第050話:旧体制(レガシー)の確証バイアスと、公開買収(TOB)への招待状
1.権威の焦燥と、腐敗した円卓
二〇二四年、五月某日。
渋谷・代々木地区の全ダンジョンが、新興クラン『レギュレーター』の独自の管理システム(OS)によって完全に制圧された数日後のこと。
霞が関に聳え立つ、探索者ギルド本部の最上階。重厚なマホガニーの扉で隔てられた『円卓の間』では、極めて不純な魔力が、怒りと焦燥によって重苦しく渦巻いていた。
「……渋谷の地下ダンジョンからスクランブルスクエアの深層まで、すべてが『レギュレーター』のロゴに書き換えられただと!? 現場の管理官は何をしていた!」
豪奢な革張りの椅子に深く腰掛け、最高級の葉巻を灰皿に叩きつけたのは、探索者ギルド本部長・御堂島 宗厳だった。肥え太った指に嵌められた特A級魔石の指輪が、彼の権力と、長年にわたり市場を独占してきた既得権益の象徴として毒々しく光っている。
巨大なホログラムモニターには、ギルドが管理する関東エリアの魔石流通マップが映し出されていたが、その心臓部である渋谷周辺は、完全に「漆黒」へと塗りつぶされ、ギルドのネットワークから強制的に遮断されていた。
「本部長。……代々木支部の水城という購買担当から報告が上がっています。『彼らの提供する魔石は極めて高品質であり、ギルドの規定価格を無視してでも独占取引を結ぶべきだ』と。……どうやら現場は、すでにあの高校生たちに買収されているようです」
秘書官が震える声で報告すると、御堂島は顔を真っ赤にして机を叩いた。
「寝言を抜かすな! 現場の中間管理職風情が、組織のルールを曲げるなど言語道断だ! その女は即刻左遷しろ! ……我々ギルドを通さず、魔石のサプライチェーンを構築するなど、市場経済に対する明確なテロ行為だぞ!」
御堂島の怒号を、向かいの席に座る一人の男が、冷ややかな笑みを浮かべて聞いていた。
顔に斜めの一文字の傷を持つ、野心と暴力の化身。国内最大派閥の財閥系クラン『獅子王権』のトップにして、関東のダンジョン利権をギルドと裏で分け合ってきた巨魁・獅子王 烈だ。
「落ち着け、御堂島。……たかが高校生の集まりが、短期間で渋谷の深層をフォーマットし、特Aランクの魔物を秒殺するなど、物理的にあり得んのだよ」
獅子王が、タブレットに映る『震天の巨神』や『銀翼の覇者』が雷光で消滅する映像を指で弾いた。
「この動画もそうだ。巧妙に作られているが、所詮はCG加工された『フェイク』だ。……佐藤通という少年は、単なる表向きのフロント企業に過ぎん」
「ダミーだと……?」
「ああ。背後にいるのは、奴の父親・佐藤一真が率いる『アーク・フュージョン』だ。奴らは、ギルドの魔導サーバーを軍事レベルの技術でハッキングし、空間の数値を書き換えたに違いない。魔物も、裏で最新鋭の魔導兵器を使って掃討しているのだろう」
獅子王の言葉は、旧態依然とした権力者特有の「確証バイアス」そのものだった。
自分たちの常識で測れない圧倒的なイノベーション(天才)を目の当たりにした時、老いた組織はそれを「不正」や「チート」だと都合よく解釈し、自らのプライドを守ろうとする。
「なるほど……。ならば、その『不正』のメッキを公の場で剥がし、奴らの持つ最新技術を我々が正当に没収してやればいいというわけか」
御堂島の濁った瞳に、陰湿な光が宿った。
「その通りだ。……来月開催される『全国高校生探索者大会』。あそこに、レギュレーターを特別枠で『ご招待』してやろうではないか」
2.不当なコンプライアンス違反(罠)の構築
全国大会。それは本来、各校の有望な新人を発掘するための健全な競争市場だ。
しかし、御堂島と獅子王が描いたのは、クラン『レギュレーター』を社会的に抹殺し、その資産を吸収合併するための「公開処刑の場」だった。
「会場は、我がギルドの本拠地である『東京ドーム・特設ダンジョン』だ。ここでなら、ルールも、環境マナの濃度も、我々の思うがままだ」
御堂島が、腹黒い笑みを浮かべてホログラムを操作する。
「レギュレーターには『特別ルール』として、ポイントの減算や、極端に過酷な初期配置というハンデ(不当労働要請)を課す。……さらに、演習の最中、地下深層に封印してある『規格外のバグ(Sランク魔物)』のゲートを、事故に見せかけて解放しよう」
「ほう。……彼らが最新兵器を使う間もなく、Sランクの暴力によって無惨に蹂躙されるというシナリオか」
獅子王が、残酷な笑みを深めた。
「その通りだ。彼らが全滅すれば、アーク・フュージョンの株価は暴落する。そこを我々が買い叩き、阿部大輝たちの纏っているアビス・カーボンや、魔導サーバーのハッキング技術を『遺品』として合法的に接収する。……完璧なビジネスモデルだろう?」
