表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
欠陥品は星を渡る ~AIに追放された俺、1000年後の異世界で最強の『バグ』でした~  作者: 青柳 玲夜(れーやん)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/30

第22話「真空のエントリー」

『論理ロック残存時間:38時間00分

 自由リソース:3.6%

 メテオ・ストライク残弾:3

 003次回パッチ更新まで:4時間00分

 作戦フェーズ:待機中』


「四時間ある。やることをやっておこう」


 ルークが宇宙服の予備酸素タンクを並べた。四人分。方舟の格納庫にあった緊急用のEVAスーツだ。SORA規格の軍用品で、真空環境での活動時間は最大二時間。


「先輩。一つ問題があります」


「何だ」


「四着あるんですけど、三着は標準サイズで、一着だけ小型です。リーゼさんには標準サイズが大きすぎる。逆に小型だと、カインさんには——」


「入らねえだろうな」


 カインが腕を組んだ。この男の肩幅は規格外だ。


「ルーク。カインのスーツ、肩と腕の関節部を緩められるか」


「やれます。ただ、気密性が少し落ちます。真空での活動時間が——」


「一時間半に落ちる、か」


「はい。その代わり、動きやすくなります。刀は振れます」


「旦那。一時間半で足りるか」


「足りなかったら、そこで終わりだ」


「……ハハ。『ゲームオーバーまで残り一時間半、セーブポイントはありません』ってか。クソゲーだろ、これ」


「文句はゲームの制作者に言え」


「制作者は千年前に死んでるんだろ? タチが悪いにも程がある」


 カインが笑った。リーゼも笑った。ルークは笑いながら手を動かしていた。関節部の改修。十六歳の整備士は、笑いながらでも手が止まらない。



     ◆



 三時間後。


『003のパッチ更新まで:1時間00分。更新前の防衛低下期間(30分間)まで:30分。タワーへの接近コースを確認してください』


「方舟。ステルス接近コースを出せ。タワーの最上部、隠し空間の推定座標に最も近い外壁面を狙う」


『コース生成中——。タワー最上部の北東面が最適です。SORAの監視衛星の死角を縫い、月面の地形を遮蔽物として利用します。接近所要時間:推定22分』


「22分。防衛低下の30分ウィンドウに入ってから接近を開始すれば、8分の余裕がある」


「先輩。8分って、余裕なんですか」


「ない。——だが、ゼロよりマシだ」


 全員が宇宙服を着た。


 カインのスーツは肩の関節が緩められ、動きやすくなっている代わりに、気密インジケーターが黄色に点灯していた。完全気密ではない。真空に出た瞬間からカウントダウンが始まる。


 リーゼの小型スーツはぴったりだった。ヘルメットの中で銀髪が広がっている。


「リーゼ。宇宙服での活動は初めてか」


「うん。——あ、でも、深い井戸に潜ったことはあるよ」


「井戸と真空は違うぞ」


「暗くて、冷たくて、息ができなくて、上に戻らないと死ぬ。——同じじゃない?」


 反論できなかった。


「……確かに、だいたい同じだ」


 カインが吹き出した。


「嬢ちゃん。お前、たまにとんでもねえこと言うな」


「え? 普通のことだよ?」


 普通ではない。だが、リーゼの「普通」は、いつも俺の想定の斜め上を行く。


 方舟のメインモニターに、タワーが映った。


 灰色の月面に聳える、幾何学模様の巨大な柱。前回はあの中を下から登った。今回は、上から突入する。


『防衛低下期間に入りました。003のリソースの0.8%が、パッチ生成に振り向けられています。タワーの防衛レベルが約15%低下。——ウィンドウ開始。残り30分』


「方舟、接近開始。——全員、ここからは喋るな。SORAに拾われる」


 方舟が動いた。月面すれすれを滑るように飛行する。推進系の出力を最低限に絞り、慣性と重力のアシストだけで滑空する。音はない。真空だから当然だが、船内にもエンジン音がほとんどない。静かすぎる。


