第35話「乾杯!!」
ゴボボボボボボボボボボボボボボボッッッ!!!!!!
「「「うわぁぁぁぁぁぁっ!?」」」
突如として谷間に響き渡った異様な轟音に、ゆうこ、サク、クルスの三人は文字通り垂直に飛び上がった。心臓が跳ね上がり、喉の奥までせり上がってくるような衝撃。
空気が目に見えるほどに激しく震え、周囲の切り立った岩肌に音が乱反射する。それはまるで、山の奥底に潜む巨大な排水溝へ、猛烈な勢いの台風がダイレクトに突っ込んだかのような、この世のものとは思えない凄まじい"飲み込み音"だった。
ゴポッ!!
ゴボボボボボッ!!
ズゾゾゾゾゾゾゾォォォッ!!!!
「な、なに今の音ォ!?地鳴り!?それとも地面の下に何かいるの!?」
クルスは半泣きになりながら、剥き出しの耳を塞ぐようにして頭を抱え、その場にうずくまった。
「谷が崩れる前兆か、あるいは発酵地盤の限界による崩落……!?いや、このプレッシャーは新手の魔物か!?」
サクも即座に獲物を構え、鋭い視線を周囲の岩陰へと走らせる。武人としての本能が、未知の振動に警鐘を鳴らしていた。
「違うわよこれ、もっと生理的に嫌な……なんていうか、生活感に溢れた最悪な音がしてる!!」
ゆうこは顔を引きつらせ、脂汗を流しながら自らの白衣のポケットを必死に押さえた。震源地は、間違いなくここだ。
「待って待って待って、何!? なんで私のポケット経由で、家庭の排水溝が詰まった時みたいな音がしてんのよ!!」
その瞬間だった。
パニックに陥る三人の脳内に、やたらと満足げで、そして驚くほどに緊張感のない、どうしようもなく「ゆるい」声が響き渡った。
――『あー……すまんのぅ♡』
「お前かァァァァァァァ!!」
ゆうこの絶叫が谷間に木霊した。犯人は、この状況を楽しんでいることすら隠そうとしない、あの駄神である。
アルケラは悪びれる様子など微塵も見せず、むしろ恍惚とした溜息を漏らしながら、へらへらとした声音で続けた。
――『いや、あまりにも美味そうだったからついな。今のは我がお酒を飲んどる音じゃ♡』
「飲む音で異世界ファンタジーの世界観をぶち壊すなァァァァァ!!」
あまりの理不尽さに、ゆうこのツッコミが炸裂する。
「えっ!?神様……え、神様って、そんな“築四十年のアパートの排水設備”みたいな音を立てて酒を飲む存在なんですか……?」
クルスは信じられないものを見る目で空を仰ぎ、呆然と呟いた。彼の中にあったであろう"神への畏敬"が、音を立てて崩れていく。
――『仕方なかろう。これはS級ぽしゃけじゃからのぅ♡あまりの旨さに、我の吸引力が未知の領域まで跳ね上がってしまったのじゃ』
「ダイ○ンの掃除機かお前は!!」
ゆうこの怒声が響く中、隣にいたサクがついに耐えきれずに膝をついた。
「っはははは!!ちょっと待って、無理……!!想像したら最悪すぎる……っ、神様が全力でズゾゾゾって……!!」
腹を抱えて吹き出したサクの目には、笑いすぎて涙が浮かんでいる。
「笑ってる場合じゃないのよサク!私のポケット、今のでちょっと湿ってる気がするんだから!!」
――『いやぁ……うまいのぅ……。芳醇な香りが鼻腔を突き抜け、喉にダイレクトに吸い込まれていくこの感じ、たまらんわい……♡』
「感想の語彙が全部汚いのよ!!」
ゆうこが再度叫んだ瞬間、再び惨劇は繰り返された。
ゴボボボボボボボッ!!!!
