目的地
橙五番の宿場町。中に入る前に、ソリッドとヤトは互いを見やる。
ここで馬を借り、ソリッドはアジトへ、ヤトは故郷へと向かうことになっていた。
ヤトの故郷はガレーシャの一区北、エフィルにある。少しでも早く行かねばならないことはわかっていたが、つい足を止めてしまった。
自分たちもこれでおわかれ。たとえこれからのことがどんな結果に終わっても、この先もう会うことはないのだ。
「…戻ってくんじゃねぇぞ」
先に釘を刺すソリッドに、ヤトは苦笑する。
「ソリッド…」
「姉さん、大事にな」
最早身内のいないソリッドだからこそ、まだある繋がりを大切にとの訴えに。何か言いかけ、ためらいやめて。改めてヤトが口を開く。
「…わかってるよ」
返された言葉に満足そうな笑みを見せ、ソリッドは手を差し出した。
「会えてよかった」
ぐっと息を呑んでから、視線を落としたヤトが勢いよくその手を握りしめる。
「…バカ、またどっかでっつっただろ」
顔を見ないまま痛いくらいに握られる手に、ソリッドも堪えるように眉を寄せ、うつむいた。
「そう、だったな」
返せる言葉はそれしかなく。
「……俺も、会えてよかった」
重ねられた言葉にも、もう何も返せなかった。
暫しの沈黙のあと。どちらからともなく手を放し、顔を見合わせ、ガラじゃないなと苦笑して。
互いに馬を借り、別れた。
ヤトは北門から橙街道を北上して。
ソリッドは西門から五番街道を西へ。ガレーシャの西隣、アジトのあるローザルへと向かった。
「動き出した」
足を止めたリーがフェイへと呟く。
リーたちは街道から大きく外れ、今は町と町を繋ぐ馬車道を歩いていた。山を越えてきたところなのでまだ起伏はあるが、この先は暫く緩やかに坂道が続くだけだ。
「こっちに来てる」
西へと動き出した気配。もちろんまだ行き先はわからないが、行く先に合わせてこちらも動かねばならない。
行く先を知る必要があるので、完全に止まるまでは手を出せないのがもどかしい。
伝わるアリアの気持ちには様々な心配が混ざっているが、今のところは落ち着いている。
(…ひどいこと、されてないよな…)
龍であるアリアたちはそうそう傷付けられたりしないとわかってはいるが、それはあくまで身体的に、だ。
人同様、傷付くのは体だけではない。
わかっているのかとぼやきそうになるのを呑み込んで、リーは再び歩き出した。
馬車は途中二度止まり、更にふたりの子どもが乗せられた。新しい子どもが乗せられるたびに、落ち着きかけた子どもたちにもまた不安と怯えが伝染する。
それを宥めながらも、アリアとライルはまだ冷静だった。
移動を始めてすぐ、アリアはリーの気配を感じ取った。感知できる範囲ギリギリだったその気配は、馬車が進むにつれて近付いている。
リーが近くにいるということ。
そのことに励まされながらも、アリアは子どもたちに声をかけ続けた。
三度目に馬車が止まったのは、隙間から差し込む光さえなくなってしまってからだった。
客車の奥で不安げに身を寄せ合う子どもたちを、アリアが腕を精一杯伸ばしてぎゅっと抱きしめる。その前で扉を向き、ライルは静かに待っていた。
外は次第に騒がしく、複数の人の気配が動き回っている。上へ下へと移動しているところからすると、建物の傍なのだろう。
そのまま暫く放ったらかされていたが、やがて覗き窓が開いた。中の様子を確認するのはあの大柄な男。中を見るために掲げられたランタンの眩しさに目を眇める子どもたちを一瞥ずつした男は、すぐに引っ込み窓を閉めた。ガタガタと暫く物音がし、客車の扉が開く。
「出ろ」
短く告げた男が一番手前のライルを引っ張り出そうと伸ばした手から、少し身を引いて逃れて。
「自分で出るから」
きっぱりとそう告げ、ライルはうしろの子どもたちを振り返った。
「行こう、皆」
「ほら、立てる?」
