◇36 - 聖遺物の在処
ランジェが意識を取り戻すと、そこは見覚えのない狭い部屋だった。
手足は拘束されており、殴られた痛みが未だ頭部に残っている。
自身が捕まった事を直ぐに察した。
「……ここは?」
「ランジェさん、良かった。気づかれたんですね。ここは砦の地下みたいです」
目覚めたランジェの姿を見て、傍らに居たミラが安堵の笑みを浮かべた。彼女も同様に縛られていた。
「地下? ……いや、こんな場所は知らない」
管理者として、ランジェは砦の構造を熟知しているつもりでいた。
しかし、他所から赴任してきたランジェは、それを当初この砦の巡礼者たちから説明された覚えがある。
彼らが教会に隠れて良からぬ企みを目論んでいたのなら、ランジェに意図して案内しなかった秘密の部屋くらいありそうなものである。
「……そうか。二年間ずっと、私は彼らに騙されていたという事か」
「ランジェさん、彼らはいったい?」
「……ミラさんには申し訳ない。こんな事に巻き込んでしまって。……やはり規則を無視してでも、貴方がたには事情を話しておくべきでした。
私の様な辺境送りの左遷騎士に今回の様な悪魔探しの任務が与えられていたのには、少々特殊な事情が在りましてね」
ランジェはすっかり気を落とした様子で、疲れた笑みを浮かべる。
「特殊な事情? それって、あの男が聖遺物を盗んだって言う―――」
「覚えていたのですね。ええ。あの男の名はグレアム。異端審問ギルドのギルドマスターであり、教会を裏切った背教者です」
「あの人たちは結局、異端者を狩れなくなったから教会を裏切ったという事ですか?」
「おそらくは。
十年前、かのギルドが解散する決定的な要因となった事件がありました。
当時、思想転換を行おうとしていた教会に対し、グレアムはこの街で発見された聖遺物の譲渡を条件にそれを阻止しようとしたのです。
あの男がどこからその聖遺物を手に入れたのかは分かっていませんが、それはあまりにも強大な力を持った品だったそうで、教会は彼の要求を一考するほどの価値をそれに見出したのだといいます。
しかし、その聖遺物の搬送中に不運があり、荷運びの任を担っていた異端審問ギルドの人間が死亡し、聖遺物は行方不明になりました」
「その犯人が、グレアムだったのですか?」
「いいえ。むしろグレアムは、その事件における被害者だったのです。
荷運びにはグレアムも同行しており、彼は襲撃を唯一生き延びた人間でした。
彼の証言によると、荷運び中に異端者の子供とその父親に遭遇し、彼らは職務通りにその子供を捕らえようとしたのだそうです。
その結果、子を庇って抵抗した父親が死に、親の死を見た異端児が何らかの能力で聖遺物を起動させてしまったと。
起動した聖遺物から現れたのは特級指定殲滅対象、つまりは悪魔で、悪魔は異端児の命令を聴いて、グレアム以外の異端審問官たちを皆殺しにしたそうです。
その後、その異端児と聖遺物は失踪。
グレアムは責を問われて会員権を剥奪され、今では教会の人間ではなくなっています」
ミラは顔をしかめて、怒りを含んだ声色でランジェに言う。
「……ランジェさん、お願いですから撤回してください。その男は、グレアムは、被害者なんかじゃない。貴女は、その子供と父親に対して彼らがした事が正しいと仰るのですか!」
「……そうですね。確かにそれは、間違っている。私も、そんな横暴が正しいと言う彼らの方が歪だと思います」
悲痛な表情を浮かべるミラを見て、配慮が足りなかったとランジェは自戒する。
ミラも白熱している自分に気づいて、ランジェに謝った。無意識に自身の経験と重ねて見てしまっていたのだ。
「すみません。こんな時に、感情的になってしまいました」
