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能なし鷹の紀行文  作者: ?がらくた


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1/1

序章 能なし鷹のアキピテル

旅を終えて記録を読み返していると、あの頃の私はなんて狭い場所で息をしていたのだろうかと、胸の奥が僅かに軋んだ。

思えば昔の私は息苦しさの正体すら理解できず、それでもなお正しくあらねばならないと世間の声なき声に怯えていたのだろう。

どう生きるべきか。

誰と添い遂げるべきか。

何者にもなれない自分は、どんな形であれば胸を張っていられるのか。

問いばかりが胸の内側で反響して、答えは一向に姿を見せなかった。

夜になって寝台に横たわっても、窓の外から吹き込む乾いた風が頬を撫でる度、その問いは形を変えて私の意識をつつく。

冷たかったはずの風を浴びると、心まで冷え込んで、なのに鼓動だけは逃げ場を失ったように脈打っていた。

そんな私の心境を変えたのが―――能なし鷹アキピテル―――だった。

旅の中での彼の印象は、正直に言えば最悪に近かった。

だらしなく泥に汚れた灰のマント、擦り切れた衣服、使い古した黄の鎧靴という、みすぼらしい格好。

そして何より口を開けば冷笑と皮肉を含ませて、世界を切って捨てる性格の悪さ。

人を小馬鹿にしているのか、それとも世界そのものを笑っているのか判別がつかない薄い頬笑み。

真面目に生きようと足掻き、呪いのような道徳に縛られた私にとって、彼はあまりにもいい加減で、無責任で、軽薄で、どうしようもない男だった。

それなのに旅を共にするうちに、彼の背負った天命がどれほど大きいのかをわからされた。

夕暮れの荒野で赤く染まる地平線を背にして立つその姿は、どこか頼りなく、同時に奇妙なほど自由に見えた。

風が強く吹く日には彼のマントがばたばたと音を立てて翻り、その隙間から見える背中がほんの一瞬だけ―――本当に一瞬だけ、言葉にできない寂しさを滲ませているように思えたことがある。


