第40話「宴会+危険生物=だいたい地獄」
しゅわっ♡
「……」
「……」
「……」
ゆうこが、信じられないものを見るような目でゆっくりと視線を落とす。その異変にサクも気づき、動きを止めた。二人から一拍遅れて、ようやく事態を察しきれていないクルスが首を傾げる。
「え? 何です今の――」
ぽこんっ。
クルスの言葉を遮るように、彼の白衣のポケットが内側から小さく押し上げられた。布地越しに伝わる未知の震動に、クルスの顔がすっと青ざめていく。
「……あ」
ゆうこが低く、宣告するように言った。
「言っとくけど」
「は、はい……」
「たぶん、宴会どころの騒ぎじゃなくなるわよ」
そして――。
ぽんっ♡
白衣の右ポケットから、まるでシャンパンの栓でも抜けたような軽快な音と共に、ちっちゃい赤酔いスライムがひょっこりと顔を出した。
「「「ぎゃあああああああああああ!!?」」」
今度は先ほどまでの喧騒とは全く別の、本能的な恐怖が混じった絶叫によって、ギルドが盛大にひっくり返った。
「出たァァァァァ!!」
「赤酔いスライムだ!!」
「酒を隠せぇぇぇ!!身包み剥がされるぞ!!」
「火気厳禁!!火気厳禁ーー!!」
怒号と悲鳴が飛び交い、ベテラン冒険者たちが一斉にテーブルを蹴って距離を取る。その中心で、サクが呆然としながら叫んだ。
「なんでそんなもんポケットから出てくるのよ!!」
「私が聞きたいわよ!!」
ゆうこが即座に、全力のキレのあるツッコミを叩き込む。
白衣の右ポケットから身を乗り出したのは、親指の先くらいの大きさしかない、極小サイズの赤酔いスライムだった。
ぷるん、と丸い。
赤く透き通ったその体躯は、光を反射してまるで極上の赤ワインを固めたゼリーのようにきらきらと輝いている。凶悪な危険生物という予備知識がなければ、誰もが「綺麗」だと口にしてしまうような宝石のような美しさだ。
しかも、その挙動が妙に愛くるしい。
つぶらな模様の“目”が、きょろきょろと不安げに辺りを見回したあと――。
ぴと。
安心を求めるように、ゆうこの白衣のポケットの縁にぴったりと吸いついた。
「……」
「……」
「……」
あまりの落差に、ギルドに奇妙な静寂が訪れる。クルスが、冷や汗を拭いながらおそるおそる口を開いた。
「……先生」
「なに」
「これ、逃げないですね。というか、攻撃してくる気配もありません」
「そうね。私の感覚が確かなら、殺気どころか害意すらゼロだわ」
サクもその様子を観察し、目を丸くしていた。
「というか……」
スライムは、ぺちょ、ぺちょ、と吸盤のように小さく動きながら、ゆうこの腕を伝って肩へと移動していく。その仕草は、まるでそこが自分の指定席であると確信しているかのようだった。
サクがじっとそれを見て、確信を持ってぽつりと言う。
「……懐いてない?」
一拍。
そして。
「「「……懐いてる?」」」
受付前の空気が、さらに妙な方向へと深く静まり返った。
受付嬢が、腰を抜かして半泣きのまま固まっている。
「えっ……危険生物って……人間に懐くんですか……?ギルドの図鑑には一言もそんなこと書いてありませんけど……!」
「知らないわよ」
ゆうこが遠い目をして、真顔で突き放す。
「私も今、初めて“酔う・燃える・発酵する危険生物に好かれる”っていう、人生最大のクソイベントを踏んでるところだから」
「イベントの字面が終わってるんですよ!!報酬がデメリットしかない!!」
クルスが身を乗り出して叫ぶ。
だが、その時だった。
小さな赤酔いスライムが、ゆうこの肩の上でぷるん、と一回嬉しそうに震えた。
そして。
しゅわっ♡
「……」
「……」
「……なんか今、完全に“ご機嫌”って感じの炭酸音がしましたよね?」
クルスが引きつった笑みで、周囲の同意を求める。
対してサクは、その光景を眺めているうちに毒気が抜けたのか、妙に嬉しそうな表情を浮かべていた。
「可愛いじゃない。宝石みたいだし、ぷにぷにしてるし」
「あんたの危険生物に対する判断基準が終わってるのよ。見た目に騙されすぎ」
ゆうこが溜息をつき、重い頭痛をこらえるように額を押さえる。
しかし、その時――。
彼女の脳内に、あの軽薄で聞き慣れた声が響き渡った。
――『おお〜♡こりゃ傑作じゃ!』
「うわ、出た。また面倒なタイミングで」
――『なるほどのぅ。やっぱり一匹だけ“刷り込み”が起きたか。運がいいのぅ、お主』
「刷り込み?何よそれ、鳥のヒナじゃあるまいし」
ゆうこが眉をひそめ、虚空を睨む。アルケラは楽しそうに、解説を続けた。
――『赤酔いスライムはな、まれに“発酵核”の強い個体から、エネルギーの余剰分を切り離して小型の幼体を生むことがあるんじゃ♡』
