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エピローグ

ここまで読んでいただきありがとうございました。

こちらは世に出した初めての一次創作小説でしたので、拙い部分も多かったと思います。

それでも楽しんでいただけたのなら幸いです。

───・・・二年後。

アシュレイ・グラン所領の農村。


「ロベルタ先生!」


名前を呼ばれたから顔を向ける。豊かな田畑が広がる農村の商店通り。農民達が収穫した野菜を売る・・・八百屋でいいのかな?そこの女将さんが手招いていた。

快活な彼女へと近付くと、トマトが一杯置かれた棚を挟んで声をかける。


「こんにちは」


「ああ、こんにちは!今日は買い出しかい?」


短く返事をして棚のトマトに視線を落とした。瑞々しいけど、ちょっと不揃い。この村の農作物は殆が王都へ出荷されるから、村の人間が食べられるのは形が良くないものだけ。それでも味は保証されている・・・美味しそうだし、何個か買っていこう。


「トマトを五個ください」


「あらやだ、買ってもらうために声をかけたわけじゃないんだよ?」


そう言いながら、女将さんは紙袋にトマトを七個も入れてくれた。


「半額でいいよ、先生にはいつも息子が世話になっているからねぇ」


にっこりと笑顔を向けられたから、好意を受け取ることにした。


「ありがとうございます」


「お礼なんていいんだよ!こっちが言うべきなんだからね!」


雲一つない青空の下、彼女の笑顔がとても眩しく見えた。

この農村に越してきて二年とちょっと。シザールという国からの移住者と名乗った私達を、村の人達は怪しむなんてしなかった。私と歳の離れた夫は、若い夫婦が辺鄙な田舎にやって来たと歓迎される。定住してもらおうという本心が見え隠れしながらも、友好的に接してもらった。この村の若い人の半分は、領主のアシュレイ・グランが居を構える王都に行ってしまうらしい。住みやすい税収と憲兵がいることでの治安の良さはあれど、田舎よりも都会に惹かれてしまうようだ。

分かる。私も実家ではのびのびできたけど、やっぱり都会の華やかさ、流通の良さや目覚ましい発展に惹かれて上京を・・・意識を飛ばしすぎた。ボロが出るから考えないようにしよう!


「いつもうちの子に魔法を教えてくれてありがとうね。これはおまけだよ、旦那さんの分もあるからさ!」


考えすぎていた私のことは気にならないのか、女将さんは紙袋の中にとうもろこしを四本も入れてくれた。袋がパンパンで今にもはち切れそう。

それを受け取って両手で抱える。


私は農民じゃない。一応、ジャガイモは育てるけど家庭菜園程度の規模。普通に農民として生活しようとしたら、父から駄目出しをされた。肉体労働はさせられないって言われたんだけど、兄も父に続いたから勝ち目はない。

「では、どうやって生活すればいいのですか?」なんて別角度から攻めても「援助をするから気にするな」と言われる始末。私のことをニートにしたいのかとすら思った。ニートって言葉がこの世界にあるのか分からないけど、要は親のスネカジリでしょ?

欲しいものを全部与えられて、力仕事も家事も甘やかそうとする夫に任せればいいとか、精神的に耐えられなくなる。駄目人間だって自覚してるんだから、これ以上駄目になったら「何もしない私は果たして人なのか?」って哲学的な問答に至りそうだった。

