第5話「始まりの星と、白銀の箱舟」
夜。村はずれの丘に座って、空を見上げていた。
二つの月。散らばる星。そして——ひときわ明るく青い、一つの星。
「あれは『始まりの星』って呼ばれてるんだ」
隣にリーゼがいた。膝を抱えて、同じ方向を見ている。
「始まりの星?」
「うん。言い伝えでは、私たちの魂はあの星から来て、死んだらあの星に帰るの。……綺麗だよね」
青い星。
あの世界から見上げた空には、星なんてなかった。管理された大気層が、すべてを遮断していた。だがこの星からは見える。はるか遠くに浮かぶ、青い点。
「……ああ。綺麗だな」
何かが、胸の奥でざわめいた。あの青い星を見ていると、「帰りたい」とも「帰れない」とも違う、もっとねじれた感情が湧き上がってくる。
——「始まりの星」か。
まさか、とは思う。あれが俺のいた星だなんて確証はない。でも、管理者モードが反応している。あの青い光に向けて、チップが微かにパルスを送っている。
まるで——呼ばれているみたいに。
「宙さんは、どこから来たの?」
「……遠いところだよ。たぶん、すごく遠い」
「帰りたい?」
「……わかんねえな。帰る場所があるのかどうかもわかんない」
リーゼが何か言おうとした、その時——。
地面が揺れた。
丘の下、村の方角から、轟音。悲鳴。
「——何だ!?」
立ち上がる。村を見下ろす。森の奥から、巨大な影が這い出してきていた。
四本の脚。長い尾。背中に生えた水晶のような突起。全長は二十メートルを超えている。体表が不規則に明滅し、赤と青の光が交互に走っている。
「リーゼ、あれは——」
「ヌシ様……!」
リーゼの顔が蒼白になる。
「この森のヌシ様だよ。村を守ってくれてる守護獣。……でも、あんな光り方、初めて見る……!」
守護獣。管理者モードで見ると、体内の粒子配列が滅茶苦茶だ。正常な動作パターンとは程遠い。赤い光は——エラーログ。暴走している。
「あれ、おかしいぞ。制御系が壊れてる」
「え……?」
「守護獣のシステムが暴走してる。このまま放っておいたら、村を踏み潰す」
丘を駆け下りる。村人たちが逃げ惑っている。守護獣の尾が振り回されるたびに、石造りの家が砕ける。
バルドが子供を抱えて走っていた。
「あのバカでかいの、止められるか!?」
「やってみる」
管理者モードで守護獣の構造を読む。魔獣とは桁違いの情報量。コアプロセスが複数ある。レイヤーが深い。こいつは単なるバグじゃない。かなり高度な——。
赤いエラーログが視界を埋め尽くす。暴走の原因が見えた。中枢の制御プログラムに、外部から異常な負荷がかかっている。何者かが、意図的に暴走させた?
——考えるのは後だ。まずは止める。
問題は、こいつを「強制終了」できるかだ。魔獣には通った。だが守護獣はスケールが違う。端末接続数が桁違いで、強制終了したらこいつ自体が壊れる可能性がある。村の守護獣を壊したら本末転倒だ。
なら——終了じゃなく、休止だ。
「——対象指定。動作モード変更」
管理者権限で、最も大きなコマンドを投げる。視界全体が赤く染まる。額から汗が吹き出す。処理負荷が尋常じゃない。脳が焼き切れそうだ。
「『スリープモード、強制移行』」
指を、鳴らした。
守護獣の体表を走っていた赤い光が——一斉に、青に変わった。
動きが止まる。四本の脚が、ゆっくりと折りたたまれていく。長い尾が地面に横たわる。水晶の突起から穏やかな光が漏れ出し、巨大な体がゆっくりと地面に伏した。
——眠った。
膝をついた。視界が揺れる。鼻血が出ている。脳内チップが悲鳴を上げている。管理者権限の過負荷。体がこのスペックに追いついてない。
「宙さん!」
リーゼが駆け寄ってくる。
「大丈夫……ちょっと頭使いすぎた」
鼻血を拭う。立ち上がろうとして、膝が笑った。
——管理者権限は万能じゃない。ハードウェア——つまり、この体が追いつかない。使いすぎれば倒れる。覚えておく必要がある。
村人たちのざわめきが背後で広がるが、構っている暇はない。
バルドが来た。
「……礼は後で言う。今は聞きたいことがある。ヌシ様が暴走した理由、わかるか」
「外部から負荷をかけられてた。誰かが、意図的に暴走させた可能性がある」
「……誰が、何のために」
「わからない。だが——」
守護獣の体内データを管理者モードで追っていた時、妙な信号を拾った。暴走の発信源を辿ると、森の奥の一点に収束している。