「増えるの!?これ以上増えたら町が消滅するわよ!!」
――『うむ。ただし全部が全部ではない。素材として極めて優秀な個体ほど、たま〜に意志を持った“核の欠片”を残すんじゃよ。いわば生存本能の結晶じゃな』
サクが知識欲を刺激されたのか、すぐに身を乗り出して食いついた。
「それってつまり……」
――『当たり個体の“子”みたいなものじゃな!親の優れた特性を引き継いでおるぞ』
「うわ、めちゃくちゃ激レアじゃない!!世紀の発見よこれ!!」
「喜ぶな!!管理責任を問われるのは私なんだからね!!」
ゆうこは肩に乗ったスライムを見下ろした。ちびスライムは、その視線に気づくと、期待に満ちた動きで移動を開始する。
ぴとっ。
今度はポケットの縁から、ゆうこの手の甲へ、慈しむようにそっとくっついた。
その感触はひんやりとしていて、しかし嫌な冷たさではない。むしろ夏の盛りに、キリリと冷えたクリスタルグラスに触れた時のような、どこか清涼感のある心地よさだった。
「……」
ゆうこが黙ってじっと見つめると、スライムもまた、つぶらな瞳でじーっと見返してくる。
そして――。
しゅわっ♡
「……なんか今、“よろしく”って、脳に直接挨拶された気がしたんだけど」
「完全に懐かれてますね……。もうペットというか、使い魔の域ですよ」
クルスが諦めに似た遠い目をした。
受付嬢が、震える声でおそるおそる質問を投げかける。
「そ、それ……本当に危なくないんですか……?急に爆発したりしませんか……?」
ゆうこは少しだけ考えてから、手の甲のちびスライムを観察する。
周囲を酔わせる毒々しい気配はない。発火するような高熱も感じられない。ただ、健気に、ぴとっと彼女に寄り添っているだけだ。
サクが興味津々でしゃがみ込み、目線を合わせて小さく手を振った。
「おいで〜。こっちも楽しいよ〜」
ちびスライムは一瞬だけサクを見た。しかし、値踏みするような間を置いたあと、即座にぺちょっとゆうこの袖の方へ避難してしまった。
「……あっ」
「露骨に人選ぶじゃない。意外と賢いわね、こいつ」
ゆうこが鼻で笑う。対照的に、サクは本気でショックを受けたようで、膝をついて、うなだれた。
「えっ、なにその明確な差。私、ちょっと本気で傷ついたんだけど」
それを見たクルスが、対抗心を燃やして小さく手を挙げる。
「じゃあ俺も……嫌われてないはずですから」
おそるおそる指を差し出す。ちびスライムは、その指先をじっと凝視して――。
ぷるっ。
一瞬だけ身体を激しく震わせたあと、一目散にゆうこの胸元へと潜り込んで避難した。
「露骨ゥ!!」
クルスが絶叫する。
「なんでですか!?俺、そんなに信用ないですか!?」
ゆうこが一切の慈悲なく即答する。
「あんた、酔ったら何するか分からないからでしょ。スライムの本能が“こいつはダメだ”って言ってるのよ」
「納得はできるのが悔しい!!俺のこれまでの徳が足りなかったんですか!!」
そんな騒がしくも平和なやり取りを見ていた、周囲の冒険者たちの空気が少しずつ変化していく。
最初は未知の怪物への悲鳴だった。
次に、何が起こるか分からないという警戒だった。
でも今は――。
「……おい、なんか、思ったより可愛くないか?」
「いや待て、あれは危険生物だぞ?油断するな、街が火の海になるぞ」
「でも見ろよあれ……完全に懐いてるぞ。あんなに従順なスライム、見たことねぇ」
「ポケットから顔出して様子を伺ってるの、ちょっと反則だろ……。守りたくなるじゃねぇか」
「くっ……悔しいが、可愛い……!」
受付嬢までもが、ついに両手で赤らめた口元を押さえた。
「だ、だめです……!公的には危険指定のはずなのに……私の乙女心が可愛いって叫んでます……!」
「全員チョロいのよ。危機管理能力をどこに置いてきたの」
ゆうこが呆れたように吐き捨てる。
その時、ギルドの奥から「どすどす」という重厚な足音が響いてきた。
「いいじゃねぇか。賑やかで」
低く太い、威厳のある声。
ガンゾーが、丸太のような腕を組みながら歩み寄り、ちびスライムを鋭い眼光でじっと見下ろした。
「そいつぁ、谷で暴れる“野良”の類じゃねぇな」
「え?分かんですか?」
ガンゾーは無骨な手で自分の顎を撫でながら断言した。
「完全に“飼い主”を認識し、慈しんでいる顔だ。俺には分かる」
「顔あるんですかこれに。ただの丸いゼリーですよ」
クルスが間髪入れずにツッコむ。しかし、ガンゾーはそんな細かいことは構わず、豪快に続けた。
「理由はどうあれ、結果が全てだ。だったら話は早ぇ」
そう言って、彼は周囲を圧倒するような不敵な笑みを浮かべた。
