看破する瞳⑤
ナビに道が表示されていなかった地点まで来た。
そこには確かに整備されている道路はなかったが、行き止まりというわけでもなかった。
点々と雑草の生える獣道が森の奥まで続いている。やわらかな土には、目新しい轍が幾筋も走っていた。
「目的地に続くと思われる分岐点に到達した。車が通ったと思しき跡がある。何かあるのは確実だろうが、痕跡は森の奥に続いていて交差点からでは何も見えん。これから森に侵入する」
《くれぐれも気をつけてくれ。天谷さん、何かあったら上倉を頼むよ》
「もちろんです。唐沢くんの分まで尽力いたします」
「わるくない待遇だな。いつまでも客人の立場でありたいものだ」
適当な冗談を返して、セメントコンクリートの硬い地面から腐葉土のうえに移った。車輪の描いた軌跡に沿って、頭上を新緑の葉が覆う通路を歩いてゆく。
車両の軌跡は、雑木林の奥で右折していた。
樹木が壁になって右折した先の様子はうかがえない。
歩いていくと、そこは急峻な下り坂になっていた。足を滑らさないよう、堅実に地面を踏みしめて下りてゆく。
坂は二〇メートルほど続いて、下りてから道は左に曲がっていた。
道に沿って左に折れると、轍はそこから斜めに真っ直ぐ伸びていた。
《上倉、天谷さん。いま僕の前を車が横切った。もしかすると、そちらに行くかもしれない》
「ここで姿を見られるのはマズいな。隠れてやり過ごすか」
「上倉くん、こちらです」
耳を澄ませば、自動車の駆動音が接近してきているのがわかった。
鏡花に指示された樹木まで移動して、相手から見えない角度となるよう身を隠す。無駄に面積のあるメイド服を着た鏡花も、スカートの裾の両端をつまんで中央に寄せることで、かろうじて俺とは別の樹木に身を潜めた。
駆動音が下り坂に入ってきた。
背後の樹木越しに聞こえる音が段々と騒々しくなり、大気を震わせる。
幹に頬付けする視線の先、同じ体勢をとっている鏡花と目が合った。ふたりして息を殺し、車が過ぎ去るのを待つ。
敵車両が少しでも轍を逸れて進めば、潜伏している俺と鏡花の姿が運転手の視界に入るだろう。
迷彩服でも着ていれば景色に溶け込むが、白黒のメイド服と上下青色の制服で見逃すことを期待するのは現実的じゃない。
左手で小刀の柄を握る。
もしもバレたら、報告を未然に防ぐしかない。運転席に飛びかかるイメージを脳内で固める。
敵の車両は、丁寧に轍をなぞって俺の背後を過ぎ去った。
左手を柄から離す。
まっすぐに続く道の終点で、車は停止した。
そこは、敷地の端から端までが網目の粗いフェンスで囲われた場所。
助手席から降りた男が、外周を囲むフェンスと同じ素材で作られた入口の引き戸に手をかけた。
入口を開くと敵車両は徐行の速度で前進して、戸を開けた男も徒歩で敷地内に歩いていった。
樹木の陰から出て、改めて施設の外観を観察する。
フェンスの奥に広がる敷地には、高層建造物が二棟並んでいた。双方とも二階層以上はあるようだが、それより上は頭上を覆う樹木の葉が邪魔で測ることができない。
施設の規模についても全容は把握できないが、少なくとも天谷邸より広いことは確実だ。その情報だけで、ここがフリーフロムの単なるアジトではなく、以前から機能していたであろう本拠地である可能性が極めて高いように思った。
「鏡花、もう少し近づくぞ」
「はい。注意してくださいね」
任務はすでに達成していたが、施設の全容を把握するために目標地点への肉薄を決断した。
だが、その決意は三歩進んだだけで崩壊した。
足を止め、追随してきた鏡花を手で制する。
息を殺して、二つ並ぶ高層建造物のうち、手前側の二階部分に意識を集中する。
俺の視力は特別優れているわけではない。ここからでは遠すぎて、建物の内部までを調べることはできない。
わかることがあるとすれば、建物にはガラスが張られていないことくらいだ。実際に見えているわけではないが、陽光が反射していないのでそれは間違いない。
それでも、視線の先に〝何か〟があることを肌で感じ取った。
正体不明の脅威に脳が警鐘を鳴らすのを見過ごさず、全身の筋肉を緊張させる。殺気なんて概念が実在するとすれば、これをそう呼ぶのだろう。
一歩でも踏み出せば、この殺気は容赦なく牙を剥く。
憶測でも推測でもなく、吟味という過程を省略した格別の危険が直接本能に伝達されている。
もとより危険は承知のうえだ。この殺気に立ち向かう覚悟もできている。
けれども、今日はそのために来たのではない。
見つかってしまったのなら、取るべき行動は決まっている。
――優秀な見張りだな。やはり、阻むのはお前か。
向けられた殺意を見つめつつ、乾いた喉を開いた。
「敵のアジトを確認した。これからそちらへ戻る」
《おつかれさま。上倉、天谷さん、最後まで気を抜かないようにね》
心臓を射抜こうとする殺気に、あえて背中をさらした。
不気味な悪寒が、衣服を貫いて直接肌を撫でる。
気味の悪い感覚は、坂を登っている最中にようやく消えた。
心臓を他人に掌握されているような緊迫から解放されると、一度立ち止まって敵の本拠地の方角を眺めた。
深く生い茂った林が邪魔をして、建物は見えなくなっていた。
「待っていてくれ」
届くはずのない言葉を告げて、坂を登る足を再開した。