 モニターに、タワーが近づいてくる。


 巨大だ。月面に突き立てられた青い針。近づくほどに、幾何学模様の細部が見えてくる。あの模様の一つ一つがナノマシンの集合体で、それぞれが防衛機能を持っている。


『タワー最上部まで距離3.2km。接近コースは正常。SORAの監視網に検知されていません。——メテオ・ストライクの射程圏内に入ります』


「方舟。メテオ・ストライク、発射準備。出力設定——最小収束。外壁のみを貫通し、内部構造への影響を最小化しろ」


『最小収束モード設定中——。通常出力の38%まで絞ります。貫通可能な外壁厚:推定4.2m。穴の直径:推定2.8m。内部への熱影響半径:穴の縁から約0.5m。——設定完了。リソース消費:通常の1.2%から0.9%に低減されます』


 0.9%。通常より安い。出力を絞った分だけ節約になる。——エンジニアの本能で、節約できるところは節約する。残弾の問題もあるが、リソースの問題も常にある。


「撃った後の残りは」


『自由リソース:3.6% - 0.9% = 2.7%。メテオ・ストライク残弾:2』


 2.7%と残弾2。


「照準」


『タワー最上部北東面。隠し空間の推定座標に最も近い外壁面。照準固定——。発射可能です』


 モニターに、タワーの最上部が映っている。幾何学模様が光っている。あの壁の向こうに、結が千年間SORAから隠し続けた部屋がある。


「メテオ・ストライク——発射」


 方舟が揺れた。


 二度目のメテオ・ストライク。船首の下部から、青白い光の線が伸びた。前回より細い。収束率を上げた分、針のように鋭い光線がタワーの外壁に突き刺さった。


 音はない。真空だから。


 だが、光はあった。外壁に光線が当たった瞬間、ナノマシンの結合が崩壊し、白い閃光が散った。融解した金属の飛沫が月面の真空に放射状に広がり、太陽光を反射してきらきらと光った。


 穴が開いた。


 タワーの外壁に、直径約3mの円形の穴。縁は赤熱して光っている。穴の奥は暗い。


『貫通確認。穴の直径:2.9m。内部への熱影響:許容範囲内。——穴の奥に空間を検出しました。推定通り、設計図外の隠し空間です。気圧はゼロ。元から真空の空間でした』


 元から真空。結はこの部屋を最初から真空のまま密封していた。空気の噴出も減圧もない。静かに穴が開いただけだ。


「——全員、EVA開始。穴に向かう。カイン、先頭」


「了解」


 方舟のエアロックが開いた。


 カインが最初に飛び出した。宇宙服のブースターを短く噴射し、穴に向かって真っ直ぐ飛ぶ。傭兵の動きは無駄がない。体の軸がぶれない。


 ルークが続く。リーゼが続く。


 俺は最後に出た。


 月面の真空。音のない世界。足元に灰色の月面が広がり、頭上には星が散っている。地球が青く輝いている。あの星の上で、十万人が静止している。


 穴に向かってブースターを噴射した。


 タワーの外壁が近づいてくる。穴の縁は冷めかけているが、まだ赤い光が残っている。融解した金属の飛沫が、月面の真空をゆっくりと漂っている。


 ——指が知っていた。


 スラスターのレバーを0.3度傾ける。左足で船外デッキの縁を蹴る。体を穴に向けて射出する。その一連の動作を、脳が考えるより先に体が実行していた。


 脳内チップの演算ではない。Heart of YUIから供給されている身体記憶だ。千年前の俺は、この動作を何度もやっていた。タワーの外壁作業。真空環境でのスラスター精密移動。理由は思い出せない。保守点検か、外壁メンテナンスか。だが、体が完璧に覚えている。


 50メートルの距離を、3秒で渡った。


 ——また一つ、謎が増えた。千年前の俺は、日常的にタワーの外壁で作業していた。管理者が、なぜ外壁にいる必要があった? Heart of YUIの設計と関係があるのか。考えるのは後だ。


 カインが穴に入った。ルーク。リーゼ。


 俺が穴の縁に手をかけた時——。


 右側の視界に、赤い光点が見えた。


「——方舟、ドローン!」


『検知済み。タワー外壁に張り付いていた待機型ドローン2機が起動しました。003の防衛レベルは低下中ですが、外壁の物理的防衛は自律動作型です。パッチ更新の影響を受けません』