またしてもポケットの奥底から、空間を揺らすほどの盛大な吸引音が炸裂する。その衝撃波に当てられたのか、近くに置いていた「赤酔いスライム入り瓶」が、恐怖を感じたかのようにビクッと震え上がった。
「せ、先生……そのポケット、もしかして神様のプライベートな生活音まで筒抜けなんですか……?」
クルスが一歩、また一歩と後ずさる。その瞳には同情の色が濃く浮かんでいた。
ゆうこの顔から感情が消え、すっと冷徹な真顔に戻る。
「……最悪だわ」
「先生?」
「この白衣、錬金術の触媒として便利だと思ってたけど……」
彼女は遠い目をして、不気味に赤く染まった谷の空を静かに見上げた。
「これ、実質的には“異世界と繋がった酔っぱらい神専用の騒音公害トンネル”じゃない」
「言い方!!」
――『失礼じゃのぅ♡神の聖域と下界を繋ぐ奇跡の道。せめて“酒神専用高性能物流兼サラウンド音響ポケット”と呼んでくれい』
「誰が呼ぶかそんな長い名前!!」
サクはまだ笑いの発作を堪えきれない様子で、目尻を指先で拭った。
「でも……くくっ、良かったじゃない。それだけ大きな音がしたってことは、ちゃんとアルケラ様に届いたって証拠だし。実験は成功だよ」
「確認方法がデリカシーの欠片もなくて最悪すぎるのよ!!」
ゆうこが肩を落とす傍らで、クルスは神妙な面持ちでぽつりと呟いた。
「……俺、神様ってもっとこう、後光が差してて、ハープの音色と共に現れるような神秘的な存在だと思ってました……」
――『安心せよ、我は神秘そのものじゃぞい♡』
ゴボゴボゴボゴボゴボッ!!!!
「「「どこがだよ!!」」」
三人の息の合ったツッコミが、赤酔いの谷に完璧に重なった。
しばらくして、耳を劈くような凄まじい轟音がようやく収まった。
嵐の後のような静寂が谷を包み込む。だが、その静寂を破って聞こえてきたのは、地鳴りなどよりもよっぽど厚かましく、そして異様なまでに満足度の高い「吐息」だった。
――『……ぷはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!』
「……でっか」
「肺活量どうなってるのよ、あの神様……」
「神ですからね……たぶん。人外の領域なのは間違いないですよ」
あまりにも長大で、かつ魂の底から幸せに浸りきったような「ぷはぁ」に、サクは呆れ、ゆうこは戦慄し、クルスはもはや悟りを開いたような顔で天を仰いだ。
白衣のポケットの向こう側で、アルケラは完全に上機嫌な様子だった。
――『うむ。認めようぞ』
「……今度は何をよ」
ゆうこが眉間にシワを寄せ、警戒心を全開にして問い返す。
――『お主ら、天才じゃ♡』
「お酒が入った時だけ、評価がとことん軽いのよね……」
ゆうこは深い溜息をついたが、その声にはどこか毒気が抜けていた。それほどまでに、アルケラの声は「本気で感動している」響きを帯びていたからだ。
――『いやほんとに、これはやばいぞい。ただのS級どころか、下手したら“伝説級ぽしゃけ”の入口にまで足を踏み入れとるぞい♡』
「伝説級……!」
その言葉を聞いた瞬間、サクの瞳が太陽の光を反射したかのように一気に輝きを増した。戦士としての直感が、とんでもないお宝を掘り当てたのだと告げている。
「それって……もし市場に流して売ったりしたら、とんでもない値段になるやつですか……?」
クルスもごくりと唾を飲み込んだ。貧乏生活が長かった彼にとって、「伝説級」という言葉は眩いばかりの金貨の山を連想させる。
――『なる♡国が買収に動くレベルじゃな』
アルケラが断言した瞬間、一瞬の静寂が場を支配した。
誰もが、その価値の重さに言葉を失う。
しかし次の瞬間、サクが弾かれたように動き出した。
「……その前に、飲みましょ!」
彼女はきらっきらの、もはや獲物を前にした獣のような目でジョッキを高く掲げた。
「切り替え早っ!欲求に忠実すぎない!?」
「だって伝説級候補よ!?これほどの至宝を目の前にして、飲まずに帰るなんて冒涜でしょ!そんなの酒の神様が許しても、私の胃袋が許さないわ!」
