第3話「その魔法、コードが冗長すぎる」
少女の名前はリーゼ・アルヴァイン。この星の住人。十六歳。そして——俺を「管理者様」と呼んで目を輝かせる、ちょっと困った女の子。
「管理者様、お怪我はないですか!? あの、お水は? 食べ物は?」
「……まず落ち着け。あと管理者様って呼ぶのやめろ。宙でいい」
「そら、様」
「様もいらない」
「そら……さん?」
「……まあ、いいか」
さん付けに妥協するのは負けた気がするが、追放されてから初めて名前で呼ばれている。贅沢は言えない。
リーゼの案内で、森を抜けた先にある集落へ向かう。歩きながら話を聞く。
この世界の住人は「魔法」を使う。火を起こし、水を操り、傷を癒す。「詠唱」という音声で力を発動させるらしい。
「宙さんは、あの光の剣を一瞬で消しましたよね。あれは……管理者の『奇跡』ですか?」
「奇跡じゃねえよ。……正直、俺にもよくわかってない。ただ、この世界のものには俺の命令が通るらしい」
「命令……」
「魔法とは違うのか、同じなのか、それもわからん。——お前の魔法、あとで見せてくれないか。ちょっと気になることがある」
「は、はい!」
集落が見えてきた。
石造りの家が二十軒ほど。畑がある。井戸がある。子供が走り回っている。
見た目はどこにでありそうなファンタジーの辺境集落。ただ——畑の作物の葉が六角形なのと、井戸の水面がかすかに発光しているのが、この世界の「普通」が俺の「普通」と違うことを教えてくれる。
「リーゼ! 無事だったのか!」
村の入り口で、初老の男が駆け寄ってきた。村長らしい。白髪に深い皺。だが足腰はしっかりしている。
「はい、この方が助けてくださったんです。宙さん、こちらは村長のバルドさんです」
「あんたがリーゼを? 礼を言わせてくれ。……しかし、見慣れない服装だな。旅の方か?」
「まあ、そんなところだ。——それより、さっきリーゼを追ってた連中は何者だ?」
バルドの顔が曇る。
「隣領の徴兵隊だ。リーゼは村で一番の魔法使い。この子の力を、領主が軍に欲しがっている」
魔法使い。リーゼが。
——見てみたい。この世界の「魔法」が、俺の管理者権限とどう関係しているのか。
「リーゼ。さっき言った魔法、見せてくれ」
「は、はい!」
リーゼが一歩前に出て、両手を胸の前で合わせた。目を閉じる。唇が動く。
「——聖なる風の精霊よ、我が声に応え、大気の流れを束ね、刃と成して我が敵を穿て——『ウィンド・カッター』!」
長い。詠唱が、長い。
リーゼの周囲に風が渦を巻き、鎌のような風の刃が形成される。それが地面の岩を切り裂いた。威力はある。だが——。
俺の目には、別の光景が見えていた。
管理者モードの視界。詠唱の間、空気中の微細な粒子——この世界で「魔力素」と呼ばれているもの——がリーゼの声に反応し、一つずつ起動していく。
そのプロセスが、恐ろしく非効率だった。
管理者モードで構造を読む。「聖なる風の精霊よ」——認証手続き。「我が声に応え」——接続要求。「大気の流れを束ね」——対象指定。「刃と成して」——形状定義。「我が敵を穿て」——実行命令。
五段階。一回の攻撃に五段階の手続きを踏んでいる。
——なぜかわかる。これが非効率だと、見た瞬間にわかった。どこで学んだかは思い出せない。だが、最適な構造が頭の中に浮かんでいる。認証は省略できる。対象指定と形状定義は一つに統合できる。
体が知っている。この「コード」の、もっと綺麗な書き方を。
「リーゼ」
「は、はい!」
「その詠唱、半分に短縮できるぞ」
沈黙。リーゼだけじゃない。周囲で見ていた村人たちも固まっている。
