第034話:極彩色の『部品』と、冷徹なM&A(勧誘)
四月二十二日、月曜日。午前八時。
週末の「強制休養」と、日曜日の「非公開ミッション(デート)」を経て、渋谷代々木学園高等部は再び週明けのルーチンへと回帰していた。
だが、一組(Aクラス)が位置する校舎三階の「特級エリア」は、登校直後から異様な熱気に包まれていた。
「……三木さん。ここ、B組の人間が立ち入る場所じゃないわよ?」
一組の女子生徒たちが、冷ややかな視線で一人の少女を阻もうとする。
そこには、漆黒の『REGULATOR - Support Unit』の腕章を纏った三木怜が、隙のない歩調で立っていた。
「業務上の連絡よ。……神代 煌さんに、重要なプロポーザル(提案)があるの」
怜の瞳には、かつての「クラスのリーダー格」という甘い響きは微塵もない。
彼女の魂の深層には、土曜日の夜に通から直接刻み込まれた『専属回線』が熱く拍動している。その圧倒的な後ろ盾が、彼女の精神を十五歳の少女から、百戦錬磨のマネージャーへと変貌させていた。
「通して。……私の時間のロスは、そのままクラン『レギュレーター』の損失に直結するわ。その責任、あなたが取れるの?」
怜が事務的に放った言葉の重みに、一組の女子たちが思わず後ずさる。
その人垣の奥。教室の最奥にある、特注の革張りデスクに腰掛けた少女が、サファイア色の瞳を細めた。
プラチナブロンドの長髪を流し、最新モードのカスタマイズ制服を優雅に着こなした「学園の女王」。
神代 煌。
「……面白いわね。佐藤通の『秘書官』が、私のところに何の用かしら?」
煌が、白磁のような手で自らの顎を支え、不敵に微笑む。
彼女から溢れ出る魔力圧は、既にDランク探索者のそれを遥かに上回っていた。周囲の空気がピリピリと帯電し、一般生徒なら立っていることすら困難な重圧が怜を襲う。
だが、怜は眉一つ動かさなかった。
(解析。……神代煌、魔力出力:想定の1.2倍。……周囲の注目を触媒にしたバフ効果を確認。……しかし、ボスの刻んだ結界の前では、この程度の『ノイズ』は無効です)
怜は無造作に歩み寄り、煌のデスクに一枚のタブレットを置いた。
「佐藤通……クラン・プレジデントからの伝言よ。……『神代 煌というアセット(資産)を、市場価格の十倍で買い叩く用意がある』」
「……買い叩く? 私を?」
煌のサファイアの瞳が、一瞬で氷の輝きへと変わった。
「失礼ね。私は神代家の令嬢であり、次世代のS級候補なのよ。たかが一学園のクランが、私を支配下に置けるとでも思っているの?」
「支配じゃないわ。……『統合』よ」
怜は一歩、煌の懐へと踏み込んだ。
二人の美女の視線が、わずか数センチの距離で激しく衝突する。
「神代さん。……あなた、退屈しているんでしょう? 周囲の『無能な信奉者』に囲まれて、賞賛を浴びるだけの日常に。……あなたが求めているのは、自分を『特別な女』として崇める群衆ではなく、自分を『最も有能な部品』として使いこなす圧倒的なシステム。……違うかしら?」
煌の指先が、ピクリと震えた。
怜は、容赦なく「監査」を続ける。
「昨日の合同演習、あなたはボスの背中を見たはず。……あの人が、魔物を倒すのではなく『管理』している姿を。……あの『理』の中に組み込まれたいと、あなたの魂が叫んでいた。……私のモノクルには、そのデータがはっきりと出ているわ」
「…………」
煌の表情から、余裕の笑みが消えた。
彼女は立ち上がると、自らの影から白銀の魔導大鎌『グロリアス・オーディット』を具現化させた。
鎌の刃が怜の細い首筋に突き立てられる。極彩色の魔力残光が、怜の頬をかすめる。
「……黙れ。それ以上喋れば、その生意気な唇ごとデバッグしてあげるわ」
「いいわよ。……やれるものなら」
怜は逃げなかった。それどころか、自分から刃に向かって首を差し出した。
「私の左腕には、ボスの魔力が直結している。……私を傷つけることは、佐藤通という『神』に、直接喧嘩を売ることを意味するわ。……その覚悟、あるの?」
怜の瞳に宿る、狂信的とも言えるほどの自信。
煌は、その瞳の奥に、かつての怜にはなかった「本物の王の気配」を感じ取り、戦慄した。
(この子……。いつの間に、これほどまでに『染められた』の……!?)
