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騎士アンナは、それでも愛する人を守りたい 〜あなたを忘れる方法を、私は知らない〜  作者: 長岡更紗
光の剣と神の盾〜筆頭大将編 第二部 激動〜

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423/501

420.生き延びようなどとは

 巨大な闘技場の空気が、一瞬にして張り詰めた。

 一九三センチの体躯が視界に入っただけで、周囲の空気がビリッと音を立てて震える。

 遠目にもはっきりとわかる圧倒的な存在感。その威圧だけで、あれがシウリスなのだと誰もが理解した。


 アンナは胸の奥に沈む重さを押し殺し、意を決して一歩、前へと踏み出す。


「シウリス様、ご足労いただきありがとうございます」


 形式通り、うやうやしく頭を垂れる。

 それに応えるように、シウリスは口の端をにぃ……っと吊り上げた。愉悦を隠そうともしない、獰猛な笑み。


「覚悟はできているだろうな?」

「はい。シウリス様を相手に、生き延びようなどとは考えておりません」

「……いい覚悟だ」


 シウリスが模擬剣を抜く。

 それに合わせるように、アンナもまた剣を引き抜いた。かつて恋人から贈られた光の剣、クレイヴソリッシュ。

 今年は模擬剣を禁じられた。それほどまでに自信があるのだろう。左手には、アイアースの盾を構える。


 アンナはふっと息を整えた。

 カールとトラヴァスが見守る、その中で。


「来い」

「行きます、シウリス様」


 呟くように、しかし強い口調で言うと──


 次の瞬間、思考を切り捨てた。


 躊躇も、恐怖も、祈りもすべて振り払い、アンナはシウリスへと斬りかかる。


「っはぁ!!」


 アンナの連撃。

 シウリスは目を見開き、実に楽しそうにそのアンナの剣を受け続ける。


「いいぞ!! アンナ!! お前のその自信を粉々に砕いてやる!!!」


 振り下ろされたシウリスの剣を、アンナはアイアースで受け止め、左へと流す。

 一瞬、空いた左肩。

 そこへクレイヴソリッシュを突き立てようとするが、シウリスの体勢の戻りがあまりにも早い。

 剣同士が弾かれ、火花が散った。


 間髪入れず、アンナは盾を前に出す。

 アイアースによるバッシュ。

 鈍い衝撃音とともに、シウリスの巨体が後方へ跳ね退いた。


「この程度か? ならば、死ぬか?」


 冷酷な視線に、アンナは奥歯を噛み締める。


(シウリス様の本気は、ここから──!)


 アンナは肩で息をしながら、もう一度クレイヴソリッシュとアイアースを構えなおした。


「アンナ……!!」


 カールの声が耳に届く。

 だが振り返る余裕などない。二人がどんな顔で見守っているかも、想像するだけで精一杯だ。


 次の瞬間、シウリスの剣が光のような速さで振るわれる。

 一撃一撃を見極めるなど不可能だった。


 アンナはただ、すべてをアイアースで受け止める。

 わずかな隙を見つけては剣を振るい、その応酬が何度も繰り返される。


「ぐっ……!!」


 シウリスの声が漏れる。

 微かに負わせた頬への傷。

 だがそれは、悲劇の始まりに過ぎなかった。


 己の血を見た瞬間、シウリスの気配が一変する。

 高揚し、さらに凶悪な強さへと変貌していく。


 怒気を纏ったその姿は、まさに悪魔。

 何度見ても、慣れることなどできない。


 また、あの地獄が始まる。

 そう思った瞬間、アンナの背筋を寒気が走った。


 シウリスは信じがたいほどの跳躍を見せた。

 反応したと思った瞬間には、もう遅い。アイアースの防御が蹴り崩される。

 剣先はそのままアンナの腹を貫いていく。


「う、ぐふっ!」

「どうした!! これで終わりか、アンナ!!」


 貫通した模擬剣が血を纏い、引き抜かれる。

 そう認識した刹那──二撃目が、肩を裂いた。


「──ッ!」


 反射的に剣を突き出す。

 だが、その一太刀はあまりにも軽く、簡単に跳ね上げられた。


 次の瞬間、両太腿から噴き上がるように血が散る。

 力が、膝から抜け落ちていき──


 どさり、と前のめりに倒れる。


 シウリスの声が、遠くで響いている。

 体が冷たくなっていく感覚。

 流れ出た血溜まりが、温かくすら感じる。


 その温度を最後に、アンナの意識は急速に遠のいていった。




 ***



 どれほどの時間が経ったのか、アンナにはわからなかった。

 重たい瞼をなんとか開けると、そこにルティーの姿がある。


 まだ幼さの残るその顔は、恐怖と悲しみに満ちていた。


「ご無事で、ようございました」


 震えている唇と声。ルティーの眉が下がった瞬間、その目からポロリと涙がこぼれ落ちていく。


「すまない、ルティー……また心配をかけてしまったな」


 彼女は首を左右に振ると、小さな体でトラヴァスとカールを呼びに走った。


 アンナは自分の体を確かめる。

 表面に見える傷はひとつも残っていなかった。ルティーが回復魔法を施してくれたのだ。


 水の書を習得した、数少ない水の魔法士。

 まだ高位の魔法は使えないものの、その詠唱は丁寧で、細かな傷まで丹念に癒してくれる。

 しかし治っているように見えても、この深傷では完璧とはいかない。

 全身がだるく、そこかしこが痛かった。立ち上がるには、まだ数日を要するだろう。


 トラヴァスとカールが入ってくると、二人は安堵の表情でアンナを見る。


「今回こそ死んだかと思ったぜ……」

「首の皮一枚でしたね、筆頭」


 その言葉を聞き流しながら、アンナはベッドに横たわったまま、毎年の変わらぬ言葉を口にする。


「長期休暇申請を受理しておいてくれ。筆頭大将代行にはトラヴァス、頼む」


 それだけ告げると、意識が再び遠のいていった。

 今年も生き延びたという、安堵感に身を委ねるように。




 二日後。

 まだ癒えきらぬ体で、アンナはベッドから降りた。

 ルティーの回復魔法のおかげで多少は動けるものの、身体中が痺れるように痛む。


「いけません、アンナ様!! まだ安静にしていないと……」

「休暇届は受理された。私は、自由の時間を過ごしたいんだ。ルティー、トラヴァスにラベンダーを頼むと伝えておいてくれ」


 制止を振り切り、アンナは病室を後にする。

 着替えながら、体の奥から悲鳴が上がるような痛みに歯を食いしばった。それでも、ここにはいたくない。

 別の場所で、なにも考えずに過ごしたい。


 グレイにもらったクレイヴソリッシュも、彼を守ったアイアースも、今は持ち出す気になれなかった。

 アンナは無名のダガーだけを脚に装備し、静かに部屋を出ていった。

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