「た、短縮……? で、でも、詠唱は神聖な儀式で、一言でも変えたら魔法が暴走するって——」
「暴走しない。お前の詠唱は五段階の手続きだが、うち二つは省略可能で、二つは統合可能だ。必要なのは対象指定と実行命令だけ」
——口が勝手に動いた。また、だ。体が叫んでいる。もっと綺麗に、もっと効率よく書き直せと。
「やってみろ。『風よ、切れ』。それだけでいい」
「えっ……そ、それだけで……?」
「見えたまま言うぞ。お前が視線を向けた先に力が飛ぶ。形は前に使った形を勝手に覚えてる。で、最初の呼びかけは——たぶん、いらない。いいから、やってみろ」
なんで俺、こんなことが見えるんだ。
リーゼが恐る恐る手をかざした。唇が震える。
「——風よ、切れ」
風の刃が、岩を両断した。
さっきの三倍の速度で。威力は変わらない。
静寂。
「…………え?」
リーゼが自分の手を見つめている。村人たちも凍りついている。
「な、なんで……? 詠唱を短くしたのに、威力が落ちてない……むしろ速い……」
「無駄な手続きを削っただけだ。コードが短くなれば実行速度は上がる。お前の力が弱いんじゃない。手続きが多すぎたんだ」
リーゼの目に涙が浮かんだ。
「私、ずっと……威力が足りないのは才能がないせいだって……」
「才能の問題じゃない。教わった詠唱が非効率だっただけだ。——お前のスペックは悪くない。最適化すれば、まだ伸びる」
最適化。
口にした瞬間、胸の奥が軋んだ。
なぜだ。「最適化」という言葉に、なぜ胸が痛む。あの世界の「最適化された社会」を思い出したからか。——いや、それだけじゃない。もっと深いところで、この言葉が何かに引っかかっている。
……気のせいだ。たぶん。
「……ありがとうございます、宙さん」
リーゼが涙を拭いて、笑った。泥だらけの頬に涙の跡。太陽みたいな笑顔。
——ああ。この笑顔は、計算できない。
「礼はいいよ。……それより、飯はあるか。実は転送されてから何も食ってない」
「え!? それは大変です、すぐに!」
リーゼが慌てて駆け出していく。
バルドが隣で腕を組んでいる。さっきから黙って見ていた。
「……あんた、何者だ」
「ただのバグだよ。世界からはじき出されたバグが、たまたまこの星に落ちてきただけ」
「バグ、ね。聞いたことない言葉だが——リーゼの詠唱を聞いただけで、構造を見抜いたのか。あんた、この世界の仕組みを知ってるんじゃないのか」
「……さあな。自分でもわからないんだよ。なんで見えるのか。なんで直し方がわかるのか」
嘘じゃない。本当にわからない。この体は、俺が知らないことを知っている。コマンドの打ち方。コードの読み方。最適化の手順。全部、記憶にないはずなのに指が覚えてる。
——俺は何者なんだ。
リーゼがパンとスープを持って戻ってきた。素朴な食事。焼きたてのパンと、根菜のスープ。
一口食べた瞬間、体の芯から力が湧き上がるのを感じた。管理者モードの視界で、体内の粒子濃度が跳ね上がるのが見える。この星の食べ物は、俺の権限をさらに強化するらしい。
パンを噛みながら、空を見上げた。二つの月がうっすらと見えている。
リーゼの魔法。徴兵隊の存在。管理者の伝説。この体に刻まれた、覚えのない知識。
この世界には、まだ直すべきバグが山ほどある。そして——俺自身が、最大のバグだ。
「宙さん! おかわりあるよ!」
「……ああ。もらう」
生きてさえいれば、腹は減る。管理者権限があっても、空腹は空腹だ。
でも——空腹を満たしてくれる誰かがいるのは、覚えている限り、初めてのことだった。




