片割れ
びくりとリーが身動いだ。
「リー?」
様子がおかしいことに気付いてフェイが声をかける。
リーは何かに気を取られるように暫く宙を見据えていたが、突然忘れていた呼吸を思い出したかのように息を吐いた。
「アディーリアが変だ」
「アディーリアが?」
繰り返すフェイに頷く。
「荒れすぎててはっきりしない。なんか自分のことずっと責めてて」
感情の制御も随分と上手になり、最近では『嬉しそう』や『楽しそう』といった大まかな感情の向きがわかる程度になっていた。しかし、今はリー自身の感情さえも覆い尽くさんばかりの後悔と謝意が流れ込んできていた。
初めてアディーリアに会った日、一方的に絆を結んでしまって謝っていたあの時の様子に似てはいるが、後悔の深さがその比ではない。
あの小さな体のどこにと思うほどの引きずり込まれそうな絶望は、己でさえ経験のないもので。
「こんなに取り乱してるの初めてだ。それ以外の気持ちが全然見えねぇ」
「普通じゃない状態なんだな?」
頷くリーに、わかった、とフェイが返す。
「俺が伝える。話してやれ」
「伝えるって…」
「龍の間でなら離れていても話ができると言っただろう?」
もう忘れたのかとでも言いたげなフェイだが、引っかかっているのはそこにではない。
「だって、全部の龍に聞こえるって―――」
「一刻を争うんじゃないのか?」
被せられたフェイの声に、リーはぐっと息を呑んだ。
その沈黙を肯定と取り、なら、と続ける。
「使えるものは使えばいい。責任は副長がとってくれるだろうしな」
本人が聞いたら拒否されそうなことをさらりと言い、フェイはリーの返答を待たずにアディーリアとユーディラルに向けての言葉を飛ばした。
龍に戻るしかない。
ライルがそう覚悟を決めた時だった。
意識の中に飛び込んできた、無事かと問う声に、ライルは目を瞠る。
声もないままアリアを見ると、アリアも瞳をいっぱいに見開いて自分を見ていた。
「……フェイ」
ぽつりとアリアが呟く。
フェイは続けて、リーと一緒にいること、そしてリーの言葉を代わりに伝えると告げた。
もちろんリーと直接話せるわけではないが、それでもこの状況は伝えることができる。
アリアの膝からカクリと力が抜けた。そのまま引きずられそうになるのを慌てて引っ張り上げる。
「おいっ! 何して―――」
「僕が抱いていくから手を放して」
振り返った男を見据えて言い切ると、男は気圧され反射的にアリアから手を放した。ライルはアリアの顎が肩に載るように抱きかかえると、小声でアリアに話すよう促す。
「ちゃんとついていくから」
男に向けてそう言うが、結局は袖を掴まれ、もう片方の手でアリアを支えた。
引く男の手を逆に引き返すくらいにまで歩く速度を落とし、ゆっくりと進む。
何があった、と、尋ねるフェイの声が聞こえていた。
アリアは伏せ気味にライルの肩に顔を寄せ、しがみつくように両腕を回す。
ライルが抱き上げてくれたのは、自分がちゃんと話せるようにだとわかっていた。
自分たちのうしろでは、残る子どもたちがほかの男たちに部屋から出されていた。不安そうなその顔に、自分はまだ、大丈夫だと声をかけることはできないが。
(助けて)
昂っていく感情に、伝わる声が大きくなりすぎないよう気をつけながら。アリアがそう声を飛ばすと、こちらの様子を尋ねるフェイの声がやんだ。
促す声はないが、続ける。
(アディーリアたちが行ったあと、ここにソリッドが来ちゃう)
フェイの声に驚いて止まっていた涙が再び流れだす。
(このままじゃ、ソリッドが…)
ぎゅうっとライルにしがみつく手に力が籠もる。
(お願い、リー。ソリッドを助けて!)
