第060話:計画的なダウンタイム(保守点検)と、未知なる脅威のログイン
1.アップデートに伴う脆弱性
大阪・梅田地下大迷宮。
「――納期は五分だと言ったはずだ。残業は俺の主義に反する」
佐藤通は、青紫色の雷光が乱舞する戦場の中央で、スーツの埃を払うように静かに手を下ろした。
周囲には、西の覇者『芦屋シンジケート』が誇る数百の精鋭部隊とAランク魔物の群れが、文字通り「更地」となって沈黙している。阿部大輝や神代煌といった実行部隊の圧倒的な蹂躙と、トール自身の『極位』の雷魔法による事務的な一掃。
「……さて。現場の『不良債権』の整理は終わった。あとは親父が市場の裏側で芦屋の資金源を完全にショートさせるのを待つだけだ」
トールはモノクルを指先で叩き、タワーの管理AI『ホムル』への暗号化通信を開いた。
『――マスター。梅田地下の制圧、確認しました。関東の本社タワー防衛システム、異常ありません』
「ご苦労、ホムル。……これより、この梅田地下大迷宮のダンジョンコアを、関東の本社タワーの基幹システムへと『強制統合(M&A)』する。西の市場を我々のネットワークに飲み込ませろ」トールの指示に、ホムルがわずかな沈黙を挟む。
『……マスター。関西の巨大な空間データを本社サーバーに同期させる場合、一時的な処理の過負荷が発生します。結果として約三分間、タワー全域の物理・魔法シールドが「不認可個体侵入阻止率100%」から「標準的なAランク防衛レベル」へと低下しますが、よろしいですか?』
「構わない」
トールは冷徹に即答した。
「現在のタワーには、三木部長、氷室顧問、そして特務調査員の蛍がいる。彼女たちの防衛能力があれば、その程度の隙を突くノイズは十分にデバッグ可能だ。……それに」
トールの脳裏に、熱湯の入った寸胴鍋を素手で持ち運んでいた神崎有栖の姿が浮かぶ。
「……最強の『物理的セキュリティ(メイン・ベンダー)』がキッチンに鎮座しているからな。アップデートを実行しろ」
『了解。……これより、システムの再起動プロセスに移行します』
2.未知なる脅威のログイン
同じ頃、東京・渋谷。
完成を間近に控えたレギュレーター・タワーの周辺は、一般人には感知できないほどの高密度な結界に守られ、静寂を保っていた。
だが、その結界の外側――隣接するビルの屋上から、タワーを蛇のような執念深い眼差しで睨みつける者たちがいた。
「……水無月様。情報通りです。レギュレーター・タワーを覆う結界の出力が、急速に低下を始めました。……奴ら、このタイミングでシステムの保守点検に入ったようです」
黒装束に身を包んだ男が、通信機に向かって報告する。
彼らは、西の覇者『芦屋シンジケート』が関東に潜伏させていた裏の別働隊――関西から急遽派遣された、特A級の暗殺・潜入スキルを持つ特務部隊だった。有栖の父親を襲撃した部隊とは別の、芦屋の「切り札」である。
通信機越しに、芦屋の情報分析部門トップ・水無月の冷徹な声が響く。
『……完璧なタイミングだ。佐藤通が関西で我が方の主力と交戦し、驕り高ぶってタワーのシステムを更新するこの僅かな隙。……この数分間こそが、奴らの鉄壁のバックオフィスに開いた唯一のセキュリティ・ホールだ』
水無月の声には、確信に満ちた冷笑が混じっていた。
『我々の目的は二つ。タワーの最上階に設置されているマスターコアへの物理的ハッキング・デバイスの設置。そして、もう一つだ。……先ほど神崎剛を人質に取ったが、あの女が父親を見捨ててタワーに籠城するリスクもゼロではない。確実を期すため、奴の無限の兵站の要である神崎有栖を、直接タワーから物理的に確保(差し押さえ)しろ』
「了解しました。……古代遺物『次元穿ちの楔』、使用します」
工作員のリーダーが、懐から錆びついた一本の鉄杭を取り出した。
それは、ギルドすら存在を秘匿している特級の魔道具。一時的に空間の座標を狂わせ、いかなる結界をも物理的にバイパスして「転移」を可能にする、ルール破壊の遺物だ。
「――転移座標、レギュレーター・タワー上層階および居住区画。……突入する」
杭が虚空に突き立てられた瞬間、空間がガラスのように割れ、黒装束の男たち五名が、音もなくタワーの内部へと吸い込まれていった。
3.分断されるバックオフィス
レギュレーター・タワー、ペントハウスの仮設指令室。
『……警告。システム再起動中……。不明な座標からの空間転移を検知。……不認可個体、五名。侵入を許しました』
ホムルのアラートが鳴り響く中、三木怜は舌打ちをしてホログラムモニターを叩いた。
「……チッ。ボスの不在とシステムのアップデート(保守点検)の隙を突いてくるなんて。……関西の残党? それともギルドの暗部?」
「どちらにせよ、招かれざる客ね」
氷室冴香が、氷のような瞳を細めて立ち上がる。彼女の周囲には、すでに絶対零度の魔力が渦巻き始めていた。
「タワーの防衛は私たちが完璧にこなすって、ボスに約束したもの。……蛍!」
「……座標、特定しました」
部屋の影から姿を現した影森蛍が、両手に漆黒の短刀を逆手に構える。
「敵は二手に分かれました。三名がこの指令室へ。……残る二名が、下の居住区画――キッチンの有栖さんの方へ向かっています」
「有栖さんのところへ!?」