アリアもライルの言葉を受け、優しく皆を促す。自分たちより幼いアリアが取り乱さず落ち着いて動く様子に、子どもたちも怯えながらではあったが言われた通り立ち上がった。
日の名残りなどなく、周りも木々に囲まれているせいもあり、本当なら辺りは暗闇と静寂に包まれているような場所ではあるのだろう。今は忙しなく動く男たちのランタンの灯りとざわめきが場を占め、揺れる光と響く物音に、馬車から降りた子どもたちは気圧され立ち尽くす。
馬車は建物の正面に停められていた。幅も奥行きもそれなりにありそうなその建物横には屋根のみの広い作業場のようなものがあり、枝を払った丸太が何本も置かれている。
「来い」
男の言葉に、子どもたちは皆で手を取り合い、ライルを先頭に歩き出す。男たちに囲まれながら建物へと入り、まっすぐに進んだ先の突きあたりにある両開きの扉の前へと来た。
男が開けたその扉の先は、手前と奥とが木の格子で分けられていた。格子の一部は扉となり、そこから出入りするようになっている。
格子の扉を開いた男に、行け、と顎で示され、ライルは大人しく奥へと入った。アリアと子どもたち、十人全員が入ったところで扉に鍵がかけられる。
「痛い思いをしたくないなら大人しくしてるんだな」
男はそう言い捨て、格子の向こうの両開きの扉を閉めた。
格子の外側、高い位置にひとつだけ吊るされたランプ。光源がそれだけでは薄暗いままの部屋の中、ライルは子どもたちの様子を見る。
扉が閉まると糸が切れたように座り込んだ子どもたち。馬車での移動で疲れているのはもちろんだろうが、極限の緊張状態に加えこの先の不安を感じていることは聞かずともわかった。
片隅に積まれた毛布を見つけ、皆に配る。道中もパンや水を出され、足りないながらも休憩もあった。どうやらこちらを死なせたくはないらしいが、扱いは雑だ。
「眠れそうなら少し眠った方がいいよ。何かあったら起こしてあげるから」
人数は知られていたのだろう、毛布は十枚ちょうどだった。自分たちはいらないからと、一番幼い男の子と、少し具合の悪そうな女の子にもう一枚ずつ渡す。
「…でも、君だってずっと……」
道中のパンと水も皆に分けたことを知っている男の子が、心配そうにライルを、そしてアリアを見やる。
「君も水しか…」
同じく両方分けようとしたアリアだが、ライルに水だけは飲むようにと渡されていた。
龍であるふたりにはもちろん食事は必要ないが、やはりその身が司る水の有無は体にも影響がある。もちろん生死に関わるほどではないとはいえ、力を蓄えるという意味では補っておいた方がいい。ライルは断ったが、アリアは半分残した水をきちんとライルにも飲ませていた。
「アリアは平気だよ。ライルお兄ちゃんに任せて、今のうちに休んでおこうね」
不安がる子の手を握り、泣きそうになる子に笑いかけ。張り詰めきったものをゆっくりと解しながら、アリアは皆を休ませる。
その間に、ライルは今からどう動くべきか考えていた。
ここを出るのは簡単だ。龍にとってすれば、こんなもの監禁でもなんでもない。
しかし、子どもたちは違う。
もし龍の姿に戻って子どもたちを乗せるとしても、これだけ疲弊した子どもたちに掴まっていられる体力があるのだろうか。
そしてライル自身、人を乗せたのはこの間のアリアが初めてだ。勝手を知るアリアならともかく、慣れぬ自分が疲れ怯える子どもたちを八人も乗せて飛べるとはどうしても思えない。
どうにか自分もこの姿のまま、皆にも自身の足で逃げてもらうしかなかった。
幸いリーも近くにいる。
アリアよりはだいぶ遅れてではあったが、もう自分にもリーの気配が感じられるようになっていた。
もしかしたら自分たちの状況に気付いていて、ここまで来てくれるつもりなのかもしれない。それならこの部屋さえ出ればなんとかなる。
その時が来れば動けるように。
ライルは取り得る手段を考え続けた。




