repair.98 『臨界点への秒読み』
地下深く、物理法則さえも歪み始めた因果の檻。
リエイはノエルから提供される純粋で澄んだ魔力を媒介とし、超伝導の籠手を通じて扉の術式へと直接的な干渉を開始した。その隣では、自動人形のシエルが自らの核を一時的に迷宮のシステムへと連結し、荒れ狂う因果の奔流をどうにか御そうと試みている。
「構造解析……完了。……なんて数式だ。これを作った者は、世界を救いたかったのか、それとも滅ぼしたかったのか」
多機能ゴーグルの奥で、リエイは戦慄していた。眼前に広がる術式は、もはや人の領域を超え、神の理にさえ触れようとする傲慢なまでの傑作だった。リエイの額からは、滝のような汗が滴り落ちる。だが、その雫が床に触れることはない。あまりの高密度な魔力熱により、空中で蒸発して消えていく。
ゼノスが仕掛けた抽出装置の逆流を止め、腐食した扉を再封印するためには、周囲に散乱する全マナを一時的に「一点」に集中させ、歪んだ因果を焼き切る必要がある。だが、その一点とは、迷宮と命をリンクさせた岩山ダンジョンの「門番」であるリエイ自身の肉体に他ならなかった。自らを高純度な「ヒューズ」とし、膨大な負荷を引き受けなければならない。
「リエイ殿、止めるんだ。そんなことをすれば、君の存在そのものが迷宮に取り込まれるぞ」
カドモンが王宮隠密部隊の制止を力ずくで振り切り、現場に駆けつけて叫んだ。彼は調査団のリーダーとしてではなく、リエイという一人の職人を尊敬する友人として、その命が消えゆくことを本能的に察知していた。
「……カドモンか。悪いが、これが一番効率的な修理方法なんだ。使い手に合わせて、道具も世界も微調整が必要だろう。過負荷がかかっているなら、それを逃がす場所を作る。それが修理師の仕事だ」
リエイの全身から、眩いばかりの青白い光が溢れ出す。覚醒スキル「時層同調」が極限まで高まり、彼の周囲だけ時間の流れがミクロン単位で停滞し始めた。それは、世界の終わりを食い止めるための、あまりに静かで、孤独な覚醒だった。
「ノエル。もし私がいなくなったら、あの鉄のフライパンはシエルに譲ってやってくれ。あの子、最近は料理に興味があるみたいだから。私の残したレシピのメモも、適当に渡しておいてほしい」
「……嫌です。そんな約束、絶対に守りませんから。リエイさんが、自分の口で、リエイさんが自分で教えてあげてください」
ノエルの悲鳴に近い叫びが、マナの咆哮の中に響く。リエイはただ、いつものポーカーフェイスを僅かに崩して、不器用に微笑んだ。その手が、扉の中心にある、万象を飲み込もうとする禁忌の核へと触れた。




