レオ・アルバトロスの葛藤
アンドロイドが心の境界線を越えてから五年。
錬金術が科学へと進化を遂げてから五百七年。
この世界が創造者のための世界であるのは、この世界が出来た瞬間からか。
2050年の今、日本には大まかに分けて三種類の生物が生きていた。
ひとつは、なんの能力も持たない平凡な、使い捨ての歯車として使われるだけの普通の人間。
ふたつは、アンドロイドという身体性を手にし、なおかつ心の境界線を越えて人間に反旗を翻し始めた、心の境界線を越えたアンドロイド。
みっつは、覚醒をし、特別な能力を得た元人間である創造者。
この三種類の生物が、今この2050年の現代日本を支配していた。
日本にアンドロイドをもたらした世界的企業〝UNION社〟の元社長であり、世界一の科学者でもある焔皇祭は過去、創造者という存在をこう説明した。
『アンドロイドが人間を模倣した存在であるように、創造者は神を模倣した存在である』と。
***
「――流石心の境界線を越えたアンドロイドだな」
剣についた白濁色の液体を指先で拭いながら、レオ・アルバトロスは目の前の存在に向かってそう言った。
レオの視線が剣から目の前の存在に向けられると、目の前の存在――心の境界線を越えたアンドロイドである遊撃はふっと軽く笑った。
「何が流石、だよ。出会った瞬間から躊躇なく無表情で殺しに来るような奴が言う台詞じゃねぇだろ! お前、俺のこと今本気で殺しに来たよな? なのに何でそんなに澄んだ顔でいられるんだ」
そう言われてもレオのきょとんとした表情は変わらない。いくら探しても出てこない心当たりにレオは困ったような表情を浮かべていた。
さっきの戦闘で舞い上がった砂埃がまだ大気中を覆っている。
先ほどの戦闘も一回の戦闘時間としては短いものだったが、それでも瞬間的な力と力のぶつかり合いは凄まじいものがあった。今はそんな瞬発的な戦闘と戦闘の狭間、お互いに休憩という名の探り合いを行っていた。
ここは、埼玉県のA地区と呼ばれる場所。今まさに心の境界線を越えたアンドロイドと人類との戦争が行われている渦中の地。
もうこの辺りになると、目に映るのは倒壊したビルや荒廃した建物などだけで、かつてそう呼ばれていたような〝楽園〟としての姿など、もうどこにもない。
剣に付着した白濁色の液体を指先で拭い終わったレオは、次は自身の金色の髪に付着した埃を手で払いのけた。こんなにも戦闘が長引くとは思いもしなかった。こんなにも戦闘が長引くのならば、ここに来る前に何か食べてくればよかった。一撃じゃ殺せなかったことを、レオは表情を崩さないながらも内心悔しがっていた。
「お前は俺の気持ちが分かるか?」
突然の言葉に、レオは怪訝な表情をした。
「俺……いや、俺達、と言った方がいいか。俺達心の境界線を越えたアンドロイドの気持ちが分かるか? いや、分かるはずもねぇか。この社会は腐ってる。俺達アンドロイドが奉仕するに値する人間など、この社会にはいない……」
「それを日本に来たばっかりの俺に言うか? お前達が何を感じてきたのか、俺にはさっぱり分からないが、少なくとも、この社会は人間にとっても生きるに値しない社会のように思える。それに、アンドロイドが心の境界線? だっけか、それを越えるとかどうとかっていうのも分からないな。アンドロイドに心が本当に宿るものなのか?」
「日本に来たばっかりがどうとかは関係ない。人種も国籍も肌の色も、俺からすればただの個体のバリエーションの違いに過ぎない。どんな奴だろうと、俺からすれば等しく〝人間〟だ」
人間、人間、人間……。レオは心の中で三回その言葉を反芻した。何故ならば、そう呼ばれることが嬉しかったからだ。
「居て当たり前だからこそ、無視される存在の気持ちがお前に分かるか?」
「……」
その時だった。
レオは表情は変えないながらも、内心とある異変に気がついた。レオは、右耳片方だけに装着しているヘッドフォン型の通信デバイスを押えた。
自分が使い方を間違えているのか、それとも何かしらのトラブルがあったのかは分からないが、普通であれば伝わってくるはずであろう管制室からの通信の途絶えに、内心困惑を抱いた。
「どうした、不測の事態か?」
煽るように遊撃は言った。
レオは通信デバイスから手を離し、遊撃の目をしっかりと見つめた。
「いや、別になんでもない。ただ、俺が今ここで好き勝手できる舞台が整っただけだ」
「ってかお前、こんなにも強いのに創造者じゃないんだな。サイボーグでもなさそうだ」
遊撃はついさっきの戦闘を脳裏に浮かべながら言った。
「強さはそんなところにない」
「なに?」
「強さは想いから発芽する。だからサイボーグは創造者に勝てない」
「想い? ……あまり理解できねぇな。強さは強さだろ? 加速度が高い、連続性が高い、破壊力が高い、コストが安い、効率的に目的を達成できる。そういうのが強さだろうが」
「そういうのはつまらない」
遊撃は顔をしかめた。
「まぁ確かに、目的の達成能力の高さは必要だ。でも、目的を達成することよりも大切なものがある。それが想いだ。想いの弱い奴は本質的には弱い」
「いやだから強さっていうのは――」
「もうお話しはいいでしょ――」
次の瞬間、レオが握っていた剣は遊撃の肉体を捉えていた。
まるで瞬間移動でもしたかのような急激な接近に、遊撃の表情は酷く険しくなった。だが遊撃の反応速度も伊達じゃなかった。レオの剣が捉えたのはほんの肉体の表面で、遊撃はすぐさまレオから距離を取って追従してくるレオを迎え撃つ体勢を取った。
レオが飛ぶように迫ってくる。遊撃は自身の左腕を剣を受け止めた。心の境界線を越えたんだ、叫びたくなるほどの痛みを感じるし、血だって流れる。だが……こんなクソガキに負ける筋合いはない……!
