1 物語のはじまり
初めて連載で書きました。
よろしくお願いします。
聖女はいても、魔法は存在しない世界です。
ここはニースランド王国。
私はアイリーン・エマ・シャーディル、十四歳。この国の第一王女。
そして、ここは異世界。
私は元女子高生、だと思う。椎野亜衣、十六歳というのが一応最後の記憶だ。前の人生をどのように終えて、何故ここに転生したのかは分からないけれど、前世の記憶を持って、今ここにいる。
前世でも恋愛小説が好きだった。異世界ものもたくさん読んだ。
この世界にも恋愛小説があって、勉強や様々なレッスンの合間に、やっぱりたくさん読んでいる。
本を読みながらでれでれと顔を緩ませる私を、侍女のミアはいつも呆れた目で見ているけど、やっぱり面白いし、純愛って尊いと思ってしまう。
前世の亜衣は碌に恋愛をしてこなかったし、今の私には、ほとんど顔も知らない隣国の王子という婚約者がいる。
そんな、政略結婚が当たり前の世界にあっては、運命の出会いとか恋とかって、前世以上に憧れるものなのだ。
物心付いた時には、前世の記憶があった私は、うっかりこの世界にはない言葉を口にしては、周囲の人を不思議がらせていた。
眉を顰めて訝しげな顔をする大人達を見ては、ああ、これは言ってはならないことなんだ、と思っていた。
実際に前世の記憶なんてなくても困らないし、ごくごく平凡な高校生だった亜衣の記憶なんて、王族であるアイリーンには、あっても助けにならない事が多い。なので、表面上は極力前世の記憶があることを封じ込めて過ごしていた。
ただ、そんな私の話でも、弟のウィリアムだけは、馬鹿にせず、疑いもせずに、面白そうに聞いてくれた。
ウィリアムは、正妃である私の母とは違う、側妃を母にもつ異母弟で、王国の第二王子だ。私とは一歳差の十三歳。さらっさらのプラチナブロンドに群青色の瞳が可愛い、自慢の弟である。
ウィリアムはチョコレートが好きなのだが、この国のチョコレートは硬い。そこで、溶かして生クリームを混ぜて生チョコにしてみたり、ホットミルクに溶かして飲んでみたり、生チョコを丸めてココアパウダーや粉砂糖をまぶしてトリュフにしてみたりしてあげたら、あっという間に懐いてくれた。
いろいろ気にせず気楽に話せるウィリアムとの時間は、私にとっても癒やしの時間だった。多くの王家あるあるに漏れず、きらっきらの美少年だしね。まだ幼いせいか、中性的な可愛さもあって本当に天使。
王家あるあると言えば、私自身も我ながら、ウィリアムとよく似たなかなか整った顔をしていると思う。
金髪にしては茶色がかったキャラメルブロンドの長い髪に、サファイアみたいな大きな青い瞳で、幼少期から磨き上げられた肌も髪もつやつやしてて、どこからどう見ても絵に描いたようなお姫様。前世でこんな美貌だったら、さぞもてただろうな。色は日本人離れしてるけど。
けどまあ、この世界じゃそうは行かないので、せめていつか会う旦那様が気に入ってくれるといいな。
* * *
そんな私に、王国に、大ニュースがやってきたのは、私が十四歳の夏のこと。
なんと、魔法も魔術も存在しないこの世界に、奇跡の力を持つという少女が現れたのだ。
老朽化で倒壊した建物に閉じ込められたこどもを、瓦礫を次々に宙に浮かせて避け、無傷で救い出したという。
それは白昼の出来事で、多くの目撃者もおり、あっという間に王都にまでその噂は飛んできた。
すぐに大神殿から神官が使いに出され、少女の奇跡の力を確認に行くと、少女は事もなげに目の前の石を触れることなく宙に浮かせてみせたのだ。
超能力だ、と思った。念動力というやつだ。
魔法もないこの世界で、それは奇跡の力と呼ばれ、数百年に一度、奇跡の力を持つ者が歴史上にも現れている。
前にいたのは、約二百年前で未来を予知する女性。奇跡の力を発現するのは決まって女性で、発見されたら直ちに大神殿が保護し、聖女として育成することが決められている。
二百年ぶりの聖女候補誕生に、国中が沸いた。
奇跡の力を持つ少女が、神殿に入る準備が整い上京してくると、早速王宮に謁見に来た。
謁見の間にて王家一同で彼女を迎え、私も、彼女との出会いにわくわくした。
大神官に連れられて、俯きながら謁見に訪れたのは、アイリーンと同じ年頃の小柄な少女。
「ここに参りましたのが、聖女候補、ステラ・コリンズでございます」
