影
つづきです、よろしくー
「此れから……貴方の命を借りる事にするわ」
大公グリューネは俺の首筋に短剣を当て、ゆっくりと魔法陣へとその身体を移動させていく。途中、陳列棚の中から壷を取り出して大事そうに持っている。此のときに刃が首から離されたが、振り切ることが不能だった。
昼食の時の飲み物に、痺れ薬でも入れられていたか?。食べ物の方に入っていたのなら、ロゼにも効果が出ている筈、彼女が動ける処から察したら、やはり飲み物に入れられていた?。
俺達二人の影が今、魔法陣へと入った。
「伯母様、お願いだから止めて……」
「ロゼ……ごめんなさい……これでやっとあの人を帰してやれるのよ」
大公が昔の恋人の遺灰だけでも、帰してやりたい気持ちは分かる。しかし、その為に俺が命を渡さねばならない義理も道理も無い。今直ぐ、この拘束を振り切って離れたいが、身体が言う事を聞かない。俺は動けないが、方法は在る。イリスが能力開放した後、俺を引き離せば良い、五秒程度だが状況を変えるには十分すぎる時間だ。
「知ってるわ、貴女達……、とても強いのよね、でも邪魔はさせない」
「無理よ伯母様……、イリスやって頂戴」
「分かりました……」
ズズ━━━ン!
七人が全員床に張り付いていた。
「此れは……、重力魔法?、こんな魔法を如何して……」
「ロ……ゼ様、……今使っても……もう意味が無い……です」
時間を止める策は、全員を重力を掛け封じられた。痺れて無かったらマリネを呼び寄せ、短剣を弾けるのだが、それは最初に断念した。残り三人の能力が不明だが、発動しないと言う事実から見て、この状況で使えるシロモノでは無いのだろう。
魔法陣のエリアと、完全に俺達二人の身体が重なった。
地面に描かれた陣が、薄い輝きを放ち始めた……。
大公はもう俺の身体を放している、必要なかった。
俺の身体が、陣の中で宙に浮いている。
大公が短剣を振りかざした。
「伯母様、やめてぇ━━━!」
「止めて下さい! 、大公!」
グリューネ大公は、己が目的を達する事以外は、もう……何も判断出来ては居ない。自分がやろうとしている行為の、正否は如何でも良かった。過去に自分が犯してしまった罪の償い?、気紛れで異世界から人を連れ出し、帰せずに一人男性の人生を狂わせ、この世界で命を亡くした。その死の間際での願いを叶えたい、大公の頭にはそれしか見えてはいない。
魔法陣で人生を大きく歪められた者が、いや者達が此処にも居た。
大公が俺の胸に短剣を突きたて、裂いていく……、麻痺している為声が出ない、痛みだけは感じている。声が出ない分、余計に表情に苦痛が重なった。
「いや、いや、止めて……もう、止めてぇー殺さないでぇ!」
「ユキヒト様ぁ! 、嫌━━ぁ!」
「大公! 、貴様ぁ━っ、殺す!」
「大公様ぁ、ユキヒトさんを、殺さないでぇ!」
「主殿を……よくも、大公許さんぞ!」
「グリューネ大公、もうお止めくださーい!」
「………………」
ロゼ達の懇願、罵声が聞こえる……。
短剣で切り裂かれた俺の身体は、宙に浮いたまま回転し、陣を下に見る位置で止った。真下へ降る流血は陣へと届くと、それは描かれた魔法陣に沿って流れるように紅く縁取っていく。出血の多さと痛みで意識が遠のいていく、眼も既に霞んでいる。
これまで何度も命の危険に曝されてきたが、今回は違う。
死━━━。
それが今、現実に迫った━━━。
「さあ魔法陣よ……異界の血を捧げたのよ、私をあそこへ運んで!」
魔法陣を縁取る血液と同じ輝きが、渦を巻いた。
紅い渦は中央へと集まっていき、一つの形を取る。
「なに……何よ此れ?、違う、違うわ……、私を異世界へ……
大公の言葉は……そこで途切れた。
紅い塊から延ばされた巨大な槍が、彼女の胸から下の大部分を貫いて、戻る。大公は口からも鮮血を吹き上げ、床へと倒れた。彼女の呪縛は解け、俺も床へと落ち崩れロゼ達は重力の束縛から解放された。
「「ユキヒトー!」」
俺の名を呼ぶ声が、同時に幾つも重なって耳に届いた。ズグロは憑依し、ハルは必死に回復を掛けてくれている、マリネは剣に変化出来なかった様だ。それでも微かに見えている彼女の涙は、十分に俺を癒してくれている。
どうやら……又、死に損ねた。
喜ぶべき誤算だった。
大公の傍で蹲るロゼ……。
「如何して伯母様……、他に……何か他に手が……」
ロゼは、悲しみの涙で言葉を続けられない。
大公の今際の際の言葉は……。
「ロゼ……ごめんなさい……ね、これであの人を連れて……帰れ……る」
大公の口からは鮮血が流れ続け、やがて止った。
「伯母様ぁ━━!」
「立て、ロゼ! 、まだ終ってない!」
アネスがロゼを叱咤して立たせた。
魔法陣に顕れた紅い塊は、いまだそこに在る。即、臨戦態勢に入れたのは、三人だけ。その目の前で、紅い塊は、徐々に人の形を取っていく。
ローブ姿の女性の姿がそこに顕現した。
我……異界の血を得……復活せり!