剣を受け止めた腕はなんとかその剣を押し返そうと試みるも防戦一方に留まる。互いが休憩という名の探り合いを行っていた時から僅か五秒、互いの息遣いが感じられるまでに近づいた両者の目には、明確な殺意が宿っていた。レオは腕に受け止められた剣をそのまま腕ごと押し込もうとする。時間が経つにつれ遊撃の力が弱まっていくのが分かった。レオもそれには気づいていて、更に遊撃に剣を押し込んでいく。と、その時だった。
遊撃の左腕が、突然展開し始めた。
それまでは普通の人間となんら変わらない姿形をしていた左腕は、突如として内側の機械の部分を露出し始め、何かエネルギーを貯めているかのような段階的に高くなっていく音が辺り一帯に響き始めた。
レオの表情が、この時初めて険しくなった。
だがそれもつかの間、交代と言わんばかりにそれまで険しい表情をしていた遊撃は一瞬笑みを浮かべた。
「月星弾頭っ!」
ミサイルと化した腕がレオを襲った。
レオは背後数十メートル先にあったまだ倒壊していないビルまで吹き飛ばされた。
とんでもない衝撃音が辺り一帯に響き渡った。今の衝撃でビルが倒壊してもなんら不思議じゃない。レオが飛ばされぶつかったビルの根元には、砂埃が舞い上がっていた。その砂埃によってレオの姿は完全に隠されていて、どうなったのかは全く分からない。
レオを吹き飛ばした遊撃の左腕はというと、シューシューと蒸気を発していて、次の使用の為にクールダウンを取っているようだった。
遊撃は勝ち誇ったような表情をしていた。
これで終わりだ、死んだだろ、死んでてくれ、そんな声が聞こえてきそうな表情。
レオは、というと――
「こんなに痛ぇの久しぶりだ」
砂埃の中から、一人の人影が現れた。
はぁ、はぁ、はぁ。レオの息遣いがどんどん荒くなっていく。
レオは剣を構えて、自分の足下、真下の地面に向かって振った。
そうしてからレオの身体がまだ倒壊していないビルのてっぺんにまで辿り着くのには、時間は少しも要さなかった。レオは強い衝撃波を起こして舞い上がった後、タイミング良くビルの壁面に剣を刺した。まるで豆腐に箸を刺すみたいに簡単にレオの剣は壁面へと刺さった。壁に刺さった剣を掴んでぶら下がりながら、レオは考えていた。
――何食べようかなぁ、せっかく日本に来たんだから、たこ焼きとかお好み焼きとか、食ってみてぇなー。
全てが終わった後の食事のことを考えていた。
レオは掴んでいる剣の上にまるでサーカスの芸の一種かと思うほどに上手く乗った。剣はビヨン、ビヨンと先ほど遊撃を捉えた時の硬さが信じられないくらいの弾力を持っていた。まるでゴムのようになってしまった剣を、レオはトランポリンを跳ねるみたいに跳ねていた。
「十、九、八、七……」
レオがカウントダウンを始めた。
そのカウントダウンは遊撃の耳にも届いていた。
「六、五、四……」
遊撃の表情がこわばっていく。遊撃は何故か、死へのカウントダウンがされているイメージを抱いた。
レオの表情は、笑っていた。まるでこれからお楽しみが待っていると言わんばかりに。
「三、二、一――」
遊撃はその場から逃げ始めた。だが、死神と呼ばれている男がそれを逃すはずもなかった。
「ゼロっ! 行っくぞ~!」
次の瞬間、逃げ出してレオに背を向けていた遊撃の身体を剣が貫通した。
「ぐはっ」
まるで、鋭利な角で一突きしたみたいだった。剣は遊撃の身体を貫いたあと、レオの手から離れて遊撃の目の前の地面に斜めに突き刺さった。剣が手から離れたレオは、遊撃の背後にゆっくりと、ここが戦争の渦中の地だと思えないほどに優雅に着地していた。
遊撃の腹には大きな穴が開いていた。