「……何をそんなに見てるんですか、お嬢さん。私が夕日を眺めるのはおかしいですか?」


振り返りもせずにそう言われたとき、私は思わず言葉に詰まる。

視線を逸らそうとしたけれど、なぜか脚が動かなくて、結局小さく首を振るしかなかった。


「何もせず夕日をぼーっと眺めるなんて。よっぽど暇なんですね」


我ながら驚くほど素っ気なく、嫌味に満ちた台詞。

遠い地平の先に誰がいたのかは知らないし、彼は何も語ろうとはしないのに―――その哀しみに私まで押し潰されてしまいそうだった。


「ええ、暇だからあれやこれや無駄なことを考えてしまうんですよ。お嬢さんのように」


彼はそれ以上何も言わなかった。

ただ肩を揺らしてクク、と笑うと、その声だけが風に紛れて届いた。

私は旅の最中に何度も彼の背中に翼を見た。

あの人は地を這うように生きているのに、心だけはどこまでも高く飛んでいる。

逆に私は空を見上げてばかりで、足元の泥に囚われている。

この手記が、彼と過ごした時間の断片が、彼と私の望む誰かに届けることができるのだろうか。

もし届くのなら―――どうかその人が何者でもない自分を否定せずにいられるのを願ってやまない。

無為という名の平和を、形を持たない自由を。

すべてのしがらみを乗り越えた能なし鷹のように受け入れてくれたなら、それ以上私が望むことはない。




大陸の中心に位置する迷宮街ラビュレジナにて




かつて私・セレナと両親が暮らしていた迷宮街ラビュレジナは、どこか息の詰まるような場所だった。

街の中央に鎮座する迷宮は、まるで巨大な生き物のように静かに存在し、その周囲を取り巻くように円環状の街並みが幾重にも広がっている。

円環状に広がる街並みは外から見れば整然としているのに、一歩中へ入ればまるで迷路のようで、同じ景色が何度も繰り返されるような錯覚に陥ってしまう。

泥レンガの壁は日差しを吸って鈍く光り、乾いた土の匂いが常に空気の底に沈んでいた。

私たちが生活を営む外環区と呼ばれる場所は、都市特有の喧騒に満ちていた。

商人の怒鳴り声、家畜の鳴き声、焼けた穀物の香ばしい匂いと、どこか腐敗しかけた野菜の匂いが混じり合い、鼻の奥にまとわりつく。

人の流れは途切れることがなく、いつだって騒がしい迷宮の街。

それなのに何故だろうか。

私はいつも自分だけがその喧騒から、少し外れているような感覚を抱いていた。

その日もいつもと同じだった。

麻袋に詰めた穀物の重みが腕に食い込み、籠の中の野菜が揺れるたびに葉が擦れ合う音が耳に残った。

急がなければ、と焦る気持ちが足を前へと急かす。

けれどその焦りが、ほんのわずかな段差に気づく余裕を奪った。


「あっ……!」


視界がぐらりと傾き、次の瞬間には石畳の冷たさが膝と手のひらに突き刺さる。

野菜が転がって、乾いた音を立てて穀物が四方に散った。

頬に当たる地面はひんやりとしているのに、顔はじわりと熱くなった。

恥ずかしさとどうしようもない自己嫌悪が一気に押し寄せてきて、私はすぐにその場から離れたかった。


「なんで私って、こうなのかなぁ……」


思わず漏れた声は周囲の喧騒に掻き消されるように小さい。

野菜を拾おうと手を伸ばすもコロコロ、コロコロと転がっていくと、その先は人通りの少ない細い路地の奥だった。

行ってはいけないと、両親に何度も言われていた場所。

けれど放っておくわけにもいかず、頭では躊躇いがありつつも進んでいった。

一歩、また一歩と進むたび、空気が変わっていく。

日差しは細くなり、湿った匂いが鼻をつき、何処かで水滴が落ちる音がやけに大きく響いた。


「……ああ、パパとママに注意されてたのになぁ……」


呟きながら胸の奥がざわついた。

戻るべきか、それとも―――そんな逡巡をしている間に、闇の中で研ぎ澄まさられた五感が迫る気配を感じ取る。


「兄貴、活きのいい女がきやしたぜ?」


低く濁った声が背後から絡みつくように響くも、振り返ることもできず体が強張ってしまう。

ただ呼吸が浅くなるの感じながら、私は立ち尽くすしかなかった。

嫌だ、誰か、助けて……たった3、4文字の単語さえ言葉にできなかった


「ほぅ? 俺らは随分と女日照りでな。寂しいから相手してくれや、嬢ちゃん」


石畳を踏む重たい音が、やけに鮮明に耳に残った。

足音が近づいて逃げなきゃ、と頭ではわかっているのに足は動かなかった。

心臓の鼓動は次第に大きくなり、その緊張は耳にまで伝わるようだった。

やめて、お願い、誰か、誰か! 

