第32話「月酔石と神の本音」
サクが、獲物を追い詰めた肉食獣のような、意地の悪い笑みを浮かべて"ニヤッと"喉を鳴らした。その視線は、虚空に漂う神の気配を真っ直ぐに射抜いている。
「……やっぱり。何か企んでたのね、あの駄神」
その言葉に呼応するように、クルスもまた、頬を引きつらせながらおずおずと天を仰いだ。冷や汗がこめかみを伝い、嫌な予感が確信へと変わっていく。
「あの……今の沈黙、『ぎくぅ♡』って認めてますよね、それ……?」
――『いやぁ、そんな“企み”だなんて、人聞きの悪いことを言うもんじゃないぞい♡これは慈愛に満ちた神の、ちょっとした善意じゃよ。純度百パーセントの、善意!』
頭の中に直接響くアルケラの声は、どこまでも軽薄で、罪悪感の欠片も感じられない。
「……善意の定義が根本からぶっ壊れてる神の言葉なんて、一文字たりとも信用しない主義なのよ、私は」
――『うぅ……容赦ない……』
嘘くさいすすり泣きの声が漏れ聞こえてきた。
「泣き真似しても無駄。さっさと吐きなさい」
ゆうこが間髪入れずに追撃すると、アルケラは一拍置いて、それまでの演技をあっさりと投げ捨てた。今度はやけにスッキリとした、晴れやかなまでの開き直った調子で声を弾ませる。
――『だってぇ〜、せっかくこんな辺境の面白スポットに来たんじゃ。どうせなら最高級の、それこそ“S級ぽしゃけ”が飲みたくなってしまうのが神情というものじゃろ?♡』
「…………は?」
「…………はぁ?」
「…………えっ?」
三人の困惑が混じり合った声が、静かな谷間に綺麗に重なって響いた。
アルケラはどこか遠い場所で、プシュッと景気よく缶でも開けたような異様なハイテンションのまま、畳みかけるように説明を続ける。
――『いいか、よく聞くのじゃ!その白衣のポケットはな、実は我の住まう天界の貯蔵庫と直通で繋がっておるんじゃよ♡つまりお主が現地で採取した素材を、劣化させることなく安全に、かつ無限に持ち帰れるというわけじゃ!便利!偉い!我天才!』
「自画自賛するな!つまり何、ただの輸送用便利ポケットだって言いたいの?」
――『ふっふっふ……。で、それを使って琥珀のカケラやら発酵核やら、そこらへんに転がっとる希少素材をどんどん集めてもらってぇ〜……』
「もらってぇ〜……何よ。嫌な予感しかしないんだけど」
――『最終的に、我のために極上のS級ぽしゃけを完成させて献上させるのじゃ♡』
「目的が完全に個人的な飲酒じゃねーか!!」
ゆうこの怒号が谷底まで反響し、数羽の鳥が驚いて飛び去っていった。あまりに直球すぎる欲望に、隣で聞いていたクルスはぽかんと口を開けたまま硬直している。
「えっ……。じゃあ、俺たちに用意してくれたこの立派な装備一式って、冒険のためじゃなくて……」
「全部、この駄神の晩酌のためよ。私たちが酒のパシリにされてるだけ」
ゆうこが死んだ魚のような目で、無慈悲に現実を突きつける。その様子がおかしくてたまらなかったのか、耐えていたサクがとうとう決壊した。
「っふ、あははははっ!最高……!やっぱりアルケラ様、期待を裏切らないわ!」
「どこが最高なのよ!こっちは命がけで素材採取してるのよ!?」
――『まあまあ、そう怒るでない♡安心せい、ちゃんとお主らにも相応の見返りはあるぞい。我はこれでも太っ腹な神じゃからな』
「……その言い方、詐欺師か悪徳契約の勧誘にしか聞こえないんだけど」
――『いいから、そこにある手のひらを広げてみるのじゃ』
その瞬間だった。
澄み渡った青空の向こうから、きらり、と一筋の青い光が糸を引くように落ちてきた。
コロン。
「……んっ?」
ゆうこが反射的に右手を差し出すと心地よい金属音を立てて、手のひらの上に一つの物体が収まった。
それは、一本の指輪だった。
月光を細く引き伸ばして形作ったような、繊細な銀色の台座。その中央には、吸い込まれそうなほどに澄んだ青い魔石が埋め込まれている。
深い海の底、あるいは静寂に満ちた真夜中の空を切り取ったような青。
だが、その石の奥底には、まるで揺れる琥珀色のお酒が光を反射しているかのような、不思議な煌めきが潜んでいた。
「……何これ。指輪?」
