第23話「地獄の朝、そして出発」
翌朝。
地獄は、静かに始まった。
まず最初に死んだのは、クルスだった。
「……ぅ、ぉぇ……」
ギルド併設の簡易宿、その共同部屋の隅で、クルスは毛布にくるまりながら、魂の抜けた顔で天井を見つめていた。
目の下のクマはいつもの三割増し、顔色は死人そのものだ。しかも口元には、昨夜の宴会で誰かに落書きされたらしい、謎のヒゲが残っている。
「……誰ですか……俺の顔に“勇者見習い”って書いたの……」
「知らない」
隣のベッドで、ゆうこが即答した。
こちらも死んでいる。
髪はぼさぼさ、目は半開き。片手でこめかみを強く押さえ、もう片方の手で必死に水差しを探っているが、その手は三回に一回くらいしか獲物を掴めていない。
「……頭の中で鍛冶屋がハンマー振ってる……」
「先生、それ昨日も言ってました」
「昨日は頭の中に祭り会場があったのよ……今日は鍛冶屋に変わっただけ……進歩ではない……」
床に転がる空ジョッキ、椅子に引っかかった謎の布、なぜかベッドの脚に結ばれているロープ。昨夜の記憶を辿ろうとするだけで、脳が強烈な拒絶反応を起こす。
「……サクは?」
ゆうこが重たいまぶたを持ち上げて周囲を見回した、その時だった。
ガチャッ!!
勢いよく扉が開いた。
「おはよーっ!!」
「うるっっっっっっっっっっっっさい!!!!」
ゆうことクルスの怒号が、寸分の狂いもなく重なった。
入ってきたサクは、眩しい朝日を背負って立っていた。
銀髪はつやつや、肌はぴかぴか、目はきらきら。そして手には、紙袋いっぱいの焼きたてパンと串肉が握られている。どう見ても、昨夜あれだけ飲んだ人間のコンディションではなかった。
「なによ二人とも、朝から元気ないわねぇ」
「あるかァ!!」
「お前だけどうして生還してるんだよ!!」
クルスが毛布の中から必死に叫ぶと、サクはきょとんと首を傾げた。
「え?だって私、お酒に強いもの」
「その一言で済ませるな!!」
ゆうこはゆっくりと起き上がり、片手で顔を覆った。
「……何しに来たの」
「何しにって、出発に決まってるじゃない」
「は?」
「赤酔いの谷」
一瞬、部屋の空気が凍りついた。
サクは当然のように言葉を続けた。
「昨日決まったでしょ?琥珀のカケラを探しに行くって」
「いやいやいやいや待て待て待て」
ゆうこがベッドの上で、拒絶するように両手を突き出した。
「昨日の私は、アルコールと宴会の狂気に脳を支配されていたの。今の私は違う。今の私は現実を見てる」
「現実見てる人の顔色じゃないわよ」
「見てるからこんな顔色なんだよ!!」
クルスも毛布から顔だけ出して、かすれ声で訴える。
「俺……今なら分かります……。人間って、動いちゃいけない日があるんですよ……」
「あるわね」
「ありますね」
珍しくゆうことクルスの意見が一致した。
だが、サクはそんな二人を見下ろしながら、にっこりと慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「でも、お金いるでしょ?」
「……っ」
その一言が、二人の急所にクリティカルヒットした。
サクは逃さず畳みかける。
「昨日のドレッドボアで確かに稼げたけど、診療所の設備を整えるには全然足りないわよ。針、瓶、布、保存容器、薬草、簡易ベッド、消毒用の蒸留酒――」
「やめて。現実の物資リストを並べるな」
ゆうこの目が真顔になる。
サクの言う通りだった。昨日の報酬は確かにまとまった金ではあったが、それはあくまでスタートラインに過ぎない。診療所を本気で回すなら、必要なものが多すぎるのだ。
「しかも、琥珀のカケラが見つかれば――」
サクが、いたずらっぽく人差し指を立てた。
「S級ぽしゃけの原料よ?」
「……」
ゆうこの目が、わずかに開く。クルスも、もぞりとした動きで毛布から完全に顔を出した。
「S級……」
「高く売れる。飲めばすごい。加工すればもっとすごい。つまり――」
サクが満面の笑みで言い放つ。
「夢があるってこと!」
数秒の沈黙の後。
「……行くか」
「行きますか……」
あまりにも即落ちだった。
サクが勝ち誇ったように腕を組む。
「でしょ?」
「くっ……金と酒の話をされると弱い……」
「終わってますね俺たち……」
クルスが自分で言って、少しだけ自己嫌悪に沈んだ。
その時だった。
――『朝から景気の悪い顔しとるのぅ♡』
頭の中に、聞き覚えしかない脳天気な声が響いた。
「うわっ!!」
「また出た!!」
「ひぃっ!?」
三人が一斉に飛び上がると、窓辺に差し込んだ朝日が、一瞬だけきらりと歪んだ。
――『よいではないか、赤酔いの谷。あそこはなかなか見応えがあるぞぃ』
「観光案内みたいに言うな!」
ゆうこが即座にキレる。
「そもそも昨日の宴会で、全部お前のせいで悪化したんだからな!?」
――『失礼な。わしはただ、場を盛り上げただけじゃ♡』
「盛り上がり方が毎回治安終わってるんだよ!!」