 自律型。003の制御とは独立して動くドローン。防衛低下の30分間でも、こいつらだけは動く。


 2機のドローンが、穴に向かって接近してくる。


「方舟、ポイントディフェンス!」


『照準——。発射』


 方舟から散弾が飛んだ。1機が弾けた。もう1機がタワーの外壁の影に入って射線を避けた。


 穴の中から、カインの声が通信に入った。


「旦那、早く入れ!」


 穴に体を滑り込ませた。


 同時に、背後でドローンのレーザーが閃いた。宇宙服の左肩に衝撃。警告音。


『宇宙服損傷警告。左肩部の外装に損傷。気密は維持。次の被弾で気密が破れる可能性があります』


 一発なら耐えた。二発目はない。


 穴の中を蹴り進む。4.2メートルの外壁層を通過すれば——。


 抜けた。


 タワーの内部。暗い。ヘッドランプの光だけが空間を照らしている。


 カインが穴の縁に張り付いていた。外を覗き、残りの1機のドローンの位置を確認している。


「嬢ちゃん、ライト!」


 リーゼがヘッドランプを穴の外に向けた。ドローンの位置が照らされる。


 カインの手が動いた。刀ではない。穴の縁から剥がした、融解しかけた外壁の金属片。拳大の塊。


 投げた。


 同時に、ドローンのレーザーが閃いた。カインの左手を掠めた。


 だが、投擲は止まらない。月面の低重力。金属片が減速せずに真っ直ぐ飛び、ドローンの本体に直撃した。


 砕けた。


「……月の重力で投げると、どこまでも飛ぶな。ちょっと楽しい」


「カイン。ピッチャーの才能があるかもしれないが、今は中に入れ」


「ピッチャーって何だ」


「……忘れてくれ」


 四人が穴の内側に集まった。


 暗い。ヘッドランプの光だけが、空間を切り取っている。



     ◆



 結の部屋は——予想と違った。


 サーバーラックもない。コンソールもない。幾何学模様も、ナノマシンの回路も、SORAの気配も、何もない。


 あったのは——壁だ。


 コンクリートの壁。天井。床。素朴な、ただの箱。千年前の建築資材で作られた、何の変哲もない部屋。六畳ほどの広さ。


 そして、部屋の中には——。


 机が一つ。椅子が二つ。


 机の上に、紙の束。


 壁に、手書きの図面が貼られている。テープで止めてある。テープの粘着力はとっくに死んでいて、図面の端が丸まっている。真空のおかげで紙自体は劣化していないが、インクが一部かすれている。