サクが興味深げに身を乗り出し、宝石の輝きを覗き込む。
「綺麗……。でも、ただのアクセサリーには見えませんね」
クルスも目を丸くして、その指輪から発せられる微かな神気に圧倒されている様子だった。アルケラが、満足げな笑みを声に乗せて告げる。
――『それは《月酔石》の指輪じゃ♡』
「……。名前だけはやたらカッコいいの、余計に腹が立つからやめてくれる?」
――『失礼な!“月の静けさ”と“酔いの気配”を宿した、天界でもなかなかのレア物なんじゃぞい。それはお主、ゆうこ専用の神具じゃ』
「……私専用?」
――『うむ。他の者がはめても、ただの“ちょっと高価で綺麗な指輪”じゃ。お主にしか扱えん特別な力が宿っておる』
「ちょっと綺麗な指輪って……説明が雑すぎるでしょ。まあいいわ、どうせ返品もできないんでしょ」
ゆうこは半信半疑のまま、その銀の輪を中指へと滑らせた。
その瞬間。
ひやり、とした冷気が指先から全身へと駆け抜ける。
石の内側で、青い光が「ふっ」と脈打つように揺れた。
同時に、ゆうこの視界に変調が訪れる。
ただの景色だったはずの谷の空気が、まるで色づいたかのように、その“意味”を持って脳に流れ込んできたのだ。
谷の底に淀む、濃厚な発酵の匂い。
先ほど退治したスライムが霧散した後に残した、甘ったるい酒気。
そして白衣のポケットの中で、静かにエネルギーを放つ危険な採取素材。
それらの気配が、目に見える輪郭を持って浮き上がってくる。
「……これ、見えるわ」
ゆうこが驚きに目を細める。サクがその変化に気づき、小首を傾げて訊ねた。
「何か分かるの?その石の力」
「……たぶん。お酒とか、発酵成分とか……そういう、錬金術でいうところの“媒体”になるものの気配に反応してるんだと思う」
「媒体……?お酒が、ですか?」
――『その通りじゃ♡その指輪には、酒の素質があるあらゆる液体を、強制的に“ぽしゃけ”へと変質させる力が宿っておるのじゃ!』
一拍。
静寂が谷を支配する。
「…………は?」
ゆうこが、一文字ずつ噛みしめるように聞き返した。しかしアルケラは、自慢の娘を褒めそやす親のように上機嫌なままだ。
――『水、果汁、薬液、発酵液、霧、あるいは素材から滲み出た抽出液……。まあ要するに、酒の媒体になりうる液体なら何でもござれじゃな!それを一瞬で神聖なる酒へと昇華させるんじゃ♡』
「待って。今、聞き流せないレベルでめちゃくちゃヤバいこと言わなかった?」
「言いましたよね!?万物を酒に変えるって、それもう文明破壊レベルの能力ですよ!?」
「さすがはアルケラ様……。ぶっ飛んでるわね」
仲間の反応に、ゆうこは指輪をまじまじと見つめ直す。青い石は、まるでおねだりをする子供のように、チカチカと無邪気に光っていた。
「……で、その能力、どうやって使うのよ。ただ念じるだけでいいの?」
その問いに、アルケラは待ってましたと言わんばかりに、自信たっぷりの声を張り上げた。
――『発動条件は極めてシンプルじゃぞ♡』
(……あ、これ、絶対ろくなことじゃない)
ゆうこの直感が警報を鳴らす。案の定、アルケラは誇らしげに、全宇宙に響き渡らんばかりの勢いで言い放った。
――『媒体になる物に向かって、恥ずかしがらず、元気よく――【ぽしゃけ(*」´□`)」】と叫べば、酒の性質を宿した特殊媒体へ変換できるのじゃ♡』
「発動ワードのセンスとテンションが終わってる!!!」
「しかも、叫ばなきゃいけないんですか!?戦場とかで!?」
クルスが絶望的な顔で食いつく。戦士として、その光景を想像してしまったのだろう。
――『当然じゃ♡神の奇跡には気合と魂の叫びが必要不可欠じゃからのぅ。魂を込めれば込めるほど、良い酒……もとい、良い効果が得られるぞい』
「魔法体系が雑!もっと論理的なプロセスはないの!?」
ゆうこが頭を抱える横で、サクはもう限界だった。お腹を押さえ、肩を激しく震わせて笑いを堪えている。
「ふ、ふふ……。でも、ゆうこにぴったりじゃない。面白いわよ、それ」
「面白さで済ませるな!公衆の面前で『ぽしゃけー!』なんて叫べるわけないでしょ!」