「いいえ。貴女は何も間違っていませんよ。貴女は同じ痛みが分かるからこそ、そうして素直に過ちを責められる。どれだけ口で言っても、推し量る事しかできない私では正しく憤る事はできませんから。
どうしてもどこかで、他人の事だという侮りが在るのでしょう」
理解しようとする人が居る。公平であろうとする人が居る。
しかしどれだけそう務めても、苦しむ人間の痛みは本人にしか分からない。
そんな当たり前の事を、ランジェは言っているだけに過ぎない。
それを理解していても、ミラはその事実がどうにも冷酷に感じられてしまって、やりきれなくなった。
これ以上自分の気分をあえて害するような話をする必要も無いだろうと、ミラは話題を修正する。
「……ランジェさん、さっきグレアムが持っていたあの槍をどう思いますか?」
「グレアムの口ぶりからして、聖遺物である可能性はあるかも知れません。彼が聖遺物を取り戻したのか、あるいは最初から聖遺物は彼の手元にあったのか」
「奪取したなんて言い方をしたのですから、貴女は最初から彼が盗んだと考えていたのでしょう?」
「あれはあの場の思い付きで言ったハッタリだったんですけどね。思いの外、彼はあっさりと白状しました。
彼が奪取したという説は、教会も疑っていたからこそ、彼への処罰を厳しくしたのだと聞いています。
本来なら、あの人は現在でも王都で監視されている立場にあります。
そんな人間がそれらしき物を背負って、この街に姿を現した時点でもう十分に怪しい。
とはいえ、実は異端審問ギルドが紛失したと言う聖遺物について、私は詳しい形状を知らされていないのです。
教会は異端審問ギルドの不祥事はもちろん、不確定とは言え、教会に対して恨みを持った異端者が聖遺物を持って逃走している事実そのものを隠したがっています。
人員を寄越さずに、この街で起きている事件の対処を私に丸投げしてきたのも、それが理由でしょう。
異端審問官たちの監視役であり、この街に元から駐在している騎士の私一人に話を止めておけば、矛盾もないし漏洩のリスクは減りますからね」
「では、私達をこの街に呼んだのは、不味かったんじゃないですか?」
「ええ。ですが、それは元より覚悟の上です。
私やこの土地の巡礼者だけでは力不足で、被害者が増えていくばかり。しかも捜査員の中にまで倒れた者が出始めたとあっては、どうしようもありません。
本当に優秀な人材が必要だったのです。たとえ命令違反で処罰される事になろうとも、この街には貴方がたが必要でした。
極力機密を漏らさない様にできればと思っていましたが、やはりそう上手くは行きませんでしたね。教会本庁が無理と判断した事を、私なんかが上手く立ち回れるはずもない。
貴方達には最初から全て説明しておくべきでした。そうすれば、もう少し展開は違ったかも知れない。
まさか、彼ら全員が未だにグレアムと思想を同じくしていたなんて。十年の内に少しは変わるものかと期待していたんですけどね。
結局、こういう半端なところが私のダメな所なんでしょうね……私は指揮官としての器にない」
自嘲するランジェの前に身を乗り出し、ミラは宣言した。
「……ランジェさん。後悔するのは最後でもできます。私達はまだ、負けていない。貴女が私たちを呼んだ事。その一つくらいは英断だったことを、必ず証明します」
それはこの状況にあっても決して揺るがない強い意志を感じさせる言葉であったが、反してミラの表情には怯えの感情が滲み出ている。
彼女が豪傑と呼べるような性格でない事は、出会って間もないランジェにも分かる。
そんな彼女が、そこまで言い切ってしまえる事が不思議でならなかった。
「そんな怯えた目をしているのに、どうして?」