大神官からそう紹介された少女は、まだ俯いたままだ。心做しか、その肩が震えて見えた。
「遠くから親元を離れ心細かろう。だが、余も王国も、そなたの奇跡の力の発現を喜ばしく思っておる。どうか顔を上げて見せよ」
国王である父がそう言うと、「はい」とか細い声で返事をしたステラが顔を上げた。
その瞬間、思わずはっと息を呑んだ。
ピンクブラウンのふわふわの肩までの髪、零れそうなほど大きな琥珀色の瞳、うっすら上気した柔らかそうな頬、華奢な手足。緊張して不安げに揺らめく瞳に震える肩。思わず抱き締めて、守ってあげたくなるようなその雰囲気。
更には、奇跡の力に目覚め、聖女候補として大神殿に召し上げられた平民の少女。
その何もかもが、彼女がヒロインであることを物語っていた。
その一瞬で分かった。
ああ、これは彼女が主人公のお話の世界なんだわ。
彼女はきっとこれから、王都で聖女としての力を磨きながら、素敵な男性とめぐり逢い、身分の違いを乗り越えて大恋愛をして、救国の聖女となり幸せを掴む。
そんな彼女の物語が幕を開けたのだ、と悟った。
え? でも何の話? 私、この話知らないわ。
* * *
「で、どう思う?」
「どう思うって、何が。僕に聞かれたって知らないよ」
いつも面白そうに話を聞いてくれる天使が、いつになく怪訝そうな顔をしている。
聖女候補ステラの謁見が終わって、私は弟ウィリアムの部屋に来ていた。自分でお茶を淹れ、ソファに座って彼女について一通り話して、ウィリアムに意見を求めたところだ。
因みに、ウィリアムの側には大体、ウィリアムと同い年の親友で側近候補のカイルがいる。いつも冷淡な目でアイリーンの話を聞いているカイルだが、今日はいつにも増して冷たい気がする。
ちなみに黒髪にアイスブルーの瞳をしたカイルは、その見た目の良さと雰囲気の冷たさも相俟って、氷の貴公子と渾名されている。これも異世界あるあるな渾名だと思ってた。
「ステラ・コリンズが、姉さん曰く物語の主人公みたいで、これから彼女は高貴な男と知り合って、成り上がっていくって話でしょ。あり得るんじゃない? 実際、聖女候補となると並の貴族令嬢より余程注目されるだろうし、奇跡の力も本物っぽいから、これから聖女になったら名声も集めるだろうと思うよ」
「うーん、そうなんだけど、なんか違う……」
ウィリアムの答えを聞いて、私は頭を抱える。そうじゃなくて、もっと劇的な展開が訪れて、しかもそれらの一切は既定路線で……っていう異世界転生ものの定番は、どうしたら伝わるんだろう。
小説の世界なのか、ゲームの世界なのか、それすらも分からない。
どうせ分からないなら、ゲームみたいにステラの攻略対象となり得る人物を推測するしかないか。
何としても、この降って湧いて来たリアルラノベ、もしくはリアル乙女ゲームの行方を間近で堪能したい!
「ヒロインの相手として可能性が高いのは……、王太子のレオナルドお兄様、第二王子のウィリアム、宰相子息のアラン様、騎士団長子息のオスカー様、筆頭公爵子息のカイル、辺りかしら」
「聖女の相手? 兄上もって……そんなに大物揃いなの?」
「そんなものなの」
「ええー……」
私の呟く名前に、ウィリアムは一旦目を丸くして、それから疑わしげに顔を顰めた。
「でも、兄上にも、アランにもオスカーにも、婚約者がいるけど、姉さんのいう物語ではその辺の貞操観念はどうなの?」
「普通はありえないわよね。じゃあ、ステラ様のお相手はウィリアムかカイルで決まりね」
「ええっ? 僕? 嫌だよ。カイルだって嫌だよね」
「……そうですね」
ウィリアムの苦虫を噛み潰したような顰めっ面に、今度は私が眉を顰める。嫌って何よ。この子、ステラの可愛らしさをその真っ青な目で直に見てきたでしょうに。
カイルは……、よく分からない。ずっと無表情だし。
「嫌ってそんな……。でもまあ、実は婚約者がいようと関係ないのよ」
「えっ?」
「むしろそんなの二人の恋を盛り上げるスパイスよ」
「……大丈夫なの、それ」
「あまり大丈夫じゃないわ。だからドラマチックなんだけど」
「なんだか、それを楽しむなんて悪趣味だね」
ううっ……。この天使の顔で、真正面からそれを言われると堪える……。
その横からカイルの呆れたような溜息が聞こえる。