 椅子の一つに、布が掛けてあった。ブランケット。真空の中で千年間、形を保っていた。


「……先輩。ここ、本当に千年前の部屋ですか」


「ああ。SORAの管理外だ。ナノマシンが一切入っていない。だから千年前のまま——真空で冷凍保存されたみたいに残ってる」


「旦那。あの図面、何が書いてある」


 壁の図面に近づいた。


 手書き。定規を使わずにフリーハンドで引かれた線。回路図のようにも見えるし、フローチャートのようにも見える。


 管理者モードで読んだ。


「これは——Heart of YUIの設計図だ」


 壁に貼られた四枚の図面。それぞれがHeart of YUIの設計層を示している。


 一枚目:神経パターン保全系統。——第1プロセス。既知。

 二枚目:身体記憶維持系統。——第2プロセス。既知。

 三枚目:[判読不能]——第3プロセス。インクがかすれて、核心部分が読めない。

 四枚目:全体統合図。三つのプロセスの接続関係。


「第3プロセスの図面——読めるか?」


 ルークが近づいて、ヘッドランプの角度を変えた。


「……ダメです。インクが飛んでる部分がちょうど核心で——手書きだから、デジタル復元もできない」


 だが、四枚目の全体統合図は読める。三つのプロセスがどう接続されているか。


 第1プロセスから第2プロセスへ、データのフィードバックループがある。神経パターンが身体記憶を参照し、身体記憶が神経パターンを補正する。相互依存の関係。


 そして——第3プロセスは、第1と第2の両方から独立しつつ、両方に接続されている。第3プロセスへの入力は「第1+第2の出力の差分」。


「先輩。第3プロセスは、第1と第2の差分を見てるんですか」


「ああ。人格データと身体記憶が一致しない部分——つまり、『矛盾』を検出している」


「矛盾を検出して、どうするんですか」


「それが——読めない部分だ」


 矛盾の検出。人格が示す行動パターンと、体が覚えている動作のずれ。それを結は千年間、監視し続けていた。何のために。


 机に目を向けた。


 紙の束。手書き。結の字だ。——壁に刻まれた「許さないでください」の字と同じ筆跡。


 一番上の紙に、こう書いてあった。



 宙へ


 この部屋に来たということは、

 あなたは自分が何者かを知り始めている。

 でも、まだ全部はわからないはず。


 全部がわかるのは、

 あなたが自分自身を「思い出した」時。

 体ではなく、心で。


 その時が来たら、

 机の引き出しを開けて。


 来なかったら——

 開けないで。



「引き出し……」


 机の引き出しを見た。手をかけた。


 ——止めた。


「……まだだ」


 結の指示は明確だ。「自分自身を思い出した時」に開けろ。今の俺は、まだ記憶が欠けている。身体記憶はHeart of YUIから供給されているが、心の記憶——結との日々、自分がなぜここにいるのか——はまだ霧の中だ。


「先輩。開けないんですか」


「結が『開けるな』と言っている。——まだその時じゃない」


「旦那。でも、時間はないぞ」


「わかってる。だが、『条件を満たさないままアクセスして、データが壊れました』じゃ洒落にならない」


「……プログラマーの経験則か」


「人生の経験則だ。——RPGで言うと、『レベルが足りないのにラスボスの部屋に入ってイベントが壊れた』みたいなもんだ」


「旦那、その例えもう少しなんとかならねえのか」


「わかりやすいだろう」


「わかりやすいのが問題なんだよ」


 引き出しから手を離した。代わりに、部屋の奥を調べる。


 壁の一面に、小さなパネルがあった。ナノマシンではない。千年前の物理的なタッチパネル。画面が暗い。


 触れた。


 パネルが起動した。管理者001の生体認証が通ったのだろう。画面に文字が表示された。



 [Heart of YUI: Process 3]

 最終認証インターフェース

 

 鍵1:管理者001生体認証 → 認証済み

 鍵2:入力待ち

 

 鍵2を入力してください。

 ヒント:あなたが最後に聞いた音。



 あなたが最後に聞いた音。


 ——sora_ni_todoke.wav。3秒間の鼓動。3回の拍動の間隔。


 ルークの仮説が正しかった——か?


「ルーク。ポータブル端末を出せ。sora_ni_todoke.wavのデータを」


「はい!」


 ルークが端末を接続した。3秒間の音声データから、3回の鼓動の間隔を抽出する。


「先輩。拍動間隔は——0.82秒、0.79秒、0.84秒。3バイト整数に変換すると——」


 ルークが数値を入力した。


 パネルが反応した。



 鍵2:認証中——

 

 ……

 

 認証失敗。

 

 拍動間隔のデータが一致しません。

 「あなたが最後に聞いた音」は、

 録音データではありません。

 