煌はゆっくりと鎌を引き、深く溜息をついた。
「……負けたわ。その交渉術、まるで古い会社の会長室で脅されている気分だわ」
「……褒め言葉として受け取っておくわ」
怜は、冷汗が背中を伝うのを隠し、事務的に続けた。
「契約書の内容よ。役職は『最高執行責任者代理(Acting COO)』。待遇は、ボスの直轄部隊における全権限の行使。……そして、福利厚生として『ボスの隣で、世界を監査する権利』を付与するわ」
煌は、提示されたタブレットの署名欄を眺め、不敵に口角を上げた。
「……『隣』、ね。……有栖さんというメイン・ベンダーがいて、あなたという有能なマネージャーがいる。……その中で、私に『看板』を張れと言うのね?」
「ええ。あなたは私たちの『極彩色の太陽』になってもらうわ。……目立ちすぎるボスの実力を隠すための、最高に派手で、最高に美しい『目隠し(ヘッジ)』としてね」
煌は自らのプラチナブロンドの髪を弄ると、サファイアの瞳を通のいる一組の方向へと向けた。
「……いいわ。サインしてあげる。……ただし、伝えておいて。……もし私が『期待外れ』なら、今度は私がそのクランごと、この鎌で買い取ってあげるって」
「……ええ。ボスなら、その言葉を『好材料』として歓迎するはずよ」
煌が、タブレットに流麗なサインを刻んだ。
その瞬間、クラン『レギュレーター』に、十五名の騎士団とは異なる、唯一無二の「個の暴力」が正式に組み込まれた。
十分後。一組の教室の入り口。
三木怜が戻ってくると、そこには通が窓際で独り、モノクルを調整しながら待っていた。
「……ボス。ただいま戻りました」
「三木部長。……首尾はどうだ?」
怜は、タブレットを胸に抱え、通の隣に並んだ。
その横顔は、大きな案件を完遂した直後の、誇らしげなエグゼクティブのそれだった。
「――神代 煌。……『暫定雇用契約』の締結完了です。……これで、我が社のブランド戦略における『看板』の確保、および、実力行使による市場浄化の体制が整いました」
通は、モノクルを怜のバイタルに向けた。
(解析。三木怜。……精神的疲労度:32%。……昂揚感:最大。……結論:完璧なM&Aでした)
「……よくやった。三木さん。……これで月曜日からの業務が、予定通り『拡大フェーズ』に移行できる」
通は、怜の肩にそっと手を置いた。
その手の温もりが、土曜日の夜の記憶を呼び覚まし、怜の頬をわずかに朱に染める。
「……さて。……新アセットの『検収(顔合わせ)』に行くとしようか。……阿部くんたちにも、刺激が必要だからな」
通が歩き出した。その背中を、怜はもう、不安な瞳で追うことはなかった。
彼女は既に、彼の一部として、世界というマーケットを統制する「ギア」になっていたからだ。
週明けの月曜日。
漆黒の騎士団に、極彩色の死神が加わった。
最強のクラン『レギュレーター』の進撃は、学園という名の小規模な市場を飲み込み、いよいよ渋谷全域という巨大な戦場へと、その牙を剥き始めた。




