灰の国境町と白旗の少女
世界が滅びるとき、空は青いらしい。
少なくとも、アリア・フェルンがその話を聞いたのは、まだ母が生きていた頃だった。
「変なの」
十歳のアリアは、宿の裏庭で洗った皿を拭きながら首をかしげた。
「滅びるなら、黒い空のほうがそれっぽいのに」
母は笑った。
柔らかな金の髪を風に揺らし、白い布を物干し竿にかける。
「黒い空なら、誰だって怖がるでしょう?」
「うん」
「でも青い空の下でも、人は間違えるの。今日くらい大丈夫だろう、まだ平気だろう、相手もそこまで悪くないだろうって。そうやって気づくのが遅れる」
アリアは皿を抱えたまま、じっと母を見上げた。
「じゃあ、どうしたらいいの?」
母は物干し竿にかけた真っ白な布を見つめ、それから娘の額を指でつついた。
「ちゃんと見ること。怖いものだけじゃなくて、怖がってる誰かのほうも」
「……むずかしい」
「そうね。だから、できる人は少ない」
その白い布は、洗濯物なんかじゃなかった。
宿の奥にしまわれている古い旗だった。
傷ひとつないのに、なぜか古びて見える、不思議な白。
「これ、なんの旗?」
アリアが聞くと、母は少しだけ黙ってから言った。
「約束の旗よ」
「誰との?」
「それを決めるのは、いつかのあなた」
意味が分からなかった。
だからアリアは、いつものように適当にうなずいて、こう返した。
「じゃあ、その時はもっと分かりやすい説明にして」
母は、声を上げて笑った。
その笑い声を、アリアはずっと覚えている。
火の中に消えたあとも。
灰になった町を歩く夜も。
ひとりで眠れなかった朝も。
ずっと。
だからたぶん、世界が滅びる前に空が青いのだとしても、
アリアはもう二度と騙されない。
青い空の下で始まる最悪を、見逃さない。