その言葉を残し、霧と成って赤い姿は消えた。
随分と厄介な奴が、復活したもんだのぉ
「ラケニス……貴女なの?」
「ロゼ様……、如何されました、ラケニスって今……」
力の抜けてた手を握り締めていたマリネが、ロゼに言った。
「彼女が私に話しかけているわ」
ふむ、小僧が動ける様に成ったら、此処へ皆で訪れよ
〝皆で、行けばいいのね?〟
小僧が動ける様に成ったら、イリスに次元の扉を開いて貰えばよい
〝分かった、必ず行くわ〟
それまで、小僧をしっかり看てやる事じゃ
話はそれだけじゃ……
血の海となった魔法陣の中、横たわる大公の亡骸。
その周りには、割れた壷から灰が毀れ、彼女を覆っていた。
〝伯母様……その人とあちらへと行けたの?〟
その後……、俺に憑依しているズグロが離れるまで、その場で治療は続いた。彼女が離れるまでの時間ロゼは、この悲しい知らせを首都へ、妹である母の皇后へと伝えなければ成らなかった。姉の言葉で皆を休養がてら、実家へと赴かせた結果が悲報を聞く事に成るとは、皇后も全く想像だにしておらず、ロゼからの一報を受け先ず、泣き崩れていた。
「姉上の過去に……そんな悲しい出来事が在ったなんて……」
「フォー……ネリア……姉上の罪は、その死を持って消えた……」
「あなた……」
「今は、心行くまで泣くが良い……」
皇后の実家であるラグス家への処分は、特に成されなかった。過去に犯した罪も当人が死亡している以上、直接罪にも問えず。今回の件も、皇女を巻き込んだと言えるがロゼの強い不問に付すべしの意と、やはり当人が居ない。そして、皇王の配慮により厳しい処断は無く、大公の権限とその他の地位を凍結されたに留まり、ラグス家の取り潰しは無くなった。
裏事情を言うと、大臣達が皇王の採決を強硬に反対しなかった本当の理由は、ロゼが異界の民を炊きつけ、その仲間を連れて反旗を企てられると、勝ちようが無い。最悪、帝国へと亡命し、此方を攻めてくるのでは?、と、在り得ない可能性を本気で恐れた為である。
ズグロが憑依を解いて離れた為、地下から運び出された俺は、屋敷へと移され治療の続きと、看病を受けていた。短剣による裂傷は、ズグロの治癒力で無くなっているが、出血が酷かったせいで中々意識を戻せなかった。その間彼女達はズグロの常駐の他、交代で様子を看ていてくれた。
意識を取り戻したのは翌日だった。
眼を覚ました先に、マリネの姿が見える、彼女はすぐ気が付いた。
「ユキヒト……良かった……眼を開けてくれたぁ」
マリネは何時も泣いている気がする……。
「大公は……
「皆を呼んできます!」
マリネは話を聞かず部屋を跳び出て行き、俺は傍に居たズグロの顔を見つけ、彼女に顔を向けると、ゆっくりと首を振るだけだったが、意味は理解できた。
〝あの人……、死んだのか〟
感傷に浸っている処へ、ドタドタと足音を響かせロゼ達が入ってきた。
「ユキヒト……、本当に起きてる良かったー」
「本当に……どれだけ心配したか、この馬鹿者がっ」
死にかけから戻ってもアネスは、やはり俺を馬鹿者とぶ、これは何時になったら止るのか?、皆が傍で命が助かった事に喜びを表しているが、その眼は濡れていた。
それは大公が流した物とは違った。彼女の涙は絶望に満ちた悲しみの涙であったであろう、あと少しで俺も彼女達に同じ涙を流させたかもしれない。ロゼが言っていたのを思い出す、召喚の儀を行える者は稀だと、呪文があったとしても大公は強力な魔法を使えた。
もしかしたら、宮殿の魔法陣も反応してたかも?、そしたらカズマと言う人と、違った運命を辿っていた可能性もある。この様な悲劇を生み出す事も、無かったかもしれない。可能性であり、誰もその答えを知る由は無い。只、大公にはその悲しい運命だけが彼女を待っていた。
「ユキヒトが動ける様になれば、来いとラケニスが言ってたわ」
「あの婆さんが?……、今度は何だろ?」
ベッドの横の椅子に座り、ロゼの果物を剥いてくれている姿を観ていたら、恋人が入院患者の見舞いに来て、横で同じ様な事をしている映像が浮かんできた。何時も表情と違う横顔が、やけに綺麗に見えるのは、俺がロゼに対して好意以上の気持ちが在るせい?。
だが、勢いに飲まれて行動は厳禁だ。
こういう場合、対外は……。
俺は、ドアの入り口へと顔を向けた。
「ロゼ……入り口」
「あ!、ははは……マリネの気持ち分かった気がする」
彼女が、入り口のドアへと手をかけ一気に開けた。
既に逃げていた……。
この女達の御陰で、俺は生きていられる……。
翌日、俺は全快とは言えないが普通に動けるまでに戻った。
ラケニスに会わねば成らない。
「イリス……扉を開けてくれる?」
「初めて……私に本当にそんな力が?」
〝心配要りません、両手を上へ……〟
イリスは眼を瞑り、両手を上げそして空を裂いた。
空間に裂け目が現れ、次元の扉が開いた。
俺達はその扉からラケニスの塔へと入った。
「来たか……、守るどころか……守られとるのぉ」
事実だけに言い返せなかった。
有難う御座います