6-5. 迷路庭園 5
本日は2話更新しています。こちらは2話目です。
(まさか、清らかな乙女って単語を、リアルで使う日がくるとは……)
それでも、そうとしか表現できない。
ユニコーンに抱き着く乙女のように楠の幹に寄り添っていた女性が、さらりと立ち上がる。
桃色の髪はまっすぐに長く、ほっそりとした身体に沿い、地を這った。
沙良を見つめ、すぐ伏せられた瞳は、鮮やかなエメラルドグリーン。
「お妃君には初めてお目にかかります。樹の一族が娘、ファーニアと申します」
柔らかく頭を下げる彼女の周りには、きれいな風が吹いているようだった。
リーナがおろおろと声を上げた。
「ファーニア姫、申し訳ございません。あの、お止めしたのですけれど……。お2人が、お会いになられては……っ」
「いいのよ、リーナ。私も殿下のお申し伝えを知ったうえで、お妃君にお会いしてみたいと思っていたから。樹々を責めないで」
キリエが、沙良の耳元にささやきかける。
「ファーニア姫は4大公、樹木の公爵家筆頭令嬢にございます。王子殿下の王妃候補でもあらせられます」
「あぁ。なるほど」
政治的には、顔を合わせないほうがいい立場だ。
そして、さっきまでの樹々の行動の理由も分かった。
迷路庭園の樹々たちは、王子の命令に従う者とファーニア姫の気持ちを優先する者とに分かれてしまって、統一が取れなかったのだ。
沙良もこそっとキリエに訊き返す。
「えっと、わたし、このまま帰ったほうがいいもの?」
無表情ながらも、キリエの声が少し高くなる。
「お妃君が、私などの意見をお聞きになると?」
「キリエはわたしの護衛でしょ。カナトは怯えちゃってるし、リーナにとっては自分の一族の姫だもん。冷静に判断できるのは、キリエだけだよね」
スズシロ様は沙良と同じくらいネレスィマナンの事情に疎いので、政治的なアドバイスは期待できない。
一瞬の逡巡のあと、キリエが口を開く。
「ファーニア姫は優しく高潔なお方。お妃君に仇なすとは思えません。――お妃君が望まれるなら、挨拶程度は問題にならないかと」
(へえ。ずいぶん高評価じゃん。わたしとはちがって)
妖精とはもともとそういう生き物なのだろう、キリエも意外と素直だ。態度や口調に、好悪の感情がはっきりと出る。
若干ひねくれながら、沙良はファーニア姫に近づいた。
(うわ、めっちゃ眼福! これぞおとぎ噺のお姫様って感じ!)
露の女王も美しかったけれど、等身大の目の前のファーニア姫の高貴さと威厳はけたが違う。
(人型に近いほど力が強いとは聞いたけど。それプラス、高位になるほど美形なんじゃないの?!)
アルフレード王子しかり、イルクしかり。沙良としては、目が潰れるほどキラキラしい男性には困ってしまうが、女の子なら大歓迎だ。
「サラです。初めまして、ファーニア姫。あっ、顔をあげてくださいねっ?」
お辞儀をしたままのファーニア姫に、慌てて声をかける。
優雅に身体を起こしたファーニア姫は、「ファーニアとお呼びくださいませ」とほほ笑んだ。
さわっと風が吹き抜け、なんだかいい香りまでする。
「ふわ~~、ホントにおキレイですねえ。えっと、こちらでは何を? あっ、言いたくなかったらべつにいいんですけどもっ」
ファーニアの傍に控えていた侍女たちが、無言で動揺した。
まずい事を訊いてしまったのかと慌てたけれど、ファーニアはすぐに答えてくれた。
「楠の長老から、具合がよろしくないと連絡がありまして、診察に来ていたんですの」
「診察、ですか?」
大木を見上げる。頭上でさわさわと揺れている葉っぱは、心なしか笑っている気がした。
「私は一族の医師のような役目も担っております。ですが、今回は長老がふざけたようですわ。彼は、……私がお妃君に御目文字したいと思っていることを知っていましたので」
つまり、沙良たちが迷路に入って来るのを見て、楠の長老は仮病を使ってファーニアを呼び出したのだ。一族の姫様の願いを叶えるために。
「へえ。愛されてるんですねえ、ファーニアは」
にこにこと相づちをうったら、姫君はおっとりとうなずいた。
「ええ。ありがたいことに、みな私を慕ってくれます。私もみなが大好きですわ」
(うーん。まさに高貴なお姫様。ムダな謙遜とか照れとか、しないんだなー)
ファーニアの侍女たちも周囲の樹々も、嬉しそうにさざめいている。高い立場にいる者ほど、誉め言葉はそのまま受け取って自分の周りに還すのだろう。
