2話 第弐位階(ヒエラルキア・ツー) ー2
【1】
砲撃の音がし、王宮がゆれる。先ほどから音が響きつづけていた。
砲撃の回数が多すぎる―おそらく大砲では足止めにならないのだろう。無意識のうちにソフィアは速足になっていた。
ソフィアたちが廊下を進んでいると、重武装の騎士たちが何かを囲んで移動している。彼らの中心に、痩せ細った男が見える。
痩せた男は、ソフィアをねめつけるように見る。赤や金と言った色使いと、派手な装飾が男をみすぼらしく見せていた―ソフィアの義理の父であり、この国の王だ。
王と視線がぶつかる。充血した眼は、どこか虚ろで焦点があわない。震える手が辛うじて支えている豪華な器には薬が入れられている。
憎悪が、ソフィアの腹の底から突きあげてくる。眼が痙攣し、指が震える。心臓が狂ったように鳴り、沸騰した血液が全身に広がっていく。
歯が軋むほど食いしばり、ソフィアは必死に自分を抑える。
「国王陛下、行ってまいります」
ソフィアは近づき、ひざをつく。そして、恭しく礼をする。
王は、ソフィアを無視し、薬を飲み干す。しかし、指が震え、中身がこぼれてしまう。毒々しい色の水が髭に落ち、口の周りが汚れた。
ソフィアは、王の態度を見ても礼節を崩さない。
「〈第弐位階〉を城には近付けさせません。どうかご安心ください」
しかし内心では真逆の呪詛を吐く ――とっととくたばれ、老いぼれが。貴様が死ねば、私の悪夢は終わるのだ。
ソフィアの心の声が聞こえたのか、王は彼女に一瞥をくれると、口を開かぬまま従者に介護されながら奥の部屋に連れていかれた。
ふと後ろに控える侍女や、他の貴族の女たちのひそひそ声が聞こえる。
「王太子妃と言いながら、お世継ぎを生めないのは、どういうつもりなのかしら」
「呪いを受けたんだわ。汚らわしい」
「戦地で武勲を立てるなり、なんなりしたらどうなのかしら」
「〈第弐位階〉から呪いを受けて死ぬべきだわ」
ソフィアはそれを無視する。
しかし、彼らがそっぽを向いた瞬間、ソフィアの中で感情が爆発する。一瞬だけ、王をにらみつける。ソフィアのアイスブルーの瞳に宿る感情―強い殺意。
ソフィアの脳裏に、塩辛く、苦いパンの味がよみがえる。聖アントニオスの炎(麦角菌。当時は堕胎薬として使用された)をパンに混ぜ、食べさせ続けたのは、お前らだろ―
ソフィアは速足に階段を降り、城から出ていく。
【2】
ソフィアは矢筒と、弓を背負い、防壁へと向かう。しかし、街中は逃げる人々でごった返していた。道は詰まり、悲鳴や怒声があちこちで聞こえた。
「そこまで巨大なのか……」
騎士の一人が呟く。
「今までに遭遇したことのない規模かもしれない……」 ソフィアは唇を噛む。
ソフィアらは、馬を手繰り、強引に進む。馬も興奮していたが、こういった事態に慣れさせているため、暴れはしない。
〈第弐位階〉に近づくにつれ、地面を伝う揺れが大きくなっている。怪物が動くと同時に轟音が響いているのだ。家を形作るレンガが揺れ、重い音を立ててズレていく。内臓が震え、呼吸が苦しい。
土煙が近づいてくると、皆の足が止まってしまう。ソフィアは音のする方をにらみつける。肉が腐ったような臭気が鼻に刺さる。生温く、胸が悪くなるような異臭だ。
騎士の一人が、思わず嘔吐してしまう。騎士たちは無言になり、お互いを見た。全員が恐怖に震え、臆していた。
「本気で戦うつもりですか、情報収集のみに専念すれば良いではないですか」 騎士の中で一番年上の男が言う。
「そうですよ。このまま突っこんでも犬死にです」 若い騎士も続けて言う。
