彼の気持ちと私の気持ち その4
外に出ると、曇っているおかげなのか、暑さは少し和らいでいた。緩やかな風が、私の背中をそっと押すように吹いている。
「あのっ」
「ん?」
今度は、ちゃんと言葉を続ける。
「これから、まだ時間ってありますか?」
「うん」
「だったら……聞きたいことがあります」
「どんなこと?」
「……」
一瞬、強い風が吹いて。思わず、怯んでしまう。
「どんな質問でも、僕なりにしっかり答えるよ。君からの質問なら」
彼のまっすぐな眼差しが。穏やかな声が。私の言葉を、じっと待っている。
今、なのかな。今度、でもいいのかもしれない。
でも。
いつかは聞かなければ。
きっとまた、同じところで立ち止まってしまう。
だから。
「……目のこと、教えてください」
自分の声があまりにも弱々しくて、涙が出そうになる。でも、まだ。
「花火に誘うかどうか、ずっと……ずっと、悩んでしまって。だから……」
まだ、まだ……
「もう、大丈夫だから」
「……え?」
「充分だから。ごめんね、しんどい思いさせて」
気付いたら、彼の指が、私の頬に伝う涙を拭っていた。
「これは、僕の責任だから」
「そんなっ」
「ちゃんと時間を取ろう。今からで、奈月ちゃんは大丈夫?」
「……はい」
「じゃあ、行こう」
そっと繋がれた彼の手が、私の心をほぐしていく。そのぬくもりにまた涙がこぼれそうになるのを、グッと堪えた。
もう何度も来たカラオケルームで、二人並んでソファーに座る。
……大事なことを話す時は、よくここに来るなあ。
音が出ていないテレビ画面をつい眺めてしまう。
「……何から話そうかな」
彼の少し困ったような声で、ハッとなる。
「すみませんっ! 私から言い出したのにっ」
「いや。思えば、人にちゃんと話そうとしたことなかったかなって。どう言えばいいかなって。なるべく伝わるようにしたいから」
「……じゃあ、いくつか質問していいですか」
「うん、いいよ」
「……」
リンゴジュースを一口飲んでから、彼の顔を見上げる。
「夜に外出するの、怖くないですか?」
「ちょっとはね。でも、誰かが一緒にいて誘導してくれるなら大丈夫。だから、僕から誘っておいて申し訳ないけど、花火の時、サポートお願いできるかな?」
「はいっ、勿論です」
「ありがとう」
彼が穏やかに笑う。
「あの……普段、どういうことで困りますか? そのっ、私、一緒にいても気付けなくて……すみません」
「いや、君は謝らなくていいんだよ」
「でもっ」
「違うんだ」
彼がキュッと私の手を握る。
「僕が、隠してたから」
「え?」
「君に、困ってる姿を見せたくなくて」
「……」
「でも、良くなかったね。結果的に君を困らせた」
「河野さん……」
「いつかはちゃんと話さなきゃって思ってた。でも、今なのかなとも。今は、君と……ただ純粋に、楽しい時間を過ごしたいなと。その気持ちが強かった」
「私もっ」
彼の手に、自分の空いていた手をさらに重ねる。
「今なのかなって、思ってました。でも、必要なことなんです……あなたと一緒にいる為に。だからっ……だから、教えてください」
「うん、分かった」
彼が、力強く頷く。
「普段は、そうだな……細かい字を読むのには苦労してる。僕、メガネしてないけど、コンタクトも入れてないんだ」
「えっ」
「視力が上がらないんだ。そういう病気だから」
「……」
「あと、速く動く物を追うのも苦手。学生の時は、体育で苦労したよ。ボール使うスポーツはしんどかった」
「そう、だったんですね……」
「今は避けれることは避けるけど、学生って、みんなで強制的にやること多かったよね。調理実習とか、文化祭とか」
「たしかに、そうですね」
「時々思ってた。みんなは僕と同じことを、苦に思わずにできるんだろうなって」
「……っ」
まだ、ほんの一部なのに。
胸がズキッと痛んで、苦しい。
「奈月ちゃん」
彼が、静かに呼びかける。
「一番言わなきゃいけないこと、まだ言ってないんだけど……今、言っても大丈夫?」
「え……」
「つらそう、だから」
「……っ」
どうして。
つらいのは、あなたなのに。
いつも、私のことばかり……
「……言って、ください」
「いいの?」
「はい」
「たぶん、泣かせちゃうよ」
「……」
「僕も……」
「それでもっ」
重ねている手に、キュッと力を込める。
「お願いします」
「……分かった」
彼が目を閉じて、深呼吸をする。私も、息を吸う。冷房で冷やされた空気が肺に取り込まれるのを、ひしひしと感じて。さっきまで、呼吸が浅かったことに気付いた。
そして、彼がゆっくりと目を開ける。
「僕の病気、ゆっくりだけど進行してるんだ」
「……」
「もしかしたら……全く、見えなくなるかもしれない」
「……」
「それでも……僕と一緒に、いてくれますか?」
彼の声が。手が。微かに。でも、はっきりと。震えている。
「……どうしてっ」
私の声は、もっと震えていた。
「どうして、それで……一緒にいれないって、なるんですか?」
「だって、絶対、苦労するよ」
「でもっ」
「君にいっぱい、迷惑かけるよ」
「……っ」
「君が……この先ずっと、つらい思いをするくらいなら……」
「それ以上っ、言わないでっ!」
自分でも信じられないくらい、大きな声で叫んでいた。