アルケラは、そんなゆうこの切実な訴えを完全にスルーし、まるで通販番組の司会者のような調子で続けた。
――『いいか、よく聞け。発動した“ぽしゃけ”状態の物質は、お主の得意とする【圧縮】や【処置系スキル】と驚くほど相性が良い。上手く使えば、素材加工の効率化はもちろん、傷口の消毒による応急処置、さらには霧状にして敵を酔わせる戦闘補助まで、自由自在じゃぞい♡』
「……。……え、何それ。普通に、めちゃくちゃ強くない?」
実用性を提示され、ゆうこの専門家としての血が騒ぐ。素材の変質と圧縮を組み合わせれば、これまでは不可能だった高度な調合も可能になるかもしれない。
――『強いぞい♡我の神具に死角なしじゃ!』
「……だったら最初からそう説明しなさいよ!変なテンションで誤魔化さないで!」
――『ただし……月酔石がその“本気”を見せるのは、本当にお主が必要とした時だけじゃ』
唐突に、アルケラの声から温度が消えた。
さっきまでの軽薄な酔っ払いのような空気は影を潜め、そこには紛れもない「神」としての、底知れない深淵が覗いていた。
――『その石はな、時に見たくないものまで見せてしまうこともある』
谷を抜ける風が、ひゅう……と冷たく鳴った。
赤酔いの匂いが立ち込める中、ゆうこの指で青い石がドクン、ドクンと鼓動のように明滅する。
――『人が隠した痛み、無理やり誤魔化した傷、決して言葉にされることのない本音……。酒が理性を暴くようにな、この石はそういうものまで拾い上げてしまう。お主にとって、それは救いか、あるいは……』
その真剣な響きに、ゆうこの表情が自然と引き締まった。
サクも、クルスも、言葉を失って指輪を見つめている。
誰もが、その「神具」の持つ真の重みを感じ取った、刹那の沈黙。
しかし。
アルケラという神は、やはりアルケラだった。
――『まあでも、お主は放っておいてもそういう面倒なもんを勝手に拾い集めて、勝手に背負い込む損なタイプじゃし?今さら一個や二個、呪いのアイテム的な要素が増えても誤差じゃろ♡気にするな!』
「……うるっっっさいわね、この駄神!!」
台無しだった。
せっかくの神秘的で良い感じの空気が、一瞬で木っ端微塵に砕け散る。
「ぷっ、ふふ……あはははは!」
「あはは、先生、やっぱりそうなっちゃうんですね!」
クルスが吹き出し、サクはとうとう膝をついて笑い転げる。
「ちょっと!今、完全に良い話の流れだったでしょ!?なんで最後の一言で全部ぶち壊すのよ!」
――『我は酒と勢いの神じゃからのぅ♡しんみりした空気のまま終わると、湿気で体調を崩してしまうんじゃ。常にワッショイの精神が大事じゃぞい!』
「そんな体質の神がいるか!これだから自由人は……!」
ゆうこが全力でツッコミを入れ、ようやく騒ぎが収まろうとした、その時だった。
右手の指輪――《月酔石》が、ふいに生き物のようにぴくりと震えた。
「……え?」
青い石の中心に、すう……と淡い、だが確固たる光が灯る。
太陽の光が降り注ぐ昼の谷の中だというのに、その輝きだけは、どこか遠い夜の月明かりのように静謐で、冷たく、そして異様なほどに澄み渡っていた。
サクが笑いを止め、鋭い視線をその指に向ける。
「光った……?何もしてないのに」
「先生、その指輪、脈動してますよ……」
クルスの言葉に促されるように、ゆうこはゆっくりと右手を見下ろした。
すると、指輪の共鳴に合わせるように、白衣の右ポケットの中がじんわりと熱を帯びていくのが分かった。
「……ポケット?まさか、中の素材が……」
内側から突き上げてくるような、奇妙な違和感。
ゆうこは慎重に右ポケットへ手を突っ込み、その「熱源」を掴み出した。
取り出したのは――。
先ほど採取したばかりの、あの鈍く輝く
「琥珀のカケラ」だった。
しかし、それは先ほどまでとは明らかに異なる、不気味なほどの輝きを放ち始めていた。
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それでは次回、
琥珀のカケラ、なんか始まる編
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