アルケラはけらけら笑いながら、ぷしゅっと景気よく缶を開けた。
「神なのに朝から飲むな」
――『まぁよい。せっかく行くなら、一つ忠告してやろう』
「……珍しく有益そう」
――『赤酔いの谷はのぅ、“赤い霧”が出る時がある』
クルスがごくりと唾を飲み込む。
「赤い……霧?」
――『吸い込むと、ちょぉっとだけ理性がゆるむ。欲望が強うなる者もおるし、本音が漏れる者もおるし、急に泣き上戸になる者もおる。まあ、酒に近いのぅ♡』
「最悪の自然現象じゃん」
「絶対行きたくないんですが……」
「でも行くしかないのよねぇ」
サクだけがワクワクした顔をしているのを見て、ゆうこは額を押さえた。この女、未知の危険に対して“面白そう”が先に来るタイプだ。間違いなく危険人物である。
――『あと、谷の奥には足場の悪い場所も多い。荷物は軽くまとめていけ。酒瓶は三本までじゃ』
「その制限いる?」
――『いる』
妙に真剣な声だった。
サクが少しだけ姿勢を正す。
「……つまり、ちゃんと準備して行けってことね」
――『そういうことじゃ。死ぬでないぞぃ。せっかく面白くなってきたところじゃからな♡』
「お前の基準で生死を語るな」
そう言い返した瞬間、アルケラの気配はふっと薄れた。
最後に、頭の奥でだけ声が弾む。
――『では、いってらっしゃい。赤酔いの谷で、また派手にやらかしてくるがよい♡』
「フラグを立てるなァ!!」
叫びだけを残して、神は消えた。
部屋に重苦しい沈黙が落ちる。やがて、サクがぱんっと威勢よく手を叩いた。
「よし!じゃあ準備しましょ!」
「切り替え早っ」
「まずは水、保存食、ロープ、簡易包帯、火打ち石。それから、先生の医療道具一式ね」
「誰が先生よ……」
そうぼやきつつも、ゆうこはすでに頭の中で持ち物を整理していた。不思議なことに、実務的なことを考え始めると、少しだけ気分がマシになる。
クルスも、のろのろとベッドから起き上がった。
「俺……荷物持ち、やります……」
「偉いわねぇ」
「その代わり、帰ったら絶対うまい肉食わせてください……」
「現金なやつ」
「生きる理由ってそういうもんです……」
それは、妙に説得力のある言葉だった。
ゆうこは小さく息を吐いて、立ち上がる。まだ少し頭は重いが、歩けないほどじゃない。
「……行くわよ」
サクが笑う。
「ええ」
クルスも頷く。
「はい」
こうして三人は、伝説の酒の原料“琥珀のカケラ”を求めて、次なる目的地――赤酔いの谷へ向かうことになった。
◇
その日の昼。どうにか人間の形を取り戻した三人は、ギルド前の石畳に立っていた。
空は快晴。町は賑やか。そして、ゆうこの顔色だけがまだ終わっていた。
「……まだ地面が揺れてる気がする」
「それはたぶん気のせいじゃなくて、まだちょっと酔いが残ってるのよ」
「最悪」
クルスが背負い袋の紐をぎゅっと握り直す。
「で、赤酔いの谷って、ここから遠いんですか?」
サクは町の外れへ続く街道を指差した。
「歩いて半日くらい。途中までは街道、その先からは獣道ね」
「半日!?」
「何よ、そのくらい普通よ」
「俺、昨日まで“ギルドで一発芸して社会的に死んだ人”なんですけど」
「体力的な話をしろ」
ゆうこが真顔でツッコむ。
サクはふふっと笑いながら、腰の小袋を軽く叩いた。
「でも安心して。必要なものはだいたい揃えたわ」
「酒以外は?」
「……だいたい揃えたわ」
「揃ってないな?」
そんな軽口を叩きながら、三人はゆっくりと歩き出す。
賑やかな屋台通りを抜け、酒場から漏れる昼酒組の笑い声を背に、町の門をくぐった。その瞬間、空気が一変する。町の中に満ちていた酒と肉の匂いが薄れ、代わりに土と草の匂いが濃くなった。
街道の先にはなだらかな丘陵地帯が続き、そのさらに奥、遠くの地平線の向こうに。
――うっすらと赤みがかった地帯が見えた。まるで、地面そのものが酔っているかのような色だ。
クルスが目を細める。
「あれが……?」
サクが頷いた。
「ええ。あそこが赤酔いの谷よ」
ゆうこはその景色を見つめながら、小さく息を吐いた。新しい場所、新しい危険。そして、新しい面倒ごとの匂いしかしない。なのに、不思議と足は止まらなかった。
「……行きましょうか」
その一言を合図に。
三人の“琥珀のカケラ編”が幕を開けた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
第23話――
「地獄の朝、そして出発」でした。
今回の結論、先に言います。
二日酔いに“出発”という概念は存在しない。
それでも出発するのがこのパーティーです。
ここまで読んで
「このパーティー終わってる(好き)」
「クルスがんばれ(他人事)」
「赤い霧絶対ろくなこと起きない」
と思ったら
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それでは次回、理性が蒸発する谷でお会いしましょう!




