャーハンターの父を持つ人間など、いくらでもいる。
「どうしたんだ? おかしなやつだな」
そう言いながらも、ユーリアスはふと気づいたように、食べ終えた手で短剣を振る仕草を真似る。
「あんた、ティナと短剣の使い方がよく似てたな。もしかして、同門か?」
「──ティナ」
アンナは意識せず、声にしていた。その名に、胸が強く脈打つ。
「ちょっと勘違いしてたみたいだわ。知らない人よ」
アンナはなんでもないようにそう言い、残り少ない食事に目を落とした。
ティナという名前に、アンナは聞き覚えがある。
海底を探るように、記憶を掘り下げていった。
(そうだわ……確か昔、鼻の効く厄介な女がいるって、ジャンが言ってたことがあった。彼女の名前が──ティナ)
元諜報員だったジャンの情報と、今話題に出たティナが同一人物とは限らない。
わかっていながらも、奇妙な偶然に胸が騒めく。
(だけどそのティナは、シウリス様に殺されたのじゃなかったかしら)
四年前のことだ。王シウリスが兎獣人の村へと強襲した際、ティナという女は死んだはずだ。少なくとも、アンナはそう聞いている。
(もしも同一人物なら、彼女は生きていたことになる)
「どうしたんだ、難しい顔をして」
思考の深くまで入っていると、急に声をかけられてハッと顔を上げた。
「いえ。この味はどうやって出すのかと思って。とても美味しいから」
とっさに言い訳をしたその瞬間、外からイークスの嬉しそうな鳴き声が聞こえてきた。それに続いて、男女の声も。
(この男の声、どこかで──)
アンナが思い出す間もなく、食事を終えたユーリアスが椅子を引いて立ち上がる。
「俺の連れが来たみたいだ。じゃあな」
ユーリアスはそう言うと、お金をテーブルに置いていた。二人分の代金だ。
「あら、いいの?」
「不快な目に遭ったなら、いい思いもすべきだろ?」
ふっと口元で微笑んだ彼は、金髪を靡かせながら背を向ける。
「ありがとう」
礼の言葉にユーリアスはひらりと手を僅かに上げ、三日月のピアスを揺らしながら店を出ていった。
直後、アンナは気配を殺すように階段を上がり、二階から外を見下ろす。
窓の下で、イークスが一人の女性に尻尾を振っていた。
アンナはその光景に言葉を失う。
(グレイ以外には、私にもドッグシッターのサエクにも、なかなか懐かなかったのに……)
小柄な女性。黒髪ではなくダークブラウンの髪。装いはトレジャーハンターそのものだった。
「行くぜ、ユーリアス。ティナ、いつまでも犬と遊んでんじゃねぇ」
はっと気付いて見ると、一緒にいた男はブラジェイ──昨年クロエと一緒にいた、百獣王と呼ばれるカジナル軍のトップだ。
「はーい」
ティナと呼ばれた彼女はそう返事をすると、最後にもふもふとイークスの体に触れる。
「じゃあね、わんちゃん」
そう言い残し、ティナ、そしてブラジェイとユーリアスはその場から離れていった。
(あの人が、ティナ……)
少しずつ遠ざかっていくその姿。
アンナはそっと表に出てイークスのリードを手に取ると、彼らを追うように郊外に向かった。