「私は未熟者で、臆病者です。でも、仲間の事は信じられる。ギルは絶対に私たちを助けに来てくれます。アイツらの悪行を、阻止してくれます。
ギルは、そういうすごい人なんです。だから、貴女も信じてください。私の仲間を」
ミラはまだ、何も諦めていないのだ。
居なくなったギルが、必ず自分の窮地に助けに現れる事を、信じて疑わない。
仲間への信頼と言えば容易いが、それほどまでに信じられる存在を、ランジェは自身の人生の中に見出した事は無い。
信じられる存在が居る事も、それを信じて疑わない精神も、どちらも幸福で尊い物だとランジェは感じる。
ミラの言葉には根拠がない。だが、ランジェに希望を持たせるのには十分な説得力が在った。
「……そうですね。貴方がたに賭けた私が、貴方がたを信用できなくなったら、それ以上の不義は無いでしょう。分かりました。信じます。貴女の仲間を」
唐突に、部屋の戸が開かれた。
入ってきた異端審問官たちは、ミラを掴んで無理やり立たせる。
「立て」
「貴方達っ、その子をどこに連れて行く気!」
ミラを助けようと身を乗り出したランジェを、僧侶の一人が蹴り飛ばした。
「お前はそこで大人しくしていろ。殴られた借りは、その身体で十分に支払ってもらうからな」
「下種どもめ……異端審問官が聞いて呆れる」
睨みつける事しかできないランジェへ、僧侶たちは嘲笑を向けて部屋を出ていく。
己の無力さを呪いながら、ランジェは一人部屋に取り残された。
ミラが僧侶たちに運ばれた先は、広い円形の広間だった。
異端審問官が一堂に集い、壁に沿って円形の陣を組んでいる。
その中央に、槍を携えたグレアムが立っていた。
ミラはグレアムの前に連れて行かれ、抑え込まれてその場に膝をつく。
「ようこそ祭壇へ」
ミラを見下ろして、グレアムは皮肉めいた歓迎の言葉を口にする。
ミラも最大限の勇気をもって、グレアムに皮肉を返す。
「祭壇? 大聖堂の儀式の間を再現した訳ですか……何をするつもりか知りませんけど、随分と悪魔崇拝めいているのですね。異端審問官が聞いて呆れる」
「強がるなよ。今にも泣き出しそうなそんな顔ですごまれたところで、いったい誰を脅せる?
それよりも喜べよ異端者。お前は世界をあるべき姿へと戻すための贄となる。呪われたその命をもって、人々に貢献できるのだ」
「ふざけた話。私一人を殺したところで、この世界から異端者が全員居なくなる訳ではないのに」
「居なくなるさ。全員とはさすがにいかないが、一人の命でどれだけの不浄が払われる事か。試してみる価値はある」
「何を言っているの? 貴方達は、一体何をするつもり?」
「大いなる意志の力を持って、救済を為す。これはそのための兵器なのだ」
グレアムが槍の底で地を打つ。
それに応じる様にして、槍から黒い瘴気が滝の様に流れ出し、それはミラの目の前で人の形をとった。
髪の長い乙女の姿を象った、漆黒の人型。所々に亀裂が入り、内側から発される赤く禍々しい光が漏れている。
それはかつてリエム教区の大聖堂で対峙したルエルラムと、寸分違わぬ同型の姿をしていた。
「まさかっ、それは悪魔なの!」
絶対的な脅威を前に、ミラは驚愕と焦りをその表情に表す。
「教会はそう呼ぶな。だが、所詮は瘴気の塊が生んだ上位の魔物でしかない。本当の悪魔、本当の不浄とは、お前たち異端に刻まれた呪いそのもの。使い方さえ弁えれば、これはそれらを浄化するための手段となる」
「悪魔を、思い通りにできるとでも思っているの? 間違っている。それは人の手には余る力。決して手を出してはいけない物です!」
「それこそ間違いだ。この上位魔物ルエヌマは、意志を持ち、契約によって縛られるただの装置だ。そして契約の対価は、常に人の命によってのみ支払われる。つまり、お前たち不浄の贄によって、その他の不浄を滅ぼす事ができるのだ」