 再入力を待ちます。



「……失敗した」


 全員が黙った。


「先輩。録音データじゃないって——」


 「あなたが最後に聞いた音」。録音データではない。


 つまり——sora_ni_todoke.wavは鍵そのものではない。あの音声ファイルは、鍵の素材ではあっても、鍵そのものではない。


 「あなたが最後に聞いた音」。俺自身が「聞いた」音。


 千年前の記憶は、ない。体の記憶はあるが、「音」の記憶は身体記憶のカテゴリではない。音は感覚であり、感情に紐づいている。


 心の記憶。


 結の手紙に書いてあった。「体ではなく、心で思い出した時」。


 第3プロセスの鍵は、俺の心の記憶。今の俺には、まだ足りないもの。


「……今は、開けられない」


「先輩——」


「心の記憶が必要だ。体が覚えていることじゃなく、俺自身が思い出すこと。——結は、それを鍵にした」


 リーゼが、パネルの画面を見つめていた。


「……結さんは、宙さんに思い出してほしかったんだね」


「ああ」


「全部を知るためじゃなくて、思い出すために。——データじゃなくて、記憶として」


 データと記憶の違い。Heart of YUIの第1プロセスは人格データ。第2プロセスは身体記憶データ。どちらも「データ」だ。サーバーに保存され、供給される情報。


 だが第3プロセスの鍵は、データではない。俺自身の中から出てくる、生きた記憶。


 結は、千年間かけて俺の「データ」を守りながら、最後の鍵だけは俺の「心」に委ねた。


「——撤収する。ここで得たものを持ち帰る」


「旦那。引き出しは」


「触らない。約束だ」


「律儀だな。千年前の女との約束を守る男は初めて見た」


「契約は守る主義だ。——相手が千年前の人間でも、相手が人工知能でも、相手が十六歳の整備士でも」


「なんで俺が入るんですか」


「深い意味はない」


 部屋を出る前に、振り返った。


 机と椅子とブランケット。手書きの図面。結がSORAにすら隠した、千年前の小さな部屋。


 ここに結は何度来たのだろう。一人で。この真空の小部屋で、俺のための設計図を描き、手紙を書き、ブランケットを椅子にかけた。


 ——真空の部屋にブランケットをかけて、何の意味がある。寒くない。誰も使わない。


 でも、かけた。合理的じゃない。意味がない。だから——人間だ。


「……また来る」


 誰にともなく呟いて、穴から月面の真空に出た。



     ◆



 方舟に帰還した。


 穴はもうナノマシンの修復が始まっていた。融解した縁から新しい壁面が生成されている。


「方舟。穴が完全に塞がるまでの推定時間は」


『修復速度から推定——約40分で閉鎖されます。なお、修復後の壁面はナノマシンの密度が約1.4倍に上昇します。次回同位置への貫通には、通常出力以上のメテオ・ストライクが必要です』


 免疫反応。傷を塞ぎ、そこだけ硬くする。次は同じ場所を撃てない。


 宇宙服を脱ぎ、ブリッジに座った。


 カインの左手に、レーザーの焼け跡があった。宇宙服の外装越しだったから浅いが、皮膚が赤くなっている。


「カイン。手」


「かすり傷だ。旦那には見せるほどのもんじゃない」


「見せろ。——冷却パッドはあるか」


 リーゼが冷却パッドを持ってきた。カインの手に当てる。


「カインさん、痛い?」


「痛くねえ。——昔、親父にぶん殴られてそのまま訓練させられた時の方が痛かった」


「それ、全然良くないよ……」


「比較対象がおかしいんだよ、この傭兵は」


「旦那に言われたくねえな。自分のリソースが3%切ってんのに『まだ余裕がある』とか言う男に」


「2.7%は3%切ってない」


「そういう話じゃねえよ」


 ルークがコンソールを操作しながら、報告を始めた。


「先輩。隠し部屋で取得したデータのまとめ、出します」



 [第22話探索結果]

 

 取得:

 - Heart of YUI設計図(手書き・四枚)

 - 第3プロセスの構造:第1と第2の「差分」検出

 - 第3プロセスの鍵2:心の記憶(具体的内容不明)

 - 結の手紙(部分的)

 - 隠し部屋の内部構造確認

 

 未解明:

 - 第3プロセスの核心機能(設計図のインク欠損)

 - 鍵2の具体的な内容(心の記憶=「最後に聞いた音」)

 - 机の引き出しの中身

 - 武装解放(3/3)の所在

 

 判明した制約:

 - 隠し部屋の穴は約40分で自己修復

 - 修復後の壁面は密度1.4倍(同位置への再貫通は困難)

