特別な日 その1
この作品は恋愛描写を含みます。苦手な方はご注意下さい。
五月に入り、日差しが一段と強い。爽やかな風が暑さを和らげてくれているけれど、背中にはじんわりと汗をかいている。
駅で人を待つのは、いつもソワソワしてしまう。どこに立っていても他の人の邪魔になってしまいそうで。気付いたら、最初いた場所から随分と離れていることも。
「奈月ちゃん」
「あっ」
彼がゆっくりと、でもまっすぐに。私の方へ歩いてくる。
「久しぶり」
「はっ、はい!」
彼の笑顔が眩しくて、思わず視線を逸らす。
「ん? どうかした?」
「いえっ! なんでもっ、なんでもないんですっ」
「その反応じゃ、どっちか分からないな」
「えっ」
彼がクスッと笑って、手を差し出す。
「行こうか」
「はい……」
彼の手を握って、ゆっくりと歩き出す。白杖が、滑らかに地面を滑る。
……相変わらず、すごいなあ。
まるで私を落ち着かせるかのように、一定のテンポで弧が描かれていく。
「やっぱり、こっちのうどんは美味しいね」
「そんなに、違うんですか?」
「うん。びっくりするくらい違う」
午後の日光で温められた道を、二人で並んで歩く。
「私、あんまり県外行ったことないんですよね」
「そうなんだ。旅行とかは?」
「そういえば、あまり行かないですね。お父さんがしょっちゅう県外出張してるので、いろんな場所のお土産はもらうんですけど」
「そっか」
彼が、繋いでいる手をキュッと握る。
「いつか、二人で旅行したいね」
「はい!」
さんさんと降り注ぐ日光が、私たちを眩しい光の中へと連れていく。
「……あの」
分かれ道の前で立ち止まる。
「この後、どうしますか? どこか行きたい所とかありますか?」
「そうだね……もう少し、散歩していい? 天気もいいし」
「はい」
右に曲がって、緩やかな坂道を登っていく。
「……」
彼の体温を感じながら、一歩ずつ進んでいく。暖かい風が、私の髪をさらっていく。
「……」
ほんの、少し。胸がざわつく。
「……」
どうして。ざわつきが、段々と大きくなっていく。
「……」
彼の顔を見上げると、彼の唇はキュッと結ばれている。
「……」
どうして。不安の波が、迫ってくる。
「……」
胸が、苦しい。
「あのっ……」
「奈月ちゃん」
私が声をかけるのと、彼がこちらを振り向くのが同時だった。
「何?」
「いえっ、河野さんから、どうぞ」
「いいよ。君から、どうぞ」
「いえっ! 私のはたいした話じゃないのでっ!」
実際、私はなんて言うつもりだったのだろう。彼が言葉を発してくれたことに、胸をそっと撫で下ろす。
「……じゃあ、言うね」
「はい!」
「実はさ。来週、誕生日なんだ、僕」
「えーーーっ!?」
私の大きな声が、派手に響き渡る。
「すみません! 私、プレゼントとか何も用意してないですっ!」
「そりゃそうだよ。今、初めて言ったんだから」
「あ……」
「というか、僕もまだ君の誕生日、聞いてなかった」
彼が、苦笑いを浮かべる。
「君のはまた後で聞くとして。続けていい?」
「はい」
「……」
彼がそっと手を離して、私の正面に立つ。さっきまで吹いていた風が、ピタリと止まる。彼の言葉を待つ間、髪の毛一本すら動かせない。
「来週はこっち来れないから。だから、今日これから、お祝いしてくれる?」
「え……」
想像していたのと違う言葉に、体から一気に力が抜ける。
「……できれば、誰にも邪魔されない場所で」
「えっ」
身体中の神経が敏感になって、触れる空気すら痛い。
「そそっ、それって……どっ」
「それは許して」
彼の表情が、少し堅い。
「……これでも、結構勇気出したんだよ」
気付いたら、彼の視線は私から思いっきり外されている。
「……っ」
彼の頬が赤いのを見て、私の頬も一気に熱を帯びる。
「……それで、返事は?」
彼の熱い視線が、私の体を沸騰させる。
「……」
言葉が、出てこない。
「……嫌って、言わないなら」
彼が優しく手を繋ぐ。
「連れていくよ」
彼の手から流れ込んでくる熱が。彼の吐息が。私の心を溶かしていく。
「……」
私がほんの少しだけ繋いでいる手に力を込めると、彼は何も言わずに歩き始めた。