「オレたちを殺す気か!」
一人の若い従騎士が腕をつき出し、ソフィアを押す。ソフィアは、馬から落ちそうになり、息を飲む。
従騎士は、青筋を立て、ソフィアの鎧の一部を掴み続けていた。その腕の力に、ソフィアは唖然とする。
それほど鍛えられてもいない腕、そばかすの浮いた顔。ソフィアの細い腕は、それを抑えることすら、ままならない。
ソフィアの心臓が激しく鼓動する。冷たい汗が、わきをつたう。
分かり切っていたことだ。王は、初めから我々が怪物を倒せるとは思っていない。適度に情報収集を行い、逃げ帰ってくればそれで良いのだ。
情報収集は必須だ。だが、それは敵前逃亡を意味する。だからこそ「市民を置いて、怪物を目の前に逃げ帰った」という汚名を着せられる誰かに任せる他なかった。それで私が選ばれた。
「王太子妃、情報収集をして、逃げましょう……勝てるわけがない」
老騎士は、吐き捨てるよう言う。
ソフィアが落馬しそうになっている中、世界は刻々と進んでいく。
大勢の市民が悲鳴を上げ、逃げていく。子供が親を呼び、むせび泣いている。母親が自身の傷などお構いなしに、血だらけになりながら赤子をかかえて走っている。老人が息を切らし、それでも何とか生きのびようと走り出す。それを見捨て、情報収集に専念しろ、と?
ここで戦わず逃げれば、何人の死者が出るだろうか。否、できることなど限られているではないか。
勝てっこない、そんな言葉が脳裏で響く。そうだ、良いではないか。ここで戦ったところで、私への冷遇が変わるわけではない……
ふと、誰も助けてくれない市民の現状と、自分の現状が重なる。誰も変えることのできない残酷な現実。
ソフィアは、眼の周りが熱くなって行くのを感じた。気持ちと共に、涙があふれないように唇を食いしばる。
逃げよう。市民を置いて―そう口走りそうになる。
「いや―」 意志に反し、ソフィアは気が付くと声をあげていた。
もし、ここで逃げたとしたら、この現実を変えることができない、と認めることになる。そんな事は絶対に許せない。
ソフィアは信じていた―この辛い現実を、きっと良くできる。小さな力だとしても、その行動で、きっとそれが世界を動かし、現実を変えていく。
ソフィアは心の中でつぶやく―だからこそ、私はここで逃げるわけにはいかない。
勝てなくてもいい。だが、目の前の命を見捨て、逃げるわけにはいかない。それこそ、主力部隊が戻るまで怪物を一か所にとどめておけるなら、それが最善だ。
「主力部隊が到着するまで、怪物を足止めする。それが我々の任務だ」
「な……何を」
ソフィアは深呼吸をし、思考に集中する。瞬時に作戦を組み立てる。そして、
「この手を離せ。これから作戦を説明する」
ソフィアは低い声で、従騎士に命令する。
従騎士は、僅かに気圧されたように、腕の力を弱める。
話しながらもソフィアの脳は高速で回転する。この街の地理/怪物も生物=生物の弱点/土煙の量/騎士団の足取り―
ソフィアは、従騎士を睨みつけ、
「この街を守り、我々の誰一人として死なない作戦だ。だが、お前が、この手を離さない限り、どんどん時間は減っていくぞ」
従騎士は、ソフィアから手を離し、呻く。
ソフィアは体勢を整え、馬をあやす。そして、思考を整理する。
ソフィアは街の地理を思い出す。ここは貧民街だ。防壁から少し離れているが、危険が多いため、貧民街となっている。外壁沿いを数分走れば、完全に廃墟と化した場所がある。そこはほぼ無人のはずだ。
廃墟まで怪物を誘導できれば―ソフィアは思い、迷う。廃墟まで怪物が移動すれば、貧民街の一部は確実に被害を受ける。