リエム教区での殺戮を見たミラには、その言葉が世迷言で無い事が分かってしまう。
悪魔にはそれだけの力があり、聖遺物を手にした人間の命令をある条件下で聞く事も、先の経験から分かっていた。
それが契約という形をとっていたとは知る由もなかったが、それならば納得もいく。
サラザールは街の人間を贄とする事で、ルエルラムを制御下においていたのだろう。
そしてこの男も、それと同じ事をしようとしている。
異端ギフトを持って生まれたと言うだけの理由で、罪もない人々を殺そうとしている。
「十年前はあのクソガキに契約権を持って行かれたが、此度こそは正義のための尊き力へと変える。
異端を排し、その死を魔力源としてルエヌマの存在を維持し続ける事で、永久的に異端だけを排除し続ける装置を作る。
喜べよ、異端者。お前は崇高なる浄化装置の最初の歯車となるのだ。お前の死は名誉となって、後世まで世界を浄化し続けるのだ」
ミラは、この男が狂っているのだと確信した。
グレアムという男は、異端を不浄と信じて疑わず、それらをこの世から消し去るためならば、悪魔その物すらその手段に変えるのだと。
そこにはすでに、道理も整合性も存在しない。
破綻している、極致の業。
それ故に、グレアムは何をしてでも止めなければならない絶対悪だった。
「どっちが悪魔だ! どっちが異端だ! 人の命を、貴方は何だと思っているの!」
「愚問だな。お前たちは呪いを持って生まれ落ちたその時点で、とうに人ではない。
故に今世で死してその魂を浄化し、次代に清浄なる命として生まれ変わらせてやろうと言うのだ。むしろ我らに感謝するのが通りであろう」
「……お前たちは―――いや、お前たちこそ人間じゃない!」
「ふんっ。呪われたその身では、我らの情愛を真に理解できまい。悲しきことよな。―――さあ、手早く儀式を済ませてしまおう。ルエヌマがどれほどの力を発揮できるのか、今のうちに確かめておかなくては」
グレアムの合図で、ミラは床に押し付けられる。
その様はまるで、斬首台に罪人を設置する光景そのものだった。
「止めなさい! 離せっ!」
小柄なミラがいくら暴れたところで、大の男複数人に取り押さえられているとあっては、どうしようもない。
「さあ、ルエヌマよ、契約だ。その娘の命と引き換えに、この世に生きる全ての異端者を―――」
グレアムの宣告を遮る様にして、爆音が轟いた。
部屋の一角が破壊され、壁の石片ごと壁際に居た僧侶が吹き飛ぶ。
「っ! 何事だ!」
狼狽えるグレアムの足元を、黒い影が走る。
その体を串刺す様に影から生えた鋭利な棘は、咄嗟に回避したグレアムの目の前で停まった。
「黒い力……何たる不浄か!」
一手反応が遅れていれば死んでいた事実に、グレアムの額にも冷たい汗が流れる。
もうもうと立ち込める埃の中から、一人の少年が現れた。
黒い法衣を身に着け、剣を携えた少年の肩には、小型の飛行ボーンゴーレムがとまっている。
「ギル!」
ミラの声を聴き、その先でギルは取り押さえられているミラの姿を発見した。
「おい、今すぐにその女から離れろ」
これ以上ない憎悪の表情を浮かべて、ギルは僧侶たちに言い放つ。
それでも動かず立ちすくんでいる僧侶たちに業を煮やし、ギルは魔法を放った。
「≪ブラック・ウォール≫!」
ミラの真上に黒い障壁が展開され、ミラを捕えていた僧侶たちは一斉に弾かれて吹き飛んだ。
「貴様は何者だ! この娘の仲間か!」
グレアムは槍を構えてギルを見据える。
「そうだ。だから仲間を手に掛けようとしたアンタらには、それ相応の覚悟をしてもらう。ここから生きて出られると思うなよ」
ギルも剣の切っ先をグレアムへ向け、敵意と嫌悪のこもった声色でそう宣言した。