(この一点を以てしても、わたしに王妃ってムリゲーな気がする……)
ふっと、昨晩の王子との食事シーンが浮かんだ。ファーニア姫なら、目の前にアルの美麗な顔が近づいてきても、どうしていいか分からなくなって逃げだしたりはしないだろう。
沙良ときたら、ネレスィマナンに来てから、わたわた驚き慌てふためいている記憶しかない。何年訓練したらこの姿勢をものにできるのだろう。時間管理の勉強より難題な気がする。
ファーニアの侍女と、リーナとカナトがお茶の準備を整え、若葉色の芝生の上でピクニックが始まった。
沙良の頭痛の話を聞き、ファーニアは長老のために持ってきたお茶を分けてくれた。ひと口含んで驚く。
「あれ……。これ、シナモン?」
「楠とシナモンは、同じ種ですのよ」
「ひえ~、そうなんだ。知らなかった!」
そして、周囲に漂う薄荷にも似た爽やかな香りに思い当たった。
「ああ。そっか、楠って樟脳が取れるんですよね~」
これは樟脳と、お線香の香りだ。
またファーニア姫の侍女たちがざわめく。ファーニアがぱっと手を挙げて、黙らせた。
きょとんとしている沙良に、穏やかな口調で諭す。
「本当に、お妃君は驚くほどお力が強くていらっしゃるのですね……。失礼ながら、いまのお言葉は、ほとんど名を捕ることに近いようですわ」
「えっ」
ぎょっとして楠の長老を振り仰ぐ沙良に、ファーニアは笑いかける。
「大丈夫です。長老の力は国じゅうに知れ渡っておりますから。――ですが、私ども樹木の精霊は、特に効能を見破られることを恐れます。植物にとって、唯一内に隠しておける力ですので」
だから、一族でも特に力の強いファーニア姫が「樹医」なのだ。多くの植物の効能を知り、それを活かすには、どの植物よりも“強く”なければならない。
こっそりとファーニアを窺い見て、沙良は大きくうなずいた。
王子やイルクと同様、見ただけでは何の種族か、どんな力があるか、さっぱり分からない。力が強いほど読みにくいのだろう。
「ありがとうございます。何をしたら名を捕ってしまうのか、対策が分からなくて困っていたんです。とにかく相手の能力っぽいことには言及しなければいいんですね!」
明るくお礼を言う沙良に、ファーニア姫の侍女たちはかえって混乱したようだけれど、カナトが力強く付け足す。
「そぉなんにゃっ。お妃君は、あたしのこと、猫って言っちゃいけないんじゃないかってすっごく悩んでたんにゃ、です!」
ぶっ、とスズシロ様が噴き出し、向こう側の侍女たちも手で口を押えた。ファーニアは、ふんわりと目を細めた。
「まあ。……お妃君は、名を捕りたくないとお思いなのですね」
「もちろんですよ! わたしだけのために命を使うって、そんなこと言われても困るだけですし」
「そうなのですか?」
「はい。わたしはいきなりお妃君になっただけの、何も分かっていない人間です。名を捧げられても、報いることも守ってあげることもできないですから」
ファーニアは、沙良の膝の上にちらっと視線をやった。
「ですが、お妃君のその精霊は、満足しているようですわ」
スズシロ様が小さい手を挙げる。
「んだなぃ~。サラ殿は新しい名もくれたでな。分不相応かもしれんが、儂ゃ幸せモンたぃ」
「う~ん、スズシロ様はわたしが連れてきちゃったので……。最初っから責任があるというか」
「そのお気持ちがお分かりになるだけで、お妃君は王妃様になられますわ」
きっぱりと断言され、その場がしんとした。
「そ、そうかな? いろいろ足りなすぎると思うけど」
「いいえ」
ファーニアがゆるやかに首を振る。楠を背にしたファーニアは、巫女のように厳かだった。
「名を捧げられる重さと責任をご存じの方が、王子殿下の伴侶となるべきです。――私どもはみな、王族に捧げる側ですから」
寂し気なその顔が、ハッとするほどきれいだった。
「だからこそ、“絶対者”より賜ったお妃君が、王妃となるべきなのですわ。この国の者はすべてその根菜の精霊と同じ、王族に己の身を捧げることに喜びを感じます。…………それでは、殿下と同じものを分かち合うことができません」
最後に小さくつぶやいたとき、瞬きよりも短い間だけ、ファーニアの顔は泣きそうになった。
(ああ……。ファーニア、も、王子が好きなんだ)
リーニィ姫のような宣戦布告ではない。
新しいお妃君を認め、自分から引いた発言には哀しみが籠もっていて、ファーニア姫の恋心の強さ、誠実さが胸に沁みた。