どうする―
ソフィアは唇を噛み締める。ここの住民は逃げ足が速いし、ずぶとい。一部が破壊されてもしぶとく暮らしていけるだろう。それに、無人の廃墟でなら「あれ」を最大火力で使える。
ソフィアは周囲を見渡し、
「ここから数キロ先の廃墟群で奴を迎え撃つ。矢による攻撃で足止めする。その後は騎士団主力部隊の仕事だ」
「砲撃が効かないのであれば、矢の攻撃は効かないのでは……」 従騎士が言う。
ソフィアは、自分のアイスブルーの瞳を指差し、
「眼を狙う。どんな生物も、眼は脆い。だが、確かに高い再生能力を持っている可能性もある。ならば、潰し続けるしかない」
怪物の目の前に立ち、その眼を潰し続ける―ソフィア以外の全員が顔を合わせる。そんな無茶な作戦が成功する訳がない。
ソフィアは言い終えると、すぐに老騎士を睨み、
「主力部隊が向かった森から廃墟群までの最短ルートは何通りある? 避難民が大通りを占拠している可能性も考慮した上でだ」
老騎士は、わずかに面食らっていたが、地面に地図を描き、
「森から馬を走らせるとして、王宮周辺は避難民が集まると考えらます。すると、ここからは馬は通れません。すると―」
老騎士は、途中まで馬を使い、かつ人込みで道が進めなくなったら人力を使う事を考慮したルートをいくつか提示した。
「ありがとう。では……」 ソフィアは、その内の二本のルートを指差し、
「王宮周辺を通らないルートを選ぶとすると……」
ソフィアは廃墟を見渡し、
「騎士たちは、あそこから現れる可能性が高い、と」
ソフィアは数百メートル先を指差し、老騎士はそれを見て、頷く。
「狼煙を上げれば、可能性はかなり高いかと」
ソフィアは、老騎士の肩に触れ、小声で、
「ありがとう。今はあなたが頼りだ」
老騎士は、髭をいじり、うなる。
「騎士団が来なかった場合は?」 若い騎士が詰め寄る。
ソフィアは目を細め、考え込み、
「代替案をもう一つ出しておきたい。何か妙案がある者は、いないか?」
皆が黙り込んでしまう。
ソフィアは唇を吊り上げ、
「私は王太子妃だが、冷遇されている。私に逆らったり、私より手柄を立てたとしても横取りは出来んよ」
そういうと、一人が手を挙げる。従騎士(見習い騎士のようなもの)の一人だ。ニキビの残る顔を引きつらせ、
「口があるなら、物を食べるはずです。砲撃が効かないなら、内部から爆発させるしかない」
ソフィアは、それで行こう、と頷き、一人の騎士を指差し、
「よし、お前は戻り、王に代替案を説明するんだ。ありったけの火薬と肉を用意し、ここか貧民街に持って来い、とな」
その後、騎士たちと、いくつか質疑応答をした後、
「しかし……怪物が意図した場所に来る保証は」
ソフィアは、若い騎士2人を睨み、
「お前たち2人は、奴を廃墟までおびき寄せろ。勇敢な馬を手繰り、後退しながら引き付けるんだ」
皆の視線が、ソフィアに集まる。大の為に小を切り捨てる。非情な選択だった。
一人を使いに行かせ、騎士団を連れて来させた方が良いだろうか―
ソフィアの、氷の連想させる瞳が、動揺で揺れる。いや、これ以上の人数低下はまずい。狼煙を上げ、合図するしかない。
「狼煙を上げる。お前たちは、そこに向け、全力で戻ってくるんだ」
指名された従騎士が涙を零し、歯を噛む。
「お前が、この作戦の要だ。お前なら、必ず成功させられる」
ソフィアは微笑み―顔が引きつらないようにこらえながら、従騎士の肩を抱く。そして、涙と鼻水を手で拭ってやる。
「分かりました」
「我々ならやれる」