自分のできることを考えた。この農村には学校がなく、家庭学習で学問と魔法を習っていると聞いていた。できることがあったと思ったから私が教師になると名乗り出た。

これでも高等教育は受けていたし、色々と調べたら魔法の教員になれる程度には能力が成長していると判断された。


親兄弟の反対を押し切って私は先生をやっている。だから、女将さんが「ロベルタ先生」って読んでくれたわけ。

こんな私が教職に付くなんて・・・結構凄くない?胸を張って生きていけそう。


「先生?」


「へ?・・・あ、ええっと、少しぼんやりしていました。次の授業はどうしようかと」


「ああ、何だ。いきなり百面相し始めたから何事かと思ったよ」


「あっ、は・・・ふふっ、すみません。考え事をすると自分の世界に入ってしまうのです。以後、気を付けますね」


顔に出ていたなんて。本当に気を付けないと駄目だわ。


「あ、ロベルタせんせいだー」


「ああ、先生。いつもお世話になってます」


「先生、またお家に行くねー!」


道行く人達が私に気付いて声をかけてくれる。手を振って答えれば、小さな子なんて大きく振り返してくれた。

好かれている。自分でもそう感じている。誰かに必要とされて、役に立てるってことを嬉しく思う。こんな私でも出来ることがあるんだって心が満たされる。


「相変わらず人気者だね」


「皆さんに受け入れていただけて私も嬉しいです」


「そりゃそうさ。あんたはいい人で可愛いし。それにほら、これ!」


女将さんが後ろを振り返り、何かを手に取ると体の向きを戻した。

微笑みを浮かべた彼女が手にしているのはハードカバーの本。分厚い表紙ながら淡い桃色で、タイトルは幼児でも読める簡単な言葉で書いてある。

見覚えしかないその本に顔に熱が集まった。は、恥ずかしい。


「やっぱりこの本のおかげだよ。うちの子も大好きでね、寝る前に読んでやると興奮して逆に寝てくれやしないよ。あたしも人のことは言えないから叱れないしね!あんたの小説が面白くて大好きなんだ」


「じ、児童書です」


「変わんないよ!文字がいっぱいだからねぇ!」


カラッとした笑い声が響く。

それに通り過ぎる人達が顔を向けることで私に気付き、挨拶をしてくれるから返さないと行けなくて、社交辞令というか、声をかけるきっかけに「お話の続きを待っている」なんて言ってくる。更に恥ずかしさで体すら熱くなってきた。


魔法の先生になって暫く。授業は私の家で行っているから、その日も十人くらいの子供達が集まっていた。トイレを借りたいと言った一人の女の子が、私が趣味に使っている部屋に間違えて入ってしまったのが始まり。

彼女は積み上がった図鑑や歴史書、観光地の案内書に囲まれるようにあった原稿用紙に気付いてしまった。

私が趣味で書き始めた小説みたいなもの。この世界で冒険をしたらどうなるかって手探りで始めた物語。女の子は他の子よりも年上だったから文字も読めて、私の書いた小説も読めてしまった。


「これ先生が書いたの!?」


戻ってきた彼女が原稿用紙を抱えていた姿を見たとき、今と同じくらい恥ずかしくて体が熱くなった。


小説を書くなんて二十数年振り。細かい年数は分からないけど、今までの状況のせいで全然書けなかった。

どうやって書くんだっけ?と思い起こしながら書き始めることで、手というか、頭が感覚を思い出していく。頭に浮かんだ情景を説明して、でも、説明文みたいにはならないように。主人公が感じている気持ちを説明ではなく感覚で知るように。そんな風に考えて、思い付いてを繰り返して書いた。

その書き綴った二十枚分が子供達にバレた。好奇心旺盛な時期だから皆食いついてしまい、読んでほしいとせがまれた。


「まだ推敲もしてない走り書きなの」


そんな言い訳が子供に効くわけがない。

悲しませるのもかわいそうだと、恥ずかしくてもんどり打ちそうだったけど、大人だからしっかり耐えて読んだ。

読んでいる最中は皆は静かで、つまんないかな?とか思ったけど、「むずかしいおはなし?」と小さな子に言われて、幼児にも分かる言葉に置き換えて読み進める。年齢が上の子達から不満の声もなかったから、そのまま最後まで読み終えてた。


「ここでおしまい」


私の言葉にやっと声が上がった。


「つづきはまだ?」


「もっと読みたい」


「また最初からよんで!」


そう言ってくれたから私の心は満たされていく。書いてよかったって安心して、満足して、続きを書こうとする意欲になった。

授業の終わりにせがまれれば、読書の時間ということにして読んだ。続きも走り書きだけど毎日書いたし、喜んでくれるために色々とルートとか、裏話とか考えたりして私も楽しかった。