「理屈が完全に酒側の宗教なんだよなぁ……」
必死に抗弁するサクに、ゆうこは半ば呆れ果てたような声を出す。
だが、ゆうこ自身もそれを否定しきれなかった。
というか――本能が、否定を拒んでいた。
手元のジョッキから立ち上る香りが、あまりにも綺麗で、あまりにも危険で。
脳の奥底を直接揺さぶるような芳香が、強烈な誘惑を伴って「今すぐ喉を鳴らせ」と訴えかけてくるのだ。
「……なんか、見てるだけで高そうです。吸い込まれそうっていうか……」
クルスもおそるおそる、震える手でジョッキを持ち上げた。
琥珀色に透き通る《琥珀ぽしゃけ・極》が、傾いた西日に照らされ、ガラス越しに宝石のような煌めきを放っている。
「高いわよ、たぶん」
「たぶんじゃなくて、絶対高いでしょこれ。一口で銀貨が何枚飛ぶのかしら」
サクはうっとりと、その黄金の液面を見つめていた。
「ねえ、これもう“酒”っていうより、一種の芸術品じゃない?」
「今からそれを飲み干そうとしている奴が言うセリフじゃないのよ、それは」
――『うむうむ♡その感性、我は嫌いじゃないぞい。美酒は飲む芸術じゃからのぅ』
「うるさいわね。お前はもう向こう側で黙って飲んでろ」
ゆうこは毒づきながらも、思わず口元に笑みが浮かぶのを止められなかった。
谷を吹き抜ける風は、まだ少し鼻をつく発酵臭を運んでくる。
足元はぬかるんだ赤い泥で汚れ、周囲の藪からは、いまだに飢えた危険生物たちの殺気が漂っている。
劣悪な環境だ。死と隣り合わせの、狂ったような冒険。
なのに、今この瞬間だけは――。
この手に重いジョッキがあるだけで、不思議なくらい世界が「悪くない」ものに思えた。
ゆうこは覚悟を決めたように、ジョッキをぐいと持ち上げる。
「じゃあ……改めて」
「うん。初採取の大成功に!」
サクが満面の笑みで隣に並ぶ。
「俺たちの……初めての、“まともな成果”に」
クルスも少し照れくさそうに、でも誇らしげに言葉を添えた。
「“まとも”って呼ぶには、ここまでの経緯があまりにも終わってるけどね……」
「それは否定できませんけど!」
三人は自然と顔を見合わせた。
ほんの少しだけ、言葉が途切れる。
けれど、その沈黙は決して気まずいものではなかった。
むしろ、高ぶった感情を分かち合うには、ちょうどいい間だった。
ここまで、本当に色々ありすぎた。
わけも分からず死んで、この不親切極まりない世界に転生させられて。
巨大な豚に追い回され、泥にまみれて穴を掘り。
必死の思いでスライムを瓶詰めにしたかと思えば、神様に騒音付きでお酒をたかられる始末。
客観的に見れば、意味が分からないことの連続だ。
でも、たぶん。
こういう滅茶苦茶で、理不尽で、でも笑ってしまうような"意味の分からなさ"こそが、今の自分たちそのものなのだと。
そう思えたとき、ゆうこの心からスッと憑き物が落ちた。
「――生き延びたことに」
ゆうこが、柔らかく、けれど力強く笑った。
「――美味い酒に!」
サクが白い歯を見せて、にっと笑い返す。
「――そして、俺たちの明日という日に!」
クルスが、今までで一番の勇気を振り絞るように胸を張った。
「ふふ、急に綺麗に締めようとするじゃない」
「いいじゃないですか!たまにはカッコつけさせてくださいよ!」
そして――。
「「「乾杯!!」」」
カツンッ!!
ジョッキ同士が勢いよくぶつかり合い、澄み渡った高音が「赤酔いの谷」の隅々まで、気持ちよく響き渡った。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
ここまで読んで
「神の飲み方が汚すぎる」
「S級ぽしゃけ、価値がバグってる」
「でも乾杯シーンはちょっと良かった」
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アルケラの吸引音が
ゴボボ → ズゾゾ → 地形変動
へ進化します。
それでは次回、
飲んだ結果、全員どうなる編
でお会いしましょう!




