第017話:金曜の最終監査と、至高のローストビーフ
「……戻ったぞ。阿部くん、設営の進捗は?」
午前中の小テストと、生徒会室での「不毛な商談」を終えた通が教室に戻ると、そこには既に完璧に統制された『聖域』が完成していた。
阿部大輝率いる佐藤組の面々が、机を移動させて中央に巨大な特等席を作り、他の生徒たちの動線を完璧にコントロールしている。
「佐藤さん! お帰りなさいませ! 会場設営、および周辺の警戒完了しております!」
阿部が鋭い敬礼で迎える。クラスの男子たちが一斉に「お疲れ様です!」と声を揃える光景は、もはや1年B組の日常となっていた。
通は自席に深く腰を下ろすと、左目のモノクルを『品質管理(QMS)モード』に切り替えた。
「よろしい。……では、今週最後のランチ・プレゼンテーションを開始する。……メイン・ベンダー、神崎さん。前へ」
「……はい、トールくん」
有栖が、少し頬を赤らめながら、昨日よりも一回り大きな、重厚な漆塗りの重箱を差し出した。
彼女の瞳には、先ほど生徒会室へ連行された通を心配する色が残っていたが、通が彼女の隣に座り、優しく視線を合わせたことで、それはすぐに「至福の期待」へと書き換えられた。
「……今日は金曜日だから、『週末スペシャル』にしてみたの。……口に合うか、自信ないけど……」
有栖の手によって蓋が開けられた瞬間。
教室内には、芳醇な肉の香りと、トリュフの官能的な芳香が爆発的に広がった。
(解析開始。……メインディッシュ:極上黒毛和牛のローストビーフ、トリュフソース添え。……サイド:春野菜のテリーヌ、特製ガーリックバターライス。……栄養価:完璧。……魔力含有量:極大。……補足:有栖の心拍数が上昇中。これは『報酬(称賛)』を待つ、極めて純度の高い期待感です)
「……これは、手作りという域を完全に超えているな」
通は、箸を手に取った。
断面が美しい薔薇色に輝くローストビーフ。それは今朝、通が狩ってきた特Aランク個体『震天の巨神』の影響で活性化した、渋谷の「高密度魔力」を調理工程で無意識に織り込んだかのような、神々しい輝きを放っていた。
一口、口に運ぶ。
「――っ」
32歳の精神が、一瞬で「ログアウト」しそうになるほどの衝撃。
低温調理で完璧に閉じ込められた肉汁が、トリュフの香りと共に脳を直接揺さぶる。
それは、異世界で魔王の心臓を食らった時よりも、はるかに強烈な「生の充足」だった。
「……神崎さん。君は、俺をダメにするつもりか? これほどのクオリティを維持されたら、来週からのレギュレーション(評価基準)を上方修正せざるを得ないぞ」
「……! よかった……。佐藤くんが、今朝すごく大変そうだったから……少しでも元気をだしてほしくて」
有栖がとろけるような笑顔を見せる。その背後で、阿部たちが「うおおお……ボスの至福……!」と涙を流している。
「次。……サイド・デザート枠、三木さん。プレゼンを」
「は、はいっ! 本日は『自家製ベリーのパンナコッタ、魔力結晶シュガー仕立て』です! 材料費はレシート通り、1,280円! コスパと満足度の限界に挑みました!」
三木が差し出したデザートを、通は厳しく、だが紳士的に監査する。
「……甘みのキレが良いな。午後の授業での脳疲労を計算した配合だ。……合格だ、三木さん。阿部、経費を精算しておけ」
「了解しました! 三木さん、領収書を確認する。……うん、このベリーの仕入れ値、卸値に近いな。努力を認める」
阿部が電卓を叩き、通から預かった運営資金から正確に現金を支払う。
これこそが、通が構築した「健全な経済圏」だった。
しかし、その和やかな空気の中に、一人の「乱入者」が現れた。
「……随分と楽しそうね、佐藤くん」
教室の入り口に立っていたのは、生徒会長・氷室冴香だった。
彼女の手には、有栖のものとはまた違う、高級料亭の包みが握られていた。
「生徒会長。……小テストの後の監査(追及)は終わったはずだが?」
「……これは個人的な『差し入れ』よ。来週のアドバイザー就任の、いわば着手金のようなものだと思って。……私の家の料理人が、あなたの好みをリサーチして作らせたわ」
冴香が円卓に、その包みを置く。
教室内が、一気に氷ついた。
メイン・ベンダーである有栖と、外部からの「強権的介入」を狙う冴香。
二人のヒロインの視線が、空中で激しく火花を散らした。
(個体名:氷室冴香。……目的:ランチ・レギュレーションへの『割込参入』。……現在の攻撃性:高。……有栖への対抗意識が150%に到達しています)
「……やれやれ。俺の昼休みは、いつから『外交交渉』の場になったんだ」
通は溜息を吐きながらも、冴香の持ってきた包みに目を向けた。
そこには、最高級の素材を惜しみなく使った、非の打ち所がない懐石弁当が収められていた。
「……会長。これは確かに素晴らしい『商材』だ。だが、今のこの教室には、俺が決めたレギュレーションがある」
通は、冴香を真っ直ぐに見据えた。
「君の参入を認めるには、まずは『サイド枠』からの実績作りが必要だ。……来週の金曜日、デザート枠のコンペに応募したまえ。……そこでの評価次第で、正式な取引を検討しよう」
「……っ、私に『デザート』から始めろと言うの?」
「ルールだ。……会長であっても、特権階級の振る舞いは認めない。……それが、この1年B組の『コンプライアンス』だ」
通の冷徹な、しかし公平な宣言。
阿部たちが「流石はボス……!」と震え、有栖は「トールくん……!」と感動のあまり通の腕にしがみついた。
冴香は、屈辱に頬を赤らめながらも、通の瞳に宿る絶対的な意志に、初めて「敗北感」と、それを上回る「高揚」を感じていた。
「……いいわ。来週の金曜日、最高の回答を持ってきてあげる。……覚悟しておきなさい、佐藤通」
冴香は踵を返すと、嵐のように教室を去っていった。
通は、彼女の去った後、再び有栖のローストビーフに箸を伸ばした。
「……さて。邪魔者が消えたところで、最終監査を続行しよう。……有栖、このソースの隠し味について、詳しくエビデンスを提示してくれ」
「うん! えへへ……あのね、実は……」
有栖の楽しげな解説と、それを熱心に(あるいは羨ましそうに)聞く佐藤組の面々。
金曜日の昼休み。
一週間を締めくくるこの「業務」は、いかなる特Aランクの討伐よりも、通の心に「最強の報酬」を刻んでいた。
週末、そして来週の合同演習。
不穏な予感は消えないが、この『聖域』がある限り、佐藤通は負ける気がしなかった。
【現在の佐藤通:レベル131。金曜日の最終監査完了。氷室冴香の『デザート枠』参入が決定。神崎有栖、正妻としての地位を死守。……週末の休息へ】




