4-3. 名を捕る 3
沙良は、ぽかっと目を開けた。
「あれ、あー。わたし二度寝しちゃったんだ~」
何時間か前にも、一度目が覚めた。そのときはスズシロ様がヴァリューズ侍女長を呼び、沙良が半分以上寝ぼけているうちに着替えさせてもらい、サンドイッチを食べたのだ。完全に目が覚める前にお腹も満ちて、またぐっすり眠ってしまった。
2度目に起きた今は、すっきりした気分だ。
ベッドの上を、もぞもぞと窓際まで這っていく。沙良の動きに気づいて、すぐ後ろからスズシロ様がついてきた。
「お妃君。目覚められたのかのぃ」
「うん、こんなしっかり寝たの、久しぶり……。わ、まだ暗い」
外は星が瞬いているけれど、遠くの空は白みつつある。夜明け前、いちばん気温が低い時間帯だ。
スズシロ様がしみじみとうなずいた。
「夜明けが来たんですのぃ。……多くの者が喜んでまっしょい」
「? ああ、もしかして、お妃君が来たから?」
「んだなぃ。――お妃君、外に出らっしゃるかのぃ?」
「あ、うん」
沙良が答えた途端、窓枠がみょーんと伸びて、フランス扉になった。ガラス戸が、ぱかっと左右に開く。
「ひえ。……あ~うん、もー驚くのはすっ飛ばすしかないかなぁ」
「お妃君はずいぶんと順応性の高いお方じゃのぃ」
「ヤケクソって言ったほうがいいと思うけどね~」
暖かな夜気の中に、沙良は裸足で出て行った。
バルコニーは50mプールほどの幅で、端が見えないほど延々と続いている。手すりにもたれて振り返って見れば、今出てきた城も、上も左右も果てがない。
春の夜のぬるい風に、さわさわと梢が揺れる。
近くから、細い声が届いた。
「お妃君。――ご挨拶差し上げてよろしいでしょうか」
「おんや。夜露の女王が、謁見を願い出ておりまするぞぃ」
スズシロ様が指し示した木の葉の先端に、5cmほどの女性が立っていた。漆黒の長い髪には冠が乗り、瞳はダイヤモンドのようだ。ドレスも真っ黒で、きらきらと輝いている。
(へえ、夜露の女王。……うん、まさにそんな感じ)
うなずこうとして、王子の言葉を思い出した。
「あーっと、いいのかな? 王子から紹介されてない種族の方と話しちゃって」
女王は白い顔を曇らせたけれど、大根は適当に手を振る。
「かまゎんかまゎん。王子殿下が心配されとるよりサラ殿はお強いですでのぃ。……それに、もう刻限がないじゃろ」
女王が悲しい瞳で沙良を見つめる。
「ええ。お妃君への謁見予約など、妾には不可能なこと。ですが、どうしてもこの喜びと感謝をお伝えしたく……。ご無礼とは存じましたが、お声掛けいたしました」
「よかたい! な、サラ殿!」
夜露の女王は淡く微笑んだ。
「根菜の精。あなたは、お妃君のお名前を呼ぶことまで許されているのですね」
「ふぉふぉ。お妃君は弱か者に優しかですたぃ。夜露の女王にもきっとご慈悲をくださるでな」
「や、勝手に決めないように。――スズシロ様、ホントに大丈夫? あとでわたし王子に叱られない?」
大根はくいっと口ひげをひねり上げる。
「儂も一緒に叱られてあげるけんのー。って、冗談じゃ、王子殿下はサラ殿を叱ったりせん。こちらの女王はサラ殿に悪意なんぞなか。万が一害意があったとて、女王にはサラ殿を傷つけられるほどの力もなかけんね」
のんびりと失礼なコメントを吐く大根に、沙良のほうが慌てた。
けれど、夜露の女王は「おっしゃるとおりですわ」と真面目にうなずいた。
「サラ殿。この国ではのぃ、人型に近ければ近いほど、力が強いんじゃ。儂はほぼ大根。夜露の女王は完全な人の姿じゃろ? 心配せんでよかたぃ」
「そしてお妃君。人に近い姿を取れる者ほど、人に親愛の情を抱いているものなのですわ」
「え、そうなんですか? ん、あれ、じゃあ、スズシロ様は?」
大根をちろん、と見やると、
「儂ゃ、単に力が弱いだけ~。そもそも儂ごときが精霊化したこと自体が奇跡に近いんじゃよ、サラ殿」
笑って流された。たしかに、人の手で栽培されていたのだから、スズシロ様はもともと(?)精霊ではなかったのだろう。
「とにかく、サラ殿。夜露の女王は大丈夫じゃて」
自信満々に断言されて、沙良もこくんとうなずいた。
実は、話してみたくてうずうずしていたのだ。
なにせ、今まで会ったこの世界の住人は、大根を除けば、全員人間にしか見えない。イメージどおりの妖精と話すのは初めてだ。
沙良が近づくと、女王は蝶のような両羽根を広げ、膝を折ってお辞儀をした。女王の瞳と同じく、羽根も透明で光っている。
(うわ、めちゃくちゃキレイ! これぞ妖精って感じ!)
その姿勢のまま、女王の声が改まった。
「妾、夜露の女王、長き隠忍を経て、ただいまより消失の刻を迎えまする。今代のお妃君に大きな感謝を捧げ、御代のご繁栄を言祝ぎいたしましょう」
煌めく姿の美しさに見惚れていた沙良は、我に返った。
「消失、の刻……?」
女王は黙っている。スズシロ様がつんつん、と沙良のネグリジェを引っ張った。
「サラ殿。夜露の女王はいま臣下の礼を取ってあらっしゃる。面を上げ、直答を許す、と言いなされ」
「え。えっと、女王、顔を上げてください。わたしの質問に答えてもらえますか?」
女王はやっと元の姿勢に戻る。
(う。苦手だぁ、こういう雰囲気……)
こんな時だけれど、げんなりしてしまった。
この世界は、かなりの身分社会のようだ。しかも、身分の判定基準は力の強さ(人間の姿に近いかどうか?)らしい。そして沙良は、その頂点に近い地位に自動的に落とされたのだ。
「畏れ多いことにございます。――お妃君。ネレスィマナンは長きにわたり、お妃君が不在でした」
「あ、はい。聞きました」
「お妃君にの重要なお役目のひとつが、ネレスィマナンの時間を正常にするお能力です。この1,000年というもの、ここでは同じ刻が循環しておりました」
女王の言葉で、沙良の頭に、膨大な知識と映像が流れ込んできた。
この国では、種族によって「1日」の長さがちがう。どの種族もこの1,000年間、己の「1日」を終えると、またその日のスタートに戻っていた。
「露の1日は短いものです。夜半過ぎに生まれ、朝陽と同時に変容し、日のぬくもりとともに生を終えます。ですが、もう数えきれないほどの夜と朝を、妾も妾の一族も繰り返してまいりました。妾の一族は、日の光とともに蒸発する喜びを覚えていない者達ばかりです」
「そんな」
それは、どれほどツラい日々だろう。
アルフレード王子は、「人間の時間感覚で1,000年」といった。夜明け前に生まれて朝早くに消える寿命の生き物にとっては、果てしない長さだったろう。