魔法の授業のあとは読書の時間が定着した頃、授業を受けている子供達から話を聞いたらしい他の子達が顔出すようになった。その子供達の兄弟姉妹にも伝わって、遂に大人達にも伝わってしまった。

読書の時間に読んでいる小説を読みたいなんて言われて、子供達に分かるように児童書のような文章に変えていると言ったら、夜の読み聞かせに使いたいとか言われてしまう。

製本はしていない、なんて言葉も無意味。何故なら、夫がいつの間にか準備よく製本していたから。あの人にはお金と人脈と情報力がある。だから、言葉しかない私は押し負けた。

流れに任せることにして、欲しがった人達に本を渡した。


「未完成品なので代金はいらないです」


走り書きのまま本になっているから、遠慮の言葉も添えて手渡す。それなのに、


「完成したら是非買わせて!」


次の日、家に足を運んでまで執筆を促された。大体が子供が喜んでいると言う大人達。だけど、自分が楽しみだからと言う人もちらほらいた。娯楽が少ないからかもしれないけど、農村の人々が私の書いた児童向けの小説を求めてくれる。

この辺りで私は考えることを止めた。どうしてこうなった、なんて考えても無駄。人の趣向に関わることなんだから解決なんかしない。

喜んでくれた、楽しんでくれた。続きや完成を待ってくれている。それだけを思って、私は小説を書き続けた。

おかげで、この村で私の小説を知らない人はいない。


「作家先生がうちの村で暮らしてくれて嬉しいよ。早く続きが読めるからね!」


「作家先生だなんて・・・ただの趣味ですから」


「趣味だろうがいいもんはいいのさ・・・だからね、厚かましいお願いなんだけど、続きはまだかい?先が気になってしょうがないよ!」


催促されたことに口元が緩む。待っていてくれて嬉しい。


「続編は構想中です。その、今度旅行に行くつもりなのですが、その地で見たものを参考にしたいと思っています」


「あ!あれだね、取材ってやつだ!さすが先生は勤勉だね〜!じゃあ、いいもん書いてもらうためにこれもおまけしちゃうよ!」


きゅうりでパンパンになるほど膨らんだ紙袋を差し出される。商店の奥から「そんなに渡したら持てないだろ」って男の人の声が聞こえた。野菜が積み上がった室内には旦那さんがいて、女将さんを呆れた目で見ている。


「うるさいね!これはあたしの感謝の気持ちなんだよ!」


きっぱりと言い退けているけど、確かに持てない。

持ってもらうしかない。そうして後ろに振り返って探そうとした。だけど、私の視界には筋肉で盛り上がった黒い服しか見えない。探していた人はいつの間に背後に立っていた。

慣れたおかげでもう驚かなくなっている。これも成長では?


「沢山買ったな。ほい、おばちゃん」


私の夫は、手に抱えている野菜の紙袋に視線を向けると、代金を女将さんに渡そうとした。


「いいんだよ!それはおまけさ!」


「トマトの時点でまけてくれただろ?やり過ぎ。依怙贔屓は良くないんだぜ」


女将さんに無理矢理お金を渡すと、大きな手を私に向ける・・・何だろ?って考えていたら抱えていた紙袋を全部引き取ってくれた。軽々と片手で持ちながら私に笑いかける。


「他に買いたいものは?」


「いえ、特にありません」


「じゃあ、帰るか・・・あまりうちの奥さんを甘やかさないでくださいよ。押しに弱いから何でも受け取っちまうんだ」


「分かってるよ!・・・後先考えずに渡しちまって悪いね。次は気をつけるよ」


「いえ、好意は嬉しく思いますから。私も気を付けますね」


手を振る女将さんに軽く頭を下げて、歩き出す。私の真横で密着するように歩く人を見上げた。

私を見ていたから目が合う。灰色の瞳は陰っているせいか少し暗い。


「何でも貰っちゃ駄目だろ」


「はい、気を付けます」


「何年経とうが世間知らずが治らねぇな・・・目が離せなくて困るわ」


そう言うと顔が近付いてきて、頬!チューしてきた!?何で?いや、人目があるからここでは止めて!