怜の顔色が変わる。有栖のステータスがバグり始めているとはいえ、彼女は戦闘訓練を受けたことのない一般人だ。裏社会のプロフェッショナルが本気で暗殺や拉致を狙えば、どうなるか分からない。
「……蛍! あなたは有栖さんの護衛に向かって! ここは私と氷室顧問で防衛するわ!」
「了解。……一匹残らず、デリートします」
蛍が光学迷彩を起動し、瞬時に姿を消す。
直後、指令室の重厚な扉が、爆発音と共に吹き飛ばされた。
「……フン。お留守番の小娘が二人か。……大人しくコアへのアクセス権限を渡せば、痛い目には……」
煙の中から現れた三人の工作員が、麻痺毒の塗られた刃を構えて冷笑する。
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
「……小娘? ……誰に向かって口を利いているの、この三流企業の残党が」
冴香が指を鳴らした瞬間、室内の温度がマイナス数十度まで急降下し、工作員たちの足元から瞬時に巨大な氷の棘が突き出した。
「なっ……!? グアァァッ!」
「……広報部長の仕事を舐めないで。私たちの『プレゼン』は、血気盛んなのよ」
怜もまた、自身のタブレットに組み込まれた魔力増幅器を起動し、空間に不可視の衝撃波を発生させる。
ヒロインたちによる、苛烈な防衛戦(防護壁)が火蓋を切った。
だが、工作員たちも特A級の潜入部隊だ。彼らは氷を砕き、空間の死角を突いて反撃に転じる。
「チッ……! こいつら、ただのバックオフィスじゃないぞ! 陣形を組め!」
指令室は、一瞬にして高度な魔力戦の戦場へと変貌した。
4.聖域への侵入と、鼻歌のメイン・ベンダー
一方、タワー下層の居住区画。
最新鋭の設備が整えられた巨大なキッチンでは、神崎有栖が淡いピンク色のエプロンを身につけ、ご機嫌な鼻歌を歌いながら巨大な寸胴鍋をかき混ぜていた。
「ふふふーん♪ トールくん、関西のお仕事、早く終わらないかなぁ。……いっぱい動いた後は、消化に良くて栄養満点の『特製・魔力回復スープ』がいいよね」
彼女の全身からは、トールへの純粋な愛情(感情エネルギー)が溢れ出し、それが魔力となってスープの成分を極限まで高めている。
彼女の首筋では、トールから贈られた『銀翼のヘアクリップ』が、微かな桜色の光を脈動させていた。
その背後、キッチンの勝手口の空間が歪み、二つの黒い影が音もなく降り立った。
芦屋シンジケートの工作員、別働隊の二名だ。
(……ターゲット確認。神崎有栖。……無防備だ。背後から麻痺薬を打ち込み、即座に離脱する)
工作員の一人が、特殊な麻酔針を構え、足音一つ立てずに有栖の背後へと忍び寄る。
彼らは、有栖を「ただの料理が得意な女子高生」だと信じて疑っていなかった。この少女こそが、トールの極高密度な魔力に当てられ続け、Aランクの物理防衛特化型すら凌駕する「バグったステータス」を獲得している怪物だとは、夢にも思っていない。
「……もらった」
工作員が、有栖の華奢な首筋に向けて、鋭い麻酔針を思い切り突き立てた。
ガツンッ!!!
「……えっ?」
工作員の目が見開かれた。
有栖の首に突き立てられたはずの特殊合金製の麻酔針が、まるで分厚い鋼鉄の壁に全力で叩きつけられたかのように、根元からひしゃげて折れ曲がっていたのだ。
「……あれ?」
有栖が、不思議そうに首を傾げて振り返る。
「なんか今、チクッてしたような……? あら、お客様ですか? 三木さんのお知り合い?」
「な、なんだこの皮膚の硬度は……!? バカな、事前のデューデリジェンス(調査)データと全く違うぞ!」
工作員はパニックに陥り、咄嗟に腰から実剣のナイフを抜き放ち、有栖の腕を切り裂こうとした。
「うわっ、危ないっ!」
有栖は、驚いて腕を振り払った。
彼女にとっては、ただ「虫を払うような」無意識の動作だった。
だが、トールのレベル131の魔力を日常的に「ディープキス」で注ぎ込まれ、細胞レベルでアップデートされた彼女の『ただの振り払い』は、もはや災害に等しい物理的質量を持っていた。
ドゴォォォォォォォォン!!!
有栖の細い腕の裏拳が工作員の胸ぐらに直撃した瞬間、空気が爆発的に圧縮され、工作員の身体はキッチンの強固なアビス・カーボン製の壁をぶち破り、タワーの外の空へとロケットのように吹き飛ばされていった。
「……ええええええ!?」
残されたもう一人の工作員が、泡を吹いてへたり込む。
「あ、あああ……! 壁に穴が! ごめんなさい、私、ちょっと腕を振っただけで……!」
有栖が、自分自身の怪力にパニックを起こしてオロオロしている。
その時、天井の影から蛍が飛び降りてきた。
「有栖さん、無事ですか!? ……えっ?」
蛍が構えた漆黒の短刀が、空を切る。
彼女の視界に映ったのは、完全に戦意を喪失して腰を抜かしているテロリストと、壁に空いた巨大な大穴、そして「どうしよう、トールくんに怒られちゃう!」と半泣きになっている無傷のメイン・ベンダーの姿だった。
「……やはり。……ボスの仰る通り、ここがタワーで最も『強固な物理的セキュリティ』でしたか」
蛍は、呆れと戦慄が混じったため息を吐きながら、短刀を鞘に収めた。
関西での企業戦争が終結に向かう裏で、関東の留守を預かるレギュレーターの本社タワーでは、ヒロインたちの「防衛力(アピール合戦)」と、無自覚な正妻の「圧倒的なバグ」が、敵の姑息な侵入(不正アクセス)を完璧に、そしてギャグのように粉砕していた。




