第4話「聖遺物はただのジャンク品」
リーゼの村で一夜を過ごした。
干し草のベッド。隙間風だらけの石壁。管理された温度も、最適化された寝具もない。なのに——あの世界のどんな部屋より、よく眠れた。
朝。井戸水で顔を洗う。水面がかすかに発光しているのは、もう驚かない。この星の水にも、あの粒子——「魔力素」とかいうやつが溶け込んでいる。飲むたびに管理者モードの接続端末が増えていく感覚がある。
リーゼが朝食を持ってきてくれた。硬いパンと、昨日の残りのスープ。
「宙さん、今日は村を案内するよ! 見てほしいものがあるの」
昨日の「ありますよ」から「あるよ」に変わり、今朝は「するよ」。打ち解けるの早いな、この子。
「見てほしいもの?」
「うん。村の『聖堂』。そこに、すごいものがあるんだ」
聖堂。リーゼの目が輝いている。宗教施設か。この世界にも信仰があるのか。
パンを噛みながらついていく。村の中心にある石造りの建物。他の家より一回り大きいが、装飾は質素だ。重い木の扉を開けると——。
「……は?」
祭壇の上に、鎮座していたのは。
自動販売機だった。
錆びついて、苔むして、表面の塗装は剥がれ落ちている。だが形状は間違いない。どう見ても自動販売機。ボタンの配列。投入口。取り出し口。
そしてその周囲を、花と蝋燭が取り囲んでいる。
……自販機に祈ってる。この村の人たち、自販機に祈ってる。小銭入れてボタン押すだけの機械を、御神体として拝んでる。いや、そもそも小銭って概念がこの世界にあるのか?
「これが、私たちの村に伝わる『聖遺物』です。はるか昔、神が地上に残した神器と言われていて——」
「……自販機じゃねえか」
「じはんき?」
リーゼが首を傾げる。当然だ。この世界に自動販売機という概念はない。
「いや、なんでもない。……これ、触っていいか?」
「え!? 聖遺物に触れるなんて、普通は禁忌だけど……宙さんなら、管理者様だし……バルドさん?」
後ろに立っていたバルドが、腕を組んだまま頷いた。
「……好きにしろ。どうせ誰が触っても動かなかった」
裏に回る。パネルを探す。あった。サービスパネル。錆びて固着している。管理者モードで構造を読む——内部回路は生きている。この自販機にも、魔力素が浸透しているらしい。土壌から吸い上げた粒子が、回路の隙間を埋めて、擬似的な電源になっている。
パネルをこじ開ける。中のキーパッド。指が勝手に動く。四桁の数字を叩き込む。
——なんでこの番号を知ってるんだ。
考える暇もなかった。
『——Welcome. Administrator.』
液晶が点灯した。割れたディスプレイの隙間から、青白い光が漏れる。英語のテキスト。管理者モードの起動ログ。
村人たちが悲鳴を上げた。
「ひ、光った! 聖遺物が……!」
「神のお告げだ……!」
「いや違う、落ち着け」
ディスプレイを読む。製造元のロゴ。シリアルナンバー。文字は半分潰れていて読めないが、管理者モードで復元すると——。
『KURAHASHI ENGINEERING Co.,Ltd.』
……。
倉橋。俺の苗字だ。
さらにパネルの裏側に、手書きの文字が刻まれていた。金属に直接引っかいたような、雑な字。
『20██.11.17 調整完了:倉橋』
日付の上二桁以降は腐食で潰れている。だが「倉橋」は読めた。
……へえ。大昔のエンジニアにも「倉橋」がいたのか。奇遇だな。——同姓なんていくらでもいるだろ。
胸の奥が、また軋む。「最適化」と口にしたときと、同じ痛み。
……偶然だ。考えるのは後にしろ。
在庫リストを確認する。奇跡的に、数本が残っている。冷却システムは死んでいるが、中身は密封されたまま。
ボタンを押した。
ガコン、と乾いた音。取り出し口に転がり落ちてきたのは——赤い缶。
コーラだ。
手に取る。缶は温い。ラベルは色褪せている。だが、振ると中身が動く音がする。
……冷静に考えろ。どう見ても大昔の缶だ。中身は毒物になっててもおかしくない。普通に考えたら飲むやつの気が知れない。
脳内チップがログを出した。『未確認飲料。有害成分を検知——中和処理を実行します』。
