343.君の任務は簡単だよ
ストレイア軍の筆頭大将であるアリシアは、ヤウト村関連のことになれば、必ず本人が出張るとミカヴェルは踏んでいた。
ヤウト村は単なる村ではない。鉱山を抱え、貴重な資源を生み出す要衝であり、ストレイア王国の経済的、軍事的安定に直結する場所である。
そこがフィデル国の手に落ちれば、王国の命脈に関わる──それはアリシアも重々承知しているはずだ。だからこそ、彼女がこの作戦で動いてくるのは確実だと、ミカヴェルは読んでいた。
重要なのは、彼女を討つための作戦と、その実行者であった。計算は緻密であるほど成功の確率が高まる。冷静な頭脳と周到な準備がなければ、この筆頭大将を討つことはできない。
そこでミカヴェルが選んだのは、長年の友人──ザイレンである。
鍛え抜かれた騎士として、そして幼き頃から同じ時間を生きた親友として、彼ほど信用できる者はいなかった。使いを出すと、ザイレンはミカヴェルが潜むカジナルの地下へと姿を現した。
同い年であり、グランディオルに仕えるためだけに生きてきた男。誰よりも大切な、揺るぎない友。
「久しぶりだな、ミカヴェル」
十四年ぶりに再会した彼は、年月の経過を感じさせたが、それでも面影は色濃く残っていた。
少年のような無邪気さは消え、騎士としての風格が加わっている。それでも、笑った口元や鋭くも温かな瞳は、かつての彼を思い出させるには十分だった。
「重要な任務だろう?」
問いかけてくるザイレンに、ミカヴェルは頷く。
「ああ……死に役だ」
その簡潔な言葉を耳にした瞬間、ザイレンは口元に笑みを浮かべた。
「ようやく腹が決まったのか。十四年前は俺を死なせたくないと、置いていったくせにな」
十四年前のヤウト村攻防戦の記憶が、静かに二人の胸に蘇る。
あの時、ミカヴェルはザイレンを連れて行かなかった。彼に想い人がいることを知っていたからだ。
当時のミカヴェルは、非情に徹しきれていなかった。戦場での死は、すべてを奪い悲しませるということを、ミカヴェルは理解していたから。
「ザイレン……結婚は?」
「してないな。思いっきり振られてからは、恋もしてない」
「つまらない人生だな」
「お前にだけは言われたくないんだが?」
二人の笑い声がカラカラと響く。しかしその後、ザイレンはすぐに表情を引き締めた。
その顔には、騎士としての覚悟が滲んでいる。
「俺は独り身のままだ。だから俺を気遣う必要はない。存分にこの命を使えばいい」
「……すまない、ザイレン」
「謝るなよ、親友。十四年前にお前が消えてから、いつかこういう日が来ると思ってた。お前の覚悟が決まって、俺は嬉しいくらいだ」
なんの憂いもなく笑う幼馴染みを見つめ、ミカヴェルの心は激しく揺さぶられた。
親友ですらも計算と戦略の駒として扱わざるを得ない自分を、深く嫌悪した。しかし、この重大な役割を託すなら、誰よりも信用できるこの男しかいない。
「君の任務は簡単だよ。ただ、筆頭大将アリシアを絶命させればいい」
「っは! そりゃ単純明快だな」
ザイレンの豪快な笑い声が、地下の石壁に反響する。
ミカヴェルがわずかに眉を寄せると、ザイレンは目を細め、諭すように言った。
「参謀軍師がそんな顔をするな。駒は駒だと割り切って使えばいい」
「……すまない」
「らしくねぇな、ミカヴェル。まぁ、俺の前でくらいはいいさ。だが他の者の……クロエの前では、絶対にそんな顔を見せるなよ」
「……ええ」
ミカヴェルはかろうじて頷き、ザイレンはそのままカジナル軍へと加入した。
戦場で果たすべき役割を胸に抱いて。
ストレイア王国軍の筆頭大将アリシア──彼女の抹殺の地は、運命のヤウト村だった。
ザイレンをカジナル軍に入れてから、ちょうど一年後の決行となる。状況を熟考した上での、最も効果的な瞬間だった。
ミカヴェルはザイレンに、アリシアの直属部下の一人を狙うよう指示した。
アリシアは〝救済〟の異能を持っている。大切な人が窮地に立たされれば、必ず異能で察知し、駆けつけてくるはずだ。
しかし、ただおびき出しただけでは、返り討ちに遭う可能性が高い。どうにかして事前に弱体化させる必要があった。
ヤウト村の鉱山区には、迷路のように張り巡らされた穴や通路が存在する。それとスヴェンの〝使役〟の異能を利用した。
スヴェンが動物を使い、アリシアの居場所を逐一把握し、フィデル軍に伝え共有したのだ。
その情報をもとに、鉱山の穴を利用して不意打ちを仕掛ける。倒すまでは至らなかったが、彼女に傷を負わせることには成功した。その過程で、数多くの犠牲も出てしまったが、戦局を動かすには避けられない代償であった。
アリシア負傷の報を受けたザイレンは、冷徹に彼女の直属部下を狙った。黒服の諜報員と呼ばれる男を討とうとした瞬間、アリシア本人が飛び込んできた。その部下を庇って、アリシアは命を落とす。
こうしてザイレンは見事、筆頭大将アリシアを討ち取った。
作戦は成功した。あとは速やかに撤退するだけ──そのはずだった。しかしザイレンは撤退しなかった。いや、できなかったのである。
アリシアの直属部下たちに囲まれ、ザイレンは討たれた。
この結果は、ミカヴェルも予測済みであった。筆頭大将を討ち取った者を逃すほど、ストレイア軍は甘くない。地獄の果てまで追跡されることは、火を見るより明らかであった。
ミカヴェルはザイレン戦死の報を、カジナル郊外の安全な地下で受け取った。
「任務を果たしてくれたこと……感謝するよ、ザイレン……」
ようやく強敵を倒したというのに、喜びは胸に湧かない。手は震え、噛み締めた唇には鉄の味が混じる。
生きて戻ってくれるかもしれないという、一縷の希望は既に潰えた。
幼い頃から共に歩んだ、明るく優しい親友は、もはや存在しない。
その大事な男を駒として消したのは、ストレイア軍ではない。自分自身だった。
「……っ、ザイレン……」
豪胆な男の笑顔を思い出し、ミカヴェルは嗚咽を漏らす。彼の愛した女も、今頃は訃報を受け取り、一人で涙を流しているだろう。
三人は、常に一緒だったのだから。
地下に響く静寂の中で、ミカヴェルは彼を思い、そして彼女を思い、深く孤独な悲嘆に身を沈めた。