「めでてぇことも重なったし、今日は盛大に宴会だ!!」
「えっ」
「は?」
「はい?」
三人の驚愕の声が、見事な三重奏となってギルド内に響く。ガンゾーは受付カウンターを景気よくばんっ、と叩いた。
「死の谷と謳われる赤酔いの谷からの生還!伝説級の素材、琥珀のカケラ初採取!ついでに未知の危険生物の幼体をテイム成功!!」
「いや最後の項目がだいぶ不穏なんだけど。というかテイムって認めていいのそれ」
ゆうこが冷静に釘を刺す。
だが、宴会の気配を察知したギルドの連中に、そんな理屈は通用しなかった。
「十分すぎる理由だろうが!!」
ガンゾーの雄叫びに合わせるように。
「「「おおおおおおおおおお!!!」」」
地響きのような歓声が上がり、再びギルドが沸騰した。
「宴会だァァァ!!今日は飲むぞ!!」
「倉庫から一番いい樽持ってこい!!」
「おい、真ん中の席空けろ!!英雄たちの席だ!!」
「誰かつまみも増やせ!!市場にある肉、全部買い占めてこい!!」
「なんでそんな自然に飲み会へ移行できるのよこの町の連中は!!?」
ゆうこが本気で、頭を抱えて叫ぶ。
受付嬢が、もう全てを諦めたような清々しい笑顔で言った。
「……文化です……。抗っても無駄ですよ、先生」
「最悪の文化だな!!」
叫ぶゆうこを置き去りにして、ギルドの中央スペースはみるみるうちに宴会場へと作り替えられていく。
無骨な長机がテキパキと運ばれ、木椅子が並べられ、巨大な酒樽がどんっと祭壇のように置かれる。ついさっきまで殺伐とした査定カウンターだった空間が、数分足らずで熱気渦巻く“祝勝会場”へと変貌を遂げていた。
サクの目が、獲物を見つけた猛獣のようにきらっと輝く。
「……ねえ、これ、遠慮なく飲んでいい流れ?」
「お前は最初から最後までその確認しかしないな。少しは心配しなさいよ」
「だって大事でしょ。お酒は鮮度が命よ」
クルスも、ついさっきまで恐怖で青ざめていたくせに、周囲の熱気に当てられて少しずつそわそわし始めている。
「ま、まあ……死にかけた後に無事帰ってきた祝い、ですからね。たまには……少しだけなら……」
「お前もすぐ流されるな。少しは私の苦労を分かちなさいよ」
ゆうこがため息を吐いたその時、胸元にくっついていたちびスライムが、ぴょこんっ、と小さく跳ねた。
そして。
しゅわっ♡
まるで、「飲もうぜ」と言わんばかりの、絶妙すぎるタイミングの鳴き声だった。
「……」
「……」
「……今の、明確に参加表明でしたよね?」
クルスが引きつった真顔で聞く。サクが即答した。
「そうでしょ。この子、絶対分かってるわ」
「受け入れ早いな!!」
ゆうこは少しだけ沈黙し、騒がしくもどこか温かいギルドの空間を見渡した。
無事に帰ってきた。
命懸けで手に入れた素材はある。
目的だった琥珀のカケラも、こうして手元にある。
そしてなぜか、ポケットの中ではよく分からない危険生物が一匹、増殖して自分に懐いている。
何から何まで意味が分からない。
道理も通っていない。
分からないけれど――。
「……まあ、いいか」
「え?」
サクが不思議そうに振り返る。ゆうこは小さく、憑き物が落ちたように息を吐いた。
そして、手の甲に移動してきたちびスライムの頭を、指先でそっと、慈しむように優しくつついた。
ぷるんっ。
指先に伝わる柔らかな弾力。
「今日くらいは、少しくらい騒いでも、バチは当たらないわよね」
その一言に、サクが太陽のような満面の笑みを浮かべる。
「さんせーい!!今日は朝までコースね!!」
クルスも、緊張から解放されたように、心底ほっとした顔で笑った。
「俺も賛成です。先生、今日はお供しますよ」
ガンゾーが、その光景を見て豪快に笑い飛ばした。
「よぉし、話は決まりだァ!!」
そしてそのまま、ギルドの屋根を震わせるほどの怒声で命令を下した。
「今夜は貸切だ!!野郎ども飲めェェェェェ!!!」
「「「うおおおおおおおおおお!!!」」」
地を揺るがす歓声。
激しくぶつかり合うジョッキの音。
音痴な誰かがもう歌い始め、ギルドは一瞬にして狂乱の祝祭に包まれた。
完全に最高の夜を迎えた酒場だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
ここまで読んで
「宴会+危険生物=やっぱり地獄」
「スライム、完全にパーティーメンバー入りしてる」
「この町、飲む理由が雑すぎる」
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それでは次回、
酔っ払い達の地獄絵図編
でお会いしましょう!