……チップが勝手に毒消ししてくれるらしい。便利な体だな、俺。死んだら「食あたりで死んだ伝説の管理者」として語り継いでくれ、リーゼ。
プルタブを引いた。プシュ、と小さな音。微かな炭酸の香り。
一口。
甘い。ぬるい。炭酸はほとんど抜けている。
——なのに、涙が出そうになった。
なぜだ。ただの炭酸飲料だろ。なのに、喉を通った瞬間、脳の奥で何かがスパークした。
知ってる味だ。
誰かと——飲んだ。隣に誰かがいて、同じ缶を開けて、笑っていた。
「ユイ」。
また、あの音が喉の奥に浮かんだ。写真の女。名前も顔も思い出せないのに、この味だけが、記憶の底から引きずり出された。
——お前と、何を約束したんだ。
「宙さん? 大丈夫? 顔色が……」
「……ああ。大丈夫」
缶をリーゼに差し出した。
「飲んでみろ。聖水じゃなくて、ただの飲み物だ。たぶん世界で一番不健康なやつ」
リーゼが恐る恐る口をつけた。
「——っ! しゅわしゅわする……! 甘い……! なにこれ、すごい……!」
「コーラっていうんだ。……たぶん」
「こーら。こーら! 宙さん、これ、みんなにも飲ませていい?」
「在庫が数本しかないから、一口ずつな」
村人たちが恐る恐る集まってくる。聖遺物から出てきた「神の飲料」。一口飲むたびに歓声が上がる。子供が目を丸くする。老婆が「神の味じゃ」と拝む。
……ただのコーラだってば。
バルドが隣に来た。
「自販機、と言ったな。あんた、この聖遺物が何か知ってるのか」
「……物を売る機械だよ。金を入れて、ボタンを押すと、飲み物が出てくる。それだけだ」
「金を入れて。……まるで、神話の時代を生きた人間みたいな口ぶりだな」
「……さあな」
目を逸らした。知ってるのか。知らないのか。自分でもわからない。ただ、この機械の使い方を体が覚えていた。四桁の暗証番号を、指が勝手に叩いた。コーラの味を、舌が知っていた。
俺の体には、記憶にない「過去」が染み付いている。
——俺は、いつの時代の人間なんだ。
聖堂を出ると、村の入り口に人だかりができていた。
「リーゼ!」
バルドの声が鋭くなる。
村の門の前に、馬に乗った男たちが五人。昨日とは違う装備。正規の軍装。胸に紋章。
「アルヴァイン村の村長に告ぐ。領主ハイデン公の命により、魔法使いリーゼ・アルヴァインの徴兵を執行する。抵抗は反逆とみなす」
リーゼの顔から血の気が引いた。昨日の徴兵隊は追い払えた。だが今日は正規軍。しかも領主の名前付き。
「バルド、この村の戦力は」
「……なにもない。魔法が使えるのはリーゼだけだ。あとは農民しかいない」
五人の騎士。全員がナノマシン製の武装。管理者モードで構造が読める。昨日の剣より上位の装備。だが——俺のコマンドが通る範囲だ。
「リーゼ」
「は、はい……」
「お前は動くな。——俺がやる」
一歩、前に出た。
騎士の一人が剣を抜く。ナノマシンの刃が光る。
「何者だ。道を空けろ」
「道は空けない。——ただ、一つ忠告しとく」
管理者モードを起動。五人の装備を同時にスキャン。構造解析。互換性チェック。——全て、俺のコマンド圏内。
「その鎧、バグだらけだぞ。今なら素手で帰れる。武装解除されてからじゃ恥ずかしいだろ」
「……何を言って——」
パチン。
五人の騎士の鎧が、同時にエラーを吐いて崩壊した。光が散り、金属片が地面に散らばる。鎧の下から現れたのは、ただの革の服を着た男たち。
沈黙。
「……な、なにが……」
「言っただろ。バグだらけだって」
騎士たちが顔を見合わせ、馬を返して逃げていった。
背中を見送りながら、考える。
これで終わりじゃない。領主が引き下がるはずがない。次はもっと大きな力で来る。
この村を守るには——もっと根本的な「修正」が必要だ。
「宙さん……」
リーゼが俺の袖を掴んでいた。指が震えている。
「……ありがとう。でも、これ以上宙さんを巻き込むわけには——」
「巻き込まれたんじゃない。俺が勝手にやってるだけだ。——それに」
空を見上げた。二つの月が、昼の空にうっすらと浮かんでいる。
「この世界のバグは、まだ山ほどある。一つずつ潰していくだけだ」
リーゼが泣き笑いの顔で頷いた。
バルドが黙って俺の隣に立った。何も言わない。ただ、さっきまでと目の色が違っていた。