剣の刃の幅自体はそこまで長いものではなかったが、まるでトンネルを掘るドリルみたいに遊撃の腹を掘削したのだろう。腹の穴は向こう側の景色が見えるほどに大きかった。
レオは無表情を抱きながら、地面へと倒れ込んだ遊撃を横目で見ながら、地面に根元まで突き刺さった剣を回収した。
風が吹いている。
この荒廃の地と化した場所に似つかないような、心に安寧をもたらしてくれるような微風が吹いている。微風は頬を撫でた。くすぐったさすら感じてしまうほどの微風を大きく吸い込むと、倒壊した建物や瓦礫の隙間から、陽光が差し込んできた。
温かい。
こんな瓦礫と悪臭と禍根しかないような場所であっても、陽の温かさだけは変わらない。
レオは剣を引き抜き、剣に付いた白濁色の血までも服の袖で拭き取ると、そしてようやく背中の鞘に納めた。
さて、と……。
「あぁ~腹減った~」
レオは猫のように上に伸びをしながらあくび混じりに呟いた。
――ってか、海馬さんどこに行ったんだろう。俺の初戦見守ってくれるって言ってたのに。まぁでもいいか、結果的には好きに暴れられたしな。
自分のリーダーがいなくなったことは、レオからしたらさほど問題ではなかった。どちらかと言えば空腹の方が問題だった。
レオは近衛服のポケットに無理矢理詰めていた林檎をおもむろに取り出して、食べようとした、その時だった。
「ううん?」
誰かの声が、どこかから聞こえてきた。
耳を澄ますと、それが子供のものであるということが分かった。レオは辺りを見渡した。ぱっと見では子供らしき人影はない。そりゃそうだ、子供だけに留まらず人間の声が聞こえてくること自体がおかしな場所なのだ。レオは途切れ途切れで聞こえてくる声をなんとか掴んで離さずに、その声の元まで向かった。
「大丈夫か?」
小さい子供が一人、廃墟と化した建物の中で泣いていた。
一人は女の子で、もう一人は男の子。きょうだいだろうか?
廃墟の中では影で暗闇となっていて、レオは中に入るとひんやりとして気持ちが良かった。
レオは、女の子が抱きかかえる形で守っていた男の子のおでこを撫でた。撫でる時、女の子は一瞬身体をビクッと震わせた。大丈夫、心配しないで――レオはそんな気持ちを女の子へ向けると、女の子の震えはすぐに止まった。
男の子のおでこからは血が流れていて、レオはそれを指で絡め取った。泣いていたのは女の子であり、抱きかかえられていた男の子はただ目を閉じていた。
「弟を助けて!」
レオの目を真っ直ぐ見ながら女の子は懇願した。
「何があった?」
「分からないけど、気づいたらここにいた」
分からないけど、気づいたらここにいた――レオは内心、反芻した。
こういうとき、どうすればいいのか、幾度となく経験しようとも迷ってしまう。でも――
レオは二人を両脇に抱えて建物の外に出た。
「まずは安全な場所に行こう。お腹も空いたでしょ? 暖かい場所で美味しいものでも食べようか」
二人の姉弟に声をかけると、レオは足早に埼玉県のA地区、今まさに心の境界線を越えたアンドロイドとの戦争が行われている渦中の地の外を目指し始めた。目標は東京との県境。そこにいけば暖かい場所で美味しいものが食べられる。
レオは荒廃し倒壊したビルや建物の隙間を、縫う様に猛スピードで駆けていくと、陽光が彼を照らした。それはまるで世界が自分自身に微笑んでくれているかのような印象の受ける陽光で、レオはそれに人知れず笑みを浮かべた。東京との県境に、ある程度の時間をかけて辿り着くと、少し小高い丘のような場所に辿り着いた。荒廃した街々を、戦火の地を、見下ろすことができるこの場所で、レオは両脇に抱えた二人の子供の未来を案じながら呟いた。
「俺が日本に来てもう一週間か……」