「だそうだ」
フェイからの言葉に、聞くべきことと伝えるべきことを纏めてから。
じゃあ頼む、と、リーはフェイへと告げた。
「アディーリアたちはまた移動するけど、あとからそこに来るソリッドって奴を助ければいいんだな?」
暫くしてから頷いたフェイに、ソリッドの特徴を聞いてもらってから。
「わかった。俺の場所はわかるな? そいつを助けたら追いかける」
伝えたフェイからの合図を待ち、言葉を継ぐ。
「アディーリア。そっちにもすぐに行くから、もう少し待っててくれ」
ほかにも子どもが八人いる、と返答が返ってきた。予想より多いその人数に、リーは少し考えてから。
「ユーディラル。俺が行くまで、アディーリアと子どもたちのことを支えてやってくれ」
ユーディラル自身もつらい状況だと想像はついたが、それでも敢えてそう頼んだ。
「子どもたちが頼れるのはお前しかいないんだ。弱いところ見せるなよ」
少々厳しい言葉であるとはわかりつつ、それでもユーディラルならと信じて。
フェイが再び頷くのを待ってから、切り替えるように息をついた。
「アディーリアの片割れのリーシュといいます。緊急時につきアディーリアとの連絡を取らせていただきました。お騒がせして申し訳ありませんでした」
怪訝そうなフェイに、そのまま伝えろと苦笑して示す。
苦情はマルクへ、とつけ足そうかと思ったが、聞かれているのはわかっていたのでやめておいた。
きゅう、とライルにしがみついたまま、アリアは涙に暮れていた。
先程までとは違う、安堵の涙。同じ涙であるはずなのに、今はなぜだか温かい。
リーが、来てくれる。
リーが、助けてくれる。
自分の不用意な言葉で危険な目に遭わせるところだったソリッドを。
リーなら必ず、助けてくれる。
ほわりと胸が温かい。
確証なんて必要ない。
ほかでもない己の片割れの言葉。信じられないわけがない。
そして。
「…ライルお兄ちゃん」
折れそうな自分を必死に支えていてくれたのは、この兄なのだとわかっていた。
「ごめんね。ありがとう」
「…僕こそ、ごめんね」
抱えるライルの腕にも力が込められる。
「もう少し、上手く言えたらよかったのに」
「ライルお兄ちゃんが謝ることなんて何もないよ」
取り繕うでもない、慰めでもない、心からの言葉。
「ライルお兄ちゃんがいてくれてよかった」
兄には相違なく伝わることもまた、わかりきったことだった。
抱きついてくるアリアをぎゅっと抱き返しながら、ライルはよかったと独りごちる。
自分では落ち込むアリアを引き上げることができなかったが、こうしてリーとフェイのお陰で、アリアも、そして自分も立て直すことができた。
本当は自分も泣きそうなくらいほっとしている。
しかし先程リーに言われた言葉が、それをどうにか思い留まらせていた。
たとえ虚勢だとしても。少しでも皆に安心してもらうために、自分はまっすぐ立っていなければならない。
本当は、まだ足りぬ自分だが。
自分ならできると、任せてくれたリーに応えるためにも。
アリアと子どもたちは自分が守るのだと、ライルは改めて決意を固めた。
伝わるアリアの感情が緩み、安堵と感謝、そして自分への信頼に満たされた。
いつもよりは強く伝わるが、今はその方がいい。
「持ち直してくれた」
アリアがこの様子なら、ライルも心配はないだろう。
とりあえずふたりは大丈夫だとほっと息をついてから、リーはよかったとばかりに頷くフェイを見やる。
「ありがとな。でも、大丈夫なのか?」
普段はこんな使い方などしないだろう龍の通信手段。後々フェイが困ることにならないだろうかと心配するのだが、問題ない、とあっさり返される。
「俺より自分の心配をした方がいいんじゃないのか?」
「自分のって…何を?」
不穏な言葉に尋ね返すものの、答えてもらえず。問い詰める時間も惜しいので、仕方なく今は忘れることにした。
すぐに移動することになり、整えてあった野営の準備を片付ける。
移動していたアリアが止まるのを確認したのが、日も落ちてかなり経ってから。そこから野営の場所を探し、準備が済んだ途端の騒動だった。
自分が感じるアリアとの距離が地図の上ではどのくらいになるのかは、本部とガレーシャの監禁場所からの距離感で少しは掴んである。ここからならおそらく二時間程度だろう。
それにしても、と。手は止めずにリーは考える。
保安が注視していたのはオルストレイトとガレーシャ。リーも当然その二区を探すものだと思っていた。
しかしマルクから示されたのは、オルストレイトの北、ガレーシャの西の、ここローザル。そしてその読み通り、アリアが連れてこられた先もローザルだった。
もちろん問うつもりはないが、マルクは一体どんな情報網を持っているのだろうかと、そんなことをちらりと思う。
そして同時に自分を追ってきているはずのものへの説明を丸投げされたのだと気付き、リーは面倒臭そうに溜息をついた。