私の体を男がまさぐりはじめた瞬間


「おやおや、幽暗な路地には似合わない可憐なお嬢さんがいるじゃないですか。ゴミ溜めにはもったいない宝石だ」


軽やかな、しかしどこか芝居がかった声が、空気を裂くように入り込んでくる。

ハッとして顔を上げるとそこに立っていたのが―――これから旅の同行者となる能なし鷹だった。


「なんだぁ、浮浪者風情が粋がるんじゃねぇよ!」


怒号が飛ばすも、彼は微動だにしなかった。

ただほんの少しだけ首を傾け、相手を観察するような目を向ける。

しかし彼の薄く開いた瞳は猛禽類のごとく、相対した男たちの価値を見極めるようで……私は視線を縫いつけられていた。


「待て、お前ら! その槍、なかなかいいモンじゃねぇか。どうだ、それとこの女の交換ってのは」


首魁らしき大柄な男が発した瞬間、空気がピリッとと張り詰めていく。

能なし鷹が手に握る片手槍は貧相な見た目に似つかわしくないほど神々しく、薄暗い路地とは場違いなほどに輝きを放つ。

金の装飾は鈍く光り、まるで彼自身が神聖なる存在なのだと示しているかのようだった。

彼は何も答えず、ただ静かに歩み寄る。

足取りは気怠げで、けれど一歩ごとに距離を確実に詰めていく。

大柄な男が了承したと勘違いし、差し出された手が槍に触れようとした瞬間――


「大事なものなので、薄汚い手で触ろうとしないでもらえますか?」


柔らかな敬語。

だが言葉の奥に、触れれば血を噴き出すほどに冷たい刃が潜む。

穏やかな声色とは裏腹に、相手の手首を掴む力は容赦がなかった。

次の瞬間に野蛮な男の巨体は宙を舞い、石畳に叩きつけられた瞬間、骨が軋む鈍い音が響く。

思わず息を呑むと


「言葉が通じない方には、これしか手はないようですね」


彼はそう言って、ほんのわずかに笑ってみせる。

最も力の強かったであろう頭目があっけなくやられて、力の差を思い知ったのだろう。

気がつけば周囲にいた男たちは、一目散に逃げ去っていた。

静寂が戻ると膝から力が抜けてへたりこむ私の前に、彼は姫に跪く忠実な騎士のように屈み


「立てますか? お嬢さん」


優しい声音で手が差し出してきて、握り返した。

ゴツゴツとしていて温かい男性の手に触れた瞬間、私の心臓がドクンと跳ねて、体が熱を帯びていく。

あれが恋だったのか、驚きなのか、その時は理解できなかった。

けれど今ならわかる。

きっとこの能なし鷹がこれから起こる他愛のない日々に、彩りを与えてくれる存在だと、心のどこかで確信していたことに。


能なし鷹の風来坊 アキピテル


とある目的のために各所を巡る、灰髪に灰のマントを羽織った、粗末な格好の風来坊。

しかし使い古した武具や衣服に似合わない、豪奢な装飾の片手槍を持ち歩いており、それだけは絶対に手放さない。

自らを能なし鷹と自称しており、飄々とした態度を取りながら慇懃無礼な敬語で常に周りと距離を置く。

冒険者活動や軽作業で必要最低限の日銭を稼ぐも徹底的に実力を出さず、口を開けば権力者や周囲への毒舌、皮肉、冷笑を口にする、ミステリアスで知的な人物。

同行者のセレナが仲裁の役割を担うも、本人は


「私は風に乗る鳥ですので。問題が起これば、さっさと国を発つだけです」


と堂々と無責任に言い放ち、反感を持たれても意に介する様子を見せないトラブルメーカーな一面も。

セレナ曰く


「怠惰で、無気力で、毒舌で、軽薄で、冷笑家の、どうしようもない嫌われ者の能なしかもしれないし、本当は鋭い爪を隠しているだけの有能な鷹なのかもしれない」


とのこと。




迷宮都市の街娘 セレナ


入り組んだ迷宮街で襲われた場面を能なし鷹に助けられた村娘。

能なし鷹からは名前ではなく、お嬢さんと呼ばれる。

同年代の同性が添い遂げる、あるいは仕事で成果を出すといった人生の転機を迎える中で、何者でもないと悩む平凡な女性。

焦燥と無力感に苛まれる彼女に対し、能なし鷹は持たざる者の哲学を説いた後


「能なしの私にも生を受けた以上1つや2つ、どうしてもやらねばならない天命がある。生きる意味なんていう大層な御題目が欲しいのなら、私の旅の記録係としてついてきなさいな。お嬢さん」


と告げられ、先祖の代から連綿と受け継がれてきたロケットを首にぶらさげて冒険を始めることに。

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