ああ、見ていたご近所さん達が微笑ましい顔をしている!「相変わらず仲が良いわねぇ」とか言ってる!

うう・・・恥ずかしい。こうやって人目を憚らない人だから、村の中ではバカップルみたいな感じで見られていた。一人で散歩していても、一緒にいることすら当たり前みたいな扱いを受けてるから「喧嘩したの!?」とか驚かれたりすることが儘ある。


「顔真っ赤っか、可愛いなぁ」


「誰のせいだと、いえ!可愛いとか人目があるところで言わないでください!その、ドキドキしてしまうので平静が保てなくなります!」


「ふーん・・・じゃあ、二人っきりになったらいつもの何百倍も言ってやるからな?」


「は・・・」


勢いでツッコミそうになったけど、気付いたから口を閉じた。

私のことをからかっている!照れたり恥ずかしがる姿を見て楽しんでる!最近分かってきたけど、この人は変態!

これ以上はペースに飲まれないようにしないと!顔も見られないから、どこか・・・あれ?


真横に顔を動かしたことで、見えたものに惹かれた。日用品を売る商店の脇に簡易な露店が設置されていた。無地の青いシーツの上に、写真・・・いや、まだそんな技術はこの国にないから、あれは絵かな?サイズから絵葉書だと思う。それがズラッと並べられていて、遠巻きでも綺麗だと分かる鮮やかな彩色をしていた。


「見たいのか?」


彼が声を出すと、私の背中を押して誘導してくれる。

気になっただけなんだけど、私の変化にすぐ気付くのは本当に凄い。よく見られてるんだって分かる。


「あ、いらっしゃい。お好きなだけご覧くださいねー」


見慣れない店員さんだったけど、画家なのかもしれない。衣服に絵の具が飛んで付いていた。それに大きな旅行用の鞄が積み上がってるから旅の画家かな?

シーツの端に座る彼の足元に広がる絵葉書を眺める。色とりどりの花畑。平原から見上げるようにある青々とした山麓。白い砂浜と真っ青な海。手書きの絵葉書はやっぱりどれも鮮やかだった。この人の画風か、それとも本当にこんな光景の場所を旅していたのか。


(あ、この絵・・・)


妙に惹かれる一枚があった。薄曇りの空と湖の絵葉書。色は淡く、湖面には白いベールのような霧がかかっていて神秘的だった。

思わず、手に取ってしまう。他の絵とは違ってぼんやりしているけど、とても綺麗。


「お嬢さん、そちらの一枚を気に入ってくれましたー?」


「ええ、とても綺麗だと思いました」


「良ければ買ってくださいー!安いですし、葉書として使わなくても部屋のインテリアにはなると思いますよー」


「そうですね、では」


お金を出そうとした。そうしたら手が真横から伸びて、店員の画家さんに指で摘んでいる金貨を見せる。


「お嬢さんじゃなくて奥さんな。そこ重要だから間違えるなよ」


「あ、ありがとうございます!でも、そんな大金は」


「金貨で何枚買えるんだ?」


「え?あー・・・その湖の絵以外だと、この辺りの四枚分ですー」


「他に好きなのはあるか?」


夫は私を見る。目を細めて、どこか嬉しそうに見ていた。

私が物事に熱中しているのを嬉しく思ってくれている。私の好きなものを肯定しかしないから。


(本当に甘やかすんだから)


八百屋の女将さんを注意できる立場じゃない。デレデレに甘い人。

でも、それが嫌じゃないから受け入れてしまう。


「ええっと、この湖と同じ地域の絵はありますか?」


「こちらの四枚ですねー」


「では、これをください」


短く返事をした店員さんは、湖の絵葉書と同じくらい淡い情景の絵葉書四枚を素早く纏めて、丁寧に包装紙で包んでくれた。


「ありがとうございますー!」


嬉しそうに手を振る店員さんに手を振り返して、また夫と並んで歩き出す。


「私のことを甘やかしすぎです」


「俺は旦那だぜ?可愛い奥さんを甘やかして何が悪い」


手を握られて、指が絡むように握り直された。

ああ、未だにぬくもりを感じることでドキドキする。結婚して二年も経つのに、触れ合うことで熱を感じてしまう。いつかは落ち着いて対応できるようになりたいけど、まだまだ先になりそう。