彼らは知らなかった。
自分たちが陥っている致命的な認識のズレが、逆に自らの首を絞める最強の「死刑執行同意書」になるということを。
3.沈黙のファイアウォールによる情報漏洩
同時刻。
完成を間近に控えた渋谷宮下公園前、『レギュレーター・タワー』の仮設指令室。
防音ガラスの向こうに煌めく渋谷の夜景を背に、クラン・プレジデントである佐藤通は、デスクの上に置かれた小さなICレコーダー(魔導記録器)から流れる音声を、目を閉じて静かに聴いていた。
『……レギュレーターには「特別ルール」として、極端に過酷な初期配置というハンデを課す……事故に見せかけて解放しよう……』
旧体制の権力者たちの醜悪な密談が、クリアな音質で指令室に響き渡る。
「……ボス。ギルド本部の『経営会議』、ルートディレクトリから末端の雑談に至るまで、すべて記録してきました」
声の主は、トールの影から音もなく姿を現した漆黒の少女――情報セキュリティ部兼特務調査員、影森蛍だった。彼女の光学迷彩と特A級の【隠密】スキルは、ギルド本部の前時代的なファイアウォールなど、存在しないも同然にすり抜けていた。
「彼らのセキュリティは、穴だらけのレガシーシステムです。私の侵入には、誰一人として気づきませんでした」
蛍は、任務を完遂した有能な部下としてトールの前に膝をつく。その暗緑色の瞳は、主からの「承認」を静かに、だが熱烈に待ち望んでいた。
「素晴らしい仕事だ、蛍。君の諜報能力は、当クランの最大の非対称兵器だな。……特別手当を支給しよう」
トールが労いの言葉をかけると、蛍は顔を真っ赤にして「ほ、光栄です……!」と震えながら深く頭を下げた。
「……それにしても、見事な『確証バイアス』ね」
傍らに控えていた広報兵站部長・三木怜が、呆れたようにため息をついた。
「自分たちの理解を超えた技術を、すべてアーク・フュージョンの兵器やハッキングだと錯覚している。ボスの力が、純粋な『個の暴力』だとは微塵も疑っていないわ」
「無能な経営陣の典型だ。……だが、彼らが俺を『ただのハッカー』だと誤認してくれているのは好都合だ」
トールはモノクルのフレームを指先でなぞり、冷徹に口角を上げた。
「……ねえ、ボス。その『Sランクのバグ』とやら、私が真っ二つにデバッグしてあげてもいいのよ?」
プラチナブロンドの髪を揺らし、最高執行責任者代理(COO)の神代煌が、白銀の大鎌を片手に優雅に微笑む。彼女のサファイアの瞳には、老害どもを蹂躙したくてたまらないという、極彩色の殺意が満ちていた。
「俺たち実行部隊も、いつでも出社可能です! 全国大会だろうが何だろうが、ボスの前ではただの『平場の掃除』に過ぎません!」
阿部大輝もまた、魔力反応警棒を握り締め、狂信的な瞳で吠える。
トールは、デスクの上に置かれていた一通の封筒――本日ギルド本部から届いたばかりの、全国大会への『特別招待状(という名の召喚状)』を手に取った。
「……権威を失墜したレガシー企業が、ルールを曲げてまで新興勢力を潰しに来る。……ビジネスの世界ではよくある『不当競争』だが、彼らは致命的なミスを犯した」
トールの左目が、七色の燐光を放ち始める。
「相手がこれほど分かりやすい『コンプライアンス違反』の証拠を、自ら用意してくれたんだ。……この挑戦、受けない手はない」
トールは、招待状を指先から放たれた極小の雷光で、音もなく灰へと変えた。
「――三木部長、阿部、煌、そして蛍。……次のプロジェクト(案件)を提示する」
トールの声が、指令室の空気を絶対零度に引き締める。
「舞台は来月の『全国大会』。ターゲットは、探索者ギルド本部、およびそれに癒着する全レガシー企業。……俺たちが彼らの土俵に上がり、彼らの用意した罠をすべて『通常業務』として粉砕する」
「そして、全世界のメディアの前で彼らの不正を暴き立て、ギルド本部のマスターコアを強制的に上書き(フォーマット)する」
トールの瞳に宿る、圧倒的なまでの支配者の覇気。
それは、一介の高校生や探索者のものではない。世界という巨大な市場を自らの規格で塗り替える、冷徹なCEOの絶対的な決断だった。
「これは単なる大会ではない。……ギルド本部に対する、完全子会社化を目的とした『公開買収(TOB)』だ。……諸君。世界を、俺たちの規格で上書きする準備はいいか?」
「「「御意!!」」」
幹部たちの狂信的な唱和が、夜の渋谷に響き渡った。
最強の帰還者による、血を流さぬ、しかし最も残酷な企業戦争。
旧体制の無能な老人たちが仕掛けた滑稽な罠は、彼ら自身を破滅へと導く「最強のざまぁ」への導火線として、今、静かに火を点けられたのだった。