「信号源がある。森の奥だ」
「行くのか」
「行く」
バルドが無言で松明を渡してきた。何も言わない。ただ——目が「気をつけろ」と言っていた。
リーゼも来ようとしたが、止めた。
「村を頼む。守護獣はスリープ状態だが、何かあったら——」
「……わかった。気をつけてね、宙さん」
一人で森に入る。管理者モードが信号源を追尾する。深い森。二つの月の光が木々の隙間から差し込む。足元は見えるが、先は暗い。
信号が強くなっていく。近い。
木々が途切れた。
開けた空間。月光が降り注ぐ、苔むした広場。
そこに——それは、あった。
銀色の船体。全長は五十メートル以上。表面は苔と蔦に覆われているが、輪郭は間違いない。流線型のフォルム。翼のような構造体。推進器らしきノズル。
宇宙船だ。
足が止まった。
心臓が、ありえない速さで打っている。知ってる。知ってるはずがないのに、この形を、この輪郭を、この——。
管理者モードが勝手に起動した。船体全体をスキャンする情報の奔流。テキストが視界を埋め尽くす。
近づく。船体に触れた。指先から電流のようなものが走る。
船体の一部が光った。ハッチが、音もなく開く。内部から、冷たい空気が漏れ出す。
一歩、中に入る。
通路。照明が順番に点灯していく。俺の歩みに合わせて。まるで——迎え入れるように。
ブリッジに出た。
操縦席。コンソール。大型のモニター。すべてが塵に覆われているが、損傷はない。
コンソールに手を置いた。指が、四桁の数字を叩く。自販機と同じだ。体が覚えている。
画面が起動した。
青い光。テキストが流れる。
『——生体認証完了。搭乗者ID照合……照合完了』
そして——。
『おかえりなさい、マスター。長い眠りでしたね』
女の声。柔らかくて、どこか懐かしい合成音声。
——その声を聞いた瞬間、喉の奥が、また熱くなった。写真の女。コーラの記憶。そして——この声。全部、同じ場所が痛む。
マスター。
この船は、俺を知っている。俺のIDで起動し、俺を「マスター」と呼んだ。あの自販機の「KURAHASHI」。管理者権限。そして今、俺を「おかえり」と迎える宇宙船。
……全部、繋がってるのか。俺は——ここに、いたことがあるのか。
「……俺は、お前の主人なのか」
『はい。あなたはこの船の登録者です。最終ログイン記録は——データが破損しています。申し訳ありません』
「……名前は」
『本船の名称は『方舟』。惑星間航行用調査船です。マスター、指示をお願いします』
指示。
俺は宇宙船の主人。管理者権限を持ち、この星のシステムに干渉でき、そして——惑星間航行用の船が、俺を待っていた。
俺は、何者だ。
モニターに映る星図を見つめる。赤い点が一つ、明滅している。この星の位置。そしてその先に——あの青い星。
「方舟。あの星まで、飛べるのか」
『現状の出力では不十分です。修復と燃料補給が必要です。推定所要期間——算出中』
「……そうか」
振り返る。ハッチの向こうに、森が見える。月明かり。虫の声。
この星には、助けを求めてる人がいる。リーゼがいる。バルドがいる。守護獣を暴走させた何者かがいる。
あの青い星——「始まりの星」に、俺の答えがあるかもしれない。俺が何者なのか。この記憶のない体に、何が刻まれているのか。
だが、今日じゃない。
「方舟。待機モードで待ってろ。——俺は、もう少しここでやることがある」
『了解しました、マスター。いつでもお待ちしています』
船を出た。森の中を歩いて、村に戻る。
東の空が白み始めていた。夜明け。二つの月が薄れ、代わりに朝日が昇ってくる。
あの青い星は、もう見えない。だが——ある。確かに、ある。
村の入り口で、リーゼが待っていた。一睡もしていないのだろう。目の下にくまがある。
「宙さん! よかった……! 森の奥で何があったの?」
「……ちょっと、面白いもんを見つけた」
「面白いもの?」
「ああ。——この世界のバグを直すのに、役に立ちそうなやつだ」
リーゼが首を傾げる。
俺は笑った。何も知らない、何も覚えていない。だが——この世界を直すための「鍵」が、少しずつ揃い始めている。
管理者権限。リーゼの魔法。バルドの村。そして——方舟。
さて。
このバグだらけの世界をアップデートする準備は、整った。