隣にある人のぬくもりにぼんやりしながら、並び歩いて我が家に戻ってきた。

囲っている塀の門を潜れば、玄関のドア枠に止まっていた白い小鳥が飛び立つ。翼を懸命に羽ばたかせて近付いてきた小鳥は、私の肩に止まると頬にスリスリとすがってきた。


「ただいま」


可愛い私の小鳥に言えば、短く可憐な鳴き声を返される。

夫が玄関のドアを開けて、自分の体をストッパー代わりにしてくれた。


「ありがとうございます」


お礼をして室内に入れば、目の前の床にまるまるとした小さなハムスターが寝っ転がっている。死んでいる・・・わけじゃない。ひまわりの種の殻を撒き散らして口をモゴモゴしているから、寝ながらおやつを食べていたんだろう。びっくりするほど行儀が悪いんだから。


「こら!」


私が声を上げても体の向きを変えるだけ。仰向けからうつ伏せになったハムスターは、暢気に毛づくろいを始めた・・・主である私を舐めている、というよりは「可愛いでしょ?可愛いから怒らないで」アピールだと最近気が付いた。

私の代わりに肩の小鳥が鳴き声を上げて、ハムスターに突撃をする。二匹は甲高い鳴き声で言い合いながら、リビングで追いかけっこを始めた・・・流石にきちんと怒らないと!


「チュピ!モフ!喧嘩も暴れるのも駄目!止まりなさい!」


・・・聞かない。追いかけっこに夢中だから。いざというときは言うことを聞いてくれるのに、平時は全く聞いてくれないのはなんなの?やっぱり舐められてる?


「母ちゃんは大変だな」


暢気な声が聞こえた。

確かに生み出したのは私だけど、お母さんというには語弊が、


「あ・・・」


後ろから抱き締められる。耳元に彼の息遣い。肌を撫でられてぞくぞくする。


「リスベット・・・」


吐息と共に漏れたのは内緒の名前。死んだと言われているグラン家の令嬢の名前で、二人っきりのときにしか言わない。いや、一応外部の人間がいないときはお父様やお兄様は呼んでくるけど。

私がリスベットであることは口外されない。二年前に国を滅ぼしかけたセルジュ王子の耳に入ることを懸念しての措置。今は他国からの移住者で魔法の教師をしている児童書の作家ロベルタ・バルタ。それが私。

そういうことにするために徹底的に情報統制がされた。ちょっと属性盛ってる気がするけど、農村の人は誰も気にしていない。最初に移住してきたときは交流をする前にあの誘拐事件が起きた。だから、私とリスベットを同一人物だと誰も分からない。下手に外出したり、ご近所挨拶しておかなくて良かった。


ん・・・あ、駄目!ぼんやり考え事をし始めそうになったら、夫は、トーマは私の胸を触ってきた。お腹にある手も手付きがいやらしくて、下のほうに動いていく。

急にエッチな気分になってる!今は駄目だから止めよう!


「だ、駄目です。夕食の準備をしてから」 


触れそうだった手を掴んで止めた。

彼は溜め息を漏らすけど、首筋にキスをする。聞いてくれないの?と思ったのは一瞬だけ。

首から顔を離し、にやついた笑みを見せてくる。


「じゃあ、一緒に準備しようぜ。二人で作ったらすぐに終わるだろ」


抱き締めていた体からも離れて、それでいて肩には手を回されてリビングを進まされる。買ってきた食材もきちんと片腕で抱えている私の夫は、今はエッチのことで頭が一杯。

性欲強い変態だったなんて気付いても遅い。でも、い、嫌じゃないから覚悟だけはしておこう。

どんなことをされるのか、なんて考えない。どんなことをされても飲まれないようにしよう・・・───。






───・・・日が落ちてから暫く経った深夜。時計の針が天辺を刺そうというときに、私はリビングのソファで寛いでいた。

視界の端にある鳥籠の中で、チュピとモフがくっ付いて寝ている。そして、トーマは私の膝を枕にしてソファに寝そべっていた。全ての欲求を満たした彼は、満足そうにおやつのぶどうを摘みながら緩んだ顔をしている。