「まあ、姉さんがどうしようと、勝手に向こうが動くんでしょ。何も分からない以上、僕らにはどうしようもないよ」
「それはそうなんだけど……」
「それより、今日のチョコレート、変わった形だね」
紅茶を飲んでいたウィリアムが、小指ほどの長細いチョコレートに手を伸ばす。
「ああ、それ。昨日、サラダにオレンジが入ってたでしょ。そのオレンジの皮を分けて貰って、砂糖漬けにしてたの。それにチョコレートを掛けたのよ」
前世でも好きだったオレンジピールのチョコレート。自分で作ればこっちでも食べられるかなーって試してみたのだ。ウィリアムに出す前に味見もしたが、思ったより普通にできた。
「うーん、不思議な味」
「そう? 結構上手くできたと思ったのに。カイルはどう?」
「俺は結構好きかもしれない」
「そうよねぇ。ウィリアムの舌がお子様なんだわ」
「そんなことないよ。僕も慣れたら結構食べれるよ」
目に見えて膨れるウィリアム。意地っ張りなところもすごい可愛い。あー、このまま大きくならなきゃいいのにー。
「……今、絶対馬鹿にしたでしょ」
「そんなことないわよ。私の弟は世界一可愛いと思っていただけ」
「ほら。可愛いとか、もうこどもじゃないんだから……」
「可愛いわよ。ねぇ、カイル」
「そうですね」
「お前まで! 同じ歳の男相手に可愛いって何だよ」
「あら。カイルだって可愛いわよ」
一見、冷静沈着で落ち着いて見えるカイルだが、上手く表情に表せないだけな時もある。ほら、こういう時、無表情の中でも視線がうろうろして、年相応に動揺して見える。
こどもの頃からずっと見てきた二人が、随分大きくなったなー、とついにやにやしてしまう。
「何だか悪い顔して年上ぶってるけど、僕ともカイルとも一歳しか変わらないからね」
二人をにこにこと笑顔で見ていると、ウィリアムが溜息をつく。この年頃はまだその一歳差が大きいのにー。
「そんな、悪い顔なんて……」
人のにやけた顔を悪い顔とは。なんかショックだ。
そこまで言ってはっと気付いた。悪い顔……。
「そうだわ。悪役令嬢もいるはずよね」
「悪役令嬢?」
「そう。こういう物語には、ヒロインのライバルで、ヒロインを邪魔する悪役令嬢の存在がつきものなのよ」
「はあ……」
「まあ、往々にしてその嫌がらせが、ヒロイン達の恋を盛り上げて、悪役令嬢自らを破滅に追い遣ってしまうのだけど」
「嫌がらせとか、頭の悪い立ち回りをしてるからだろ」
可愛い顔して、言うことはにべもない。けど、こうして最後までまともに聞いてくれるウィリアムは、やっぱり優しいし可愛い。
「大体、婚約者とかで高貴な立場にある人なんだけど……。今回で言えば、お兄様の婚約者のロゼッタ様、アラン様の婚約者のセリカ様、オスカー様の婚約者のマイラ様とか」
セリカ様はカイルの姉だ。口に出してからしまった、と手で口を覆うが、ちらりと見たカイルの顔に変化はない。まあ、彼は本気で取り合ってないか……。
「でも、そんな家を背負った婚約者なのに、恋人作って蔑ろにされたら、腹も立つだろ。それで邪魔したら悪役呼ばわりされて破滅とか、ヒロインって随分傲慢なんだな」
「そう言われたら、そうなんだけど……」
話によったら処刑もあり得る。うーん、理不尽な気もしてきたな。
そもそも亜衣は、ヒーローが身分を超えて、純粋なヒロインに徐々に惹かれていき、ヒロインも抗い難い恋情を抱えながら、身の丈に合わないと蓋をして、嫌がらせも重なって、すれ違いを繰り返しながらやっと結ばれる、その二人の心の動きを追っていくのが好きだった。
亜衣にとって、その後の悪役令嬢の断罪劇は、エピローグの一つでありおまけのような感覚だったから、今ひとつピンとこない。
ただ、この世界がステラのための物語だとすれば、今は分からない誰かが悪役令嬢になることも必然だ。
「まあ、姉さんはじっとして、暫く様子を見るしかないんじゃない?」
「そうね……」
ヒーロー同様、動きがあるのを待つしかない。
でも、亜衣もアイリーンも憧れた、運命の恋物語が目の前で繰り広げられるかもしれない。そう思うと、期待でそわそわしてしまう。
黙り込みながらも、目をキラキラと輝かせる私に、ウィリアムがカイルと顔を見合わせて、「嫌な予感しかしないな。頼むから本当にじっとしててよ……」と呟いたことなんて、最早耳に届いていなかった。