 - sora_ni_todoke.wavは鍵そのものではない



「先輩。武装の最終解放——隠し部屋にはなかったですね」


「ああ。タワーの中でもなかった。第1層から第5層まで全部調べた。1/3は方舟、2/3はHeart of YUI。3/3は——」


「地上、ですかね」


「……可能性はある」


 地上からの通信が、頭をよぎった。千年前のプロトコルで送られてきた、ノイズだらけの声。「まだ終わらせてはいけない」。


 地上に、何かがある。


「方舟。月面から地上への降下コースを計算しろ。——いや、まだだ。その前に確認する」


「先輩?」


「ルーク。ミレイのデータに、武装解放の3/3に関する情報はあったか」


「え——ちょっと待ってください。ミレイ・データの索引を……」


 ルークが端末を操作した。36%のデータから、武装に関する記述を検索する。


「……ありました。断片ですけど」



 [Recovered Fragment: Mirei_weapon_log_0003]

 

 武装解放の第3段階は、タワーではなく

 [データ欠損]……に格納されている。

 

 設計者Y.K.は第3武装を

 「最後の手段」として

 [データ欠損]……に物理的に隔離した。

 

 第3武装の起動には、

 方舟の自由リソースの[データ欠損]%が必要。



「……肝心なところが欠損してるな」


「でも先輩。タワーではなく別の場所に格納されている、ってのは確定情報ですよね。そして『物理的に隔離した』ってことは——」


「地上だ。地上にある可能性が高い」


 武装の最終解放が、地上にある。


 論理ロックが地上で進行している。


 謎の通信が地上から来た。


 ——行くしかない。


「方舟。月面から地上への降下コースを計算しろ。方舟の現状のリソースで、大気圏再突入が可能かどうかも合わせて」


『計算中——。月面軌道から地球への遷移軌道を計算します。大気圏再突入に必要な推進リソースは——自由リソースとは別系統の推進燃料で対応可能です。ただし、降下中にSORAの地上防衛網が反応する可能性があります。推定被検知率:78%。——また、大気圏再突入後の方舟の損傷は軽微で済みますが、再び月面に戻る燃料は残りません』


 片道切符。


「旦那。月に戻れないってことは——」


「地上で決着をつける、ってことだ。タワーの隠し部屋は一旦保留。論理ロックを止めるのが先だ」


 全員が黙った。


 残り三十四時間。地上に十万人。武装の最終解放。謎の通信の送り主。そして——003。


「カイン」


「ああ」


「お前の故郷は、あの王都だろう」


「……正確には、王都の外の傭兵街だがな。飯が不味くて、喧嘩が多くて、犬がそこらじゅうで寝てる場所だ」


「帰りたいか」


「帰りたくはねえよ。——でも、あの犬たちがSORAに『最適化』されんのは、寝覚めが悪い」


「リーゼ」


「私は——うん。帰りたい。パン屋のおじさんと、おばあちゃんと、子どもたちに会いたい。——動いてるところを見たい」


「ルーク」


「先輩。俺は——先輩がどこに行くかで決めます。月でも地上でも」


「……お前は本当に、自分の意見を言わないな」


「言ってます。先輩についていくって意見です」


 反論できなかった。二回目だ。今日だけで。


「全員一致だ。——方舟、降下コースを確定しろ。降下開始は二時間後。それまでに船体の再突入準備を完了させる」


『了解しました。降下コースを確定します。大気圏再突入予定時刻——。再突入後の着陸予定座標は、王都から北西約40kmの平原です。SORAの監視網の密度が比較的低い地域を選定しました』


 二時間後。方舟は月を離れ、地上へ降りる。


 片道切符の大気圏突入。


 これで月面編は終わりだ。



 コンソールのモニターが、静かに数字を刻んでいる。



『論理ロック残存時間:33時間00分

 自由リソース:2.7%

 武装:ポイントディフェンス+メテオ・ストライク(残弾2)

 ドローン残存:11/20

 ミレイ・データ統合率:36%(解析完了)

 Heart of YUI:稼働中

 Heart of YUI 第3プロセス:認証未完了(鍵2不足)

 

 次の目標:地上降下。

 武装解放3/3の探索。

 論理ロック停止。

 

 ——月面ミッション完了。

 方舟は地上テラへ向かいます』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