私は薄い肌着姿、トーマは上半身裸っていうだらしない格好だから、お兄様が見たら絶対に怒られてたはず。今が深夜で良かった。

彼のゆるゆるな表情を背景にして、私は昼間に買ってもらった絵葉書を見ていた。

本当に綺麗。青い花が咲き乱れる平原も、天辺が雪化粧で白くなっている山脈も、色の少なさからこの世のものではない神聖さを感じる。それに、やっぱりこの湖の絵が綺麗すぎる。白と灰色だけ。霧が湖面にも映っているように描かれているから、霧と湖だけの世界に見える。

この絵葉書に描かれた情景が全て同じ地域なんて。こんな神秘的な国が存在することに驚きすらある。


「かなり気に入ったみたいだな」


ぼんやり眺め続けていたら声をかけられた。視線を合わせれば、真っ直ぐ見つめる灰色の瞳とかち合う。


「はい、とても綺麗です。こんな情景の国があるなんて思いませんでした・・・次のお話の舞台になりそう」


「そこは隣国のヴァルドラだな。この領地からも国境が近い。行ってみるか?」


「いいのですか?」


「勿論、次の旅行先にしようぜ」


即断即決。

私が気になっているから簡単に決めてくれた。私のことを第一に考えてくれる。この人は本当に私に甘い。なにか、自分にできるお返しをしないと。

絵葉書を脇に置いて、正面から彼の顔を見下ろす。


「どうした?」


優しい顔。引き寄せられて唇にキスをしたら、ぶどうの味がした。すぐに離れようとするけど、最後に彼の唇に食まれる。離しがたいって思ってくれたのかな?


「またベッドに行く?」


「・・・そういうつもりでキスをしたわけではありません」


「なーんだ」


残念そうに言うけど目は穏やか。それに大きな手が私の頬に触れて撫でてきた。

私に優しい人。子供の頃から、この農村に来たときも、恋人になる前からもずっと優しい。夫婦になっても彼は変わらずにいてくれていた。


「あなたが優しすぎて時々怖くなります」


それをトーマは笑う。


「何を怖がることがあるんだか・・・ああ、そうか。お前はずっと怖いって思ってんだよな?そうだ、俺は怖いんだぜ・・・お前が俺のことを嫌いになって離れようとも、絶対に逃さねぇから」


「・・・嫌いになんてなりません」


目の輝きが変わる。爛々とした肉食獣のような獰猛さ。

何かに触発されて、今から私を性的に食べようとしている・・・煽るようなことを言ったつもりはないんだけど?ぶどうを食べて我慢をしてくれないかな?


無理そう。

起き上がった彼に追い詰められていく。ソファの肘掛けが私の体を止めて、筋肉逞しい腕に囲まれたから逃げられない。これほど求められるのは愛情の深さと恐れがあるから。私に嫌われたくないトーマは、自分なりの愛情を向けて私を繋ぎ止めようとしている。それが嫌じゃないからは幸せだった。


本来なら与えられるはずもない愛を受けて、それに夢を叶えられた。粗削りではあるけど、小説を書いて出版するとは思ってなかった。

全部トーマのおかげ。私が求めたことを何でも叶えてくれる。だから、この人が求めることはできるだけ叶えてあげたい。

覆い被さってきた大きな体を抱き締める。重さもぬくもりも何もかもが愛しい。



死んだことで私はリスベットに生まれ変わって、リスベットとしても死んだ。私は今、ロベルタという新たな人生を愛する人と一緒に始めている。幸せな人生を再開したんだ・・・───。

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