ソフィアは皆を見て、腹から息を出し、力強く言う。自分の不安を打ち消すように。
2人の従騎士は、馬を手繰り、怪物に向け、走っていく。
ソフィア含め、残り3人は廃墟群まで移動する。
ソフィアは、一つの崩れかけの廃墟を見る。建物は形を保っているが、骨組みが見え、地面の一部が陥没している。
土煙から考えられる怪物の大きさからして、地盤は重さに耐えきれず、陥没するだろう。そうすれば、確実に足止めできる。
「よし、ここに怪物を誘導し、建物の倒壊と、地盤の陥落を利用する」
ソフィアは廃墟を囲む建物を指差し、屋上へ上るように指示を出す。
ひゅん、という風切り音がし、白い物体が落ちてくる。それは鈍い音を立て、建物に突き刺さる。
「ひっ……」 騎士が手を止め、呻く。
空から落ちてきたのは生物の骨だった。大型の動物の背骨だ。何かおぞましい物が近づいて来ている、という事だけは確かだった。
ソフィアが屋上へ上り、他2人に合図を送る。それぞれが、弓を構え、矢筒を地面に置いていた。
この作戦は、3人が途切れることなく矢を放ち、眼を潰し続けなければならない。どのみち、屋上から飛び降りれば、足をくじき、死ぬだけだ。
ソフィアは狼煙を上げ、弓を構える。
従騎士の絶叫と共に、土煙が近づいてくる。馬には及ばないが、じりじりと土煙が近づいてくる。
馬に乗った従騎士が真下を通り過ぎ、ソフィアの心臓が狂ったように鳴る。
もう逃げられない―
土煙が晴れると、猛烈な悪臭が鼻をついた。怪物は目の前に居た。
視界の大半を白い物が埋め尽くす。それは怪物の胴体であり、その形は歪な球体であった。生物の骨が複雑に絡み合った死骸の集まり。その胴体から、細長い首が伸びている。
怪物と目が合う。ソフィアの全身の毛が逆立つ。怪物の大きさは、建物の二倍近くあった。
丸い顔は泥団子のよう。つぶらな瞳がぎょろぎょろと動いていた。耳まで裂けた口には、鋭く不揃いな牙が並んでいる。
怪物は、ソフィアに相対すると同時に、廃墟に激突した。地面が揺れ、世界が轟、と唸り声を上げる。ソフィアは、咄嗟に壁に身体を押し付ける。
土煙が上がり、視界が真っ白になっていた。埃が舞っているのだ。
ソフィアが立ち上がり、怪物を見る。すると、怪物は地面にめり込み、動けなくなっていた。
「目を狙うぞ! 騎士が来るまで、奴に光を与えるな!」
ソフィアは素早く指示を出す。そして、弓を構えなおす。
刹那、怪物の黒い瞳と目が合う。容赦なく矢を放つ。矢は怪物の目に突き刺さるが、瞬時に再生してしまう。しかし、痛みはあるようで、その場で苦しむように首をしならせた。
矢を補充する―僅か数秒の早業だ。再生した瞳と目が合う。怪物は、お前がやったのか、というようにソフィアを追う。
恐怖で、ソフィアの身体が凍り付く。それなのに、心臓は狂ったように鳴っている。
早く―早く、矢を打たないと―
焦れば焦るほど、照準が定まらない。
怪物は口を開け、ソフィアに狙いを定める―首を伸ばせば、その身体を噛み砕ける距離。
ソフィアは慌てて矢を放つが、それは眼の横に刺さってしまう。
ソフィアの全身から血の気が引く。しかし、次の瞬間、横から矢が飛び、怪物の目を潰す。怪物は首を引きつらせ、攻撃を止める。
「我々なら、出来ます!」
従騎士の一人が叫び、矢を補充するのが見えた。
そうだ―ソフィアは、呼吸を整える。
ソフィアは、矢を補充し、弓を構える。ここで、騎士団を待つのだ。そして、生き延びてみせる。
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